あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

きれいな夕焼けを見て

2011-09-28 08:21:44 | インポート

昨日の夕方,西の空に広がるきれいな夕焼けを見ました。心の中まで夕焼け色に染まり,秋が訪れたことを実感しました。北海道の大雪山では,もう紅葉が始まっているとのこと。富士山が初冠雪したというニュースも耳にしました。朝晩も涼しくなり,これからは一日一日に秋の深まりを感じることでしょう。

被災地の復興も,実りの秋に向かって確実に進んでいってほしいと思います。冬に備えた仮設住宅の寒さ対策も万全にしてほしいと思います。夕焼けは,見ているだけで懐かしく郷愁を誘います。愛する家族を失った被災地の方々は,どんな思いで夕焼けをながめているのでしょうか。

小さい頃を思い出すと,遊び疲れて家路を帰る時に見た夕焼けが浮かんできます。文字通り空が燃え,たどる道や家まで赤く染まっている光景がよみがえります。たどる先には我が家があり,母が夕餉の支度をしている。帰るベきところに帰るという安心感と自分を迎えてくれる家族の温もりとが重なり合い,郷愁という思いにつながっていくような感じがします。

心から安心できる場所にもどるのに,夕焼けは最もふさわしい背景なのかもしれません。そこにもどることができず,そこに家族も家もなくなった被災地の人々は,どんな思いで夕焼けを見つめているのでしょうか。

今年の夕焼けは,家路をたどることのできないたくさんの人々の悲しみの思いも映し出しているような気がしています。

誰もが心穏やかに夕焼けを見上げることのできる日が訪れますよう,祈りたいと思います。


柴田トヨさんの第二詩集『百歳』を読んで

2011-09-24 09:14:45 | インポート

柴田トヨさんも100歳を迎えられました。みずみずしい感性に曇りはないようです。言葉を紡ぎながら「誰かの心に糸を結ぶことができる」力は,健在です。これからもお元気で,思いを込めた澄んだ言葉を紡いでいってほしいと思います。

第二詩集『百歳』<飛鳥新社 刊>を読みながら,第一詩集『くじけないで』で味わった世界をまた思い出しました。これまでの人生を通して浄化された思いが,一つ一つの言葉の内から伝わってきて,私自身も浄化されていくような気持ちになるのです。年齢を重ねることで,人間の業のようなものが解き放され,かんじんなものだけが見えてくる,悟りのような詩の世界だと思います。

今回の詩集で特に心に残ったのが,『道(あなたに)』という詩です。生きていく上での応援歌になりそうな詩に思えます。

          好きな道なら

          でこぼこ道だって

          歩いて行けるわ

          辛くなったら

          少し休んで 空を見て

          まっすぐ

          歩いていくのよ

               付いて来るわよ

               あなたの影が

               がんばれって

               言いながら

好きな道をまっすぐ,時には空を見上げながら,あわてず急がず,歩いていきたいものです。でこぼこ道も平坦な道に比べたら,歩きにくくても変化があって楽しいのかもしれません。一緒に付いてくる影は,妻であり・家族であり・友であり・もう一人の自分であり・求める理想 かもしれません。「がんばれ」の励ましに感謝しながら,笑顔で歩き続けていきたいと思います。

震災に心を痛め,次のような詩も書いています。

                被災者の皆様に

         あぁ なんという

         ことでしょう

         テレビを見ながら 

         唯 手をあわすばかりです

             皆様の心の中は

             今も余震がきて

             傷痕がさらに

             深くなっていることと思います

             その傷痕に

             薬を塗ってあげたい

             人間だれしもの気持です

                  私も出来ることは

                  ないだろうか? 考えます

                  もうすぐ百歳になる私

                  天国に行く日も

                  近いでしょう

                  その時は 陽射しとなり

                  そよ風になって

                  皆様を応援します

                       これから 辛い日々が

                       続くでしょうが

                       朝はかならず やってきます

                       くじけないで!

