裁判員裁判では,二例目,少年犯罪としては初めての死刑判決がありました。被害者として二人が死亡,一人が重傷を負った重大事件で,被告の少年の自己中心的で残虐な犯行に対して,死刑という厳しい判断がなされました。
少年犯罪であったにもかかわらず,今後も加害者である少年の人格のゆがみは変わることはなく,更生も期待できないという点から,死刑という判断に至ったのではないかと思います。なぜ死刑という判断になったのか,その理由を少年に考えてほしいと,裁判員の方も会見で述べていました。
少年は,その判断を受け入れるような考えだということですが,どうなるのでしょうか。弁護団は少年を説得し控訴する方向で考えているようです。
同じ裁判員裁判で死刑判決が出された横浜の事件では,被告は被害者や遺族の思いに配慮し,控訴はしないで死刑を受け入れる方向のようです。
もし死刑制度がなかったら,どうでしょうか。無期懲役が最高刑になるわけですが,一生を刑務所内で終え,自分の犯した犯罪と向き合い,被害者と遺族の方への償いを続けなければならないのです。犯した罪を悔いる余裕や時間もなく,社会への怒りや恨みのみを抱いて,死刑になるより,ずっと辛くて苦しい懲役になるのではないでしょうか。また,一方では,与えられた時間が犯罪者の心に人間性を取り戻す貴重な時間となっていくのではないでしょうか。
死刑囚であった島秋人は,死刑がいつ執行されるかわからない不安と苦しい思いを抱いて生きた面もあったようです。その日を何事もなく終え,次の日の朝を無事迎えることができる 生かされる喜びを短歌に詠んだこともありました。死刑を宣告されるということは,執行の日まで,死と隣り合わせで生き,罪を償うために死を受け入れる覚悟を,毎日持ち続けなければなりません。
亡くなった命を被告人の命で償うことで,誰が幸せになるのでしょうか。遺族の方の悲しみは,死刑が執行されることで軽くなるのでしょうか。被告の家族は,その死を受け入れることで身内としての心は軽くなるのでしょうか。
死刑が確定した場合は,10年は刑を執行しない。ただし,10年後には,被告の更生や反省の様子,遺族の被告への思い等を考慮し,執行の有無について再検討する。もし被告の更生が認められ,遺族の思いも死刑執行を望まないのであれば,死刑から無期懲役へと刑を変更する。被告になんら改善が見られず,遺族も変わらず死刑を望んでいるとすれば,死刑の執行もやむを得ない。
死刑制度廃止が難しいなら せめて,こんな形で10年後に死刑判決を見直す機会が与えられるような制度改革を 強く望みます。
だれでも みんな,同じ重さの 尊く かけがえのない命を 持っています。そのことが大切にされる 社会であり 制度であり 法であってほしいと思います。