二つの目的で東京方面に出かけてきました。一つは、私の原点でもある かって 暮らし、勤めていた川崎を散策すること、二つ目は 東京で働く娘に会うことでした。
一日目は、晴天にも恵まれ 暑い一日でした。
かって 住んでいた アパート周辺を歩いてみました。今井南町という地名を思い出しながら、電信柱の地名をめあてに歩いてみたのですが、記憶に残る建物は見つけることができませんでした。あれから36年も経過したわけですから、当然です。ただアパートの裏の方に、川があったことを思い出し、探してみると確かに川はありました。春にはその川沿いの桜並木が咲きそろいとてもきれいだったのを思い出します。当時の川崎は公害の町とも言われるような悪いイメージがあったのですが、町の中に川があり桜があることにとても心が和んだものでした。
アパートには風呂がなかったので、すぐ近くの銭湯に通っていました。当時法政大学の野球部員だった江川卓投手も利用したという銭湯でした。銭湯の入口には、焼鳥屋があり、風呂上がりはのどがかわくので、ついつい引き寄せられるように立ち寄り、ビールを飲んだものでした。仕上げに食べるお茶漬けがなかなかの味で、病みつきになりました。アパートの向かいには文房具屋さんがあり、仕事柄よく利用し、必要な文房具を安く売ってもらったりしました。アパートには水道の蛇口が一つあるきりでしたので、もっぱら外食中心でした。常連だった食堂では定食を格安で提供してもらったり、サービスの一品がついたりしたものです。当時電話がなかったものですから、大家さんにはかかってきた電話をとりついでもらったり、たまに寝坊した時には大声で起こしてもらったりと、大変お世話になりました。入居した当初は、国鉄のストライキがあったため、田舎から送ってもらった布団が届かず、大家さんから一式貸してもらったこともありました。
多くの人に温かく支えられて、楽しく過ごすことのできた なつかしい3年間でした。建物や町の様子はすっかり変わっていましたが、ここの空気を吸い、この道を通い、ここで暮らしたことを改めて想い、胸が熱くなりました。お世話になった方々が元気でおられることを心から祈りました。
住んでいたところは、川崎市中原区にありましたが、勤務先は隣接する高津区にありました。バスで通勤していたのですが、途中の踏切で南武線の電車の通過を待つため、到着する時刻が一定ではありませんでした。そのため、一バス乗り遅れると遅刻をしてしまうということもよくありました。バス停にぎりぎりに着いたりすると、大変でした。学校が高台にあったので、バス停から学校に続く坂道を全力疾走で登ったものです。
そのバス停付近は、すっかり変わっていました。かって空き地や畑だったところに、スーパーや建物が建ち、昔の面影は かろうじて学校のある高台の地形から 感じ取ることができました。学校までの思い出の坂道を登っていくと、左手に校舎が見えてきました。記憶にあった学校の様子がよみがえり、ハートも初任者の頃にもどったような気がして、とてもなつかしい思いでいっぱいになりました。
私が勤務していた頃は、新設間もない学校でしたので、校庭には何もなく職員作業でグランド整備や花壇づくりなどに汗を流したことを思い出しました。校庭や周りの木、増設された建物などを学校の外からながめながら、長い時の経過を感じました。いつまでも立ち止まっていると不審者に間違えられそうでしたので、かって 多くの子どもたちが住んでいた 団地を目指しました。学校からはさらに登り坂があり、そのわきに竹林があるのを見て、昔はこの坂道の両側に立派な竹林があったのを思い出しました。今は舗装道路になっていますが、昔は道の真ん中に竹の子が顔を出したりしていました。そのことを輝くような笑顔で教えてくれた 子どものことも思い出しました。
団地への道沿いには、かっては一面に畑が広がっていたはずでしたが、びっしりと家が建ち並んでいました。それでも途中の一画には、畑があり、昔見た景色と重なるところがありました。そのまま道なりに歩いて行くと、富士見ストアという古い看板の店がありました。この名前には、かすかに記憶があるような気がしましたが、私の住んでいたアパートの名前も富士見荘だったので、もしかすると記憶違いかもしれません。
そこを過ぎると、目指していた団地が見えてきました。並んで立つ古い建物が、当時の県営アパートと同じ建物なのかどうかははっきりしませんでしたが、なつかしさを覚えました。建物の間に公園がありました。遊ぶ子どもがいないのに、じっと見ていると当時の子どもたちが遊ぶ様子や飛び交う元気な声が思い浮かび、タイムスリップしたような気持ちになりました。建物や公園をしばらくながめながら、担任した子どもたちの顔や出来事を、あれこれ思い出していました。
未熟で頼りない新任教師でしたが、思いのまま まっすぐに そして無我夢中で過ごした3年間でした。できたことよりできなかったことの多い担任でしたが、そんな自分を子どもたちが温かく支えてくれたように思います。叶うならば、もう一度あの頃にもどってあの子どもたちとやり直してみたいなあと思いました。子どもと共に夢や理想を語り、子どもと共に心に誠実を刻む。そんな思いで、子どもたちと一緒に もう一度あの時間を生きてみたいと思いました。
あの頃の時間に立つことで 込み上げてくる熱い思いがありました。残された人生の中で何ができるか、改めて自らに問いながら、これからの時間を大切に生きていきたいと思いました。
2日目は、再会した娘と一緒に、東京スカイツリー見物に出かけました。浅草から墨田川沿いに出ると、川の向こうにスカイツリーを見ることができました。周りのビル群から突出したその高さと 空に向かって伸びる スリムで 優雅な姿に、感動を覚えました。予約をしていなかったので、展望台には行きませんでしたが、隣接する『そらまち』商店街を見て回り、7階にある和食店で昼食をとりました。天婦羅とそばを味わいながら、娘といろんな話をしました。夜勤もあるハードな仕事を懸命に頑張っているとのこと。しっかり食べて頑張れよ!という思いでいっぱいになりました。スカイツリーを見てから、浅草までもどり、仲見世通りや浅草寺を見物しました。ひと休みを兼ねて、境内の一画の茶店で わらび餅とお汁粉を味わいました。浅草とスカイツリー見物で過ごした 娘との楽しいひとときでした。
2日間の小旅行を終えてから 何かと忙しい日が続き、ブログの更新が遅れてしまいました。申し訳なく思っています。