トヨさんの 被災者の皆さんのことを気遣う 優しさや温かさが ひしひしと伝わってきます。辛いことの後に 何度も 朝を見てきた トヨさんだからこそ 言葉にできるのだと思います。希望の朝が訪れることを信じ,被災者の方がくじけないで生きていくことを,私も心から応援していきたいと思います。詩の中の言葉の一つ一つが,トヨさんが与えてくださる 陽射しとなり,そよ風となって 被災者の方の心に 届くことと思います。 

『流行』という詩には,「やさしさの インフルエンザが / 流行しないかしら / 思いやりの症状が まんえんすればいい 」 という一節がありました。戦争やいじめを憂いた一節ですが,やさしさが流行し思いやりがあふれた世界になったら,誰もが幸せを感じとることができるのではないでしょうか。

詩集を読んで,自分が前より少しだけやさしくなったような気がしました。

 


「さようなら原発」の集会について

2011-09-23 09:58:29 | インポート

東京で開かれた「さようなら原発」の集会には,約6万人もの人が集まったということです。福島原発の事故を通して,多くの人が原発のもつ怖さと事故のもたらした被害の大きさを肌で感じ,脱原発の必要性を考え,集まったのではないかと思います。マスコミを通して,主催した大江健三郎さんの話や参加者の声を聞き,改めて原発の必要性について自分なりに考えることができました。その思いをまとめてみたいと思います。

世界でも今回の事故を通して原発の安全性を問い直す動きが見られます。ドイツやイタリアは,国民全体の支持を受けながら,脱原発の道を歩もうとしています。

福島原発事故が完全に終息するまでには,これからもたくさんの年月を要することと思います。汚染された土壌や瓦礫の除染や処理も,その方法が定まらず,汚染物の処理施設や集積場も確保できない状況にあります。放射線を浴びた人々ヘの継続的な健康管理やそのための体制づくりも十分ではありません。事故のために故郷を追われるように避難しなければならなかった人々ヘの,金銭面だけではなく健康面や心の面でのケアも行き届いていないように思います。また,汚染された農作物や水産物の補償,風評被害に対する補償は十分と言えるのでしょうか。

今もそしてこれからも,事故を終息させるために数え切れないほど取り組まなければならない課題が山積しているように思います。事故が起こる前のきれいな環境にもどすためには,どれだけの年月と費用が必要とされるのでしょうか。故郷を追われた人々が,安心してもどることができるのはいつになるのでしょうか。事故によって失われたものの大きさを改めて痛感します。

最近,福島で製造された花火が愛知県内の花火大会で使用されなかったということがありました。放射性物質を含む花火は打ち上げるベきではないという住民の声があったためだということです。京都での出来事と同様のことが起こったようです。いずれも,主催者に対して厳しい抗議が多数寄せられたということですが,じつに悲しい出来事です。目に見えない放射線の被害を恐れる想いが,さまざまな風評を助長し,こういった悲しい出来事を招く要因にもなっているように思います。福島の人々には,心の痛む出来事だと思います。一方では被災地を応援し支援する動きがある半面,科学的な根拠もなく無制限に放射線被害を恐れる動きもあります。

ただそれだけ放射線被害に対して過敏に反応するようになってきたのは,決して悪い側面ばかりではないように思います。原子力のもたらす功罪がはっきりと目に見えるようになり,原発事故の恐ろしさを意識的にとらえることができるようになった表れなのではないかと思うからです。

石油資源には限りがあり,原子力発電所は経済の発展の上でその必要性が強調されてきました。経済の発展は,人々の暮らしを豊かにし幸せをもたらすものであるはずです。しかし今回の事故で学んだのは,原発が決して安全なものではなく,多くの不幸を人々にもたらす存在になるということなのではないかと思います。

世界にはたくさんの原発があり,経済力のある国や発展途上国では新たな原発の設置が計画され,建設が進められています。その一つが事故を起こせば,汚染水が海に流され,上空からたくさんの放射性物質が運ばれ,被害は国境を越えるものになるかもしれません。人々の命や健康を害するだけでなく,多くの動植物や地球環境にも大きな影響を与えることになります。

地球上の誰もが幸せに生きていくために,果たして原発は必要なのか。

そんな問いを自らに発しながら,原発の問題を考えていきたいと思います。


時には 立ち止まって

2011-09-15 19:11:13 | インポート

いつもと同じ時期に,いつもと同じ場所で,いつもと同じように ひっそりと咲く ミズヒキを見つけました。私にとっては,一番秋の訪れを感じさせる大好きな花です。

日陰になる薄暗いところに咲く花なのですが,そのためにより一層鮮やかに 赤い花が目立ちます。一本の茎に 少しだけ間をあけて 連なるように かわいい小さな花が 咲きます。

