あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

応分な負担を受け入れるということ

2014-01-29 09:42:06 | インポート

先日、ラジオで沖縄の普天間飛行場の辺野古移設問題を取り上げていました。都民にその問題をどう考えているか、インタビューするコーナーがあり、その声を聞いていて疑問に思ったことがありました。大部分の声は、移設を肯定し、仕方がない・沖縄の人には申し訳ないががまんをお願いする といった内容でした。これまで日本の安全を守るために沖縄が背負ってきた負担を考えた時、本当にそれでいいいのかという思いを強く感じました。沖縄の傘の下で平和だけを享受し続けることに痛みは感じないのだろうかと……。

名護市長選挙の結果、移設反対を訴えた市長が当選しました。その背景には、戦後の長い間アメリカの統治下に置かれ、県土の多くを基地に占拠され、軍用機の墜落事故やアメリカ兵の暴行事件、軍機が発着する度の騒音や不安に悩まされたてきた 「もう沖縄には基地はいらない!」 という沖縄の人々の怒りが込められているような気がしました。

多くの人々が恩恵を受けているのに、一部の人々だけが負担を強いられている。こういった不公平にゆがんだ社会は、正しい社会と言えるのでしょうか。

同様のことは、原発問題にも言えると思います。福島原発でつくられた電力は、東京が最大の消費地です。原発そのものの危険性を指摘してきた京都大学の小出先生は、講演の中で次のようなことを語っていました。恩恵を被る都市部は原発の在る地域から遠く離れ、事故が起こっても安全を守れるのに、一たび事故が起こると安全を脅かされ被害を被るのは原発周辺に住む地域の人々になる。その不合理が許せない と。福島の原発事故を通して、多くの人がそのことを実感されたのではないでしょうか。

その事故によって生じたさまざまな問題がいまだに解決できずに、山積しています。その一つに高度に汚染された放射性物質の処理問題があります。先日、国が宮城県内における最終処分場の候補地として3地区を公表しました。私の地元の栗原市もその一つです。公表されたどの地区の首長も、即座に受け入れ反対を表明しました。高度な放射性廃棄物の有効な管理や処理方法がない現状では、地域住民の安全を確保し不安を解消することはできないのではないかと思います。汚染水でさえ、コントロールできない状態なのですから。

しかし、最終処分場が必要なのは理解できます。電気の恩恵を享受している以上、どこかが引き受け手にならなければならないのでしょう。つきつめて考えれば普天間の移設問題も同様なのではないでしょうか。

日本の安全保障上、基地が必要であるならば、沖縄県にだけ負担を強いるのではなく、どこの県でもその負担を応分に受けるという覚悟が必要になって来るのではないかと思うのです。民主党政権で鳩山首相が、基地の県外移設を語ったことがあります。その言葉にどれだけ沖縄の人々が期待し、それが絵に描いた餅だと知ってどれだけ落胆したことでしょう。

背負う荷物があるならば、応分にその荷物を分け持つ。そういった覚悟が、ゆがんだ社会を変えていく一歩なのではないかと思うのです。普天間と最終処分場の問題から、その覚悟を求められているような気がしてなりません。

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詩人:吉野弘さんの死を悼んで

2014-01-26 10:53:27 | インポート

詩人の吉野弘さんが、肺炎で87歳の生涯を閉じました。このブログでも、「夕焼け」や「奈々子に」といった詩を取り上げて紹介したことがありました。平易な言葉で人間の日常を紡ぎながら、人間としての在り方を深く問いかける詩人だったのではないかと思います。詩と向き合うことで、新たなものの見方や考え方を教えていただいたように感じています。

ご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

改めて詩集を手に読み返してみると、たくさんの詩に立ち止まってしまいました。それだけ深く心に訴えかけてくるものがあったからです。ブログの中でこれからも印象に残った詩を紹介し、吉野さんが残してくれたものにふれることができたらと考えています。まずは、1編の詩を取り上げます。

   雪の日に

                吉野  弘

-----誠実でありたい。

そんなねがいを どこから手に入れた。

   それは、すでに

   欺くことでしかないのに。

      それが突然わかってしまった雪の

      かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと

      かさなっている。

          雪は 一度 世界を包んでしまうと

          そのあと 限りなく降りつづけねばならない。

          純白をあとからあとからかさねてゆかないと

          雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。

              誠実が 誠実を

              どうして欺かないでいることが出来るか

              それが もはや

              誠実の手に負えなくなってしまったかのように

              雪は今日も降っている。

                  雪の上に雪が

                  その上から雪が

                  たとえようのない重さで

                  ひたひたと かさねられてゆく。

                  かさなってゆく。

誠実であろうとすればするほど、誠実の重さが誠実でない自分の軽さを気づかせてくれるのかもしれません。誠実であろうとすることは、ある意味で自分の汚れを消そうとする行為なのかもしれません。そのために、純白の雪で覆い尽くさなければならなくなり、降り続く雪のように 軽い誠実の上に新たな軽い誠実を積み重ね続けなければならなくなるのかもしれません。その汚れは、決して消えることはないのだと知りながら。

