1976年からだったか
「見ごろ 食べごろ 笑ごろ」
伊東四朗
小松政夫
と
キャンディーズとの絡みの
コント番組 があった。
すでに8時だヨ 全員集合 のマスコットアシスタントの位置にいた三人娘は
天下のナベプロの娘たちだった。昭和芸能
バラエティ番組には欠かせない華やかな雰囲気を醸し出してくれる
彼女たちの存在は
今思えば
嫌味がなく
愛らしく
万人向けのあの頃の娯楽番組の中で
なくてはならない存在だったと思うのです。
76年に「春一番」がやっとヒットチャート上位に食い込み
初の一位を取れるか?
というところまできていても
あの不動の
「およげ!たいやきくん」に阻まれ、
初の一位はならなかった。
悲運のアイドルグループとして
実力 名声はあっても
それこそ
運がない
そんな彼女達に見えて
可愛そうだった。
対比で
ピンクレディはヒットチャートを駆け上っていき
よく対比されたりしたものだ
ピンクレディ派
キャンディーズ派
ナベプロ対日テレのスタ誕ブレーン
の対決
という
裏の構図もあり
ヒットチャートではピンクレディが一歩水をあけることに
しかしながら
見ていてキャンディーズの方は自力があると言うか
経験と下積みの強みというか
やはり奥深い魅力を兼ね備えていた。
歌って良し
踊って演じて良し
バラエティもこなす
そんなこなし方はピンクレディは出来てなかった。
若干、バラエティはピンクレディはこなせない
ところは
見ていて
キャンディーズの三人が体を張ってやっていた
バラエティの立ち回りはさすがだった。
でも、彼女達が悩み引退(普通の女の子)に戻りたいと
言う名言を残して
一時芸能界を去って行くことになる流れには
等身大を超えて要求されていたものやら
本来 ピンクレディのように歌で
脚光を浴びるグループとしての
キャンディーズを望んでいたのでは
ないだろうか?
「やさしい悪魔」を最後にNHK紅白歌合戦の出演はなくなり
78年の4月の後楽園のラストステージまでの
最後のシングル 「微笑がえし」
が
待望の
やっとのヒットチャートの一位を獲得できた事は
引退の引き換えのように
最後のご褒美だったのか?
いや!
違うと思う。
なぜなら
彼女達が
76年から78年まで
駆け抜けた
あの2年は
凄まじくハードであった中
あの短期間で
すごく綺麗になっていったと感じるからだ。
女の人って
恋したり、好きな人ができたりすると
すごく綺麗になる
あんな感じなんだけど
それをはるかに上回る輝きというか
美しさというか
今でもよく覚えてる。
ブラウン管のこちらから見ていて
(なんて、綺麗になっていったんだろ?)
ため息が漏れるような美しさだった彼女達三人。
アイドルグループの多人数化は
その走りは
三人のキャンディーズからなのか
可愛い
綺麗
美しい
鑑賞に値する
見ていて飽きない
そんなアイドルの究極の ところに上り詰めた三人だったと思う。
ピンクレディも良かったけど
その比ではない。
特に
「やさしい悪魔」
「アン .ドウ.トロワ」
と続き
引退発表してからの
最後の輝きを放ち出すまで
の彼女達の美しさ綺麗さに
恋した僕だった。
誰が一番じゃなく
蘭ちゃんも
スーちゃんも
ミキちゃんも
みんな綺麗で可愛くて
美しく見えた
。
誰々派はあったし、僕も
スーちゃん派だったし、でも
あの短期間の彼女達はみんな同じ輝きを持っていた。
魅力的すぎたキャンディーズの1978年だった。
♪電線に
スズメが三羽止まってた
それを猟師がテッポで撃ってさ
煮てさ
焼いてさ
ヨイヨイヨイヨイ
おっとっとっと、
ヨイヨイヨイヨイ
おっとっとっと
一生懸命コタツの上で
踊ってた
蘭ちゃん
スーちゃん
ミキちゃん
歌のステージでも一生懸命歌っていた
三人。
国民的アイドルって彼女達の事を指して
いると今でも思うのです。
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微笑がえし
ようできた歌詞
で
私たち
お別れ
なんですね〜
のフレーズが涙を誘います。
今聞いても
泣けてくるそんな歌です。
「見ごろ 食べごろ 笑ごろ」
伊東四朗
小松政夫
と
キャンディーズとの絡みの
コント番組 があった。
すでに8時だヨ 全員集合 のマスコットアシスタントの位置にいた三人娘は
天下のナベプロの娘たちだった。昭和芸能
バラエティ番組には欠かせない華やかな雰囲気を醸し出してくれる
彼女たちの存在は
今思えば
嫌味がなく
愛らしく
万人向けのあの頃の娯楽番組の中で
なくてはならない存在だったと思うのです。
76年に「春一番」がやっとヒットチャート上位に食い込み
初の一位を取れるか?
