あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

塔和子さんの詩集より

2011-02-26 18:35:21 | インポート

塔和子さんは,ハンセン病の施設(香川県の国立療養所大島青松園)で,後遺症のため現在も暮らしている詩人です。81歳になります。

新聞では,俳優の吉永小百合さんが施設を訪ね,塔和子さんと会った時のことを記事にして紹介していました。その中で取り上げられた塔さんの詩がとても印象に残ったので,詩集を買い求め読んでみました。以下,新聞で取り上げられた記事と,詩集の中の詩をいくつか紹介します。

< 新聞から >  

 吉永さんは,塔さんの「涙」という詩を読んで,心をゆさぶられたそうです。

 死ぬことに「一生懸命なのよ」という塔さんに,夫が「同じ一生懸命になるのなら,生きること

 に一生懸命になってくれ」と励ました時に,書かれた詩だそうです。

                      涙                       

                いのち

                この愛(いと)けないもの

                思いっきりわが身をだきしめると

                きゅっと

                涙が

                にじみ出た

 ハンセン病になった人たちの隔離を定めた,らい予防法がなくなってから15年。

 しかし 自由になったものの,帰る家をなくした約2,300人が,今でも全国の施設で暮ら

 し,平均年齢はおよそ81歳だそうです。

 隔離され,本名が使えず,家族との絆が断たれ,施設で一生を終える人たち。

 塔和子さんの詩は,その心のさけびなのだ,そしてその先に希望を求めていた ……

 と吉永さんは思います。

……………………………………………………………………………………………… 

< 塔和子いのちと愛の詩集から 

           ※発行:角川学芸出版,発売:角川グループパブリッシング>

      痛み

世界の中の一人だったことと

世界の中で一人だったこととのちがいは

地球の重さほどのちがいだった

  投げ出したことと

  投げ出されたことは

  生と死ほどのちがいだった

    捨てたことと

    捨てられたことは

    出会いと別れほどのちがいだった

      創ったことと

      創られたことは

      人間と人形ほどのちがいだった

        燃えることと

        燃えないことは

        夏と冬ほどのちがいだった

          見つめている

          誰にも見つめられていない太陽

          がらんどうを背景に

            私は

            一本の燃えることのない木を

            燃やそうとしている

  ………………………………………………………………………………………………                                                    

        淡 雪

  在ったという過去の中に私はない

  在るだろうというあいまいな未来に私はない

  やわらかい息をし

  涼しい目をして

     他人を見

     花を見

     空を見ているとき

  あるいは

  勢いよく水道の水をほとばちらせて

  野菜を洗うとき

     にんじんの赤さ

     ほうれん草の緑

     だいこんの白さが

  在ることのよろこび

     いのちの新鮮さをかきたてる

  このふるえるような愛しさ

  昨日と明日の間

    ただ

  いまだけを生きている

  淡い雪のようなものが

    わたし

……………………………………………………………………………………………… 

               糸

生から死へ一本の白い糸があって

  日々たぐっているが

  ほんとうは誰も

  いまだその糸を見た人はいない

  たぐり終わったとき

  いのちも終わるからだ

私の糸はあと何年あるいは何日残っているか

糸の途切れたところは冥界で

神様のさいはいするところだから

  きっと

  美しい花が咲き乱れ

  清らかな音楽がしっとりと流れているだろう

  しかしそう思っても

やっぱり雑事に追われるこの世に

愛着があって

糸のことは忘れている

そして

  病気になるとふっと思い出し

  いま自分のにぎっているのは

  どのくらいのところだろうと

  改めてその命の糸を

ひっぱってみたりする

……………………………………………………………………………………………… 

生きて在ることの意味を,考えさせられます。

見えない命の姿や形が,見えるように実感できます。

自らの命と深い所で向き合っているからこそ,生まれてくる詩のような気がします。

悩みや苦しみを突き抜けた先の 透き通った光も 見えます。

塔さんの詩人としてのますますのご活躍を,心から祈ります。

塔さんや桜井哲夫さんからは,これからも人間として多くのことを学ばせていただきたいと思

います。

         

      

  


