明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

最後の頁 山口百恵 cover

2021-04-16 06:34:00 | 僕の音楽日記


秋桜のB面に歌われて
最後の頁 

山口百恵さんがcoverする
最後の頁。
また違ったニュアンス。

この歌を聞くたびに
思う…






キミと僕
喫茶店で話す事も
出来ずに

あの日別れた…


ちゃんとお別れを言えるように
なったのが
大人になった証拠だと
いうのなら
なんなら
そんな大人になんて
なりたくなかった…

キミが
マッチのジクでつくった
サヨナラの文字
それを端から火をつけて
燃やすなんて

喫茶店のテーブルの上で

なんてことをするんだろ!?

この歌を聴いた時
最初、なんてお茶目なカップル
なんて、無謀なことをする
カップルなんだろう
と思った。

そりゃあ
もう、別れるんだから
喫茶店のテーブルに
火でも燃やして
「サヨナラの文字が綺麗に燃えてるぅ〜」なんて
言う無邪気さは
別れる間際の
やけを起こすことに
あり得る行動かも…


でもね
すんなり、別れることは
ホントは望んでいなかったんだよね

だって

もしも
僕たちのこのあらすじが
鉛筆書きだったら
もう一度くらいなら
ホラ、書き直せたかも
しれない

と歌ってる
二人における
恋の行方、愛の物語は
下書きだったなら
書き直せるはず。


恋の物語にあった
あらすじの結末は
予測していたものなのか
そこだけは
ずっと
続いていけたらと
絵空事の中にいたのだから…


忙しさが増え
二人の時間が減っていき


キミの日常から
僕がだんだん消えてゆく…
君のそばにいることだけが
唯一の安心感だと勘違いして
見守ることは違う意味
もあるけれど

近すぎても
遠すぎても

辿り着けない
距離がある

大人になるってことは
そうゆうことで
無理矢理にでも
飲み込んでしまう
腹に落としてしまうこと



他人のふりをして
すっぱりと背中を
向けていこうと



終わりの始まり

最後の頁は

最初の頁へまた
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一千一秒物語 松田聖子

2021-04-14 19:10:00 | 僕の音楽日記

名盤「風立ちぬ」に収録されている
松本隆 大瀧詠一作品

 ウォールサウンドを
バックに大瀧詠一の世界を見事に
歌い上げていた
松田聖子。

80年代初頭から
山口百恵の後を引き継ぎ
歌姫として頭角を表した
松田聖子
彼女のポップススターとしての
類い稀ない才能は
多くの有能な作詞家、作曲家の人たちに恵まれた事に
花開き
特に松本隆の繰り出す
歌詞の世界に
ピッタリとマッチしたのが
大瀧詠一とのコンビの作品だった
のではないだろうか?

一千一秒物語
見事に大瀧詠一作品を表現している
60年代アメリカンポップスにみる
古き良き時代の歌を彷彿させる
この作品は…

伸びやかなボーカル
ミルキーボイスの彼女が
アルバム「風立ちぬ」制作時に
風邪をひいて
声が枯れて、ベストの状態では
なかったという。

本来もっと
伸びやかなボーカルだった
はずなのがハスキーな
ボーカルに変わって
いたことが
ある意味幸いしていたのは
憂いを含んだ感情表現には
突き抜けたハイトーンボイス、と
松田聖子の特有のミルキーボイスが
似合わない部分もあったと思う

弱々しいかすれた
ハスキーボイスが
より 松本隆作品の中の
女性像をリアルに
表現されていたのではないだろうか

能天気な明るいチャラチャラした
アイドル歌手の歌う世界の歌とは
どこかニューミュージックの
アーティストが表現したい
女の子、女性、を
当時アイドルだった
松田聖子が神妙に、深く入り込んで
作品を作り上げていった
からこそ
可愛いだけのアイドル歌手が歌うのとは訳が違うのだった。

時代の象徴的女性像を獲得するまでに大きく成長していった
松田聖子

彼女の歌にはその時代の空気と
流行と歴史を感じることができる。
そしてそれは
未だ色褪せない。

(文中 敬称略)



おもちゃ屋ケンちゃん OP

2021-04-13 20:55:00 | 僕の音楽日記

ケンちゃんシリーズ
〇〇屋ケンちゃんの第三弾
おもちゃ屋ケンちゃん

寿司屋
ケーキ屋
ときて
おもちゃ屋さんだ!


