あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

小さな旅を終えて

2012-05-31 20:55:06 | インポート

 二つの目的で東京方面に出かけてきました。一つは、私の原点でもある かって 暮らし、勤めていた川崎を散策すること、二つ目は 東京で働く娘に会うことでした。

 一日目は、晴天にも恵まれ 暑い一日でした。

 かって 住んでいた アパート周辺を歩いてみました。今井南町という地名を思い出しながら、電信柱の地名をめあてに歩いてみたのですが、記憶に残る建物は見つけることができませんでした。あれから36年も経過したわけですから、当然です。ただアパートの裏の方に、川があったことを思い出し、探してみると確かに川はありました。春にはその川沿いの桜並木が咲きそろいとてもきれいだったのを思い出します。当時の川崎は公害の町とも言われるような悪いイメージがあったのですが、町の中に川があり桜があることにとても心が和んだものでした。

 アパートには風呂がなかったので、すぐ近くの銭湯に通っていました。当時法政大学の野球部員だった江川卓投手も利用したという銭湯でした。銭湯の入口には、焼鳥屋があり、風呂上がりはのどがかわくので、ついつい引き寄せられるように立ち寄り、ビールを飲んだものでした。仕上げに食べるお茶漬けがなかなかの味で、病みつきになりました。アパートの向かいには文房具屋さんがあり、仕事柄よく利用し、必要な文房具を安く売ってもらったりしました。アパートには水道の蛇口が一つあるきりでしたので、もっぱら外食中心でした。常連だった食堂では定食を格安で提供してもらったり、サービスの一品がついたりしたものです。当時電話がなかったものですから、大家さんにはかかってきた電話をとりついでもらったり、たまに寝坊した時には大声で起こしてもらったりと、大変お世話になりました。入居した当初は、国鉄のストライキがあったため、田舎から送ってもらった布団が届かず、大家さんから一式貸してもらったこともありました。

 多くの人に温かく支えられて、楽しく過ごすことのできた なつかしい3年間でした。建物や町の様子はすっかり変わっていましたが、ここの空気を吸い、この道を通い、ここで暮らしたことを改めて想い、胸が熱くなりました。お世話になった方々が元気でおられることを心から祈りました。

 住んでいたところは、川崎市中原区にありましたが、勤務先は隣接する高津区にありました。バスで通勤していたのですが、途中の踏切で南武線の電車の通過を待つため、到着する時刻が一定ではありませんでした。そのため、一バス乗り遅れると遅刻をしてしまうということもよくありました。バス停にぎりぎりに着いたりすると、大変でした。学校が高台にあったので、バス停から学校に続く坂道を全力疾走で登ったものです。

 そのバス停付近は、すっかり変わっていました。かって空き地や畑だったところに、スーパーや建物が建ち、昔の面影は かろうじて学校のある高台の地形から 感じ取ることができました。学校までの思い出の坂道を登っていくと、左手に校舎が見えてきました。記憶にあった学校の様子がよみがえり、ハートも初任者の頃にもどったような気がして、とてもなつかしい思いでいっぱいになりました。

 私が勤務していた頃は、新設間もない学校でしたので、校庭には何もなく職員作業でグランド整備や花壇づくりなどに汗を流したことを思い出しました。校庭や周りの木、増設された建物などを学校の外からながめながら、長い時の経過を感じました。いつまでも立ち止まっていると不審者に間違えられそうでしたので、かって 多くの子どもたちが住んでいた 団地を目指しました。学校からはさらに登り坂があり、そのわきに竹林があるのを見て、昔はこの坂道の両側に立派な竹林があったのを思い出しました。今は舗装道路になっていますが、昔は道の真ん中に竹の子が顔を出したりしていました。そのことを輝くような笑顔で教えてくれた 子どものことも思い出しました。

 団地への道沿いには、かっては一面に畑が広がっていたはずでしたが、びっしりと家が建ち並んでいました。それでも途中の一画には、畑があり、昔見た景色と重なるところがありました。そのまま道なりに歩いて行くと、富士見ストアという古い看板の店がありました。この名前には、かすかに記憶があるような気がしましたが、私の住んでいたアパートの名前も富士見荘だったので、もしかすると記憶違いかもしれません。