まどみちおさんの詩では,その咲いている様子を次のように表現しています。

             ミズヒキ

                       まど みちお

       だれも しらない なにかが

       だれも しらない なにかへ

       つげている わかれなのか

       さ・よ・う・な・ら・さ・よ・う・な・・・・

       と つらなって わたっていく

       ゆうやけて

       とおい カリに なりながら

       まっかな てんてんに なりながら

       ふしぎに いつまでも

       いつまでも

       みえて・・・

今年は,その花の色が 一段と鮮やかで 気品にあふれた赤に 見えるような気がします。

そして私には,さようならではなく こ・ん・に・ち・は と 語りかけているように思えます。

注意して見なければ見落としてしまうような日陰にあって,目を止めその存在に気付いてくれた者に,まるで あいさつをしているかのように 見えるのです。

たぶん秋が深まり,燃えるような夕焼けが美しい季節になったら,きっと まどさんの詩のように さ・よ・う・な・らと 告げているように見えるかもしれません。小花の一つ一つが,夕焼け色に染まったカリの姿に見えてくることと思います。

先日は,中秋の月と十六夜の月を眺めました。昔の人々は,どんな気持ちでこの月を見上げたのだろうか,燈火のない闇夜を照らす月は,どんなに明るく幻想的な光に見えたのだろうか,かぐや姫が,月に旅立って行ったのも,こんな夜だったのだろうか,などと想いながら ゆったりした気持ちで,月に見とれていました。

時には ゆっくりと 立ち止まり, 空を見上げ 花を見つめることの 大切さを感じています。


田中投手と斉藤投手のライバル対決を見て

2011-09-14 08:30:48 | インポート

先週の土曜日(10日)に,かっての仲間たちと一緒に楽天対日ハムの試合を観戦してきました。甲子園のライバルだった田中投手と斉藤投手の対決ということで,チケットも事前に完売するほどの人気カードでした。私も,両投手がどんな投球を見せるのか,とても楽しみにしていました。結果的には,4:1で楽天の勝利でしたが,両投手とも最後まで投げ合う見ごたえのある試合でした。

斉藤投手は,制球力がすばらしくボールにも切れがあり,スピードガンの球速以上に威力あるボールを投げ込んでいました。小刻みに点数は取られたものの,終始大崩れしない安定した投球でした。さすが,確かな投球術を身に付けた力のある投手だなあと思いました。何年か先には,現在の田中投手と実力的にも競い合う真のライバルになるような気がしました。

田中投手は,球速・球の切れ・コントロールなど申し分のない投球で,さすが楽天のエースという感じがしました。最終回に押し出しで1点を与えてしまいましたが,攻める投球を押し通しての失点ということで,かえって田中投手らしさが出た結果だったのではないかと思いました。現在は,防御率が第一位ということですので,このまま安定した投球を続け,頼れるエースとしてクライマックスシリーズでも大活躍してほしいと願っています。このままの投球を続けることができれば,念願の沢村賞も手に入れることができるのではないかと思います。

試合後に斉藤投手は,田中投手と投げ合って4年間の差を感じたと語っています。甲子園での戦いが終わってから,斉藤投手は大学で,田中投手はプロで実力を磨いてきました。より厳しい現実の中で戦ってきた田中投手との実力の差を,斉藤投手は実感したのだと思います。同時に斉藤投手は,新たな目標をもつことができたとも語っています。二人の間にある差を埋め,4年前と同じように対等のライバルとして戦えるようになること。それが将来の目標としてはっきりと見えたのではないかと思います。

同じプロという土俵の上で,二人はこれからも戦い続けることになります。実力差はあっても,心の面ではやはりライバル同士なのではないでしょうか。二人には,競い合うことで,さらに実力を高め,投球術を磨き,真のエースとして活躍してほしいと願います。

来年も,田中投手と斉藤投手が投げ合う試合を,クリスタで観戦したいものだと思います。