判決要旨を読み、原発問題に新たな視点から切り込んだ画期的な判決だったのではないかと思います。反原発の立場の人にとっては、人格権侵害という理念のもとで原発の問題点を考えるよりどころになりそうです。昨日の新聞には、判決文を好意的にとらえ高評価する声が紹介されていました。
「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、その総体が人格権といえる。生命を守り生活を維持するという、人格権の根幹部分に対する具体的な侵害のおそれのあるときは、侵害行為の差し止めを請求できる 」
・原発の再稼働が人格権の侵害にあたものだとする 基本的な考え方を提示し、その論に従って判決が出されています。大飯原発という個別の問題ではなく、原発の存在そのものが人格権を侵害する危険な存在であるかどうかを問い直す 大切な視点だと考えます。
「原発は、電気の生産という社会の重要な機能を営むものだが、その稼働は、憲法上は人格権中核部分より劣位におかれるべきものだ 」
・電気は経済面でも生活面でも必要なもの。しかし、その電気を生産すること〈原発を再稼働させて電気を供給する〉よりも、人格権がはるかに優先するものであり上位にある。電気をつくりだすことで、人格権を侵害することがあってはならないのである。原発も電気を生産する一つの設備であり道具であって、その稼働によって人格権を侵害するようであってはならない と読み取ることができるように思います。
「被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コスト削減につながると主張するが、当裁判所は、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的に許されないと考える。
・多数の人の生存そのものに関わる権利〈人格権と同義ととらえることができると思います〉の前では、電力供給の安定性の確保や電気代の高低の問題等は論外であり、同列に扱われる問題ではない。原発稼働を正当化する理由は、電気を生産するための単なる理由づけにすぎないととらえることができます。
「このコスト問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止で多額の貿易赤字が出るとしても、国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だと当裁判所は考える。」
・国富とは何か。豊かな国土と国民が根をおろして生活していることが国富である。原発の運転停止で被る貿易赤字などは国富の流失や喪失とはいえず、豊かな国土とそこで生活する権利〈人格権〉を失い、それらを取り戻せなくなることが国富の喪失である。国富とは、抽象的なものではなく、豊かな自然の中で日常の日々の暮らしが安全で安心な環境で営まれることを指しているのではないかと考えます。それはまた、普遍的で未来にもつながる 人間が人間らしく生きていくことのできる生活や環境の保全を意味するものと考えます。国富という観点に立てば、原発の存在と再稼働が、いかにこの国富の喪失に結びつくものであるかと 見直すことができるように思います。
「また被告は、原発の稼働が二酸化炭素排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、ひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじい。福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原発の運転継続根拠とするのは甚だしい筋違いだ」
・福島原発事故から学んだことは何だったのでしょうか。安全神話の崩壊、環境汚染のすさまじさ、そこで暮らす人々の多くの命と生活を奪い、国富を取り戻せなくした事実の重さを 痛感しました。世界で一番厳しい安全基準を設けて再稼働を進めると政府は語っているのですが、新たな安全神話をつくりあげて再稼働を進めようとしているようにしか思えません。ひとたび事故が起こったら、その後処理に手をやき、核ゴミの始末さえままならず、その管理や処分方法さえ決まらず、気の遠くなるような時間が必要とされる 現状の中で、なぜ再稼働を推進しようとしているのでしょうか。
人格権や国富を守っていくためにも、原発の再稼働を認めないという考えと 原発のない世界の実現を願う気持ちを 持ち続けていきたいと思います。