 そこを過ぎると、目指していた団地が見えてきました。並んで立つ古い建物が、当時の県営アパートと同じ建物なのかどうかははっきりしませんでしたが、なつかしさを覚えました。建物の間に公園がありました。遊ぶ子どもがいないのに、じっと見ていると当時の子どもたちが遊ぶ様子や飛び交う元気な声が思い浮かび、タイムスリップしたような気持ちになりました。建物や公園をしばらくながめながら、担任した子どもたちの顔や出来事を、あれこれ思い出していました。

 未熟で頼りない新任教師でしたが、思いのまま まっすぐに そして無我夢中で過ごした3年間でした。できたことよりできなかったことの多い担任でしたが、そんな自分を子どもたちが温かく支えてくれたように思います。叶うならば、もう一度あの頃にもどってあの子どもたちとやり直してみたいなあと思いました。子どもと共に夢や理想を語り、子どもと共に心に誠実を刻む。そんな思いで、子どもたちと一緒に もう一度あの時間を生きてみたいと思いました。

 あの頃の時間に立つことで 込み上げてくる熱い思いがありました。残された人生の中で何ができるか、改めて自らに問いながら、これからの時間を大切に生きていきたいと思いました。

 2日目は、再会した娘と一緒に、東京スカイツリー見物に出かけました。浅草から墨田川沿いに出ると、川の向こうにスカイツリーを見ることができました。周りのビル群から突出したその高さと 空に向かって伸びる スリムで 優雅な姿に、感動を覚えました。予約をしていなかったので、展望台には行きませんでしたが、隣接する『そらまち』商店街を見て回り、7階にある和食店で昼食をとりました。天婦羅とそばを味わいながら、娘といろんな話をしました。夜勤もあるハードな仕事を懸命に頑張っているとのこと。しっかり食べて頑張れよ!という思いでいっぱいになりました。スカイツリーを見てから、浅草までもどり、仲見世通りや浅草寺を見物しました。ひと休みを兼ねて、境内の一画の茶店で わらび餅とお汁粉を味わいました。浅草とスカイツリー見物で過ごした 娘との楽しいひとときでした。

 2日間の小旅行を終えてから 何かと忙しい日が続き、ブログの更新が遅れてしまいました。申し訳なく思っています。


娘のもとへ

2012-05-23 09:04:23 | インポート

明日、また娘に会いに東京方面に出かけてきます。娘の勤務形態が一定ではないので、休める時に合わせて出かけることにしました。社会人となって2カ月余りが経過し、少しずつ介護の仕事に慣れてきたようです。でも、夜勤があったりのハードな仕事なので疲れもたまっている頃なのではないかと思います。横浜の中華街で一緒に昼食をとりながら、少しは慰労ができたらと思っています。

今回の旅の目的はもう一つあります。私が教員となって38年前に勤務した初任地の学校と周辺の地域を歩いて見てくることです。住んでいた武蔵小杉周辺にも足をのばしてみたいと思っています。インターネットの地図で検索してみると、学校周辺の様子もずいぶんと変わっているようです。何がどう変わったのかよりも、変わっていないものを探し求めて歩いてみたいと思っています。私にとっては、新任教師として過ごした原点とも言える場所です。

かっての教え子と再会の機会を得ることで、もう一度その場所に立ってその頃の自分と向き合うことができたらと思っていました。

どんな自分や思いと再会することができるか、娘との再会と合わせて 楽しみにしています。


日食、 見ましたか?

2012-05-22 08:16:29 | インポート

宮城では部分日食を見ることができました。7時40分過ぎが最大食でしたが、改めてめったに見ることのできない一瞬に立ち合えた気がして、大きな感動を覚えました。人間の力では到底コントロールできない大自然がつくりだすショーでした。

日本中の多くの人々が、少しずつ時間のずれはあるものの、同じように太陽を見上げていたことと思います。同じ空を同じようなポーズで見上げていることを想像するだけで、出会ったことのない多くの人々と時間や思いを共有できたような 楽しい気持ちになります。

同時に、人間の力を超えたところにある 大自然の雄大な力を感じます。

先の大地震や津波は多くの悲しみと不幸をもたらしましたが、人間は自然の一部であり、それを超える存在ではないことをしみじみと痛感する出来事でもありました。福島の原発事故からは、原子力も人間の力を超えた存在であることを強く感じました。

やはり大自然との共存を図るためには、謙虚に人智(知)を超えたものと向き合い、恩恵を享受しながらどう関わっていくかを考えていくことが大切なのかなと思います。

新聞によると、金環日食が次回 日本で見られるのは、18年後の北海道。今回のように日本の広範囲で見られるのは、300年後だそうです。でも、今年の6月6日には、金星が太陽の手前を横切る「金星太陽面通過」が、全国で見られるとのことです。通過が始まる時刻は、午前7時過ぎ。また、世紀の一瞬に立ち合うことができそうです。


三日坊主?早朝ウォーキングを始めました!