映画「男はつらいよ」の第1作を見て

2011-02-25 20:13:34 | インポート

寅さんの映画は,これまでも何度か見たことはあったのですが,第一作目を手に入れることができたので,さっそく見てみました。

いいですね,寅さんは……。

20年振りに生まれ故郷の葛飾柴又に,寅さんが戻ってきたところから始まります。ネクタイを締めた寅さんは,社会人としてしっかりと生きている自分の姿を見せようとしての姿だったのでしょうか。すでに父母も亡くなり,身内としてのたった一人の妹であるさくらの無事を確かめたかったのでしょうか。寅さんの思いを想像しながら見ていました。

一本気で,頑固で,短気で,純粋で,情にもろく,自由人である寅さんの原型としての姿を,この作品から感じ取ることが出来ました。

サクラとヒロシの結婚,そして初めて女性を好きになった寅さんの失恋がメインではありましたが,森川信演じるおいちゃん,三崎千恵子演じるおばちゃん,タコ社長,御前様等,その後の作品にも登場する人物たちが,とても存在感にあふれていました。柴又や帝釈天の風情,江戸川や河川敷,矢切りの渡しの景色等と調和するように,登場人物たちが創り出し,醸し出す,寅さんワールドが,なつかしくよみがえってきました。

寅さんのふるさとを巡ってみようと,かって家族で東京へ出かけた折に,葛飾柴又まで足を伸ばしたことがありました。映画の場面のあれこれを思い出しながら,門前町として栄えた商店街を歩き,お馴染みのだんご店でだんごを食べたり,帝釈天にお参りもしました。江戸川の近くにある寅さん記念館にも行き,寅さんがよく寝転んでいた河川敷や旅立つ時に乗船した矢切りの渡しも見てきました。

一度も来たことがないのに,どこかなつかしい空気や風情を感じ,まるで故郷に戻って来たかのような印象がありました。映画を通して見てきた世界が,しっかりと私の心の世界に息づいているような感じがしました。

映画を見終わってから,改めて寅さんの魅力について考えてみました。

惹かれるのは,自由人としての寅さんの生き方なのかなと思います。根なし草ではありますが,渡り鳥のようにその時が来れば旅に出る寅さん。旅立つ時は,失恋やら騒動があった後の辛い思いの旅立ちが多いようですが,自分の意思で自由に旅立つところにあこがれを感じます。テキヤ稼業の旅は,傷心の心を癒し,さらには新たな人々との出会いの場ともなっているようです。寅さんのもっている子どものような純粋なハートも魅力ですね。一見自分勝手のようなところもありますが,情に厚く,優しく温かいハートも魅力です。毎回新たなマドンナに恋心を抱き,悲恋という結末になっても,好きになった相手をとても大切に考える一途な優しさも,寅さんらしい好きな一面です。

山田監督の話によると,はじめにストーリーがあったわけではなく,渥美清という俳優を主役としてイメージして創り上げたものが,この寅さんの映画だということです。だからこそ,渥美さんが亡くなったことで,このシリーズは48作で終わりとなったのだと思いました。

架空の存在であるのに,今でも渥美さん演じる寅さんが本当に実在するように感じています。

改めて寅さんのシリーズの映画を,全作じっくりと見たいと思っています。

その時々の時代の空気や風俗,元気だった頃の出演者の顔も拝見しながら,寅さんワールドの魅力をじっくりと味わってみたいと思います


ニュージランド地震について

2011-02-24 09:01:35 | インポート

22日に起きた地震は,直下型の地震だったために,多くの建物が倒壊し,たくさんの犠牲者が出たようです。今のところ死者が75名,行方不明者が約300人と言われています。そのうち,日本人の行方不明者は,24名いるとのことです。語学研修や留学で滞在している若い学生の方が中心ということで,一日も早い安否の確認と無事を祈りたいと思います。異国の地に送りだした家族の方にとっては,そばで救出を見守ることも出来ず,ひたすら無事を祈る気持ちでいっぱいなのではないかと思います。

新聞の写真に,ビルの倒壊現場で母親の生存が絶望的だと言われて泣き崩れる二人の子どもとその二人を両腕で抱きながら下を向いて慟哭する父親の写真がありました。

余りにも突然のことで,余りにも悲しいことで,余りにも信じられないことだったのでしょう。

母親がいるはずの倒壊した建物を見ながら,この親子は何と辛い時を生きているのだろうと思いました。母親との大切でかけがえのない絆を一瞬にして破壊してしまった地震。涙する親子の姿に,これまで起きた地震の被害者として亡くなった多くの方々のことや遺族の方の悲しみを重ねて思いました。

