明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

Rehab エイミー ワインハウス

2020-07-19 15:59:00 | 僕の音楽日記



洋楽は詳しくない
だから
肌に合うか、
合わないか、
好きか?
嫌いか?
インスピレーション的な
直感、聴いた第一印象的な

その一点で
僕の中では
そのあと
聴く、聴かない、に分かれる。

拓郎さんのラジオで紹介していた
エイミー ワインハウス というアーティスト。
もう亡くなっていた27歳の若さで

酒、薬、男にのめり込み
激女と呼ばれ
その生き様は
まさしく 太く短く。

花火のように
散った人生の中で
自分を表現する手段としての
「歌」は…
背景や、生い立ち、行いなど
決して褒められたり、憧れたりとは
程遠いプロフィールだけれど…

その歌の、作品になんら影響を与えるものとして、
聴く事を、疎外するものなら
そこは外して聴いて欲しいし、
むしろ彼女の場合は
亡くなる一年前の
2006年でのこの曲は
彼女の人生の
ピークだったのか?と
感じてしまう。

R&B.ソウルシンガーは
それなりに生き様、思考、
など野太く
魂の叫びを歌に乗せて歌う
イメージであり、
それを僕は
受け止めるように聴く。

魂と魂のぶつかり合い
といったら大袈裟だけど

それくらい僕の中では
R&Bは好きだけど
軽々しく聴けなくて
構えて聴いてしまう癖がある。
だから
疲れてしまうジャンルでもある。

魂を削って何かを残そうと
作品に刻んで…
などと思ったり
そんな軽々しいものでもないだろうが…

リハビリ(Rehab)に込められた
歌詞の内容を表す気持ちは
単なるワガママ、意固地な女性
に見える
「破天荒」という言葉は
女性には向かない。
でも、この
エイミー ワインハウスさんには
当てはまる。

酒や薬や、男で
現実世界から
逃避して、
ほぼ、現実世界から
程遠い 所に
その心を置いて
彼女の見ていた景色は…
どんなだったろう…

27歳で亡くなった
有能なR&Bシンガー 
エイミー ワインハウスは…



コンサート ツアー  南こうせつ

2020-07-19 05:48:00 | 僕の音楽日記
 歌は人々に勇気と希望を与えてきた。
僕が生まれる前から、そして
生まれてきてからも…

戦前、戦後
ラジオから
そしてテレビから

全国津々浦々まで
歌は届けられた。

歌手はテレビやラジオで
スタジオから
全国へ歌を届けるスタイルや
たまにドサ周りと称して
営業で地方へ赴く程度はあっても
スタジオと、レコードが
主だった歌を届ける手段だった。


ホールでのコンサート。
若者文化が花開いていくフォークブーム全盛の頃
よしだたくろうが始めた
コンサートツアーと称して
全国を回っていくコンサートスタイルがそれだ。

いわゆる
「コンサートツアー」だ。

明日も違う街へと
コンサートツアー…

町から街へと
コンサートスタッフと共に
日本中を旅する
歌を届けに旅を続ける

このコンサートツアーも
コロナ禍の影響で
その形態すらも
実行できずに、レコーディングや
練習、をも含めて

ミュージシャン、やバンドメンバーが不自由で、身動きが取れない状態でいる
昨今。
もう、ひょっとして
コンサートツアー
ということすら
なくなっていってしまうんでは
ないのだろうか?
と思ってしまう。

我が町に
憧れのミュージシャン、歌手がやってくると言った感動!
それは地方、田舎であれば
尚更そこに
いる人たちからすれば
凄く嬉しく、貴重なことでもあったりする。
日本全国を細かく、くまなく回ってくれる
ミュージシャン。
その昔 矢沢永吉さんも
ヒット曲が出る前までキャロル解散後ソロの時
結構地方の会場へもコンサートツアーで回っていた。
こんな、田舎のホールに?
と思うところへも
歌いに来ていた。

それだけアーティスト、ミュージシャンは歌を届ける事を真摯に活動していた時代はあったのだ。
甲斐バンドにしてもそうだった。

実直に、コツコツと
自分たちの力を信じて

コンサートツアーを行っていた。

今まで当たり前に行ってきた
手段は
また、ここにきて
その手段の変更を
余儀なくされ、新しい形を
模索していく時期となっていくのかもしれない。

僕たちの
青春を支えてくれた
歌たちとミュージシャン
のコンサート。

さてさて、これからも
続いてくれるのだろうか?

歌を、介して
人と人が繋がる
そこに想いをのせて