ラジオの国会中継を時折聴くようにしていますが、かみ合わない議論に、よって立つ土俵の違いを
感じてしまいます。立っている土俵が違うのですから、お互いに持論を述べ合うことで終始すると
いった印象があります。
同じ土俵で議論し合うためには、新たな土俵に立たざるを得ない鋭い質問が提起され、それに向き
合って答えざるを得ない答弁が引き出される状況をつくり出す必要があるのでしょう。
まるで暗記したかのような 同じ答弁が繰り返され、議論の中から新たな言葉や考えは見出せず、
停滞した時間の中に放り込まれているような感じがします。
国の大事な行く末が決定される 国会での議論が、双方の主張だけで流れている中継を見て、若い
世代の人々は、どんな感想を抱くのでしょう。
昨日付けの朝日新聞の社会面に、人口6千人余りの長野県阿智村での 安保法案に反対するデモの
紹介記事がありました。戦前の国策であった満蒙開拓団を送りだす歴史を抱えた阿智村。
「国の政策がおかしい時は地方からストップをかけなければ」と、デモ参加者の一人である前村長
の岡庭一雄さんは語ったとのこと。
過去の出来事を視野に入れ、戦前の歴史を踏まえて 考え・行動する姿に、頭が下がります。
果たして、安保法案は 過去の歴史を振り返ることで、考えられた法案なのでしょうか。
憲法は、前文にあるように、過去の歴史の反省の上に立って、不戦の誓いを述べています。
憲法に照らして、集団的自衛権の行使が合憲であるかどうかが 国会でも議論の核になっていますが、
前文に込められた思いが共有されているかどうかが問題なのではないかと思えてしかたがありません。
安倍首相は、答弁の中で 憲法の枠がありその範囲内で と、強調するものの、憲法の根底を流れる
不戦の理念を踏まえているとは 思えません。
それどころか、改憲論者の主張する敗戦国である日本が押し付けられた憲法であるという認識を持ち、
靖国参拝を肯定する考えの内には、戦前の歴史に対する肯定的な思いも汲み取れます。
よって立つところがそうであるからこそ、戦争への道につながる安保法案にも疑問を持つことなくた
どり着いたのではないでしょうか。
その立ち位置の違いが、議論のかみあわない大きな理由なのではないかと考えると、水と油のように
混じり合うことなく考えの違いだけが浮かび上がってくるものなのかもしれません。
それでも、この法案の是非が国民全体の話題となり、これまでの歴史を振り返り、憲法の意義や内容
を問いなおす機会となっていることに、希望の灯を感じます。
若者たちを中心とした国会前での定期的なデモ、小さな村や地方のさまざまな都市でもさまざまな形
で法案に反対する活動や行動(デモ等)が行われていることを力強く感じます。
こういった世論を政治家は無視できないでしょうし、自分たちの立ち位置を客観的に捉えなおし、新
たな土俵で議論する意味を悟ってくれるかもしれません。
未来の日本がどんな国であるべきなのか、その国をつくる主体の一人としての立ち位置を、多くの人
に意識させる 動きになっているのかもしれません。
昨日の新聞の一面には、沖縄県の翁長知事が、普天間飛行場の辺野古への移設計画について、第三者
委員会の報告に基づき、承認を取り消す意向を強く示唆した という記事が掲載されていました。
沖縄の基地問題も、安保政策や法案と密接な関係にあります。
基地負担を沖縄だけに押し付けてきた反省の上に立って、日本の国全体の問題として改めて問い直す
時期なのではないかと感じています。
軍事力や基地を所有することで、平和は守り・つくられるものなのかどうか、私の問いはいつもそこ
から始まっているような気がします。
感じてしまいます。立っている土俵が違うのですから、お互いに持論を述べ合うことで終始すると
いった印象があります。
同じ土俵で議論し合うためには、新たな土俵に立たざるを得ない鋭い質問が提起され、それに向き
合って答えざるを得ない答弁が引き出される状況をつくり出す必要があるのでしょう。
まるで暗記したかのような 同じ答弁が繰り返され、議論の中から新たな言葉や考えは見出せず、
停滞した時間の中に放り込まれているような感じがします。
国の大事な行く末が決定される 国会での議論が、双方の主張だけで流れている中継を見て、若い
世代の人々は、どんな感想を抱くのでしょう。
昨日付けの朝日新聞の社会面に、人口6千人余りの長野県阿智村での 安保法案に反対するデモの
紹介記事がありました。戦前の国策であった満蒙開拓団を送りだす歴史を抱えた阿智村。
「国の政策がおかしい時は地方からストップをかけなければ」と、デモ参加者の一人である前村長
の岡庭一雄さんは語ったとのこと。
過去の出来事を視野に入れ、戦前の歴史を踏まえて 考え・行動する姿に、頭が下がります。
果たして、安保法案は 過去の歴史を振り返ることで、考えられた法案なのでしょうか。
憲法は、前文にあるように、過去の歴史の反省の上に立って、不戦の誓いを述べています。
憲法に照らして、集団的自衛権の行使が合憲であるかどうかが 国会でも議論の核になっていますが、
前文に込められた思いが共有されているかどうかが問題なのではないかと思えてしかたがありません。
安倍首相は、答弁の中で 憲法の枠がありその範囲内で と、強調するものの、憲法の根底を流れる
不戦の理念を踏まえているとは 思えません。
それどころか、改憲論者の主張する敗戦国である日本が押し付けられた憲法であるという認識を持ち、
靖国参拝を肯定する考えの内には、戦前の歴史に対する肯定的な思いも汲み取れます。
よって立つところがそうであるからこそ、戦争への道につながる安保法案にも疑問を持つことなくた
どり着いたのではないでしょうか。
その立ち位置の違いが、議論のかみあわない大きな理由なのではないかと考えると、水と油のように
混じり合うことなく考えの違いだけが浮かび上がってくるものなのかもしれません。
それでも、この法案の是非が国民全体の話題となり、これまでの歴史を振り返り、憲法の意義や内容
を問いなおす機会となっていることに、希望の灯を感じます。
若者たちを中心とした国会前での定期的なデモ、小さな村や地方のさまざまな都市でもさまざまな形
で法案に反対する活動や行動(デモ等)が行われていることを力強く感じます。
こういった世論を政治家は無視できないでしょうし、自分たちの立ち位置を客観的に捉えなおし、新
たな土俵で議論する意味を悟ってくれるかもしれません。
未来の日本がどんな国であるべきなのか、その国をつくる主体の一人としての立ち位置を、多くの人
に意識させる 動きになっているのかもしれません。
昨日の新聞の一面には、沖縄県の翁長知事が、普天間飛行場の辺野古への移設計画について、第三者
委員会の報告に基づき、承認を取り消す意向を強く示唆した という記事が掲載されていました。
沖縄の基地問題も、安保政策や法案と密接な関係にあります。
基地負担を沖縄だけに押し付けてきた反省の上に立って、日本の国全体の問題として改めて問い直す
時期なのではないかと感じています。
軍事力や基地を所有することで、平和は守り・つくられるものなのかどうか、私の問いはいつもそこ
から始まっているような気がします。