ジャーナリズムの分野で政府批判を自粛する動きがあり、それを憂いて表現の自由の大切さを訴える集会が開かれたという新聞記事が目にとまりました。
後藤さんが亡くなって以来、その傾向が強くなっているとのこと。
今日の新聞には、NHKの籾井会長の発言をめぐる記事が掲載されていました。
戦後70年を迎え、従軍慰安婦を番組で取り上げるかどうかについて、「正式に政府のスタンスがよくまだ見えない。慎重に考えなければ」などと話したそうです。
この発言に対して、日本ジャーナリスト会議と市民団体が、政府の方針に従って番組を制作することにほかならないとして、会長の辞任を求める要望書を出したとのことです。
政府の意向に配慮しながら報道するという姿勢では、報道内容はますます片寄ったものになり、NHKは批判精神を持たない御用報道機関になってしまうような気がしてなりません。
お笑い芸人が政治ネタを披露できなくなったり、歌手が安倍首相を風刺した言動をすれば批判にさらされたりと、批判や風刺を許容する寛容さが失われつつある世の中の動きに、息がつまるような思いを感じてしまいます。
やがて出される戦後70年を迎えての安倍首相の談話が、籾井会長の語る政府のスタンスになるのでしょうか。50年を迎えて出された「村山談話」を受け継いで出されるそうですが、過去の戦争への反省とアジアの人々への謝罪の文言が入るのでしょうか。
テロとの対決を強調し、自衛隊の海外派遣の枠を広げようとする動き。
見返りを求めず途上国の発展援助を目指したODAを、国益を重視した方針に変え、非軍事面での他国軍の支援まで拡大しようとする動き。
憲法改正に踏み込んだ首相発言。改正までの流れを加速させ、最終的には9条改正を視野に入れた動き。
道徳の教科化のために出された文科省の学習指導要領。いじめ防止の六項目の他にどういうわけか愛国心の指導が低学年からできるように文言が付け加えられた動き。
こういった一連の動きから、日本は平和国家から戦う国家へと歩んでいくような印象を受けてしかたありません。
首相談話も、こういった動きに呼応した内容になるのではと心配になります。
その意味でも、国民の知る権利を保障し、政府批判も含めた自由な報道、ジャーナリズムの表現の自由が大切にされ、民主国家としての言論の自由が尊重される社会でありたいものだと痛感します。
多様で多面的な情報をもとに、政治や社会の動きを知り、日本の未来を主体的に考え判断できる国民の一人でありたいと願うからです。
同時に、峡小な考えや見方にとらわれずに、批判やさまざま意見を受け入れる広さや寛容さを自らの心の内にも持ちたいものです。
後藤さんが亡くなって以来、その傾向が強くなっているとのこと。
今日の新聞には、NHKの籾井会長の発言をめぐる記事が掲載されていました。
戦後70年を迎え、従軍慰安婦を番組で取り上げるかどうかについて、「正式に政府のスタンスがよくまだ見えない。慎重に考えなければ」などと話したそうです。
この発言に対して、日本ジャーナリスト会議と市民団体が、政府の方針に従って番組を制作することにほかならないとして、会長の辞任を求める要望書を出したとのことです。
政府の意向に配慮しながら報道するという姿勢では、報道内容はますます片寄ったものになり、NHKは批判精神を持たない御用報道機関になってしまうような気がしてなりません。
お笑い芸人が政治ネタを披露できなくなったり、歌手が安倍首相を風刺した言動をすれば批判にさらされたりと、批判や風刺を許容する寛容さが失われつつある世の中の動きに、息がつまるような思いを感じてしまいます。
やがて出される戦後70年を迎えての安倍首相の談話が、籾井会長の語る政府のスタンスになるのでしょうか。50年を迎えて出された「村山談話」を受け継いで出されるそうですが、過去の戦争への反省とアジアの人々への謝罪の文言が入るのでしょうか。
テロとの対決を強調し、自衛隊の海外派遣の枠を広げようとする動き。
見返りを求めず途上国の発展援助を目指したODAを、国益を重視した方針に変え、非軍事面での他国軍の支援まで拡大しようとする動き。
憲法改正に踏み込んだ首相発言。改正までの流れを加速させ、最終的には9条改正を視野に入れた動き。
道徳の教科化のために出された文科省の学習指導要領。いじめ防止の六項目の他にどういうわけか愛国心の指導が低学年からできるように文言が付け加えられた動き。
こういった一連の動きから、日本は平和国家から戦う国家へと歩んでいくような印象を受けてしかたありません。
首相談話も、こういった動きに呼応した内容になるのではと心配になります。
その意味でも、国民の知る権利を保障し、政府批判も含めた自由な報道、ジャーナリズムの表現の自由が大切にされ、民主国家としての言論の自由が尊重される社会でありたいものだと痛感します。
多様で多面的な情報をもとに、政治や社会の動きを知り、日本の未来を主体的に考え判断できる国民の一人でありたいと願うからです。
同時に、峡小な考えや見方にとらわれずに、批判やさまざま意見を受け入れる広さや寛容さを自らの心の内にも持ちたいものです。