あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

大阪ダブル選挙の結果から思うこと

2011-11-29 21:36:14 | インポート

21日に投開票された大阪市長・大阪府知事の選挙で、大阪維新の会のリーダーである橋下氏と松井氏が圧勝しました。既成政党が支援した候補者が敗れたことで、改めて政治の現状に対する不信の思いが、強烈なリーダーシップを発揮する(独裁者という声もありますが)橋下氏への支持や期待に結びついたのではないかと思いました。

新聞の見出しにあった 『危うさも覚悟』して 『変革に託す』道を 市民は選択したように思います。橋下氏は、街頭演説で「政治に夢を持とう」と訴えたそうです。大阪都構想が政治に夢を与える構想となるのかどうか、これから具体的な形で提示されてくるものを見守っていきたいと思います。

しかし一方では心配な面(危うい面)もあります。特に教育に関する言動に片寄ったものの見方や判断が働いているように感じるからです。かって教育界の中で仕事をしてきた者として、教育の現状に対して否定的で、教師等の教育公務員に対して強い不信感を持っていることが気になります。

教育は、人への信頼のもとに営まれる人間的な活動です。子どもが信頼をよせる教師を信頼せずして、教育の改革はできるはずがありません。教師一人一人が真摯に子どもと向き合いよりよい教育活動が展開できるよう、教育環境を整えていくことこそが行政の長としての第一の仕事なのではないかと思います。

大阪に限らず教師は、教育の最前線に立ち、日々の授業の改善に努め、よりよい教育実践を地道に進めています。子どもとの関係はもちろん、親との関係も含め、その中での苦労や悩みもたくさんあります。そういった教師の姿を視野に入れ、肯定的に教育の現状を受け止め、行政としてできることに全力を尽くす、そんな行政の長であってほしいものです。

人は誰でも信頼されるからこそ、それに応えようと努力する面があるのではないでしょうか。政治の中に必要なのは、そこに人としての温かい血が通い、人が人として大切にされ信頼され希望をもって生きることのできる社会をつくるという方向性なのではないでしょうか。

若い頃に読んだ毎日新聞社刊の「教育の森」の中に、<教育は現実に迎合するものではなく、理想を志向するものであり、現実は教育によって理想に近づく>といったような一節が書かれてあったように記憶しています。

夢のある教育は、政治家の手で実現されるものではなく、現場で日々悪戦苦闘する教師の手に委ねられ、教師の主体的な取り組みによって実現されるものだと思います。

教師への信頼のもとに、大阪の教育行政が進められることを(どこの地域でも同様ですが)強く願います。

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社説「原発の将来みんなで決めよう」を読んで

2011-11-27 21:44:56 | インポート

朝日新聞の27日付けの社説に、原発のこれからの在り方について、国民投票という制度を導入して広く国民の声を聞いてはどうかという提言がありました。

その提案理由として、次の3点をあげています。

①原発問題は、国の将来を10年単位で左右し、国民の誰もが影響を受け、世論が割れている、国民投票にふさわしいテーマであること。

②国民と政治との失われた接点を取り戻す機会になること。

③制度の導入過程で、議論の技術や合意のつくり方を学ぶことができ、民主主義の教室になること。

具体的には、国民投票といっても、投票結果に法的拘束力のない諮問型の制度の導入を提案しています。議会制民主主義の根底を崩さず、憲法の改正も必要なく、導入しやすい点が、諮問型を提案する理由となっています。先例としてスウェーデンでは、スリーマイル島事故の翌年に、「新設を含めて容認」「新エネルギー開発を強化する条件付き容認」「早期全廃」という選択肢で問う、国民投票が行われたとのこと。その結果、2010年までの全廃が決まったが、30年後に議会が古い原発を建て替えるという方針に転換したそうです。国民と議会が試行錯誤していくという経過をたどっていくのが、諮問型国民投票制度のようです。

政治の場に国民の声が届かないような現状を考えると、国民投票制度の導入には賛成です。一人一人の声を政治に反映させていく上で、有効な制度になるのではないかと思うからです。また、投票する過程で、国民一人一人が問題意識を持ち、日本の未来を見据え、原発をどうしたらよいのか判断することになることと思います。政治家も、国民がどんな考えをもっているかを投票結果から知ることができ、国民の声を生かした政治の実現に向かってくれるのではないかと期待できそうです。

社説では、この制度をつくるのに拙速にならず2年ぐらいの時間をかけて設計してほしいとも主張しています。ゆっくり時間をかけ、どんな問題をどんな手順や方法で取り上げ、どんな形の投票制度にするのか、真に国民の声が政治の場に生かされる方向で検討していってほしいと思います。