というところまできていても
あの不動の
「およげ!たいやきくん」に阻まれ、
初の一位はならなかった。
悲運のアイドルグループとして
実力 名声はあっても
それこそ
運がない
そんな彼女達に見えて
可愛そうだった。
対比で
ピンクレディはヒットチャートを駆け上っていき
よく対比されたりしたものだ
ピンクレディ派
キャンディーズ派
ナベプロ対日テレのスタ誕ブレーン
の対決
という
裏の構図もあり
ヒットチャートではピンクレディが一歩水をあけることに
しかしながら
見ていてキャンディーズの方は自力があると言うか
経験と下積みの強みというか
やはり奥深い魅力を兼ね備えていた。
歌って良し
踊って演じて良し
バラエティもこなす
そんなこなし方はピンクレディは出来てなかった。
若干、バラエティはピンクレディはこなせない
ところは
見ていて
キャンディーズの三人が体を張ってやっていた
バラエティの立ち回りはさすがだった。
でも、彼女達が悩み引退(普通の女の子)に戻りたいと
言う名言を残して
一時芸能界を去って行くことになる流れには
等身大を超えて要求されていたものやら
本来 ピンクレディのように歌で
脚光を浴びるグループとしての
キャンディーズを望んでいたのでは
ないだろうか?
「やさしい悪魔」を最後にNHK紅白歌合戦の出演はなくなり
78年の4月の後楽園のラストステージまでの
最後のシングル 「微笑がえし」
が
待望の
やっとのヒットチャートの一位を獲得できた事は
引退の引き換えのように
最後のご褒美だったのか?
いや!
違うと思う。
なぜなら
彼女達が
76年から78年まで
駆け抜けた
あの2年は
凄まじくハードであった中
あの短期間で
すごく綺麗になっていったと感じるからだ。
女の人って
恋したり、好きな人ができたりすると
すごく綺麗になる
あんな感じなんだけど
それをはるかに上回る輝きというか
美しさというか
今でもよく覚えてる。
ブラウン管のこちらから見ていて
(なんて、綺麗になっていったんだろ?)
ため息が漏れるような美しさだった彼女達三人。
アイドルグループの多人数化は
その走りは
三人のキャンディーズからなのか
可愛い
綺麗
美しい
鑑賞に値する
見ていて飽きない
そんなアイドルの究極の ところに上り詰めた三人だったと思う。
ピンクレディも良かったけど
その比ではない。
特に
「やさしい悪魔」
「アン .ドウ.トロワ」
と続き
引退発表してからの
最後の輝きを放ち出すまで
の彼女達の美しさ綺麗さに
恋した僕だった。
誰が一番じゃなく
蘭ちゃんも
スーちゃんも
ミキちゃんも
みんな綺麗で可愛くて
美しく見えた
。
誰々派はあったし、僕も
スーちゃん派だったし、でも
あの短期間の彼女達はみんな同じ輝きを持っていた。
魅力的すぎたキャンディーズの1978年だった。
♪電線に
スズメが三羽止まってた
それを猟師がテッポで撃ってさ
煮てさ
焼いてさ
ヨイヨイヨイヨイ
おっとっとっと、
ヨイヨイヨイヨイ
おっとっとっと
一生懸命コタツの上で
踊ってた
蘭ちゃん
スーちゃん
ミキちゃん
歌のステージでも一生懸命歌っていた
三人。
国民的アイドルって彼女達の事を指して
いると今でも思うのです。
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微笑がえし
ようできた歌詞
で
私たち
お別れ
なんですね〜
のフレーズが涙を誘います。
今聞いても
泣けてくるそんな歌です。