だからこそ、降り積もる雪は、重く心にのしかかってくるのでしょう。そういった重さと痛みを感じながら、それでも人は誠実に生きようと努めているのかもしれません。

誠実という言葉は美しい響きを持ち、汚れない生き方を指し示す言葉でもあります。しかし、現実に生きる中で誠実で在り続けることは、痛みや苦しさを伴う生き方でもあるのだと思います。自分を厳しく問い続けてきた吉野さんだからこそ、誠実に生きることの難しさが誰よりもよく見え、誰よりも誠実に在ることを大切にされていたのだと思います。

誠実に対する遠さを感じるからこそ、人はやさしくなれるかもしれません。

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マー君 ヤンキースへ

2014-01-23 20:20:48 | インポート

田中投手の行き先が決まりました。黒田投手やイチロー選手のいるヤンキースです。契約金云々よりも、まずは所属球団が決まり、田中投手もホッとしていることでしょう。記者会見によれば、最高の評価をしてくれたということでヤンキースを選んだとのこと。その先には、ヤンキースというチームを通して、ワールドシリーズで優勝(世界一)という夢があるようです。

高額の契約をすることで、チームの期待を一身に背負い、かなりの重圧の中で1年目をおくることになりそうですが、なんとかやってくれそうな気がします。期待を自らへの励ましと変えて、応えていくのが田中投手ですから。新たなステージで、どんな活躍を見せてくれるか、今から楽しみです。

ダルビッシ投手の所属するレンジャースと、ワールドシリーズで投げ合うゲームを見たいものです。日本の球界で大活躍した二人が、世界一を決定するゲームで投げ合うなんてことが実現したらどんなに楽しいことでしょう。これは、私自身の個人的な夢ですが……。

今年は、大リーグのオープン戦から目が離せないような気がします。もちろん、我が楽天ゴールデンイーグルスの応援も欠かせませんが……。

日本シリーズで、楽天が二連覇。ワールドシリーズで、ヤンキースが世界一に。

今年は、そんな夢が実現するかもしれません。宝くじで3憶が当たることより、より実現性の高い出来事だと思うのですが……。

まずは、田中投手が 異国の地でも、けがもなく 元気いっぱい あの闘志あふれる投球で活躍できることを 心から祈り応援したいと思います。健康面や食事の面でも、あの奥様が支えてくれるのですから、ダルビッシュ投手の一年目と同じような活躍が期待できるような気がしています。

夢を夢とするなかれ。夢がみごと形あるものとなることを祈りながら、応援していきたいと思います。 頑張れ! 田中投手!

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現代学生百人一首を読んで

2014-01-22 10:21:03 | インポート

先日の天声人語に、東洋大学主催の現代学生百人一首が紹介されていました。10点の作品が取り上げられていたのですが、どれもみずみずしい感性に富んだ高校生や中学生の作品で心に残りました。若さゆえに敏感に純粋に社会や自分を見つめていることに、青春という生の鼓動を感じました。

取り上げられた作品以外に、心を打つ作品はないかと思い、東洋大学のホームページをのぞいてみました。以下、印象に残った作品を紹介します。

・母の分生きると決めたあの日から自慢の娘になれていますか            高校3年

 この思いが、お母さんと同じようなすてきな女性に成長させてくれる大きな力になっているのですね。悲しみを越えて前向きに生きている姿に心が打たれます。

・色一つ周りにあわせて選んでたなじまぬ色にかさなる自分              高校1年

 周りになじめない寂しさが伝わってくるようです。お互いに自分らしい色を大切にしながら通い合うものを見つけることがてきたら、少しは楽になるのでしょうが……。

・「すきなんだ」浴衣のきみがゆびさしたラムネとぼくがしゅわっとはじける      中学2年

 好きだという思いをこんなにもストレートに表現できることに、青春そのものを感じます。まっすぐなハートは、相手に届いているのでしょうか。

・虹を見たそんなささいな出来事が前向きに生きるきっかけになる          高校1年

 純粋であるが故に、傷ついたり悩んだりすることも多いのでしょう。でも、その柔らかな感性の持ち主であるからこそ、ささいなことからも新たな生きる力を見出せるのだと思います。

・貸していた教科書のすみさりげなく君のまるじで「好き」の二文字          高校2年

 「好き」の二文字に込められた思いが、しっかりと作者の心に届いているのでしょう。すみにさりげなく 見慣れたまるじで書かれた二文字を 愛しく受け止めているのですね。

・三人で鍋を突っつく夕食で進路の話で箸が止まった                  高校3年

 進路を考えることは、それだけ重いものなのだと思います。どんな進路を選択し踏み出そうとしているのか、本人はもちろんご両親も 期待と不安の中で 未来を見据えているのでしょう。

・国境を気にしてしまう私たちこの大空は壁がないのに                 高校2年

 こんなふうにとらえることができたら、国境紛争も消えてしまいますね。大空を自由に飛ぶ鳥のように、国境にとらわれずに同じ人類として心が通い合えたらどんなにいいでしょう。