ラジオで国会中継を聞いていると、これが良識ある議員の言葉かと思えるような発言やヤジを耳にします。政府側の答弁もどこか官僚的で内実の伴わない形式的な言葉だと感じる面があります。建設的な議論を積み重ねよりよい政策をつくり実行する中で信頼される政治の確立が望まれます。その起爆剤のような役割を国民投票制度が果たしてくれるような気がします。できるだけ早期の実現を強く望みます。

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天声人語を読んで

2011-11-25 22:05:37 | インポート

昨日の新聞の天声人語に、宇宙滞在連続167日の日本記録を土産に国際宇宙ステーションから無事生還した古川聡さんの、言葉が取り上げられていました。

~「重力を本当に感じます。重力のお陰で座れますから」「冷たくて新鮮な空気。息ができる空気が周りにたくさんあるのは素晴らしい」

無重力の中で長い時間を過ごしてきたからこそ感じる重力の力。宇宙ステーションでは味わうことのできなかった空気の新鮮さ。宇宙服を身に着けないで息が吸えるという 空気があることの素晴らしさ。地球から離れたことのない者にとって、その実感あふれる言葉から、改めて地球という惑星に住むことのできる幸せを感じることができました。

古川さんの言葉の他に、同じ宇宙飛行士だった山崎直子さんの著書「夢をつなぐ」にある言葉も紹介されていました。

~「どんな存在も、決してムダというものはなく、世の中のすべてのものには意味がある」「どんなに悲惨な災害が人々を襲おうとも、飢餓や貧困、差別や格差が厳然としてあろうとも、それでも生きている世界は美しい。」

だからこそ、生きるということには確かな意味があり、命あるものの世界は尊く美しい……そんなメッセージが伝わってくるような気がします。3.11があったことでなおさらそう感じてしまうのでしょうか。

山崎さんの言葉を読みながら、かってブログで取り上げた詩を思い出しました。高階紀一さんの「小さな質問」という詩です。

        小さな質問

                  高階 紀一

     すいーっ と 空から降りてきて

     水辺の

     草の

     葉先に止まると

     背筋をのばし

     その子は

     体ごと

     神さまにきいた

            なぜ ぼくはトンボ゜なの?

     神さまは

     人間にはきこえない声で

     その

     トンボに言った

            ここに今

            君が必要だから

「どんな存在も、決してムダというものはなく、世の中のすべてのものには意味がある」という山崎さんの思いを詩に表したような気がします。

ムダどころか、この世界になくてはならない必要な存在、大切な存在が、あなたであり、私であり、トンボであり、命であり、地球上のすべての存在なのではないかと思います。意味があるからそこに在るのであり、そこに在るからこそ意味ある存在なのでは……この詩を読みながら、そんなことを深い所で実感しています。

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絵本 『たからものは なあに?』

2011-11-22 22:20:56 | インポート

この絵本のあとがきに、作者である あいだひさ さんが 次のように書いています。

……

「赤ちゃんの家から来た」 という事実は、3歳の誕生日に手作り絵本を通して本人に知らせています。私たちがどれほど待ち望んでいたか、親子になれてどんなに幸せかという想いは、何度聞かせても子どもがあきることのない一番のお気に入りの話です。

里親や特別養子縁組に限らず、家族の始まり方はさまざまであってよいと思います。そしてどんな始まり方でも、互いに心から思いやり、愛し合って築き上げてこそ家族だと信じています。家族の始め方には、こんな選択肢もあることを心にとめていただければと願っています。

……

赤ちゃんの家から引き取り、我が子として育ててきた あいだひささんのことについては、以前のブログでも紹介しました。この絵本に登場するなつかちゃんが、あいださんの最愛の娘さんのモデルでもあります。

幼稚園の先生から、「いちばんだいじなたからものをもってきてね。」と言われた、なつかちゃんとなかよしのたくやくん。二人は家で、たからものの見せ合いっこをします。なつかちゃんのたからものばこに、ピンクのぬのでだいじにくるまれたものがありました。なつかちゃんは「これ、なあに?」とママにたずねました。するとママは、「これはね、なつかが『どうじょ』ってママにくれたはじめてのプレゼント。ちっちゃな手でひろってママの手にのせてくれた小石よ。」と答えます。たくやくんもたくやくんのママにたずねたら、ママはピンクのしおりをつまみあげ、これがたくやくんが「どうぞ」ってくれた花びらの押し花だったと答えます。

