あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

若々しいハートで 前へ

2025-01-02 21:15:09 | 日記
1日遅れとなってしまいましたが、
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年の私の目標は、谷川さんのように 「永遠の少年」のハートの持ち主には なれませんが、 
「老いても 若々しいハートを失わず!」です。

何歳になっても、忘れてはいけない心構えのような目標ですが、周りの世界の物事や人、自然を 
ただながめるのではなく 改めて見つめ直し、その意味や大切さについて自問しながら言葉にし、
少しでも自らの感性を若々しく磨くことができたらと思います。
常識や固定観念にとらわれずに物事に向き合い、考え、行動する軽快さを持つことも、若々しさを
保つ必要条件なのかもしれません。
時に流されることなく、今という時間の中で何を成すべきか、限られた未来を視野に入れながら、
過ぎ去っていく時間と向き合っていきたいものです。

それでも 時には立ち止まり、ゆっくり青い空でもながめながら振り返る 余裕も持ちたいものです。
肩の力をぬいて、在るがままの どうしようもない自分と 酒でも飲み交わしながら 向かい合って…。
前へ進むには、そんな一休みも必要なのですから。

夢や理想は、たどりつくには遠すぎるからこそ、憧れるのかもしれません。
だからこそ、人は これまでの道を振り返り、そして立ち止まりながらも、前へ前へと 遠い旅路を歩んで
行けるのかもしれません。

 老いても 若々しいハートを失わず 前へ前へと 進んでいきたいものです。
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おとし物

2024-12-31 20:22:32 | 日記
2024年も、今日が最後の1日となりました。
振り返ると 何か大切なものを落としてきたような 失ったような そんな気がし、谷川さんの詩が 頭の中に浮かんできます。

  かなしみ
         谷川俊太郎

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった 

 おとし物は、ひとつのかなしみでもあり、それは 時の流れの中で いつかは 消えてゆく寂しさでもあるのかもしれません。
 前に進むことで、人は誰でも 後ろに残るかなしみに 気づくことがあります。
 そして そのかなしみの向こうには、二度と会うことのできない大切な人や後悔する出来事が見え隠れします。

 谷川さんの「何かとんでもないおとし物」は、何だったのでしょうか。

「かなしみ」は、第一詩集「二十億光年の孤独」の中に収められ、その前に置かれた詩が「祈り」です。
この詩の中に、「おとし物」について 手がかりとなるような言葉が見つかるのではないかと考え、読み直してみました。

   祈り
              谷川俊太郎

一つの大きな主張が
無限の時の突端に始まり
今もそれが続いているのに
僕等は無数の提案をもって
その主張にむかおうとする
(ああ 傲慢すぎる ホモ・サピエンス 傲慢すぎる)

主張の解明のためにこそ
僕等は学んできたのではなかったのか
主張の歓喜のためにこそ
僕等は営んできたのではなかったのか

稚い僕の心に
(こわれかけた複雑な機械の鋲の一つ)
今は祈りのみが信じられる
(宇宙の中の無限小から
宇宙の中の無限大への)

人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう
(ところはすべて地球上の一点だし
みんなはすべて人間のひとり)
さびしさをたえて僕は祈ろう

一つの大きな主張が
無限の突端に始まり
今もなお続いている
そして
一つの小さな祈りは
暗くて巨きな時の中に
かすかながらもしっかり燃え続けようと
今 炎をあげる


 「祈り」では、「無限の時の突端に始まり 今もそれが続いている 一つの大きな主張」の前で、「無数の提案をもって その主張にむかおうとする」 ことが叶わず、「今は祈りのみが信じられる」 とあります。
 さらに最後の連には 「… 一つの小さな祈りは 暗くて巨きな時の中に かすかながらもしっかり燃え続けようと 今 炎をあげる」 と書かれています。
 この詩の中の「一つの大きな主張」は、谷川さんの心の内に在る神の語る言葉であり、求める理想の世界でもあったのではないでしょうか。その実現のために今できることは、ただ祈ることだけ。そこに留まっている自分に対し、「とんでもないおとし物」をしたと感じ、「遺失物係の前で余計に悲しくなった」のではないでしょうか。
 しかし、この「かなしみ」を抱えた谷川さんだからこそ、理想を実現するための無数の提案をたくさんの作品に込めて発表されてこられたような気がしてなりません。

 私にも、時を重ねても変わらずもち続けてきた小さな理想や夢があります。それだけは決して「おとし物」にすることなく、「かすかながらもしっかり燃え続ける」炎を 心の内にもち続けながら 新たな年を迎えたいと思っています。

