あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

楊令伝 最終巻(15)を 読んで

2012-08-29 21:41:17 | インポート

本は、何日か前に購入していたのですが、最後まで読み進めるまでに時を要しました。なぜなら、主人公:楊令の死で終わりそうな予感がしたからです。替天行道の志のもと、亡くなっていった英雄たちが求めた、理想の国の形をつくりあげていった 梁山泊頭領の死を 認めたくなかったからなのかもしれません。

最終巻では、共に志をもって戦い続けた英雄たちが、数多く亡くなっていきます。一人一人の最期が、楊令の最期に結びついていくような感じがしました。

金との交渉を続ける宣賛との会話の中で、楊令は思い定めます。

  替天行道の思想は、いまいまでにない新しいものを求めることで、その根底に民という意 識があればいい。

自由市場と 物流の流れをつくることで、国という形にとらわれない、国の支配の枠を超えた、民が民の力で豊かに生きることのできる社会の実現が、楊令の求める 志を形にした理想だったのではないかと思います。

それでも、その志を形にするために、多くの命が犠牲になったことに 頭領としての 楊令は、自分を責めます。

  なにが替天行道なのだ、と思う。志を、失うことなく抱き続けた人間を死なせて、なにが頭領なのだ。

死を前にして、武松は思います。

    ひとりで、ただ志のために動く。志が光を持ったわけではなく、それが生き方だったからだ。

武松にとって、志の先にあるのが、楊令の求める国でもあり、自分の生き方でもあったのです。

花飛麟は、死に際に 楊令に語りかけます。

  「見たかったです。俺たちが、作りあげる 新しいものを」 

  「おまえの心の中には、すでにあるはずだ、花飛麟」

  「そうですね。光が見えます」

  「俺も、光が見えているだけだよ、花飛麟」

  「そのむこうに、なにが、あるのでしょうね」

言った花飛麟の上体を、楊令は抱いた。

  「どこまでも、光さ。俺は、そう思っている。」

  「どこまでも、ですか?」

  「だから、追うのは、愚かなのかもしれん。」

  「俺は嬉しかったですよ、追えて」

花飛麟は、かすかに笑い 、遠くをみるような眼をして 旅立っていきます。

そして、楊令も ……

この物語の続きは、楊令が最期の戦いの相手として 選んだ 岳飛を 中心とした物語に受け継がれていくようです。楊令の志も一緒に……。

果たして 自分のよってたつところの 志とは なんなのか。志をもって 生きることの大切さと共に その問いに どう答えていくのか という課題を 与えられたような気がしています。

水滸伝から楊令伝へと読み進める中で、私の心の中に 存在感をもって、替天行道の志をもって 光の中を生きた 梁山泊に集った 英雄たちが 生きているような気がします。

改めて、作者:北方謙三氏に 感謝です。 やっぱり、本はいいですね。

楊令伝の余韻をかみしめながら、次は岳飛伝を読んでみたいと思います。 


本との出会いについて

2012-08-27 22:20:02 | インポート

天声人語に、本との出会いについて語る言葉が ありました。これぞ、珠玉の表現とも言えるもので、とても心に残りました。

以下、天声人語より (  最後のまとめの部分をそのまま引用します。)

…… 偶然手にした一冊で人生が変わることもあろう。<真砂なす数なき星の其中に吾に向かひて光る星あり> 子規。星を「本」に言い換えて、こぼれんばかりの書棚を眺めれば、自分を呼ぶ一冊があるような気がする。閃く一瞬を見逃すなかれ。

本文では、東京の紀伊国屋書店新宿本店で評判を呼んでいる 面白い試みについても紹介しています。その試みは、本の書き出しだけを印刷したカバーで本をくるみ、固くラッピングした文庫本が100冊並ベられて売られ、ネットでは「本の闇鍋」という評もあるとのこと。筆者は、この中から「あのころはいつもお祭りだった」 と 「昨日、心当たりのある風が吹いていた。以前にも出会ったことのある風だった」 という書き出しの2冊を購入したとのこと。書名は書かれておらず、私も その本が 誰の書いた 何という本なのかは、わかりません。筆者が、物語や小説の書き出しを初めて意識したのは、かって出会った 太宰治の作品 「メロスは激怒した。」であったとのこと。私がこれまで読んできた本の中で、印象に残っている作品の書き出しは、どんな表現だったろうかと思い出そうとしましたが、なかなかその一文が浮かんできません。改めて、これまで読んできた本を取り出し、書き出しの表現に心を留めながら読み直してみたいと思いました。