いろんな商売屋さんの
ところの子供のケンちゃんを
同じ目線で見ていた
あの頃の僕たち子供は
結構、このケンちゃんシリーズは
のめり込んで
見ていたのを記憶する


昔は
同級生の中に
家が
衣料品店の息子や、
呉服店の息子
布団屋の息子
おもちゃ屋の息子
鉄工工場の息子
病院の息子
饅頭屋の息子など

結構
商売してるところの息子がいた。

今の世の中
ほとんど
サラリーマン家庭の子供が多い
家が商売をしてる家庭の
息子なんかは
少ないのだろうと思う。

昔は
このケンちゃんシリーズのドラマ
で見てると
そんな家庭に憧れて
〇〇屋の息子になりたいなぁ
なんて
浅はかな夢と
テレビの影響ですぐ感化され
ていってた僕だった。

要は、ミーハーだったのだ

なかでも憧れたのは
おもちゃ屋の息子だ

好きなおもちゃをくすねて
遊べる事に憧れて、また、
怪獣ブロマイドとかの
駄菓子系も販売してたり
していた
当時のおもちゃ屋さん
好きな興味のあるものに
囲まれて優越感に浸れる
そんな家の息子になりたかった。

味気ないサラリーマンの息子は
自分のなりたい職業を一から
探さなければならないのだから
しんどいなぁと
思えたり

家を継ぐというのは
生半可な気持ちでは
難しい
そんなことなんか
考えたりもしなかった

当時から
それこそ
こんにちまで
続いてる
家業の息子たちは
どれだけいるのだろうか?

時代の流れで思い返すと
あの頃から今日まで続いてる
店はみんな
ないことに気づく。
唯一病院の息子だった彼は
病院をついで院長に収まってる

それ以外の商売屋さんは
皆、潰れ、廃業している。

大型スーパーの台頭
人の流れの変化
いろんな要因で
過去の繁盛の面影は遠く
生活の便利さの向こうに
置き去りにされていった
〇〇屋さんたち

専門店、といえば聞こえがいいが
それだけ、だけでは
生計がなりたたなくなってきていた。

高度成長期、そして、バブルと
右肩上がりの世を体現してきたもの
たちにあって
もはや多角的な商売でなければ
生き残れなくなってきていた。

衣料品店は大型スーパーや、
ユニクロや、しまむらなどに
とって変わられ
呉服店も大型スーパーにその
専門的な売りを取られ

おもちゃ屋も路面店のチェーン店に移行し、それも潰れ、今や
大型スーパー、百貨店の一角にあるけれど
トイザらスにみる
外国からの勢力に押されてる。

町工場的な鉄工工場も
不景気から廃業しだした
饅頭屋も大型スーパーに
いくつも似たような店があり

あの頃不便でそれぞれが
手探りで一生懸命な時代の中で
店に行くことに
楽しみを覚えていた
〇〇屋としてのケンちゃんが
脚光を浴びて

益々
ケーキ屋でも
寿司屋でも
おもちゃ屋でも
なんでもいいから

主人公のように
毎日をふるまって
ドラマの主人公のようになれる
そんな日が来るの
信じていた。



映画「エマニエル夫人」 レイモン ルフェーヴル

2021-04-12 16:48:00 | 僕の音楽日記

思春期の入り口に
立ちはだかったのは
フランス映画の
「エマニエル夫人」だった。

映画好きなN田くん
マセてた彼は
エロ田とも呼ばれていて

さくらももこ先生の作品
ちびまる子ちゃんの中の
「永沢くん」で
中学生の永沢くんの中で
出てくる
「ゲヘとカツやん」の「ゲヘ」に
似てたんだよ
下品な笑いといい
いかにも
すけべそうは感じだった映画好きな
N田くん