天声人語に,去年亡くなった歌人の竹山広さんの,阪神大震災を詠んだ一首が紹介されていました。

          居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ

                   そのときそこに「居合わせた人」よ……。

この鎮魂の調べは,長崎での被爆体験が根にあるということです。そこに居合わせたが故に原爆で亡くなり,地震で亡くなった人。そこに居合わせないことで生きている人。人間の生死は天運によって定められているのかもしれません。

しかしそうであったとしても,今その生死と向かい合っている人々にとっては,いち早く救いの手が届くこと,さらには無事であることが,心からの願いなのではないかと思います。

中東では,民主化運動の波が広がり,リビアやバーレーンでは多くの市民が犠牲となっています。こちらでは,人間の持つ銃器が市民の命を奪っています。その銃器を使うか使わないかは人間の判断ででき,人間の手で命を守ることもできます。天運ではありませんので,賢明な人間の判断による,平和的な民主化への道が切り開かれることを強く願います。

世界のどこでも,命あるものが大切にされる人間としての日々の営みでありたいものです。

犠牲になった多くの方の安らかなるご冥福を心より祈ります。


見つけた春

2011-02-20 10:06:28 | インポート

春を見つけました。

いつも顔を出す場所に,ふきのとうはまだ出ていませんが,近くにもうオオイヌノフグリが咲いていました。庭の草たちの緑の色合いや伸び具合にも,春の勢いを感じます。

命あるものの生命力が,確実に伝わって来るような気がします。

庭の一角には,スズメやヒヨドリの野鳥たちも集まって来るようになりました。

春は耳からも聞こえてきますと,ラジオで言っていましたが,にぎやかで軽やかな鳴き声は春の訪れを告げているかのようです。

昨日は,朝から春を感じる温かい一日でした。大好きな青空も,光と明るさが春モードに変わってきた印象があります。

夕方には,久しぶりにきれいな夕焼けを見ました。

周囲に田が広がる,さえぎる物のない場所から見たからでしょうか,西側の空を温かいオレンジ色に染めながら,太陽がゆっくりと遠くの山陰に沈んでいく景色に,自然の雄大さを感じました。夕焼けの色からも,春の温もりが伝わって来るような気がしました。

日中の暖かさに,愛犬クウタの瞳もトロンとし,気持ちよさそうに日向で寝転んでいます。そのそばで,私もコロンと眠りたくなるような陽気でした。

庭の木々の芽ぶきも順調ですが,一本だけ気がかりな木があります。昨年末に,我流で剪定した梅の木が,芽の出具合が悪く元気がないのです。枯れかかった枝を中心に,かなり広範囲に枝を切ってしまったからでしょうか。是非花を咲かせてほしいと願っています。

皆さんは,どんな春を見つけましたか…?

      春の陽の 温もりの中 うっとりと 眠るクウタに 我添い寝する

        ※添い寝は,もっと暖かくなるまで待つことにします。


雨です もうすぐ春ですね

2011-02-18 08:15:05 | インポート

今朝,ウォーキングに出かけようと思って外へ出て,びっくりしました。雨が降っていたからです。いつもの朝に比べると,曇り空で薄暗い感じがしていたのですが,まさか雨が降っているとは想ってもみませんでした。

部屋の中で耳を澄ますと,確かに雨音は聞こえてきます。音もなく降る雪と同じように,冬の終わりの雨も静かに降るのでしょうか。それとも,何度も降った雪の気配に慣れすぎて雨の気配を忘れつつあったせいでしょうか。

そう思うと,静かな雨音もとてもなつかしく聞こえてくるから不思議です。季節は,こうやって繰り返し,忘れ物を思い出させるように,新しい季節の訪れを告げているのかも知れませんね。

ひと雨ごとに,冬から春へと季節は移り変わっていくのですね。木々が芽ぶき,雪の下に埋もれていた畑の作物も,生気を取り戻したかのように元気になってきました。毎年同じ場所で顔を出すふきのとうの顔はまだ見ていませんが,そろそろ会えそうな気がしています。

ある日ある時見た花が,その時に見たその場所で会いに来てくれる人を待っているかもしれません。春を待つ準備をしている草花たちが,やがて花開くその時に,再会できたら最高ですね。草花との出会いのタイミングを失わないように,春探しを続けていきたいと思います。

      また会えた 喜びを胸に 向かい合う 人知れず咲く 花の可憐さ