天声人語に、三浦雄一郎さんの 最高齢でのエベレスト登頂が 取り上げられていました。
登頂後の下山も、「ふらふらで歩く幽霊みたい」と語るほど苦闘を続けているようです。無事での生還と帰国を 心から祈りたいと思います。
「人間はいつだって不可能かもしれないことを超えてきた」 「目標を持って生きれば、わくわくできる」 こういった言葉のうちに、三浦さんの冒険心の原動力を感じます。年齢を超えた若々しく熱い思いが伝わってくるような気がします。
ただ、結びに書かれた言葉には違和感を覚えました。
~ 青春とは年齢ではなく、心のあり方だと言われる。 〈 これには同感です 〉
似た意味で、高齢の人には 三つのタイプがあるとも言われる。まだ若い人、昔は若か
った人、そして一度も若かったことのない人。 〈 これには同調できかねます 〉
若さとは、外から推し量れるものではないものだと考えます。昔は若かった人は、過去だけにとらわれている人なのでしょうか。一度も若くなかった人は、心ときめかせる出来事や思い出を持たない人なのでしょうか。人は、こんなにも簡単にタイプが分けられる存在なのでしょうか。目に見えないところに、一人の人生分のさまざまな思いや考えがあり、秘められた若さが隠されているのではないでしょうか。
高齢であるからこそ、これまでの人生の中で積み重ねてきたものをたくさん持ち、さまざまな苦労を乗り越えてこられたのではないでしょうか。できることよりできないことが増え、体力的にも衰えたものを感じていくのが老いるという現実なのだと思います。そういった現実を受け入れながら、自分のできることを自分の力で少しでもできるように努めていく。そういった地道な努力を続けていくことも若々しさなのではないでしょうか。
三浦さんは、目で見える快挙を成し遂げました。年齢を超えて行動で示す若さを体現されたのではないかと思います。それもすばらしい一つの若々しさですが、すべてではないのだと思います。行動にはあらわれないものの 美しいものを美しいと感じるような やわらかな感性を持ち続ける人も 若々しいハートの持ち主だと思います。外見の若さより 内側の若さの大切さを知っている人も、本当の若さを身につけている人なのかもしれません。
天声人語は 「快挙に励まされて 『まだまだ若い人』が世に増えそうな、明るい予感がする」と結ばれています。これには共感を覚えますが、若さにも多様な姿や形があり、目に見えないものまであるということも、心にとどめておきたい と思いました。