天声人語に、本との出会いについて語る言葉が ありました。これぞ、珠玉の表現とも言えるもので、とても心に残りました。
以下、天声人語より ( 最後のまとめの部分をそのまま引用します。)
…… 偶然手にした一冊で人生が変わることもあろう。<真砂なす数なき星の其中に吾に向かひて光る星あり> 子規。星を「本」に言い換えて、こぼれんばかりの書棚を眺めれば、自分を呼ぶ一冊があるような気がする。閃く一瞬を見逃すなかれ。
本文では、東京の紀伊国屋書店新宿本店で評判を呼んでいる 面白い試みについても紹介しています。その試みは、本の書き出しだけを印刷したカバーで本をくるみ、固くラッピングした文庫本が100冊並ベられて売られ、ネットでは「本の闇鍋」という評もあるとのこと。筆者は、この中から「あのころはいつもお祭りだった」 と 「昨日、心当たりのある風が吹いていた。以前にも出会ったことのある風だった」 という書き出しの2冊を購入したとのこと。書名は書かれておらず、私も その本が 誰の書いた 何という本なのかは、わかりません。筆者が、物語や小説の書き出しを初めて意識したのは、かって出会った 太宰治の作品 「メロスは激怒した。」であったとのこと。私がこれまで読んできた本の中で、印象に残っている作品の書き出しは、どんな表現だったろうかと思い出そうとしましたが、なかなかその一文が浮かんできません。改めて、これまで読んできた本を取り出し、書き出しの表現に心を留めながら読み直してみたいと思いました。
物語の入口となる書き出しには、それだけで その作品世界に導き・誘い込む 作者の工夫やしかけが施されているのかもしれません。また、新たに読む本も、作者や書名にとらわれず、書き出しから入り、続きを読みたければ購入するといった 方法もあるのかもしれません。
私がこれまで購入する手掛かりとしたのは、表紙に紹介されたあらすじや帯に書かれた文言です。そこから、さらに踏み込んで 書き出しの一文を読んでみるといった 方法も 試してみたいと思いました。
子規の歌は、 星が美しいのは、そのどこかに 愛するバラの花が 住んでいるから という 星の王子様の 一節と重なります。まだ出会ったことのない 無数の本の中の 一冊に、バラの花との出会いのような 心ときめく 一冊が隠れているかもしれません。そう考えると、本屋に出かける楽しみが、また一つ増えたような ワクワクした気持ちになります。
併せて 河井 酔茗 の詩 「ゆづり葉」を 思い出しました。
~ (略)
子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡(すベ)てのものがお前たちに譲られるのです
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません
輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど……
~ (略)
読みきれないほどの書物との 出会いを 大切にする大人でありたいものです。子供は、そんな大人を見て、本との出会いの楽しさや喜びを 見出していくのではないでしょうか。