あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

黄色から白色へ

2013-05-29 08:24:12 | インポート

ちょっと前までは、タンポポのじゅうたんだった庭が、模様替えをしたかのようにマーガレットの白で包まれるようになりました。黄色から白色へ、色の変化が季節の移り変わりを教えてくれます。春から初夏へと、肌に感じる風にも心地よさを感じます。

震災のあった年にも、色の変化はあったのですが、その時だけは季節の移り変わりにも虚しさを感じたものです。どんなことがあっても、季節だけは変わらず移り変わっていくものだと、人間の世界を突き放すように 時間だけは前へと進んでいくものだ と感じたものです。

日々の暮らしと自然は、一体となって結びついているものなのかもしれません。花を見るゆとりが生まれてきたことで、少しずつ日々の生活に流れる時間と自然の中で流れる時間が重なりあうようになってきたように感じます。

被災され、たくさんの悲しみを背負われた方々にとっても、復興の流れの中で 自然の変化と一体となって ゆるやかに 時が流れていくことを 祈りたいと思います。流れる時の先に、多くの幸せが訪れますように と …。


母子二人の死

2013-05-28 22:11:05 | インポート

大阪市で起こった悲しい出来事に、やりきれない思いを感じます。28才の母親と3才の息子の死。亡くなったのは、2月とのこと。発見されるまで3カ月もの時が経過していたことになります。

まるで世間から見捨てられるように亡くなっていたことに、切ない思いを感じます。

昨年の10月に、夫のもとを離れ、現在のマンションに知人を通して母子で転居したとのこと。夫に所在を知られないために、住民票の移動をせず、生活保護の申請もできなかったのではないかと みられています。一部には、夫のDVが別れる原因になったのではと考えられているようですが、定かではありません。

部屋には夫の押印した離婚届があるものの、食料となるものは塩ぐらいで、冷蔵庫もなかったそうです。貯金通帳の残額もわずかで、子どもに対して 食べさせられなくてごめんね のメモ書きも見つかったとのこと。一部の報道によると、カーテンの一部を切り裂き、ひもをつくって死のうとした形跡も見られたとのことです。子どもの遺体に毛布がかけてあったので、息子の方が先に亡くなり、母親が後を追うような形になったのではという 推測もなされています。

何とも心の痛む事件ですが、確かなのは まだ20代という 若い母親と わずか3年しか生きられなかった 子どもの 尊い命が失われたという事実です。どこかで、救える手立てはなかったのかと 考えてしまいます。

幼い子どもは、大人がその命を守ってあげなければならない存在だと思います。厳しい表現になってしまうかもしれませんが、それは大人の役目であり、親としての務めだと思います。亡くなったお母さんが、子どもに詫びたメモもそのことを考えた上での言葉だったのだと思います。それだけ我が子をいつくしむ思いがあれば、我が子のために行動できることがあったのではないかと思ってしまいます。また、母親の辛苦を真に理解する人が身近にいるならば、何らかの形で手助けし、サポートできることがあったのではないかと思ってしまいます。

二度と同じような悲劇が起こらないようにするために、どんな手助けやサポートができたのかと考えます。それが失われた二人の尊い命に対しての 悼む思いなのではないかと思うからです。

一人の人間のできることは限られていますが、命の重さをしっかりと受け止めながら 誰かが辛く苦しい時に 少しでも力になることのできる 人間でありたいものです。 


エンドウマメのつる

2013-05-27 08:53:14 | インポート

畑に、スナップエンドウと並ぶようにエンドウマメが植えてあります。スナップエンドウの方が発芽が早く、背丈の方もエンドウの5倍ほどあります。両方とも、つるあり植物なので、支えとなる支柱と網をそばに立ててあります。スナップエンドウの方は、つるを伸ばしたくましく網に巻きつきながら順調に上へ上へと育っています。

まだ小さいエンドウは、やっとかわいらしい細いつるを伸ばしはじめました。つるの先は、頼りなく空をつかむように伸びながら どうしていいのか戸惑っているような印象がありました。

ところが、ようく見てみると 中に か細いつるを しっかりと網に巻きつけているものもありました。さわれば簡単に切れてしまいそうな 細い細いつるが、もう離さないぞという感じで、網をつかんでいるのです。その様子を見て、深い感動を覚えました。生きるということの 真摯な姿に ふれたような気がしたからです。小さいながらも、自ら腕を伸ばし、支えとなるものをつかみ、さらに上へ上へ伸びようとする姿。風に揺られながらも、迷い戸惑いながらも、確かな成長の一歩を踏み出したことに、大きな拍手をおくりたいと思いました。『エンドウくん、すごいよ!』という言葉も添えて…。

