あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

雪の詩を二つ 

2025-01-26 10:39:02 | 日記
大寒が過ぎても、暖かい日が続いています。
今年は雪が少なく、雪かきの用具を使うことなく1月も終わりそうです。
ただ地域によっては、例年になく降雪量が多いため、除雪作業や雪下ろしなどが大変な所もあるようです。
雪下ろしや屋根からの落雪で亡くなる人もおられるとのこと。
天から舞い降りる雪が、人の命を奪う雪害とならず 子どもたちが雪遊びを楽しむ程度に降ってくれることを願うばかりです。

降る雪を想いながら、雪の詩を二つ読んでみたいと思います。


  ゆき
       草野 心平

しんしんしんしん
しんしんしんしん

しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる

しんしんしんしん
しんしんしんしん

 ひらがなで書かれているので、その文字の一つ一つが、次から次へと空から舞い降りる雪の粒のように感じてきます。
 風はなく、雪は迷うことなく天から地へと舞い降りているのでしょう。
 時間は深夜のようにも感じますが、夜・昼の区別なく 雪は しんしんしんしんと 降り続いているのでしょう。
 すべての物音をかき消し、包み込むように 静かに静かにしんしんと降り続ける雪。
 二連があることで、ふりつもった雪の上にさらに新たな雪がふりつもり、休むことなく雪は降り続け、時の経過とともに 高く・深く・静かに ふりつもっていく雪の様子が 絵に描いたように見えてきます。


  つもった雪
      金子 みすゞ

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。

 ブログでも何回か取り上げた私の大好きな詩です。
 積もった雪の向こうに 人それぞれの生き方や人生を みすゞさんは見つめていたのではないでしょうか。
     上の雪は 外のつめたさを一心に受け止め
     下の雪は 周りの人々を支え続け
     中の雪は 何も見えないさみしさを抱えながら
 それぞれの雪は、まるでこの世界に生きる人間のように さまざまな場所や立場で いろんな苦労や辛さに耐えながら、懸命に生きているのではないか。
 そんな人々の姿が みすゞさんの目には 積もった雪を通して 見えていたのではないでしょうか。 
 つもった雪を外から眺めるのではなく、内に在る思いにまで心をよせるあたたかいまなざしに、心が洗われるような気がします。
 つもった雪が春の訪れとともに消えて行くように、つめたさも重さもさみしさもやがては消え去り、それぞれの人生にもあたたかい春が訪れることを祈りたいものです。

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命の尊さ

2025-01-16 12:07:34 | 日記
 阪神淡路大震災や東日本大震災に関連する新聞記事を読みながら、大切な人を失った後の
家族の悲しみや祈りの中に、改めて命のかけがえのない尊さを感じます。

 幼くして亡くなった娘さんの 20歳になった着物姿を 絵に描いてもらった家族の思い。
 大好きな姉を亡くし、その死と向き合うことができず悲しみを抱え続けた妹さんの思い。
 姉が震災で亡くなり、残された難病の妹さんに二人分の愛情を注ぐ60代のご両親の思い。
 
 亡くなっても、大切な人と過ごした思い出の日々の中にその姿は在り続け、心の内に生き続
けているのだと思います。
 この思いは、谷川さんの書いた詩『そのあと』の中にある、「終わらないそのあと」の思い
でもあるのかもしれません。
 この思いの向こうには、亡くなった大切な人の命に寄せる変わることのない愛と祈りを感じ
同時に 命がどんなに大切で尊いものであるかを教えてくれているような気がしてなりません。

 
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楽しかった再会のひととき

2025-01-13 18:21:45 | 日記
 昨日は、仙台の国見小で6年を担任した時の子どもたちと、1年振りの楽しい再会のひとときを
過ごすことができました。子どもたちと言っても、今ではそれぞれが社会で活躍する立派な50代
の皆さんでしたが、時を重ねても前向きなハートだけは変わることなく過ごしていることをとても
うれしく、そして頼もしく感じました。同時に話を聞きながら、新たな元気と活力を私自身も受け
とったような気がします。

 残念ながら会うことができなかった子どもたちも、卒業後のそのあとの人生をさまざまな困難や
苦労を乗り越えながら、きっと元気に前向きに生きていることと想いました。
 この先に続く人生が、心身ともに健康で 希望に満ちた幸多い人生であることを心から願いながら
これからも 外野席からその活躍を見守り応援していきたいと、改めて強く感じています。

 再会は、お互いの無事を喜び合う機会になるだけでなく、共にこれからも頑張っていきましょうと
新たな船出をお互いに確かめ合う場にもなっているような気がします。

「人生、出会いあれば別れあり」という言葉がありますが、この再会を通して「人生、出会いあれば
また新たな出会いあり」という言葉の方が当てはまっているように感じました。
 小学生だった頃の出会いから また新たな出会いへと、時を重ねる中で変わっていく成長した姿と
今でも変わることのない 豊かなその子なりの個性にふれることができた 幸せなひとときでした。

