明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

あした 中島みゆき

2018-05-25 20:38:20 | 僕の音楽日記
中島みゆきさんの
「あした」という歌がある。
 
初めて聴いた時
さすが中島みゆき節だという 思いと、
その次の思いは波のようにざわざわと
迫り来る怖さだった。
 
 
女の怨念というか、
深い愛ゆえの念が僕の胸の奥まで
押し寄せてきた。
 
 
中島みゆきさんの歌は怨歌だとも
言われ
それ相応の魂の込められてた
作品になっている。
 
渾身の一曲。
とまで言ってもいいくらい
出来のいい作品が多い。
計算され尽くしているのか、
中島みゆき本人のパーソナリティが
自然の計算されないところで
作品に投影されているのか
 
私生活の謎めいた方なので
なおさら作品にファンはその本質を
探したり
求めたり
 
この歌も
中島みゆきさん
自らの事が歌われているかのように
感じられる節があったり
それは
聴き手の要らぬ詮索と
気回しなのかもしれないけれど
 
誰かに寄せた長年の思いと
その先の不安を綴った女心は
絶妙な説得力をもって
聴き手を黙らせる。
 
先細る未来に希望を見出せない
辛さと怖さ
女性ならではの
か細い 心情は
ここまで表現できるのも
やはり
中島みゆきさんしか
いないだろう。
 
(ガラスなら あなたの手の中で壊れたい。)
(ナイフなら あなたを傷つけながら折れてしまいたい)
 
ここが女の凄さ。
中島みゆきの凄さ、
それがまた男心に突き刺さる。
冷水を浴びせられたように
差し違いの美学。
 
命の重さまでも
その愛に殉じる
重たい感情が流れてくる。
 
一言
女は
怖い!
 
に尽きる作品でもある。
 
 
 

翳りゆく部屋 荒井由実

2018-05-25 05:06:37 | 僕の音楽日記
親父の仕事がら
我が家には車はなかった
もともとバスとかで会社に通勤可能でマイカーを所有するの必要性がなかった。

車はまだ普通車ではなく

軽自動車を購入した。
確か
スズキアルトだったと思う。

たまの休みに車を慣らしてドライブ方々
そんなに頻繁ではない
貴重な家族で出掛ける時間があった。

何処かの出かけた帰り道
バックシートに座っていた僕は
その日の帰り道
車は夕日に向かって家路を目指していた。

真向かいにまぶしい夕日が
フロントガラスいっぱいに僕たちに
差し込んでくる
夏の終わりだったか
晩秋だったか
もう覚えてないが
家路を急ぐ動く小さな箱の中で
聞いた
「翳りゆく部屋」

バロック調のパイプオルガンの音色から
始まるイントロの荘厳な雰囲気。
オペラか教会音楽の神聖な感じから
今 夕日に向かって家路を目指しいる
その時間にBGMとして
聴くその時の感覚は
ちがう空間に迷い込んだような
そんな時間だった。

当然カーステレオなんかは
なく当時はカーラジオ。
何処かラジオ局が
流してくれた
夕方のひと時の
絶妙な一瞬に流れた
「翳りゆく部屋」だった。
荒井由実さんとしてのクレジットでは最後のシングルだったこの曲。

ユーミンとしての最新の歌
だったことも
その時初めて知った。
独特のボーカルなので
ユーミンだと気づくけれど
新曲としての
インパクトはその時感じたシュチュエーションが僕の印象の中に強く焼き付けられた。

もの悲しい歌声と切ない歌詞から
なんだか
もうすぐこの世が終わるのか…
そんな終末観まで心を騒がせるような
印象まで受けてしまった。

あれから何十年と時は過ぎても
当時走って帰った似たような道を夕日に向かって走る同じ場面に
遭遇するたびに
「あゝ あの日もこんな夕日だったなぁ翳りゆく部屋が聴こえてきそうだ…」
ひとり、呟いている。

フロントガラスに差し込むまぶしい
夕日に向かって車を進めるたびごとに
荒井由実さんの
「翳りゆく部屋」を思い出すのだ。