この令和時代、全国で未だに活躍を続けている蒸気機関車。最近、あまり耳にしたくない噂が聞こえてきた。コロナ時代を迎えて3年以上が経ち、鉄道各社にもほぼ集客が戻り、さてこれからという時に、今まで全国で運転されていた蒸気機関車たちに暗雲が立ち込めている。
今年6月、惜しまれつつも運転終了となった釜石線に走っていた「SL銀河」に始まり、東日本のD51 498、C61 20の不調、西日本のC57 1の不具合等、ここにきて我々ファンに逆風が吹き出しているのだ。人の問題、費用対効果の思考以上に、コロナ禍を経験した我々にとってイベント列車としての蒸気機関車そのものの考え方に変化が生じているようだ。鉄道趣味界にとっても大きな転換期を迎えているのかもしれない。どうかこれからも、この鉄道文化を絶やすことなく、さらなる明るい未来を築いて欲しいと願いたい。
昔から磐越西線には愛着があったから、ここにD51が走ると知った時は衝撃的だった。国鉄がJR化してD51498がデビューしたのが、1988年12月。そして初めて磐西D51運転となったのは、1990年1月だった。それまで専用機ED77の独壇場だった磐西の地に、本物の蒸機が現れた時は身震いして感極まったものだった。現在の「ばんえつ物語」号のように新潟県側の非電化区間ではなく、福島県側は電化区間。いくらED77で土地勘はあっても、蒸機撮影では通用しなかった思い出が蘇る。吹雪で荒れた天候も諸ともせず、延々と続く上り勾配を必死で突き進むD51に何度感動したことか。出来ることなら、こんな想いを孫子の代まで伝えたいものだ。
1990-02-04 9211 D51 498 磐越西線:中山宿
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