先日ラジオで,なつかしの北山修氏<亡き加藤和彦氏等とザ・フォーク・クルセダーズを結成し,ミュージシャンとして活躍。現在は精神科医として活躍。>の話を聞くことができました。話は,精神科医としての立場から,心の健康をどう維持していくかという内容だったと思います。
中でも印象的だったのは,「よい精神科医は,よい聞き手を持っている」という言葉でした。
誰でも心にストレスを持っており,それをどこかで発散させる必要がある。その発散が『話す』という行為であり,そのためにはその話を真摯に受け止めてくれる『聞き手』が必要である。よい『聞き手』は,相手の思いを上手に引き出し,受け止める。そのことで,『話し手』はストレスをためこまず,心の健康を維持できる。しかし,そうすることで『聞き手』にもストレスがたまってくる。したがって,その『聞き手』にも話すことでストレスを解消してくれるよい『聞き手』が必要となる。精神科医も,ある意味でよい『聞き手』であるわけだが,そのために身近によい『聞き手』を必要としている。
聞くという行為は,一見受身的な行為のように見えますが,話し手の抱えている悩みや思いを受け止めることで,話し手の心を軽くし癒す能動的な行為でもあると考えます。親しい間柄であればあるほど,お互いに相手を信頼し,相互によい『話し手』となりよい『聞き手』となって,心の健康を維持し合っているのかもしれません。
先日,聞き役になって相手の悩みを聞く機会がありました。その時に感じたのは,聞くことの難しさです。相手の気持ちによりそってという構えで話を聞きながら,その思いを受け止めること以上に,相手の悩みを解決するための方法をあれこれ語っている自分に気づきました。まず大切にしなければならなかったことは,相手のおかれている立場や悩みの深さを真摯に受け止めるということでした。相手が求めていたのは,アドバイスではなく今の自分の気持ちを理解してほしいということだったのではないかと思います。
話すことで,相手が自分なりの解決の方法を見出したり,新たな元気を取り戻すことができるようなよい『聞き手』でありたい。改めて,強く思いました。
人と関わるということは,相手の人間としてのすべてを丸ごと自然に温かく受け止めることなのでは …… 。まずは,よい『聞き手』となって これからも 多くの人と関わっていきたいものです。そして,身近にいるよい『聞き手』に,この思いを伝えていきたいと思います。