あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

表現の自由について

2015-02-11 13:40:54 | 日記
ジャーナリズムの分野で政府批判を自粛する動きがあり、それを憂いて表現の自由の大切さを訴える集会が開かれたという新聞記事が目にとまりました。
後藤さんが亡くなって以来、その傾向が強くなっているとのこと。

今日の新聞には、NHKの籾井会長の発言をめぐる記事が掲載されていました。
戦後70年を迎え、従軍慰安婦を番組で取り上げるかどうかについて、「正式に政府のスタンスがよくまだ見えない。慎重に考えなければ」などと話したそうです。
この発言に対して、日本ジャーナリスト会議と市民団体が、政府の方針に従って番組を制作することにほかならないとして、会長の辞任を求める要望書を出したとのことです。
政府の意向に配慮しながら報道するという姿勢では、報道内容はますます片寄ったものになり、NHKは批判精神を持たない御用報道機関になってしまうような気がしてなりません。

お笑い芸人が政治ネタを披露できなくなったり、歌手が安倍首相を風刺した言動をすれば批判にさらされたりと、批判や風刺を許容する寛容さが失われつつある世の中の動きに、息がつまるような思いを感じてしまいます。
やがて出される戦後70年を迎えての安倍首相の談話が、籾井会長の語る政府のスタンスになるのでしょうか。50年を迎えて出された「村山談話」を受け継いで出されるそうですが、過去の戦争への反省とアジアの人々への謝罪の文言が入るのでしょうか。

テロとの対決を強調し、自衛隊の海外派遣の枠を広げようとする動き。
見返りを求めず途上国の発展援助を目指したODAを、国益を重視した方針に変え、非軍事面での他国軍の支援まで拡大しようとする動き。
憲法改正に踏み込んだ首相発言。改正までの流れを加速させ、最終的には9条改正を視野に入れた動き。
道徳の教科化のために出された文科省の学習指導要領。いじめ防止の六項目の他にどういうわけか愛国心の指導が低学年からできるように文言が付け加えられた動き。

こういった一連の動きから、日本は平和国家から戦う国家へと歩んでいくような印象を受けてしかたありません。
首相談話も、こういった動きに呼応した内容になるのではと心配になります。
その意味でも、国民の知る権利を保障し、政府批判も含めた自由な報道、ジャーナリズムの表現の自由が大切にされ、民主国家としての言論の自由が尊重される社会でありたいものだと痛感します。
多様で多面的な情報をもとに、政治や社会の動きを知り、日本の未来を主体的に考え判断できる国民の一人でありたいと願うからです。
同時に、峡小な考えや見方にとらわれずに、批判やさまざま意見を受け入れる広さや寛容さを自らの心の内にも持ちたいものです。

後藤さんの死を悼んで

2015-02-02 21:49:48 | 日記
湯川さんに続いて後藤さんまでイスラム国からの解放に至らず殺害されたことに、強い衝撃を受けました。
お二人のご家族の深い悲しみを想うと、心が痛みます。
生前の姿と亡くなった姿を同時に映像で示されたのですから。
今はただお二人のご冥福を心から祈りたいと思います。

それにしても、何とか解放の道を探ることはできなかったのでしょうか。
湯川さんと後藤さんが拘束された情報は、昨年の段階で政府もつかみヨルダンに対策室を設けていたとのこと。
以来どんな手立てや方策が講じられていたのでしょうか。

安倍首相の中東訪問の折のスピーチは、拘束の事実に配慮した内容だったのでしょうか。
イスラムの国々とは、欧米とは異なる形で信頼関係を築いてきた外交経緯があったとのこと。
その信頼の上に立って、イスラム国も含め中東のどの国とも 難民の救済や医療・食料といった人道的支援に尽力していく。
そういったスタンスでスピーチできなかったのかと思ってしまいます。

今回の出来事を通して、尊いお二人の命が奪われ、イスラム国からは日本国民まで敵視されるような事態になってしまいました。
武器を持たない民間人を人質とし殺害するようなイスラム国の蛮行は、決して許されるものではありません。
また、そういった行動やテロ行為を続けている限り、イスラム国は周辺のイスラム諸国からも見放され敵視されてしまうのではないでしょうか。

ただ冷静に考えたいのは、イスラム国内に住む人々がすべてイスラム原理主義の過激派ではなく、中には戦禍におびえる子供たちもたくさん暮らしているという事実です。
イスラム国を敵視するだけでは平和への糸口は見いだせず、後藤さんが願った子供たちが平和な世界の中で幸せに暮らせる未来は遠のいていくのではないかと思います。

軍事力には軍事力で対抗する そういった殺し合いの中で生まれるのは、憎悪の限りない連鎖です。
その中で子どもたちはおびえ、銃を持たされ、戦場へと駆り出されていく。
子どもたちのためにも、平和と心の平穏をもたらす争いのない環境をどうやったらつくり出せていくのか。
非軍事に徹して、医療や食料、教育や住環境の整備等の分野で日本が貢献していくことが求められているのではないかと考えます。
そういった地道な人道的支援活動が、憎悪の連鎖を断ち切り 人間回復の何よりの支援になっていくものと思います。

2012年に、シリア内戦の取材中に政府軍の銃撃を受けて亡くなった山本美香さんは、「ぼくの村は戦場だった。」の著書の中でこう語っています。
コソボ紛争の取材の中で、セルビア軍に殺され埋められたアルバニア人の遺体を収容する場面に遭遇します。捜し求めていた息子の遺体を見つけた父親は、

~ドロドロになった息子にすがりつき、「ようやく会えた」と静かに声をかけた。…見回せば、いたるところに原形をとどめていない人間の塊があった。
 あまりにむごすぎる。突然、命を奪われ、その上こんな無残な姿で発見されるのだ。なぜこんな目に遭わなければならないのか。なぜこんなことができ るのか。心が凍りつくような気がした。コソボ各地で集団埋葬地が見つかっている。

 ハエがまとわりつき、蛆虫が押し寄せる。そんな嫌な夢で目が覚めた。体に染みついた死臭がどうしてもとれない。洗っても洗ってもつきまとう。怒  り、憎しみ、苦しみ。無念の思いが毛穴の奥にこびりつき、ふとした拍子に滲み出てくる。これから何年経っても忘れることはないだろう。忘れること などできない。しかし私の受けた衝撃はいつの日か薄れる。けれども、彼らはこの場所に暮らし続けなければならないのだ。肉親を奪われ、家を焼か  れ、心を破壊された土地にこれからもずっと。 ~

 いまだに、戦地では 多くの人が故郷を追われ、故郷にとどまり、苦しみと悲しみと破壊された心を抱え暮らしている。
その人たちやそこで暮らす子どもたちに、生きる希望を与えることのできる支援が求められているのだと思います。
それを実践していくことが、山本さんや後藤さんの遺志を継ぐことになるのではないでしょうか。