物語の入口となる書き出しには、それだけで その作品世界に導き・誘い込む 作者の工夫やしかけが施されているのかもしれません。また、新たに読む本も、作者や書名にとらわれず、書き出しから入り、続きを読みたければ購入するといった 方法もあるのかもしれません。

私がこれまで購入する手掛かりとしたのは、表紙に紹介されたあらすじや帯に書かれた文言です。そこから、さらに踏み込んで 書き出しの一文を読んでみるといった 方法も 試してみたいと思いました。

子規の歌は、 星が美しいのは、そのどこかに 愛するバラの花が 住んでいるから という 星の王子様の 一節と重なります。まだ出会ったことのない 無数の本の中の 一冊に、バラの花との出会いのような 心ときめく 一冊が隠れているかもしれません。そう考えると、本屋に出かける楽しみが、また一つ増えたような ワクワクした気持ちになります。

併せて 河井 酔茗 の詩 「ゆづり葉」を 思い出しました。

   ~  (略)

      子供たちよ

      お前たちは何を欲しがらないでも

      凡(すベ)てのものがお前たちに譲られるのです

      太陽の廻るかぎり

      譲られるものは絶えません

          輝ける大都会も

          そっくりお前たちが譲り受けるのです

          読みきれないほどの書物も

          みんなお前たちの手に受取るのです

          幸福なる子供たちよ

          お前たちの手はまだ小さいけれど……

                 ~ (略)

読みきれないほどの書物との 出会いを 大切にする大人でありたいものです。子供は、そんな大人を見て、本との出会いの楽しさや喜びを 見出していくのではないでしょうか。


みかんを 開けて

2012-08-27 09:01:32 | インポート

「みかんを 開けて!」 娘が、小さい頃 手にしたみかんを差し出し 言った言葉です。

この言葉をなつかしく思い出したのには、理由があります。

先日、畑のスイカを収穫しました。小玉スイカの中でも一番実の大きいものを選びました。軽く叩いて音の具合を確かめ、そろそろいい時期かなあと思って収穫しました。中がどうなっているのか、期待と不安を抱きながら、娘がスイカに包丁を入れるのを見ました。開けてみると、完熟状態ではありませんでしたが、みずみずしい赤い果肉で、種は白いものと黒いものが混在していました。甘味はもう一歩でしたが、果汁が豊富で新鮮な食感でした。

このスイカと同様に、中を開けて見ることができずに、収穫の時期を迷っているのがメロンです。暑い日が続いているのに、スイカは勢いよくツルを伸ばし あちこちに実をつけて 元気なのですが、メロンの方は 葉も少し枯れ始め やや元気がないようです。実の外側の模様や葉の枯れ具合を見て、一つだけ収穫してみました。まだ実も固く熟れていないようなので、少し置いてから中を開けてみようと思っています。

いずれも、外からしか収穫の時期が判断できず、収穫して中を開けて見るのには決断が必要です。その戸惑いの気持ちが、娘の言葉を思い出すきっかけになりました。

娘にとっては、みかんの皮をむくのは、中を開けて見ることと同じ意味があったのではないかと思います。閉ざされた皮の向こうに、おいしい実が入っていることを期待し、「開けて!」と語った娘の言葉。それに込めた 未知のものに対する 期待やあこがれにあふれた まっすぐな思いが、私の心にも よみがえってくるような気がしました。

収穫の時期を待つ スイカやメロンをながめながら、これから 何度か 子どものように ワクワクしながら 「開ける」 瞬間を迎えることになりそうです。

願わくば、最高の味覚を味わえる 瞬間でありたいと思うのですが……。


悲しい出来事

2012-08-25 20:22:41 | インポート

シリアとルーマニアで、二人の日本女性が死亡するという出来事がありました。一人の女性(45)は、政府軍と反政府軍が激しい戦闘を繰り広げるシリア情勢を取材する中で、もう一人の女性(20、学生)は、ルーマニアで日本語を教えるボランティアに向かう途中で、亡くなりました。二人とも崇高な志をもって異国に出かけ、それを果たせない形で命を失いました。やりきれない悲しさを感じます。ご遺族の方にとりましては、深い悲しみと無念の思いを感じておられることと思います。お二人のご冥福を心から祈ります。

