アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

500系 TYPE EVA 入線!

2018-05-13 15:00:00 | 鉄道写真(EC)

こだま730号入線の放送が構内に響き渡り、いよいよ目の前に姿を現す500系V2編成エヴァンゲリオン。入線時刻に合わせて、ホームに見物客が集まりその一人となったアントンK。今月(5月)でその運転が終了したらしい。

アニメそのものを知るはずもなく、怖いもの見たさにホームに上がったのが正直なところ。二筋のハイビームが近づいてくると、ホームに集まったエヴァファンは一斉にカメラを構えた。何とも戦闘的な面構えに一瞬緊張したが、どこからか歓声が上がり人気のほどがうかがえる。その中でカメラも持たずホームにいた母子に気づき、手を挙げて嬉しそうにしている姿に心が和んだ。そう、本来特急列車は夢を抱き憧れる存在ではなかったか。少なくとも少年時代はそうだったはず。そんな大昔の想いがこの一瞬で甦り、こちらも嬉しくなってしまった。

500系新幹線、また新たな姿で我々に夢を与えて欲しい。

2018-04  730A  こだま730号   山陽新幹線:西明石駅にて

 

 


ド・アップにハマった時代

2018-05-12 22:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

古い写真が続いてしまい恐縮してしまうが、自分の履歴として記載し、将来読み返すことも目的としているので、どうかご勘弁願いたい。当時の記憶や想いを出来るだけ自身で残しておきたいのだ。写真は、撮影日や場所、機材等がはっきりしていれば、画像が残っている以上結構当時の場面を振り返ることができる。それでも30年以上の歳月が経つと、いよいよ薄れてしまう印象が最近多くなってきた。今のうちに、自分のために書き残しておき、将来楽しもうという懐古趣味だ。

音楽鑑賞については、さらに具合が悪い。音楽は、演奏されたと同時に消えていくもの。保存できない空間芸術とでも言えるのか。だから今聴いた音楽を心の中に留めておくことしかできないのだ。その演奏会のCDが将来発売されたとしても、全くの別物に感じ、本当にあの時の演奏なのかと疑いたくなったことが何回あったことか。つまり、多くの聴衆と同じホールで同時に音楽を共有し、その音楽に感動できたのなら、指揮者、演奏者そして聴衆たちとどこか心が一つになった感覚が生まれる。それぞれ思いの丈は違うが、一つの同じ音楽で心が繋がる感覚だ。アントンKも今まで何十何百と演奏会に出向いて来たが、そんな演奏会に出会えるのは、ほんの一握り。でもその瞬間を味わいたくて足を運ぶ。これは男のロマンだ。毎回期待して会場に向かい、期待以上の演奏だった時、感情が一気に爆発する。喜怒哀楽が一点に集まり、心の中で昇華する。どこか写真撮影と通じるところがあると感じているが、今は具体的にはまとまらない。将来時間をかけて考えていきたい。

さて前置きが長くなってしまったが、アップの写真撮影にハマっていた頃の画像を掲載してみる。諸先輩方から、ペンタックス67は、流しの決まるカメラだと言われ随分練習した頃があると以前記載したが、それと同時進行で、被写体を限りなく大きく撮影することにこだわり、シャッターを切っていたことがある。ご存知だろうが、ペンタ67のファインダーは、覗いてもファインダーの四隅を一度では確認できず、意識して見渡さなくてはならない。視野率の悪さも手伝って、アップでの撮影はリスクが大きかったが、当時鉄道撮影の神様と言われた廣田氏がやたらとアップの写真を発表され刺激を受けたことも要因の一つだろう。とにかく最初は標準レンズを装着して撮影していたが、ファインダー内の被写体の動きに身体が慣れてくると、レンズの長さを少しづつ長くしていき、あまり被写体がゆがまない角度を身体で習得していった。この手の写真は、画角よりも被写体のはみ出しとピントとブレが難しく、ペンタ67のシャッター癖と相まってなかなか手ごわかった思い出がある。ただでさえ、被写体深度が浅いペンタ67だから、ピントは枕木3本もズレれば外してしまうだろう。失敗は限りないが、納得できる画像が現像された時の興奮は、今でも心に焼き付いている。