たくやくんは、ママのおなかから生まれてきた赤ちゃんでした。たくやくんが生まれてきて家族になった日が、たくやくんのママの一番うれしい日でした。

なつかちゃんは、赤ちゃんの家からきた赤ちゃんでした。なつかちゃんがうちにやってきて家族になった日が、ママとハパの一番うれしい日で、それからは ずうっと毎日一緒にいることがとってもうれしいことでした。

二人とも、生まれてきたことを心から喜び 家族になることを待ち望んでいた、ママとパパが愛する子どもです。

なつかちゃんが、「ママのたからものは、この小石?」とたずねると、ママはこう言います。「ううん。もっともっといちばんのたからものは いま、ママのおひざのうえよ。」 もちろん、ママのひざの上にいるのは、なつかちゃんです。そういうと、ママはわらって とびきりやさしい ぎゅっ!をしてくれるのでした。

家族の始まりはさまざまであっても、互いに心から思いやり、愛し合って築き上げていくのが家族。あいださんの心を込めたメッセージが、温かくドンと心に届く絵本です。

血のつながりが家族をつくるのではなく、子どもをまんなかにした温かいつながりが家族をつくっていくのだということを、強く感じさせる絵本です。温かい家族の絆を感じさせる ほのぼのとした絵は、アメリカ在住の たかばやし まり さんが描いています。

◇絵本 「たからものは なあに」 作:あいだ ひさ 絵:たかばやし まり  偕成社:刊

 

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カウンセリングについて 2

2011-11-22 10:32:25 | インポート

昨日第2回目の研修があり、来談者「クライエント」に対するカウンセラーとしての態度(心構え)について学びました。

カウンセリングの方法については、以前は来談者の問題や生育史を分析し、原因と処方を指示しようとする方法がとられていたのですが、この方法をアメリカの心理学者・臨床心理学者であるロジャーズという人が批判し、新たに『来談者中心療法』という方法を提唱しました。これは、来談者の中に存在する成長ヘの力を信頼し、非指示的・受容的に見守る方法で、この方法や考え方に立ったカウンセラーとしての在り方を学びました。

求められる態度は、受容・共感的理解・自己一致の3点です。

受容とは、来談者の話すことに評価や判断を加えず、それをそのまま受け取る態度です。これには、<あいづち・うなづき>といった単純な受容 と 来談者の気持ちを受けるという深い受容 とがあるそうです。後者の深い受容とは、無条件に(評価や判断を加えず)来談者のすべてを肯定的に受け止める態度です。

なぜこういった受容が必要なのかというと、拒否的あるいは指示的な関係の中では自己防衛が働き、自己(自己概念:自分自身のことをどのように受けとめ、どのように思っているか)を見つめ変容することができなくなるからだということです。

共感的理解とは、カウセラーに求められる根本的な姿勢であり、来談者の私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じとり、客観的に理解する態度です。それは同情ではなく、来談者の身になり切実な心の声に耳を傾けその思いを理解するという態度なのではないかと思いました。言葉にするのは簡単ですが、実際に対応する場合にはその深みにたどりつくのはとても難しいことなのではないかと思いました。

資料には、共感的理解には、「打てば響く」といった感覚的側面と同時に、来談者の世界を正確に共有し言語化・象徴化していくという認知的な側面も含まれる と書いてありました。来談者の内なる世界を一緒に見つめなおし、言葉や思いを引き出す手伝いをしながら、来談者自らがその世界をとらえなおすことができるよう支援していくということなのでしょうか。

自己一致とは、頭で考えていることと体で感じていることが一致している状態を指し、来談者中心療法で目指される態度ないしは状態のこと。はじめは混乱した状態にあった来談者は、カウンセラーの自己一致した態度や受容・共感に触れ続けることで、次第に自己一致の方向に向かって変化していく。否認され歪められていた経験が自己の中に統合されていく ということなのだそうです。

頭と体が不一致になることで、悩みが生じ、そのモヤモヤや苦悩を解消するためには、その不一致を一致させなければなりません。そのための行動が話す・語るという行為なのかもしれません。そして、その行為を受けとめる行動が聴くという行為であり、よい聴き手に出会うことで話し手は自己一致という方向に踏み出せるということなのでしょうか。

カウンセラーとしての在り方を学ぶことで、話し手の話したいという思いと相手の心によりそって聴くということの大切さを改めて深いところで考えることができたように思います。日常の人とのかかわりの中で、コミュニケーションの中で、学んだことを実践できる自分でありたいものだと感じています。

学ぶことは、まだまだいっぱいありそうです。未知の世界をわくわくしながら探険するような若さを持ち続けたいものです。

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