新聞の天声人語でも、亡くなった一人:ジャーナリストの山本さんの志についてふれていました。

山本さんは、ビデオカメラを手に、アフガニスタン、イラク、コソボなどの紛争地に出かけ、戦火の中に生きる弱者(女性や子どもを中心に)に寄り添う視点で戦争という暴力を伝え、帰国すれば子どもたちに平和を説いたとのこと。

「戦争で何が起きているかを伝えることで……いつの日にか、何かが変わるかもしれない。そう信じて紛争地を歩いている」<『ぼくの村は戦場だった』マガシンハウス>

「世界は戦争ばかり、と悲観している時間はありません。……さあ、みんなの出番です」<10代向けに書いた『戦争を取材する』講談社>子どもたちに向かって 「さあ、みんなの出番」 と、語る言葉の内には 「子どもたちが やがて主役となって つくりあげる 戦争のない平和な未来」を待望する思いが込められているように思いました。

一人のジャーナリストとして、戦争のない平和な世界を実現するために 今起きている戦地の状況を伝え続けるという志を 強く感じます。志半ばに銃弾で倒れたことがとても残念でたまりません。それはまた、志を果たせないまま、ルーマニアで亡くなった女子学生の方に 重なる思いでもあります。

その死を悼むことで、果たせなかった志を 心から受けとめたいと思います。生きている者が、その志を受け継ぐことで 果たせなかった夢が実現されていくのですから…。

二人の目指した志の向こうに、世界中の人が 幸福に生きることのできる世界の実現があるのではないかと思います。

国境にある島の帰属問題を巡って、韓国や中国との対立がある現在、改めて もっと広い視野に立って 戦争や対立を超えて 人間として理解し、助け合うことのできる 国と国の関係であり、国境を超えて世界としての絆が深まる関係でありたいと思います。

亡くなったお二人も、世界中の人々が笑顔で暮らせる 平和な世界であることを 心から願っていたのではないでしょうか。


聴くという ボランティアを通して

2012-08-25 20:21:51 | インポート

電話を通して かけ手の悩みや思いを 傾聴するという ボランティアに、定期的に取り組んでいます。

誰にも相談できず、わらにもすがる思いで かけてくる電話の呼び出し音に、緊張感と責任感が交差し 第一声が震えてしまうこともあります。

時には かけ手の方の 背負っているものの 重さと苦しみに たじろいでしまうこともあります。その思いをどれだけ真摯に受けとめることができたか、自問し反省を繰り返しながら、電話の向こうにいるかけ手と向かい合います。

まずい対応のために、かけ手の方が途中で電話を切ってしまうこともあります。かけ手の方の心に近づくことさえできなかったことに、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになります。どう受けとめたらよかったのか、その時のやりとりを思い出しては 考え込んでしまいます。心によりそって聴くことの 難しさを実感します。かけ手の方が、穏やかに電話を終えることのできる対応ができるよう、自己を磨く努力がまだまだ必要だと痛感します。

それでも かけ手の方が語ってくれる一言に、救われるような気持ちになる時があります。少しは 心が楽になったという言葉に、元気になれたという言葉に、前向きに踏み出したいと語る言葉に、はじめの頃と違った 張りのある声の響きに、私自身が元気をもらいます。

それでも、かけ手の方の これかの 進む道の困難さを 想像してしまいます。背負う荷物の重さと苦しさは、かけ手の方自身がこれからも背負い続けるわけですから。それを 私が代わって持つことも、身近で手助けすることもできないのですから……。

せめて、その背中を後押しするような 傾聴ができたらと 心から思います。

         あなたへ

   背負う荷物が 肩にくいこんて゛いるのに

   その重さに 耐えながら それでも 背負い続ける あなた

   どこかに その荷物を 置けば よいのに

   身近な誰かに 少しだけでも 背負ってもらえば よいのに

   自分が背負わなければという 思いが さらに 自分を責め

   新たな荷物を 背負ってしまうのですね

     そうして 背負い続けることで 前にも進めず 後ろにももどれず

     その重さに 耐えながら 立ち続ける あなた

        私にできるのは 

        あなたの代わりに その荷物を背負うことではなく

        立ち続けるあなたの 遠くで

        その声に耳を澄まし 

        その言葉を 受けとめるだけなのです

           あなたが 立っている 人生は あなた自身のもの

           次の一歩を踏み出すのは あなた自身です

              あなたの 踏み出す 一歩が

              どんなに 辛く 勇気を奮った 尊い 一歩なのか

              見守ることが 私のできることの すべてです