僕たちの思春期の頃
小学6年から中学生の頃
「しらける」
という言葉が流行った
今でいう
ブーイングに似たオーディエンスの
不快を示す反応のひとつ
で
「シー」って声を上げていってみたいり…いわばシラケてるんだよと発言者に気づかせる
また、小松政夫さんのギャグも流行って
♪しーらけどり
とーんでゆく
って大合唱したり、
発言者や
仲間うちでの冗談を
言ったりしても…
軒並み
この仕打ちが待っている。
やりにくさと、
腹立たしさをあの頃
感じたもんだった。
「しらけるんだよ!」なんて
喧嘩越しでいってくるやつもいたり
殺伐とした雰囲気、関係になったりもした。
だから
僕はこの
「しらける」という言葉が嫌いだ。
確かにあの時代
時代背景、時代の流行で
シラケ世代とかいわれたりした
時代もあった。
何をするにも
無感動、無気力、無関心。
そして
その後
新人類とかいう言葉も生まれたり
時代の流行言葉は
その時代を色濃く表している。
なんでも
とりあえず
「しらけるぅぅぅ〜、!」なんて
口にしてれば格好がつく
そんな使い回しのいい
流行言葉。
でも、言われた方は
傷つく言葉でもあった。
シラケる…
醒めるとか、
場の空気が沈んだとか
そんな冷や水をぶっかけた
発言やら
発表やら
何かを一生懸命やっても
「しらける」なんた言われた日には…
いたたまれない気持ちになったものだ。
人前での発表、
熱く語る事なんかも
まずもって
周りがシラケてる空気を醸し出していた。
何かを待ちわびて
熱い空気の中での発表、発言なら
スパークして
燃え上がるのに
あの頃、まずもって
シラケた雰囲気が
どこかしこ 支配してた
今でも忘れない
高校の頃
その
シラケてる空気感は
若干和らいできていた時代だったが…それでもまだ
無感動、無関心、の雰囲気が漂ってた。
文化祭での
ギター弾き語りをやる前のあの
雰囲気は…
相当なストレスだった。
シラケさせまいと
空回りする自分の痛さ
無理して自分が自分じゃなくなる
アガルという次元をこえた
何か別物との戦いのようだった。
無感動、無関心、を振り向かせようと躍起になってた訳でもなく
相当な緊張は
何故そんな勝ち目のない
場に好んで出演を決めたのか?と
自分を呪ったものだった。
でも、
ギター弾き語りと、歌は
文化祭で万雷の拍手と
聞くところはしっかり聴いてくれた
ことで僕は
あの場を支配できた快感
と勝利感は一生ものとなった。
シラケた…
よくなかった…
なんて言葉は一言もなく
あの時僕は
「シラケ世代」の終焉を感じた。
熱くガムシャラにやる姿をも
人はちゃんと評価してくれはじめてる、
感動してくれる
その手応えを胸に
僕は
「シラケ」からの呪縛から
解き放たれた
言われること
言う事も含めて
「シラケ」は
不毛の関係、不毛の雰囲気しか
作り得ない
という事
に
それぞれが気づき始めたのかもしれない。
そうして
学生時代が終わり
いよいよ
醒めた時代から
時代は沸騰していく
バブル景気に浮かれていく
時代へと
進んでいったのだ。
「シラケ」させまいと
頑張ってる人、
頑張ってる姿は
痛かった。
消極的な人間ばかりが沢山いた時代。
「しらけちまうぜ」