あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

イチロー選手の言葉

2019-03-24 09:35:35 | 日記
先日、野球選手としての引退をイチロー選手が公表しました。
その思いを記者会見で語った中で、とても印象的な言葉がありました。

 「自分の限界をちょっと超えていく。
          その積み重ねでしか自分を超えていけない」


 数々の記録を残し続けてきた イチロー選手だからこそ 語ることの
できる言葉なのでしょう。
 超えていく存在として 自分を対象化し、今の自分をちょっとずつ
限界を超えて高めていくことで、新たな自分や記録をつくり続けてきたの
だと思います。
 まさに、求道者の道を歩み続けてきたのではないでしょうか。
 他者との比較や競争ではなく、今の自分の課題や可能性を見つめ続け
ながら より高みへと 自らを導いていこうとする姿勢に、圧倒される
ような気がします。
 その姿勢を貫くために これまでたくさんの努力や苦労を積み重ねて
こられたのだと思います。
 まずは、一休みしながら これまでの張りつめた心と体を解きほぐし
てほしいと思います。
 そして今度は、選手と異なる立場から 野球の世界の魅力を伝えてほ
しいと願います。


 イチロー選手のように 一つの道を究めている人の 生き方や考え方
には、学ぶべきことがたくさんあります。
 自分の前に続く人生をどう歩んでいくべきか、迷い・立ち止まった時に
こういった言葉が 大切なヒントになります。
 まだまだ 自分は成長できると信じながら、少しでも 今の自分を高め、
進んでいきたいものです。
 

8年を迎えて

2019-03-11 19:59:57 | 日記
震災があってから、8年。

その8年という時は、被災された方の心の中で どう流れていったのでしょうか。

谷川俊太郎さんの詩集「こころ」の中に、『そのあと』という詩があります。


   そのあと

           谷川 俊太郎

そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべて終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある

そのあとは一筋に
霧の中へ消えている
そのあとは限りなく
青くひろがっている

そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に


被災された方々の心に どんな そのあとがあったのでしょうか。
そして 同時に 8年経ったそのあとには
どんな道が 続いているのでしょうか。

その道を照らす光が
穏やかで 心安まる 温もりに満ちた光でありますように
そして その道で見上げた空が
どこまでも澄んだ 青空でありますように!


震災で亡くなった方々と
今でも行方不明の方々の ご冥福を 心よりお祈り申し上げます。
 
そして、大切なひとを失った人々の悲しみが 癒される そのあとの 日々で
ありますように。良き思い出と共に 大切なひとは その心の内に共に生きて
いるのですから。







狭小な自分を振り返ることで

2019-03-01 21:47:58 | 日記
朝日新聞に連載されている『折々のことば』で、「馬の耳に念仏」という ことわざが
取り上げられていました。

~ 道理の通じない相手には何を言っても無駄。自身痛い目にあって悟るまでまつしか
  ないと、道理を説く者はため息をつく。 ~

書き手の鷲田清一さんは、こう述べて ことわざの意味を解説しています。ここまでは、
私も同感で、同様な解釈をしていました。
いくら言葉を補っても、聞く耳を持たない相手には通用しないのでは……。ことわざを語る
側に身を寄せて、語っても通じないことを嘆く思いに共感していました。

しかし、鷲田さんは続けて次のように語っています。
~ が、はたしてそうか。道理を知る自分は諭す側で、相手は諭される側、という前提を
  微塵も崩そうとせずに、ただ嘆くばかり。その意味で、耳を貸さないのは じつは
  道理を説く側なのかもしれない。
  諭すよりも、相手の心をほどくことに意を向けねば。 ~

聞く耳を持たないのは、もしかすると諭そうとして嘆く側なのでは…。
道理の側に身を置いていることを意識するあまり、相手の心によりそうことを否定して
しまっている場合があるのかもしれません。
大切なのは、嘆くことではなく 分かり合おうとする姿勢なのでは。

韓国と日本との関係が、反韓や反日に満ちている現況を考えるにつけ、同様なことがあて
はまるような気がしてなりません。
寛容さが社会全体の中で薄れている状況の根底にも、聞く耳をもたない立場に自分の立ち
位置があることに気づかないということがあるのかもしれません。

沖縄の 辺野古への基地移設の問題も 同様に感じます。
県民投票の結果を 政府は無視するような形で、移設を強行しようとしています。
普天間の危険除去のために移設は必要なのだと 政府は主張していますが、本当にそれしか
選択肢はないのでしょうか。
国の安全保障のためだという理由で、過重な基地負担を沖縄に押しつけてきた痛みを感じる
ならば、県民投票の結果を尊重し、移設工事をストップして 基地問題を再検討することが
必要なのではないでしょうか。
それはまた、沖縄県民だけの問題ではなく、国民全体の問題として 国民一人一人が問い直す
課題なのだと感じます。

「馬の耳に念仏」と 嘆かず、突き放さず、
自分の立ち位置を冷静に振り返り、相手の心をほどくことに、意を向けることこそ 
今は大切なのだと思います。