アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

高二のゴハチ~雑木林を往く

2018-05-18 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

フィルム時代、早朝や悪天候時には露出が足りず、いつも苦労していたことを思い出す。特にPENTAX 67で撮影することが当時は基本だったから、なおさらだった。シャッタースピードは、MAXの1000分の1の場合が多く、アントンKのように被写体を比較的大きく撮る場合、これでも物足りなかった。絞りも開放に近いことが多いため、深度は浅くピントの山はシビアだった。山を外すとボロボロだが、1発で山を掴んだ時の快感は、現代のデジカメの比ではない。まるで、この1駒のために今まで撮影してきたと思うくらい満足感を得られたものだ。

今回は、そんな悪天候時の対応策とでもいうべき流し撮りの画像。色々な流し撮りの表現はあろうとは思うが、アントンKはあまりに流れて仕上がりが汚く見えてしまうことは避けたいと常に思っている。かつて意図的に色々試写したこともあったが、どうもこのくらいに落ち着いてしまった。この辺は好みの問題で大した意味はないと思っている。伝えたいことが人それぞれ違うのだから・・寒冷地型のゴハチのサイドビューを雑木林をバックにシュート。真横よりも顔が斜めに見えるくらいがベストシーンだろうか。もっとも67では連写できないのだが・・

1980-01-04   荷44ㇾ  EF5890   東北本線:栗橋-古河


美しい宮原区のEF58たち

2018-05-17 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

最近EF58の写真を振り返り、錆び付いた記憶が少しずつ戻ってきつつあるが、今こうして改めてEF58を語る時、北から南まで直流区間にほぼ配置されていたゴハチの中で、最も美しい機体が配置されていたのは、宮原機関区だったのではないだろうか。

本格的に番号を意識して撮影を始めたのが1978年だから、およそ引退するまでの6~7年の間で印象深いEF58は宮原区に多かったことが思い起こされる。もちろんアントンK自身の私感だが、車体の手入れが良く比較的綺麗なカマが多かったと記憶している。それに正面窓の原型の機体を数多く配置され、大窓機の43・47・53号機などは、同区で最も人気のカマたちであり、上京の際には気合が入って撮影に出た思い出が甦る。でもどちらかというと、アントンKには、原型小窓機達が一番ゴハチのイメージに合い、大窓機とは別の魅力を感じていたことも事実なのである。特に宮原には、90番台のカマや、125・126・127・146・150等の原型小窓機が当時在籍しており、「美しいEF58は関西に在り」と思いをはせていたのである。

掲載写真は、東海道線のEF58としては末期になる1984年の冬の画像から。この年は、例年になく寒かった年で、関東でもよく雪が降り撮影に忙しかった年。白く凍てついた函南の築堤を美しい宮原のゴハチが上ってきた。

1984-02-04  荷32ㇾ  EF5896     東海道本線:函南付近にて


EF65P型は王者の風格!

2018-05-16 18:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

根府川駅で眠れぬ夜を過ごしたと前記事に書いたが、その日は、東京発の下りブルトレをこの白糸川橋梁で撮影している。今回はその時の画像。

まだバケペンではなく、かついい加減な現像で残念な画像だが、話の流れで掲載してしまおう。友人と二人ミカン山の中腹から、蚊に刺されながら撮影した思い出の画像。現代のように、デジカメでの撮影なら、このくらいの露出低下など全く問題にもならないが、この時はカラーフィルムでの撮影は困難と判断してモノクロ一本に切り替えている。湿度が高く日が陰ってしまったことも要因だが、曇ってしまったのなら、海側から撮影しようと思い移動したことが思い出される。

二つのヘッドライトが近づき、眼下の鉄橋に差し掛かると緊張感が高鳴ったもの。そんな思いもいつしか感じなくなってしまったが、今にして思えば、そんな一つ一つが楽しかった思い出となり甦るのだ。1列車、長崎・佐世保行き寝台特急「さくら」。九州ブルトレで一番多く乗車し思い出の多い列車。こう見ると、やはりブルトレの先頭にはEF66ではなく、EF65P型が最もふさわしく思えてしまう。気品があり、何と言っても掲げたヘッドマークがより引き立って見える。EF65P型ブルトレこそ僕等の誇り高き列車だ。

1976-07-04   1ㇾ  EF65542   さくら   東海道本線:根府川付近


一体型ヒサシ付ゴハチの印象

2018-05-15 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

EF58の懐かしい写真を続けて掲載しているが、こうして写真を見直してみると、いったいどのゴハチがお好みだったのか、自分でもわからなくなっている。もう二度と撮影出来ないゴハチ達を眺めて、今ではどの機関車も日本の風景に溶け込んだ良い機関車だったと傍観できるものの、その当時は、機番ばかりに明け暮れて、写真そのものは大した画像を残せなかった。精一杯、気持ちを込めて撮影したことは確かだが、そこまでの技量しか持ち合わせなかったということ。感性も幼稚でもっと考えていればと思うことも多いが、この程度が自分の青春の道のりなのだろう。

ゴハチの活躍が末期に差し掛かる1980年代前半、休車も続出してくるが、一方で改造を受けるゴハチ達も随分出現してきた。特に広島機関区のEF58達が受けた改造は、今までにない新たな魅力的?な形態を作っていた。小ぶりのPS22Bにパンタグラフを載せ替え、前面窓には一体型の大きなヒサシが付けられた機体が出現した。写真は、その中の1台62号機。遠くからでも一目で広島区のゴハチだとわかるほど、激しい変貌ぶりだが、アントンKには、やはり当時から少し抵抗があったことが甦ってくる。友人達とあーだこーだ形態について意見したことも今では大変懐かしい。

1981-07-26   7111ㇾ  EF5862     20系   東海道本線:鷲津-新所原にて


小田原へ進入する急行「銀河」

2018-05-14 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

東海道線にまだ多くの寝台特急が走っていた時代、いわゆる九州ブルトレ全盛期の頃、東京を目指す列車の撮影名所は多々思いつくが、アントンKには何と言っても根府川駅直近の白糸川橋梁が思い出深い。近年(といってもだいぶ時間が過ぎてしまったが・・)、暴風壁が建設されてしまい、撮影には向かなくなったが、それまでは一目で東海道と認知でき、定番中の定番と言えるポイントだった。

学生時代、試験休みを利用して友人と二人根府川駅でマルヨしたことがある。その目的は、自宅から始発では間に合わないブルートレインの早朝組をこの根府川鉄橋で撮影することだった。当時は、「いなば・紀伊」に始まり「出雲」「瀬戸」「あさかぜ」まで4本の寝台特急が立て続けに上ってくる。これらを定番の構図で撮影しようと試みた訳だ。今思い返せば、ホームの待合室の長いすに横たわり、蒸し暑い夜を明かし、ラジオから聞こえるナイターの中継に耳をやり、それが終わると通過する貨物列車の轟音と振動で、なかなか寝付けなかったことが懐かしい。

掲載写真は、根府川で夜明かしした日に撮影した104ㇾ急行「銀河」。電車で小田原まで移動し進入を撮影している。

1976-07-05     104ㇾ  EF5899  急行「銀河」  東海道本線:小田原にて