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存在の意味について

2024-12-29 10:14:26 | 日記
 谷川さんが翻訳された絵本「ペツェッテイーノ」と同じように、自分という存在の意味を問いかけるという点で思い浮かぶのが、金子みすゞさんと高階杞一さんの詩です。

 わたしと小鳥とすずと
      金子 みすゞ

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

 人間だけではなく、小鳥も鈴もそれぞれにできることや役割を担っている大切な存在であり、だからこそ「みんなちがって、みんないい」のだと、みすゞさんが語りかけます。
 小鳥も鈴もそして人間も この地球上にあるすべてのものが、それぞれに存在の意味が与えられ、この世界がつくられているのだと。
 この詩の最後の連で、みすゞさんは、「すずと、小鳥と、それからわたし」と表現し、「わたし」という存在を一番後に持ってきています。自分の周りに、きれいな音色の鈴があり、空を飛ぶ小鳥がいる、そういった世界に包まれて 私は存在し生きている。
 そんな世界観を持っているからこそ、「わたし」を後に位置づけたのではないでしょうか。

 高階杞一さんは、存在の意味を「小さな質問」という詩の中で、次のように問いかけています。

  小さな質問
        高階 杞一

すいーっと 空から降りてきて
水辺の
草の
葉先に止まると
背筋をのばし
その子は
体ごと
神さまにきいた

  なぜ ぼくはトンボなの?

神さまは
人間にはきこえない声で
そのトンボに言った

  ここに今
  君が必要だから

 最後に置かれた神さまの言葉に、トンボの存在の意味が語られています。
 この世界に そして今という時間の中に 君という存在が必要とされているのだから。 
 「なぜ ぼくはトンボなの?」と 小さなトンボは 背筋をのばして懸命に問いかけます。
 トンボにとっては、その問いは決して「小さな質問」ではなく、自分の存在の意味を問う「大きな質問」だったのですから。
 その問いには、なぜトンボであるのかということより、トンボとして生きることの意味を教えてほしいという願いが込められているような気がします。
 神さまの声を聞いて、きっとトンボは安心し、力強く飛び立っていったのではないでしょうか。

 「なぜ 自分が この世界に 存在しているのですか?」と 問われた時、
 「地球上のすべてのものが それぞれの役割と意味を持ち この世界に 今 なくてはならない 必要とされる存在なのです。」
 という答えに たどりつくような気がしてなりません。

 「大人」と「子ども」という人間としての役割を考えた時、「大人」は「子ども」を守り、「子ども」は「大人」に守られ、
 そして「大人」は<平和>」をつくり、「子ども」は<未来>をつくる役割を担っている存在なのだと思います。
 世界中から争いの火が消え、「大人」と「子ども」が笑顔でそれぞれの役割を果たして活躍できる 希望に満ちた未来の到来を願ってやみません。
 
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いま 世界の子どもたちは

2024-12-28 18:41:06 | 日記
今日の朝日新聞を読んで驚き、そしてとても悲しくなりました。
海外の出来事を紹介する欄に、次のような記事が二つ並んで掲載されていました。

〇紛争地域の子ども 4.7億人  「ユニセフ史上、最悪の年」
 国連児童基金(ユニセフ)は、紛争地域に暮らす子どもが4億7300万人を超え、武力紛争による子どもたちへの影響が「過去最悪のレベルに至った」と明らかにした。
 ユニセフの28日付の声明によると、紛争地域に暮らす世界の子どもの割合は、1990年代は1割ほどだったが、現在は2割近くなり、6人に1人以上に相当するという。今年はパレスチナ自治区、レバノン、ミャンマー、スーダンなどでの紛争の激化により、住まいを追われた人が増加。難民の約4割、国内避難民の約5割が子どもたちだという。
 紛争地域では、5200万人以上の子どもたちは学校に通えていないと推定される。パレスチナ自治区ガザの子どもたちは1年以上通えず、ウクライナ、コンゴ民主共和国、シリアなどでも学校の破壊などによって数百万の子どもが学習機会を失っているとみられる。

〇乳児3人 寒さで死亡  ガザ テント内の気温低下
 イスラエル軍の攻撃が続くパレスチナ自治区ガザで今週、3人の乳児が冬の寒さで死亡したとAFP通信が26日伝えた。
 AFP通信によると、亡くなったのは、生後3週間、生後3日、生後1カ月未満の乳児だという。いずれも深刻な気温の低下が原因だとしている。病院の小児科医によると、生後3週間で亡くなった女児は、テント内の厳しい寒さで気温が大幅に低下して死に至ったとのこと。……