・「先生」と私をにぎる小さな手保育士の夢決意した夏                  高校3年

 私が教職の道を決意したのも、実習最後の日に手を振って見送り続けた子供たちとの出会いがあったからです。小さな手に込められた思いが、夢を後押ししてくれたのですね。

・不発弾今日もみつかる沖縄(うちなー)の『戦争おわらぬ』と吾が祖母なげく    中学2年

 沖縄の人たちが背負ってきたものを強く感じます。基地が在り続ける限り、その思いは消えることがないのだと思います。軍事力で本当の平和は守られるものなのでしょうか。

・国境を越えて届いた母からの自筆の手紙にじんで読めない     ニューヨーク学院2年

 親元を離れ異国の地で暮らしているからこそ、家族への思いもつのることでしょう。手紙の文字を見るだけで会いたい思いが込み上げ、涙があふれるのだと思います。

〈小学生の部〉

・もみじの葉赤く色づきひらひらとふってはつもる秋のじゅうたん           小学6年

 赤いもみじが舞う様子が目に見えるようです。ひらひらとふるだけではなく、一枚一枚重なるようにつもって じゅうたんになるのですね。秋を切り取って絵にしたような感じがします。

 若々しく みずみずしい感性にふれることで、古くなりつつある私の感性も刺激され、潤いを与えてもらったような気がします。ハートだけでも、若々しくありたいものですね。

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かぐや姫の物語 を見て

2014-01-18 11:14:17 | インポート

高畠勲監督のアニメ 「かぐや姫の物語」を見ました。絵のタッチがより漫画風で簡略化されていながらとても新鮮に感じました。四季の風景や花など、日本画の世界を想起させる趣があり、この時代の物語の背景としても調和のある印象を受けました。

竹の子(筍)と呼ばれた女の子は、日本版のハイジそのものでした。動植物や自然をこの上なく愛し、翁とその妻を父母として慕い、村に住む子供たちとは兄弟のように睦まじくふれあいます。

やがて翁は 娘と妻を連れ 自然と一体となった村での暮らしを捨てて、都へ出ます。天から授けられた娘を姫と呼び、天から与えられた金を使って都に屋敷を構えて暮らすようになります。娘は成長し かぐや姫と呼ばれるようになったものの、貴族として暮らすきゅうくつな生活が肌に合わず 屋敷の中で不幸せな日々を過ごすことになります。都では、かぐや姫の美しさが話題となり、そのうわさが宮中にも伝わります。身分のある貴族たちや帝までが自分の妻にしようと求婚するのですが、その申し出を断るかのように最後には月へ旅立ってしまうという ストーリー展開です。

旧来のかぐや姫の物語との違いはどこにあるのでしょうか。それは、かぐや姫がなぜ月の世界からやってきて、地球での生活を始めることになったのか。さらには、なぜ月の世界にもどらなければならなくなったのか。この二つの疑問に対する答えの出し方や設定が、このアニメのオリジナリティーを形作っているように感じました。

高畠監督によれば、地球に来たのは月の世界の契りを破った罰(かって地球に下りて人里で暮らしたことのある天女の記憶を呼び起こし、その話を聞き出して天女の心を乱したという行為に対して)でありました。月の世界にもどることになったのは、帝の強引な求愛に対し思わず「いや!」と叫んだことから、月の世界の迎えを受け入れることになったのです。それはまた、人間の持っている欲・嘘・権力・権威等に対する拒否の姿勢でもあったのでしょう。しかし一方では、これまで愛した人や美しい世界と別れる道を選んだということでもありました。かぐや姫は、身を切るような後悔の思いにとらわれながら、月に旅立つことになります。

清澄で単調な悩みのない月の世界に比べると、四季とりどりの美しい色があふれ、喜怒哀楽や善と悪の入り混じった地球は対照的な世界でもあったのです。かぐや姫にとっては、二度と帰ることのない美しい地球とそこで過ごした思い出。愛した人々との出会いと別れ。地球で生きたことの意味や尊さを だれよりも強く感じながら 月へと旅立ったのではないでしょうか。

この作品の主題歌は、月にもどる時の かぐや姫の思いを歌っています。天の衣をまとうことで、すべての地球での記憶と思い出が消されても かぐや姫の心に残った いのちの記憶は 消え去ることはないのでしょう。

生きることは、ある意味で いのちの記憶を大切に積み重ねていくことなのかもしれないと強く思いました。

 

主題歌 「いのちの記憶」

               作詞 作曲 唄  二階堂 和美

あなたに触れた よろこびが

深く 深く このからだの 端々に

しみ込んでゆく

    ずっと 遠く なにも わからなくなっても

    たとえ このいのちが 終わる時が来ても

         いまのすべては 過去のすべて

         必ず また会える 懐かしい場所で

              あなたがくれた ぬくもりが

              深く 深く 今遥かな時を越え

              満ち渡ってく

                   じっと 心に 灯す情熱の炎も

                   そっと 傷をさする 悲しみの淵にも

                        いまのすべては 未来の希望

                        必ず 憶えてる 懐かしい場所で

                             いまのすべては 過去のすべて

                             必ず また会える 懐かしい場所で

                                 いまのすべては 未来の希望

                                 必ず 憶えてる いのちの記憶で

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