春の訪れを告げるかのように、福寿草の可憐な花が咲きました。さんさんと降り注ぐ陽光を受け、空からこぼれ落ちた 子どもの太陽のように、黄金色の光をふりまいています。
「春は、ここから始まるんだよ。」 そんな声が、福寿草の咲く一画から聞こえてくるような気がしました。庭の木々の芽ぶきと共に、確かに春が動き出したような実感があります。
この福寿草は、震災が縁で、隣の地区の方から分けていただいたものです。断水が続き、生活用水にも不自由を感じていた時に、自宅の裏にある用水路の水が使えるのではと考え、そこに汲み取り用のロープ付きのバケツを設置し、誰でも自由にご利用下さいと表示しました。それを使った方が、そのお礼にということで持って来てくださったのが、この福寿草だったのです。断水と停電が長く続き、お互いにその苦労を共にした者同士の絆を思い出させる花でもありました。
畑では、植えっぱなしのキャベツが寒かった冬を乗り越え、新たな緑球をつくりはじめています。枯れたハクサイの根元から、鮮やかな緑葉も顔を出しています。ニンジンやタマネギも、新たな葉を伸ばし始めたようです。
梅の枝には花芽ができ、暖かい日が続けば開花しそうです。
例年フキノトウが顔を出す一画を観察しているのですが、まだ姿は見えないようです。かくれていて 一斉に 「こんにちは」と声をかけられるような気がしています。
カタクリも、そのうち恥ずかしそうに顔をだしてくれそうです。
冬の後には春が来る。当たり前のことなのですが、それが繰り返されることの幸せを改めて実感しています。震災があった3年前の春は、春の訪れさえ感じることが出来ずにいたように思います。季節の色が消え、無彩色の景色をただ淡々とながめているような思いがしたものです。悲惨で悲しい出来事が心に覆いかぶさり、目に見える景色が心のうちまで届いてこなかったのかもしれません。それでも、季節だけは巡り来て、その色や光や姿を通して 時を知らせてくれていたのですね。
柔らかな春の日差しを受けながら、柔らかなハートで 春探しを続けていけたらと思います。