同年代の訃報を聞く。
名前だけは知っていて、
直接交流はなかった。
僕の友人は親しく
していたらしく
ショックで気持ちが
立て直っていない…
無念であったか?
満足した人生であったか?
独り者ではあったらしいが
遠いヨーロッパの国でツアーガイド
をしながら
ある意味やりたい事をやれて
病気にかかったものの
寿命を全うした形なのかも
知れない。
人の死を思い
他人がとやかく言えないけれど
若い頃の勢いのある
時とは
もう、明らかに違う
今の自分。
そして同級の仲間。
無理の効かない身体を
労わりながら
ひとつの
頂きを目指して
息を切らしながら
ボロボロになりながら
頂きを目指している
まだ見ぬ景色の向こうにある
次の景色を見れるのは
そこへ到達した時の
ご褒美なのだろうが…
途中、夢や希望という
パワフルなエネルギー補給を得て
フルパワーで駆け上っていった
時間、時期もあった。
がむしゃらに
優先順位を変えてでも
最短距離を行く
自分に酔いしれながら
その実
遠回りしていた事に
その時は気づきもせずに…
何が
大切で
何が
大事で
何が
欲しくて
何が
いらなくて
何もかも
手に入れようと
していた時期。
何もかも
いや、
それ以上を
掴みたいと
思っていた
時期もあった
立ち止まる事は
タイムロスになるからと
人生のタイムレースにおいて
なるべく立ち止まる事をしてこなかった。
常に走り続けている事が
自分の安心、
自分の生きている
実感を感じて
いられた瞬間だった。
人生の耐久レースでは
どこかでコックピットに入って
メンテナンスしないと
いけないこともある事から
それすらも省いて
走り続けてきたと
改めて思う自分。
次へ
次へ
雨が降ればスリップタイヤに
履き替えなければ
ならないだろうし
微調整しながら、プラグを変えたり
ベストの状態ではなく
ベターの状態で
耐久レースを完走させる
そんなレースと人生は似て、
完走するための
意識へ切り替わって
いっている
今の自分。
タイムも大切。
どれだけ早く走り着いたかも大切かも知れないが、
どんな走り方が出来たか
も大切なのだ。
それは
マシンを労わりながらと同じで
自分の身体も
労わりながら
周りの人達への感謝も
添えて…
結果を出していく事への
意義、意識
を持つことなのだ
今の自分は
あと、何周?
もう少しというところに
来ているのだろうか
そこから先は…
それからの事は…
考えられない
考えてもいられない…
今、やれる事を
やる。
目の前のことに一生懸命
ぶつかりながら…
越えるものは
全て
手探りの中で…
越えてゆけ
そこを
越えてゆけ
それを
今はまだ人生を
人生を語らず
吉田拓郎ファンならずとも
この歌は知っている方も多い。
「人生を語らず」
1974年の作品である。
吉田拓郎 28歳
まだ20代の若者が老成した
達観した歌詞を書き
その後
この歌は歌い継がれていく。
しかしながら
この歌が自らが言っているように
越えてゆけ そこを
越えてゆけ それを
拓郎さん自らも
この時のこの歌い方
エネルギーの塊のような
歌いかたには
越えられないという。
そして
coverされる方がたくさん
いても
原曲を
当然越えられていない
それほど
唯一無二の
歌だと思う。
シチズンのTVコマーシャルに
その時の拓郎さんバージョンが流れた。
圧巻なのです。
そして
2000年過ぎてフルオーケストラでの
ライブバージョンと聴き比べてみるのも
なかなか
人生は
そうそう
語るものではない
ことくらい…
そんな
野暮なことは
言いっこ無しだ
と
言われてるかのように
そうなんだ!
色々あって人生!
今はまだ
人生を
語らず…