明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

しらけちまうぜ 小坂忠

2020-07-04 20:36:00 | 僕の音楽日記




僕たちの思春期の頃
小学6年から中学生の頃
「しらける」
という言葉が流行った

今でいう
ブーイングに似たオーディエンスの
不快を示す反応のひとつ
「シー」って声を上げていってみたいり…いわばシラケてるんだよと発言者に気づかせる

また、小松政夫さんのギャグも流行って
♪しーらけどり
とーんでゆく
って大合唱したり、

発言者や
仲間うちでの冗談を
言ったりしても…

軒並み
この仕打ちが待っている。

やりにくさと、
腹立たしさをあの頃
感じたもんだった。

「しらけるんだよ!」なんて
喧嘩越しでいってくるやつもいたり

殺伐とした雰囲気、関係になったりもした。

だから
僕はこの
「しらける」という言葉が嫌いだ。

確かにあの時代
時代背景、時代の流行で
シラケ世代とかいわれたりした
時代もあった。

何をするにも
無感動、無気力、無関心。
そして
その後
新人類とかいう言葉も生まれたり

時代の流行言葉は
その時代を色濃く表している。

なんでも
とりあえず
「しらけるぅぅぅ〜、!」なんて
口にしてれば格好がつく
そんな使い回しのいい
流行言葉。
でも、言われた方は
傷つく言葉でもあった。

シラケる…
醒めるとか、
場の空気が沈んだとか

そんな冷や水をぶっかけた
発言やら
発表やら
何かを一生懸命やっても
「しらける」なんた言われた日には…
いたたまれない気持ちになったものだ。

人前での発表、
熱く語る事なんかも
まずもって
周りがシラケてる空気を醸し出していた。
何かを待ちわびて
熱い空気の中での発表、発言なら
スパークして
燃え上がるのに
あの頃、まずもって
シラケた雰囲気が
どこかしこ 支配してた

今でも忘れない

高校の頃
その
シラケてる空気感は
若干和らいできていた時代だったが…それでもまだ
無感動、無関心、の雰囲気が漂ってた。
文化祭での
ギター弾き語りをやる前のあの
雰囲気は…
相当なストレスだった。

シラケさせまいと
空回りする自分の痛さ
無理して自分が自分じゃなくなる

アガルという次元をこえた
何か別物との戦いのようだった。

無感動、無関心、を振り向かせようと躍起になってた訳でもなく

相当な緊張は
何故そんな勝ち目のない
場に好んで出演を決めたのか?と
自分を呪ったものだった。

でも、
ギター弾き語りと、歌は
文化祭で万雷の拍手と
聞くところはしっかり聴いてくれた
ことで僕は
あの場を支配できた快感
と勝利感は一生ものとなった。

シラケた…
よくなかった…

なんて言葉は一言もなく

あの時僕は
「シラケ世代」の終焉を感じた。

熱くガムシャラにやる姿をも
人はちゃんと評価してくれはじめてる、
感動してくれる

その手応えを胸に
僕は
「シラケ」からの呪縛から
解き放たれた

言われること
言う事も含めて
「シラケ」は
不毛の関係、不毛の雰囲気しか
作り得ない
という事
それぞれが気づき始めたのかもしれない。

そうして
学生時代が終わり

いよいよ
醒めた時代から
時代は沸騰していく
バブル景気に浮かれていく
時代へと
進んでいったのだ。

「シラケ」させまいと
頑張ってる人、
頑張ってる姿は
痛かった。

消極的な人間ばかりが沢山いた時代。

「しらけちまうぜ」



命果てるまで  ゆず

2020-07-04 05:25:00 | 僕の音楽日記

命果てるまで…
余命がわかった時
人は死を意識した時から
気持ちにどんな変化が
起きるのだろうと考えた。


もう、どちらかと言えば
「死」の方が近い年齢にもなった
昨今。
ジタバタするのか

気持ちが決まって
腹が座るのか

そうならなきゃ
わからないこともあるだろうけど

例えば 
よく想定の話であるけれど

(あなたの命はあと3ヶ月以内です。さぁその間何をしますか?)


などと余命期間にその人の
行動を覗き見するような
企画を見聞きする。

真剣に考える人もあれば
適当に考える人もいる

当人が現実
そうならないと
本当の答えはでないにしても…

人は
残りの人生
残りの時間に
何をすべきか?
何をしたいか?

やりたい事をやり尽くして
余命を全うするのか…

静かにその日を待つのか…

悪あがきをするのか…

綺麗に死んでいくのか…
泥臭く死んでいくのか…

最後までプライドをもって、
命果てるまで
生きていくのか

シンプルに
心に素直になって
最後の1秒まで
悔いのない人生、悔いのない
命を全うするのか

それすらも迷うだろう。

大切なのは

自分はどうしたいか…

なのだと思う。

きれいごとではなく…

誰かの手を煩わせたり
困らせたり
してでも
思いをとげるために
心に正直にいくのか

それすらも
蓋をして
静かに、我慢して
終えていくのか…

考えはきっと
まとまらないうちに
時間ばかりが経っていく
のだろうか?

今、僕なら、
僕がそうなったなら
間違いなく
自分の心のまま
素直な気持ちで余命期間に
悔いのない生き方の方を選ぶだろう

つまらぬ意地やプライドで
悔いの残る事になるのなら
そんなものは
捨て去って
素直に余命を全うするだろう…

人それぞれ、
踏み切れる人
踏み切れない人

別れるだろうし、
最後まで迷ってしまう人もいるだろうし、

生きていくのは
恥ずかしく
みっともないことなのかもしれない。

死んで花実が咲くものか

と言うように
死んでしまえばそれで
終わり。

生あるかぎり。
命果てるまで…

運命、
宿命
天命
そして
寿命…

明日
死ぬかもよ…
明後日かもよ…

先の事などわからない
生身の体

だからこそ
『今!』を…
精一杯!


ゆず

命果てるまで
作詞 作曲 北川悠仁

同じゴミならどうせ 燃えるゴミでいたい
潰されて固められて もみくちゃにされるなら
煙になって空に 消えて行きたい
燃え尽きて空に 消えて行きたい

同じ花ならどうせ 野に咲く花がいい
買わられて飾られて 枯らされてゆくよりも
冬を越える名もない 野花になりたい
そして君のそばに咲きたい

命果てるまで 灯火が消えるまで
強く もっと強く 魂を焦がしたい

同じ夢ならどうせ 果てしない夢がいい
諦めてごまかして 言い聞かせてゆくよりも
時には冷たい風に 吹かれたとしても
願いが叶う その日まで信じていたい

命果てるまで この心が枯れるまで
強く もっと強く 君を抱きしめたい

生きられるのに死んだ人がいる
死にたくないのに死んだ人がいる
生きているのに死んでる 死んでる人がいる

命果てるまで 灯火が消えるまで
強く もっと強く 魂を焦がしたい
命果てるまで この心が枯れるまで
強く もっと強く 君を抱きしめたい
魂を焦がしたい
命果てるまで