先日、30年振りに教え子と再会し、酒を飲みながら語り合いました。W君は、仙台市内の小学校に勤務していた頃に、3年・4年と担任した子でした。それ以来 会う機会はなかったのですが、妻がある研修会で偶然出会い、それが縁となって今回の再会となりました。今は、教職の道を歩んでいるということで、話も弾みました。
子どもたち一人一人が主役となって活躍する学級をどうつくっていくか、子どもの目線でものごとを考え、実践している様子に、うれしさと同時に頼もしさも感じました。語る時の目の輝きには、かっての教室の中で見た輝きと同じものを感じ、なつかしさも覚えました。本が好きで、豊かな感性とひょうきんさを持ち、チョロョロといろんなところに出没する(?)子どもでした。
話の中で、当時教育実習生としてクラスに来ていたK先生のことが話題になりました。彼には、K先生が研究授業で詩の授業をしたことが、深く心に残っていたようです。教師になってからも、その詩を思い出し、自分でも授業したいと考えたのこと。しかし、いろいろ調べてみたものの詩を見つけることはできなかったということでした。
30年たっても忘れることのできなかった授業。改めて、K先生のすばらしさを想います。授業で扱った詩は、教科書にはのっていない、K先生自身が子どもたちと一緒に読んでみたいと考えた詩でした。詩自体の力もあったのでしょうが、K先生自身の詩への感動が土台にあったからこそ、同じ読み手である子どもたちと 熱く感動を共有できたように思います。K先生は、実習の最後に、子どもたちのためにと 1冊の本を贈ってくれました。「星の王子様」です。かんじんなものを心で探すことのできる すてきな先生になるだろうなあと思ったものでした。その後大学を出てから、故郷:長野県の教師になりました。今は、どんな先生になっているのでしょうか。
その時の詩を次に紹介します。W君にも送ったので、彼がどんな詩の授業を展開するのか楽しみです。
岩波新書「詩の中にめざめる日本」真壁仁編 より
<o:p> </o:p>「便所掃除」<o:p></o:p>
浜口 国雄<o:p></o:p>
扉をあけます。<o:p></o:p>
頭のしんまでくさくなります。<o:p></o:p>
まともに見ることが出来ません。<o:p></o:p>
神経までしびれる悲しいよごしかたです。<o:p></o:p>
澄んだ夜明けの空気もくさくします。<o:p></o:p>
掃除がいっぺんにいやになります。<o:p></o:p>
むかつくようなババ糞がかけてあります。<o:p></o:p>
どうして落着いてくれないのでしょう。<o:p></o:p>
けつの穴でも曲っているのでしょう。<o:p></o:p>
それともよっぽどあわてたのでしょう。<o:p></o:p>
おこったところで美しくなりません。<o:p></o:p>
美しくするのが僕らの務です。<o:p></o:p>
美しい世の中もこんな所から出発するのでしょう。<o:p></o:p>
くちびるを嚙みしめ、戸のさんに足をかけます。<o:p></o:p>
静かに水を流します。<o:p></o:p>
ババ糞に、おそるおそる箒をあてます。<o:p></o:p>
ポトン、ポトン、便壺に落ちます。<o:p></o:p>
ガス弾が、鼻の頭で破裂したほど、苦しい空気が発散します。<o:p></o:p>
心臓、爪の先までくさくします。<o:p></o:p>
落すたびに糞がはね上って弱ります。<o:p></o:p>
かわいた糞はなかなかとれません。<o:p></o:p>
たわしに砂をつけます。<o:p></o:p>
手を突き入れて磨きます。<o:p></o:p>
汚水が顔にかかります。<o:p></o:p>
くちびるにもつきます。<o:p></o:p>
そんなことにかまっていられません。<o:p></o:p>
ゴリゴリ美しくするのが目的です。<o:p></o:p>
その手でエロ文、ぬりつけた糞も落します。<o:p></o:p>
大きな性器も落します。<o:p></o:p>
朝風が壺から顔をなぜ上げます。<o:p></o:p>
心も糞になれて来ます。<o:p></o:p>
水を流します。
心に、しみた臭みを流すほど、流します。<o:p></o:p>
雑巾でふきます。
キンカクシのウラまで丁寧にふきます。<o:p></o:p>
社会悪をふきとる思いで、力いっぱいふきます。<o:p></o:p>
もう一度水をかけます。<o:p></o:p>
雑巾で仕上げをいたします。<o:p></o:p>
クレゾール液をまきます。<o:p></o:p>
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます。<o:p></o:p>
静かな、うれしい気持ですわってみます。<o:p></o:p>
朝の光が便器に反射します。<o:p></o:p>
クレゾール液が、糞壺の中から、七色の光で照します。<o:p></o:p>
便所を美しくする娘は、<o:p></o:p>
美しい子供をうむ、といった母を思い出します。<o:p></o:p>
僕は男です。<o:p></o:p>
美しい妻に会えるかも知れません。<o:p></o:p>
最後の四行に込められた 作者の願いは、叶えられたのでしょうか。<o:p></o:p>
外見の美しさではなく、心の美しさを身につけた 真に美しい女性と 出会えたことと思います。
汚れたものを 美しくすることは 目に見える汚れを落としながら、目に見えない 社会の汚れ
や 自分の心の内側まで 磨き上げることなのかもしれません。
磨き上げた後の爽快感は、汚れに立ち向かった人だからこそ感じとれるものなのでしょう。
美しいものは それを磨き上げる人に支えられているからこそ 美しいのかもしれません。
見えないところで 見える美しさを つくり 支えている人のいることを
感じとることのできる 人間でありたいものです。
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