これまで身に付いた習性のようなもので、時間を計画的に見てしまいます。
いつ何があって、その時までに~を準備して…。
予定の中に、時間が位置づけられていて、ついついその枠の中で、いろんなことを
考えてしまうのです。
畑仕事を始めることになり、畑を耕し、野菜の種をまきました。
いつ芽が出てくるかと、毎日のように畑やプランターを見に行きました。
寒い日の続くあいにくの天候のため、発芽の時期も遅れているのかなと思いましたが、
つい最近になって一斉に芽を出し始めました。
まるで、アサガオの芽が出た時の一年生の子供たちの喜びに負けないぐらいの
感動を覚えました。
その時がくれば、きちんと芽を出してくれる!
こちらの都合にとらわれず、時間を待つことの意味を改めて考える機会となりました。
子供の成長にも、同様なことが言えると思います。
その時が来れば、自力で大きく伸び成長する子ども。
大切なのは、その子が成長する土台となる畑を耕し、
その成長を信じ、待つことなのかもしれません。
時間は、その子を待つためにあるのですから……。
エンデが『モモ』の中で伝えようとしたことにも
サン・デグジュペリが『星の王子様』で伝えようとしたことにも共通するもの
それはむだな時間こそが、実はとても大切な時間であるということ。
大切な人やもののために いかに時間を使うか
そのことについて、改めて考えてみたいと思ってます。
かけた時間こそ 確かな時間なのですから。