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若々しいハートで 前へ

2025-01-02 21:15:09 | 日記
1日遅れとなってしまいましたが、
  明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年の私の目標は、谷川さんのように 「永遠の少年」のハートの持ち主には なれませんが、 
「老いても 若々しいハートを失わず!」です。

何歳になっても、忘れてはいけない心構えのような目標ですが、周りの世界の物事や人、自然を 
ただながめるのではなく 改めて見つめ直し、その意味や大切さについて自問しながら言葉にし、
少しでも自らの感性を若々しく磨くことができたらと思います。
常識や固定観念にとらわれずに物事に向き合い、考え、行動する軽快さを持つことも、若々しさを
保つ必要条件なのかもしれません。
時に流されることなく、今という時間の中で何を成すべきか、限られた未来を視野に入れながら、
過ぎ去っていく時間と向き合っていきたいものです。

それでも 時には立ち止まり、ゆっくり青い空でもながめながら振り返る 余裕も持ちたいものです。
肩の力をぬいて、在るがままの どうしようもない自分と 酒でも飲み交わしながら 向かい合って…。
前へ進むには、そんな一休みも必要なのですから。

夢や理想は、たどりつくには遠すぎるからこそ、憧れるのかもしれません。
だからこそ、人は これまでの道を振り返り、そして立ち止まりながらも、前へ前へと 遠い旅路を歩んで
行けるのかもしれません。

 老いても 若々しいハートを失わず 前へ前へと 進んでいきたいものです。
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おとし物

2024-12-31 20:22:32 | 日記
2024年も、今日が最後の1日となりました。
振り返ると 何か大切なものを落としてきたような 失ったような そんな気がし、谷川さんの詩が 頭の中に浮かんできます。

  かなしみ
         谷川俊太郎

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった 

 おとし物は、ひとつのかなしみでもあり、それは 時の流れの中で いつかは 消えてゆく寂しさでもあるのかもしれません。
 前に進むことで、人は誰でも 後ろに残るかなしみに 気づくことがあります。
 そして そのかなしみの向こうには、二度と会うことのできない大切な人や後悔する出来事が見え隠れします。

 谷川さんの「何かとんでもないおとし物」は、何だったのでしょうか。

「かなしみ」は、第一詩集「二十億光年の孤独」の中に収められ、その前に置かれた詩が「祈り」です。
この詩の中に、「おとし物」について 手がかりとなるような言葉が見つかるのではないかと考え、読み直してみました。

   祈り
              谷川俊太郎

一つの大きな主張が
無限の時の突端に始まり
今もそれが続いているのに
僕等は無数の提案をもって
その主張にむかおうとする
(ああ 傲慢すぎる ホモ・サピエンス 傲慢すぎる)

主張の解明のためにこそ
僕等は学んできたのではなかったのか
主張の歓喜のためにこそ
僕等は営んできたのではなかったのか

稚い僕の心に
(こわれかけた複雑な機械の鋲の一つ)
今は祈りのみが信じられる
(宇宙の中の無限小から
宇宙の中の無限大への)

人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう
(ところはすべて地球上の一点だし
みんなはすべて人間のひとり)
さびしさをたえて僕は祈ろう

一つの大きな主張が
無限の突端に始まり
今もなお続いている
そして
一つの小さな祈りは
暗くて巨きな時の中に
かすかながらもしっかり燃え続けようと
今 炎をあげる


 「祈り」では、「無限の時の突端に始まり 今もそれが続いている 一つの大きな主張」の前で、「無数の提案をもって その主張にむかおうとする」 ことが叶わず、「今は祈りのみが信じられる」 とあります。
 さらに最後の連には 「… 一つの小さな祈りは 暗くて巨きな時の中に かすかながらもしっかり燃え続けようと 今 炎をあげる」 と書かれています。
 この詩の中の「一つの大きな主張」は、谷川さんの心の内に在る神の語る言葉であり、求める理想の世界でもあったのではないでしょうか。その実現のために今できることは、ただ祈ることだけ。そこに留まっている自分に対し、「とんでもないおとし物」をしたと感じ、「遺失物係の前で余計に悲しくなった」のではないでしょうか。
 しかし、この「かなしみ」を抱えた谷川さんだからこそ、理想を実現するための無数の提案をたくさんの作品に込めて発表されてこられたような気がしてなりません。

 私にも、時を重ねても変わらずもち続けてきた小さな理想や夢があります。それだけは決して「おとし物」にすることなく、「かすかながらもしっかり燃え続ける」炎を 心の内にもち続けながら 新たな年を迎えたいと思っています。

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