小さな畑の小さな出来事でしたが、私にとっては大きな感動的な出来事でした。


若さとは?  天声人語を読んで

2013-05-26 12:32:01 | インポート

天声人語に、三浦雄一郎さんの 最高齢でのエベレスト登頂が 取り上げられていました。

登頂後の下山も、「ふらふらで歩く幽霊みたい」と語るほど苦闘を続けているようです。無事での生還と帰国を 心から祈りたいと思います。

「人間はいつだって不可能かもしれないことを超えてきた」 「目標を持って生きれば、わくわくできる」 こういった言葉のうちに、三浦さんの冒険心の原動力を感じます。年齢を超えた若々しく熱い思いが伝わってくるような気がします。

ただ、結びに書かれた言葉には違和感を覚えました。

  ~  青春とは年齢ではなく、心のあり方だと言われる。 〈 これには同感です 〉 

     似た意味で、高齢の人には 三つのタイプがあるとも言われる。まだ若い人、昔は若か

     った人、そして一度も若かったことのない人。 〈 これには同調できかねます 〉

若さとは、外から推し量れるものではないものだと考えます。昔は若かった人は、過去だけにとらわれている人なのでしょうか。一度も若くなかった人は、心ときめかせる出来事や思い出を持たない人なのでしょうか。人は、こんなにも簡単にタイプが分けられる存在なのでしょうか。目に見えないところに、一人の人生分のさまざまな思いや考えがあり、秘められた若さが隠されているのではないでしょうか。

高齢であるからこそ、これまでの人生の中で積み重ねてきたものをたくさん持ち、さまざまな苦労を乗り越えてこられたのではないでしょうか。できることよりできないことが増え、体力的にも衰えたものを感じていくのが老いるという現実なのだと思います。そういった現実を受け入れながら、自分のできることを自分の力で少しでもできるように努めていく。そういった地道な努力を続けていくことも若々しさなのではないでしょうか。

三浦さんは、目で見える快挙を成し遂げました。年齢を超えて行動で示す若さを体現されたのではないかと思います。それもすばらしい一つの若々しさですが、すべてではないのだと思います。行動にはあらわれないものの 美しいものを美しいと感じるような やわらかな感性を持ち続ける人も 若々しいハートの持ち主だと思います。外見の若さより 内側の若さの大切さを知っている人も、本当の若さを身につけている人なのかもしれません。

天声人語は 「快挙に励まされて 『まだまだ若い人』が世に増えそうな、明るい予感がする」と結ばれています。これには共感を覚えますが、若さにも多様な姿や形があり、目に見えないものまであるということも、心にとどめておきたい と思いました。


楽天イーグルス:優勝への夢

2013-05-26 11:01:42 | インポート

5/22に、楽天対巨人の野球観戦に家族で出かけてきました。今年初めてのクリスタでの応援です。観戦チケットが完売されるほどの人気カードで、会場には2万人を超えるファンがつめかけ、熱気があふれていました。楽天はエースの田中投手、巨人は沢村投手が先発する 同期対決となりました。

さあ、ゲーム開始だ と思ったその直後に、巨人の先頭打者:長野選手のホームランが飛び出しました。打球が目の前を通り楽天のレフトスタンドに吸い込まれていくのを、茫然と見ていました。前途波乱の予感がしましたが、反対に後続を断ちきり1点で抑えたことに、以降は打たれ強い田中投手の真価が発揮されるものと思い直しました。1回の裏に、同点に追いついたことで、さらにその思いを確信しました。

ゲーム後の田中投手コメントには、この初回のホームランで目が覚めた という言葉がありました。2対1という接戦でしたが、マギーの2打点の活躍もあり、見事楽天が勝利を手にした戦いでした。最後まで目を離せない緊張感あふれる熱いゲームで、勝利の瞬間にはさわやかな感動がこみ上げ゜てきました。今年初めての観戦でしたが、心に残るゲームとなりました。

楽天は、次の日は負けましたが、昨日は 広島を相手に2対1で勝利したようです。新人の則本投手の力投とマギー・ジョーンズの両外国人選手の一発が勝因となったようです。

現在、楽天は 交流戦ではオリックスと並んで一位です。この調子で、勝ち進めば優勝する可能性も大です。長いシーズンですので、まだまだこれからだとは思いますが、ファンの一人として 選手と一緒に 優勝への夢を抱きながら、熱い応援を続けていきたいと思っています。