 この世に生を受けて間もない子どもたちの死に、心が痛むばかりです。争いのない平和な世界で生まれたならば、子どもたちにはどんな未来が待っていたでしょうか。もう自分の手で描くことのできない未来の前で、もっと生きたかったと願う子どもたちやもっと生きてほしかったと悲しむ親たちの声が、聞こえてくるようです。
 大人たちが子どもたちに用意するのは、命を奪い合う世界ではなく、子どもたちが安心して暮らすことのできる平和な世界であるはずなのに、世界の4億5000万人を越える子どもたちは、いまだに戦火におびえ、命を奪われ、住む家を追われ、寒さに震え、学ぶ機会さえ奪われた環境の中で暮らしているのだということ。
 この事実の重さを改めて心に刻み、争いのない平和な世界の実現を心から願います。
 それを果たすのは、大人の役割であり責任なのだと思います。
 絵本「サンタクロースってほんとにいるの」の中で語られているように、「子どもの幸せを願う人は、誰でもサンタクロースであり」、そんなサンタが子どもたちにおくる最高のプレゼントは、「子どもたちが安心して暮らせる<平和>」なのですから。
 争いの当事者となっている大人たちが、サンタの心を取り戻し、武力に頼ることなく平和の実現の為に歩み寄る一歩を踏み出してほしい、と切実に感じます。

 いま この時も、世界のどこかで 子どもたちの尊い命が失われることがないようにと 心から祈るばかりです…
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谷川俊太郎さんを偲びながら その5

2024-12-26 09:05:48 | 日記
谷川さんの翻訳された絵本の中で、私のお気に入りは レオ・レオニの絵本です。

 〇小さな魚たちが力を合わせて大きな魚に立ち向かう「スイミー」
 〇色や光や言葉を集め、野ネズミたちに吟遊詩人のように語りかける「フレデリック」
 〇バラバラだった文字たちが、嵐に吹き飛ばされないように手をつないで言葉をつくり、
  大切なことを文にして大統領に伝える「あいうえおのき」
 など、どれも大人が読んでも楽しく、いろんなことを考えさせてくれる絵本です。

 このレオ・レオニの絵本を翻訳することにしたのも、その内容が谷川さんの思いや考
えと通じ合うものがあったからなのではないでしょうか。また、永遠の少年の心の持ち
主である谷川さんだからこそ、英語と日本語の間を自由に行き来し、作者や子どもの
思いを汲み取りながら 言葉の壁を超えて翻訳という作業に取り組んでこられたよう
に感じました。

 次に紹介するレオ・レオニ作「ペツェッテイーノ」 (じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし) 
という絵本は、まるで哲学書とも言える作品で、特に心に残る作品です。

  ペツェッテイーノは、自分は ちいさくて きっと だれかの とるにたりない 
  ぶぶんひん なんだとおもっていて、それをたしかめる旅に出かけます。
  「ぼくは きみの ぶぶんひんかな?」 ペツェッテイーノは、いろいろ たずねて
  まわりますが、
  「ぶぶんひんがたりなくて はしったり つよかったり およいだり……できるとおもうのかい?」 
  という答えしか返ってきません。
  「ぼくは だれかの ぶぶんひんに ちがいないんだ。どうしたら さがしだせの?」 と、
  ペツェッテイーノは さけんでしまいます。
  そんな彼に 「かしこいやつ」は 「こなごなじまへ いってごらん」と 言います。
  そこで ペツェッテイーノは ボートで こなごなじまに 向かいます。
  しかし、苦労してたどりついたものの ペツェッテイーノは、つまずいて転がり落ちてしまい、
  こなごなにくだけてしまいます。

 そこで 彼は知ったのです。
   自分もみんなと同じように ぶぶんひんがあつまってできているのだということ。
   「ぼくは ぼくなんだ」 ということに。

 自分は決して誰かの部分品ではなく、自分という確かな存在なのだということに気づくことのできたペツェッテイーノ。
 人は誰もがこの世にたった一人しか存在しない 唯一無二の存在であるということを気づかせてくれる絵本だと感じました。
 自分という存在の意味を問いかける難しいテーマではありますが、霧に包まれた世界に一筋の光明が射すような感動を覚えました。

 谷川さんの詩にも 「ひとりひとり」や「引き合う孤独の力」といった「孤」に焦点をあてた表現が登場します。
 谷川さんは、それだけ ひとりひとりの存在の重さや尊さ、ひとりひとりの生きる姿や思いを
                               大切に感じてこられた詩人なのではないでしょうか。
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