左がゲヘでなんか、
いやらしい感じがそっくりだった。

とにかく
映画に詳しい
N田くんはブルース・リーが大好きでよく、真似もしていた。
よくよく考えたら
「浦安鉄筋家族」に出てくる
春巻龍先生にそっくりでもあった


そんなスケベでエロいN田くん
イチオシの映画だったのが
1974年公開の
フランス映画
「エマニエル夫人」だった。

「映画を見るならフランス映画!
アランドロンでしょ!」

そう豪語していた彼の
オススメが

太陽がいっぱい
ボルサリーノ
でもなく

シルビアクリステル
主演の「エマニエル夫人」という映画だった。
まだ小学生だった僕たちには
刺激が強すぎた。

♫タラララララ タラララララ
ラァ〜 タタタタ タタッ タァ〜

あのアンニュイな雰囲気の
音楽が流れる


フランス映画であったことから
とても甘く優美な雰囲気の
ソフトポルノ映画として
日本でも
女性が多く鑑賞されたとあって
大ヒットした
老いも若きも男性も女性も
「エマニエル夫人」旋風に
日本中が巻き込まれた。

8時だョ 全員集合!
のカトちゃんの
「あんたも好きねえ」「ちょっとだけよョ」
のギャグも流行っていた時期だったし、
重なるように公開されていた
エマニエル夫人。

エロい感じのギャグやら
ドラマ、本、そんなところに
思春期のアンテナは
広範囲に受信しようと
勉強そっちのけの
優先順位が変わっていってた
時期だ。

女性に興味を持っていく
そんな時期に
出会った
エマニエル夫人は
ある意味
美化された性教育的、性の指南
のような位置にあった
映画だったように思う。

その頃の
日本のいわゆる
成人映画、ロマンポルノは
どうも雰囲気が
土着的というか
イケてなかった。

街角に貼られてる
成人映画ポスターの
いやらしい感じ
と「エマニエル夫人」のポスターとでは

どうしてこうも
違いがあったのか?
と思うほど

芸術としての品位すら
感じる
「エマニエル夫人」

いやらしかったんだけど
いやらしくない

女性の官能的場面に
興奮したりしたけれど…
美しく描かれてる
事が
男子の興味本位的な
鑑賞のレベルを
引き上げてくれた。

ポルノ映画
という
思春期の興味に
違う形で導いていってくれた
「エマニエル夫人」

最初に観た
女性の裸のシーンが
日本の成人映画のそれではなく

エマニエル夫人だったと
いうことが
案外、いい、綺麗な思い出だったり
したりして

思い返すと
僕たちの
思春期の入り口の
ポルノ映画の
立て看板は
燦然と輝く
「エマニエル夫人」なのだ

ラタンで編んだ椅子に
胸をはだけて足を組んで
挑発的な視線を送る
シルビアクリスタルが
そこにいた。





夏色のおもいで オールウェイズ

2021-04-11 19:44:00 | 僕の音楽日記

チューリップのメンバー
以外で作詞を作られた
唯一の楽曲
作詞 松本隆さん
作曲 財津和夫さん

それも松本隆さんの作品として
一番初めのものとなる
「夏色のおもいで」

心の旅がヒットして
次作として
1973年 10月5日にリリース
されたチューリップの
4枚目のシングル
心の旅につづいて
姫野さんがリードボーカルをとった

チューリップの時は
青臭く
若い歌だった
まだ、磨きがかかってない
荒削りな
「夏色のおもいで」だったと思う。

チューリップを解散して
財津和夫さんはソロ

他のメンバーは
姫野さんと安部さん、途中からドラムの上田さんも合流
ベースの吉田さんのみが
1980年にチューリップ脱退して
引退している

オールウェイズ…
チューリップの香りをもって
より、洗練され、経験を積んで
より磨きのかかった
ボーカルと演奏は
心地よい。



♪きみをさらってゆく
風になりたいな

風になりたいと思うとき
君の周りに吹く
優しい風になりたいと
願う。


♫涙流すなんて
ねえ、君らしくないよ
僕たちのこの愛
誰にも邪魔させないさ


頑なに
一途な愛情が
真っ直ぐに表現できていた
若い頃の歌だけど

そう思える、思いたい
そんな瞬間って
歌はふと、その心に入り込んで

心のネジを回してくれたりも
する。


もしもできる事ならば
君をさらってゆく
風になりたいな
君をさらってゆく
風になりたいよ…