28日に、仙台いのちの電話の公開講演会に参加してきました。
講師は、立教女学院短期大学学長の若林一美さん。1988年1月から子どもを亡くした親の会『小さな風の会』の世話人として、
東京での隔月の定例会、地方集会、分科会などの集会の他、手記を集めた『あー風』や自死した子の親の手記や証言をもとにした
『自殺した子どもの親たち』の発刊などの活動に取り組んでおられる方です。
講演の冒頭で若林さんは、こう語ります。
『人は他人のことは分からない。その人の心の内はその人にしか分からないものです。』
悲しみの淵に立つ人に、マラソン伴走者のようによりそいながら、いつの間にか自分が先を走ってしまうことで傷つけてしまう場合がある。
話すことや聞くことで、悲しみから救われる人がいることも一つの事実であるが、黙して立ち続ける人がいることも忘れてはいけない。
我が子を自死で失った親は、自分の思いばかりでなく、社会的な偏見や誤解の中で、語るに語れない 率直に心情を表すことができない
悲しめない悲しみを抱えているのです。
そういった我が子の死の重さを 親は自責の念とともに背負い続けているのだと思いました。
言葉にできない悲しめない悲しみの深さに、たじろいでしまいます。
小さな風の会に数年参加している親の一人が、集会の場で これまで自分の息子の死を事故によるものと話してきたが、本当は自死だったと
語ったことがあったそうです。
黙して抱え込んできた悲しみを言葉にすることができるまで、時間が必要だったのだと思います。
また、その辛さを共有する人たちの集まる場があったからこそ、思い切って語ることができたのだと思いました。
小さな風の会には何の決まりもなく、ただ一つ その会で話されたことを独り歩きさせない、その場だけの話として参加者の心に収めるといった
約束があるそうです。
その人の心の内はその人にしか分からないもの~その前提があるからこそ、参加者はお互いを尊重し、認め合い、語られたことを自然と受け入れる
ことができるのだと思いました。
その親たちに、若林さんが 手記や証言をおさめた本の発刊を知らせ、協力を求めたところ、その結果は驚きだったとのこと。
人の役に立てるのであれば、同じ苦しみを抱えている人のためならばと、ほとんどの親の方が、協力を申し出てくれたそうです。
悲しみの淵にありながらも、手を差し伸べようとする優しさに、圧倒されてしまいます。
そうして発刊された本を読んで、自分の死が完結ではなく その死を悲しむ人がいるのだということを知って 死ぬことをやめた若者がいたそうです。
一人の若者の命が救われたことが、協力した親たちにとっても心の救いになったのだと思いました。
その本の紹介の中で、亡くなった兄によせた11歳の弟の言葉が取り上げられていました。
17歳で亡くなった兄の告別式で、お別れの言葉として弟が語ったそうです。
兄が弟宛ての遺書の中で「死ぬな」と書き綴っていたこと、カレンダーに兄が予定を書き込んでいるのを見て一日早くカレンダーをめくっていたら死なないで
すんだかもしれないと思ったこと、葬儀場に向かう途中で霊柩車に対して道行く人が手を合わせてくれたことへの感謝の思い等を 語ったそうです。
道行く人の手を合わせる行為が 悲しみの内にある弟さんの心を癒してくれたと、若林さんは語ります。
悲しみの淵に立つ人の心を理解するのは難しいが、遠回りであってもできることがある。
それが、その人を見守るやわらかな優しいまなざし なのだと。
小さいころにいじめにあったある女性タレントさんの体験談を例として 若林さんは語ります。
ベネズエラで生まれ、日本語もうまく話せない混血児であったため、学校で執拗ないじめにあい、何度も死のうと考えたそうです。
誰も自分を見てくれない そういった絶望感にとらわれながらも ただ二人の弟がいるので、弟たちを守るために死ねないとも思ったそうです。
そんな自分に対して、近所の人たちが 登下校時に 「おはよう」「気を付けて」「おかえり」といった声掛けをしてくれたそうです。
ちゃんと自分の周りに自分を見てくれる人たちがいるんだ。そう気づいて、死ねないなと思ったそうです。
人を見守るやわらかなまなざしがあってこそ、手を合わせる行為やあたたかい声掛けができるのだと思います。
以前講演で耳にした、東京いのちの電話の立ち上げに尽力された林義子さんの言葉を思い出します。
人と人との関わりの中で 大切なのは 誰かのために doing(何かをしてあげること)ではなく being(そばにいてよりそうこと)。
それはまた、やわらかなまなざしを持って人と関わっていくということでもあるのだと思いました。
心に残る講演会でした。