紫陽花といったら6月
というイメージ
開けて7月
昔は
梅雨が開けるのを心待ちに
していた幼い頃
だいたい
梅雨明けすると
夏休みに入る合図になる
そんなタイミングだった。
明けて7月。
まだ梅雨の時期
黄色い長靴を履いて
5キロの道のりを歩いて
幼稚園児だった僕は
家から歩いて、幼稚園へ
歩いて通ってた。
住宅地をぬけ
ゴルフの打ちっぱなしの林を
ぬけ
草露にクツをぬらしながら
ひたすら歩いて 歩いて…
僕の住んでた町は
山を切り開き開拓地として
町が作られた場所だったから
色んなものが不便な中での生活
駅も遠い
当然幼稚園も
5キロ以上離れたところに
通わなきゃならなかった。
幸い小学校は
急ピッチで建設され
僕はその新設校に入校できたけど
僕より上の兄さん姉さん世代は
やはり7キロ以上歩いて
小学校、中学校へ向かわれた
シトシト降る雨の中
あの頃は
道端に
たくさんの紫陽花が咲いていた。
薄暗い道の隅で
どこかの家の庭先で
少し悲しげにひっそりと咲く
紫陽花。
晴れやかな花というイメージ
ではなく
塞ぎ込んでる感じに見えて
雨に似合う花だから
暗い感じも受けてたのかも
しれない
夏に向けて咲く向日葵
と対象的に
影場にひっそりと
雨に濡れながら
ピンクや
紫、水色のその花の色が
やけにもの悲しくさせていた
そんな紫陽花の花を
幼稚園であの頃
折り紙で折って
画用紙に紫陽花の折り紙を
貼り付ける授業をしていた
事があった。
ちょうどこんな時期に…
紫陽花の花びらを一枚一枚
色折り紙で折って紫陽花に見立てて
立体的な
作品に仕上げていた。
僕は飽き性で辛抱強さのない
幼児だったので
その折り紙を折って花をつくるのが
出来なくて
幼稚園の先生も呆れて手伝ってくれた事があった。
みんなは続々と画用紙に紫陽花の花の折り紙を貼り付けて
作品は出来上がっていく
先生に言われた一言…
「〇〇ちゃん?これできないと給食食べれないよ」
みんな完成して
食べ始めてる子もいた
未だに覚えてるけど
できるまで食べさせて
もらえない
あのオアズケのような仕打ち、でも
その分先生も手伝っては
くれたものの
やはり
幼稚園児の僕にとって
幼い記憶の中に
刷り込まれた
紫陽花の花の折り紙と
給食オアズケと
紫陽花の花の裏寂しさ
なんか切ないイメージが点と点が結ばれていて
紫陽花と聞くと
あの折り紙の授業を思い出し
お腹がすいてくる
単なる食いしん坊だった僕
単なる飽き性だった僕
単なる辛抱強さのなかった僕
それでも今年も
紫陽花は咲いてくれている
遠い昔
まだほのぼのとした
あの頃から