21日に投開票された大阪市長・大阪府知事の選挙で、大阪維新の会のリーダーである橋下氏と松井氏が圧勝しました。既成政党が支援した候補者が敗れたことで、改めて政治の現状に対する不信の思いが、強烈なリーダーシップを発揮する(独裁者という声もありますが)橋下氏への支持や期待に結びついたのではないかと思いました。
新聞の見出しにあった 『危うさも覚悟』して 『変革に託す』道を 市民は選択したように思います。橋下氏は、街頭演説で「政治に夢を持とう」と訴えたそうです。大阪都構想が政治に夢を与える構想となるのかどうか、これから具体的な形で提示されてくるものを見守っていきたいと思います。
しかし一方では心配な面(危うい面)もあります。特に教育に関する言動に片寄ったものの見方や判断が働いているように感じるからです。かって教育界の中で仕事をしてきた者として、教育の現状に対して否定的で、教師等の教育公務員に対して強い不信感を持っていることが気になります。
教育は、人への信頼のもとに営まれる人間的な活動です。子どもが信頼をよせる教師を信頼せずして、教育の改革はできるはずがありません。教師一人一人が真摯に子どもと向き合いよりよい教育活動が展開できるよう、教育環境を整えていくことこそが行政の長としての第一の仕事なのではないかと思います。
大阪に限らず教師は、教育の最前線に立ち、日々の授業の改善に努め、よりよい教育実践を地道に進めています。子どもとの関係はもちろん、親との関係も含め、その中での苦労や悩みもたくさんあります。そういった教師の姿を視野に入れ、肯定的に教育の現状を受け止め、行政としてできることに全力を尽くす、そんな行政の長であってほしいものです。
人は誰でも信頼されるからこそ、それに応えようと努力する面があるのではないでしょうか。政治の中に必要なのは、そこに人としての温かい血が通い、人が人として大切にされ信頼され希望をもって生きることのできる社会をつくるという方向性なのではないでしょうか。
若い頃に読んだ毎日新聞社刊の「教育の森」の中に、<教育は現実に迎合するものではなく、理想を志向するものであり、現実は教育によって理想に近づく>といったような一節が書かれてあったように記憶しています。
夢のある教育は、政治家の手で実現されるものではなく、現場で日々悪戦苦闘する教師の手に委ねられ、教師の主体的な取り組みによって実現されるものだと思います。
教師への信頼のもとに、大阪の教育行政が進められることを(どこの地域でも同様ですが)強く願います。