2012-05-12 07:26:03 | インポート

気分を変えて ブログの模様替えをしました。5月の風を感じられるようなデザインがありましたので、いいなあと思って使うことにしました。いかがでしょうか。

3日前から、早朝ウォーキングを始めました。なんとか三日坊主にはなりました。朝型の生活スタイルに切り替えたいと思ったのですが、朝食を食べ終えて一息ついた頃に眠気が襲ってきます。体全体がまだ朝型になじんでない証拠です。少しずつ継続しながら、朝型の生活リズムを取り戻したいと思っています。

歩いていると、風を感じます。少し肌寒く感じますが、冬の北風のように拒まず、歩くことを迎えてくれるような風です。まともに向かい合っても、さわやかに感じる風でした。

田圃には水が入り、陽光を反射してキラキラ輝いています。田植えの終わったところもありますが、大部分はこれからの作業になりそうです。

畦道には、タンポポが花を閉じたまま点在しています。もう少し日が昇ると、花が開き、あちこちに黄色のじゅうたんが見られることと思います。

川沿いの道を歩いていると、私の方に向かってくる鷹に会いました。翼を広げゆっくりと川の流れに合わせて飛んでいるようです。魚でもねらっているのでしょうか。私の存在に気づいても、チラッと眺めるだけで、悠然と上空を通りすぎて行きました。

確かに私自身も自然の一部なのだ。そんなふうに思える 自然の中にとけこむことのできた 朝のひとときでした。


クウタの一匹言

2012-05-11 18:27:09 | インポート

ぼくは、クウタ。今から14年前に、この家にもらわれてきた。生まれた時のことはあまりおぼえていないけれど、さわられるのがいやになるほど、かわいがってもらったのはおぼえている。おかげて人間のことが大好きになって、姿を見るだけでしっぽをふってしまうんだ。これじゃ番犬になれないなんて、飼い主に思われているようで、ちょっとかたみがせまい。

ぼくがほえるのは、家の周りを散歩する犬の姿を見た時。同じ犬の仲間だと知ってもらいたいし、ぼくが強い犬であるっていうことを教えたいからね。
ほかには、救急車のサイレンや市のお知らせ放送を聞いた時。音が耳にばんばんひびいてきて、昔おおかみだった頃を思い出させるので、遠吠えをしてしまうんだ。先祖がえりというか、体の奥が熱くなって、おもいっきり野山をかけまわってみたいような気持ちになるみたい。

だから、ときには夜に、家をぬけ出して散歩に出かけるんだ。そんな時には、うまいぐあいに、くさりがはずれてくれるんだ。どこをどんなふうに歩くのかは、ヒミツ。でも、犬のいる家のそばを通るとほえられてしまうので、できるだけ畑や田圃道を歩くことにはしているんだけどね。朝になったら、飼い主のところにもどるようにしているよ。心配かけてはいけないし、なんといってもえさはもらえるし、屋根つきのぼく専用の家もあるしね。

ところが、このまえ この家がのっとられそうになる事件があったんだよ。去年からときどき、白い子ネコがやってきては、ぼくのえさを食べていくんだ。体はぼくより小さいんだけど、前足でひっかいたりするんで、見て見ぬふりをするんだ。全部は食べないで、少しはぼくの分を残しておいてくれと思いながらね。

その時にね、四本の足でも立っていられないほど、すごく強い風がふいてきたんだ。これは大変だと思って家の中に入ろうとしたら、なんとあっという間にぼくより先にネコが入ってしまったんだ。ひっかいたりされるのがいやだし、風にとばされるのもいやだし、家の周りを体をひくくしながら ウロウロウロウロ。少し風がおさまったところでネコが帰ってくれたので、なんとか家に入ることはできたんだ。

でも、これから心配なのは雨の日なんだ。というのも、そんな時にはぬれないように、飼い主が家の入口近くにえさをおいていってくれるんだ。そのえさをねらって、ネコがやってきたら、どうだろう。きっとネコも家の中に入ってくることになる。せまい家の中に、ぼくとネコがいっしょにいることになる。静かに食べて静かに帰ってくれるといいんだけど……。

でも、一匹より二匹の方が さびしくなくて いいのかな……?