そんな想いで撮影した急行「銀河52号」。東京機関区所属EF58124号機けん引。早朝から快晴に恵まれ、背景の富士山も綺麗に見えていたが、この列車だけは敢えて機関車主体で撮影していた。この当時は、何号機がけん引してくるという事前情報もなく、撮影してわかった状況だからあまり良い心持ではなかったはず。しかし今見るとどこか懐かしく、東機のハズレガマでも愛着が沸いてくる。

1982-10-10   6102ㇾ  EF58124  銀河52号   東海道本線:三島-函南


夢をつなぐロマンスカー

2018-05-11 17:00:00 | 日記

家族と過ごした5月5日「こどもの日」。

どうしても孫とロマンスカーに乗りたくて急に思いたった休日となった。

小一時間のロマンスカーの旅。あっという間だが充実した時間が過ぎていく。

アントンKの幼少の頃はSE車、娘とはHi-SE車、そして孫とはVSE車とつながった。

ホームに降り立った時、今乗ったVSE車に手を振る。

いつか大人になった時、昨日見た夢を思い出してくれたら・・と妄想する爺なのであった。

2018-05    小田急線 スーパーはこね VSE車   小田原にて

1990-10-31    重連で走る3000形SE車     伊勢原付近


好きだったワイパーカバー付きゴハチ

2018-05-10 19:00:00 | 国鉄時代(カラー)

晴れていないとカラーポジでは撮影しなかった当時のアントンK。先輩や友人たちに従って、ゴハチの写真も大部分がモノクロ写真を優先し、カラーはよほどのことがないと撮影しなかった。30年以上も前の当時は、カラーフィルムは経年劣化が進み、将来写真を楽しむのなら、まずモノクロ写真だというのが僕等の常識だった。月刊誌「鉄道ファン」のモノクロ写真に憧れていたアントンKは、こんな周囲の意見もあり、進んでTRI-XやT-MAXという当時の定番フィルムをカメラに装てんし撮影を楽しんでいた訳である。

掲載写真は、ゴハチの記録写真、いわゆる番号つぶしに躍起になっていた時代のもの。米原区の受け持つ荷物列車で、美しいゴハチの多い米原区はいつも注視していたが、この時は、冬の光を受けて現れた美しいゴハチを見て感動したことを思い出す。特に小窓ワイパーカバー付きの機体は、控え目な個性があり好みだったのだ。

自分の中でのルールは、日照条件はともかく、きっちり機番が読みとれる綺麗な画像を目指して撮影していたが、結果として全機撮影は叶わなかった。思い立った時にはすでに休車のゴハチが発生していたし、ゴーナナ時代には夢にも思わなかったチャレンジなので、こればかりは致し方ない。

1981-12-03  荷36ㇾ   EF58112   東海道本線:三島-函南

 

 


189系「あさま」の雄姿

2018-05-09 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

先般も記事にしたが、最後まで残存していた3本のうち2本の189系がGWを境に引退し、残る長野にいる1本のみ生き残ることとなった。この1本は、いわゆる「あさま色」で残っているが、いつ休車になってもおかしくない状況だろう。特急電車としてのお役目はとうに終え、生きながらえている姿を見ると妙に悲しくなってしまうのだ。何度も乗車した189系だが、今さら乗ろうとは思わない。ただ最後まで無事に走り続けて欲しいと願うばかりだ。

掲載写真は、往年の信越本線を往く189系特急「あさま24号」。追分の築堤に強烈な西日が入り、まさに山が燃えたぎった光景は今でも忘れはしない。

1995-11-02    3024M        JR東日本/信越本線:信濃追分-御代田