あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

安保法案と憲法について

2015-07-28 22:58:06 | 日記
ラジオの国会中継を時折聴くようにしていますが、かみ合わない議論に、よって立つ土俵の違いを
感じてしまいます。立っている土俵が違うのですから、お互いに持論を述べ合うことで終始すると
いった印象があります。

同じ土俵で議論し合うためには、新たな土俵に立たざるを得ない鋭い質問が提起され、それに向き
合って答えざるを得ない答弁が引き出される状況をつくり出す必要があるのでしょう。
まるで暗記したかのような 同じ答弁が繰り返され、議論の中から新たな言葉や考えは見出せず、
停滞した時間の中に放り込まれているような感じがします。
国の大事な行く末が決定される 国会での議論が、双方の主張だけで流れている中継を見て、若い
世代の人々は、どんな感想を抱くのでしょう。

昨日付けの朝日新聞の社会面に、人口6千人余りの長野県阿智村での 安保法案に反対するデモの
紹介記事がありました。戦前の国策であった満蒙開拓団を送りだす歴史を抱えた阿智村。
「国の政策がおかしい時は地方からストップをかけなければ」と、デモ参加者の一人である前村長
の岡庭一雄さんは語ったとのこと。

過去の出来事を視野に入れ、戦前の歴史を踏まえて 考え・行動する姿に、頭が下がります。

果たして、安保法案は 過去の歴史を振り返ることで、考えられた法案なのでしょうか。

憲法は、前文にあるように、過去の歴史の反省の上に立って、不戦の誓いを述べています。

憲法に照らして、集団的自衛権の行使が合憲であるかどうかが 国会でも議論の核になっていますが、
前文に込められた思いが共有されているかどうかが問題なのではないかと思えてしかたがありません。

安倍首相は、答弁の中で 憲法の枠がありその範囲内で と、強調するものの、憲法の根底を流れる
不戦の理念を踏まえているとは 思えません。
それどころか、改憲論者の主張する敗戦国である日本が押し付けられた憲法であるという認識を持ち、
靖国参拝を肯定する考えの内には、戦前の歴史に対する肯定的な思いも汲み取れます。

よって立つところがそうであるからこそ、戦争への道につながる安保法案にも疑問を持つことなくた
どり着いたのではないでしょうか。

その立ち位置の違いが、議論のかみあわない大きな理由なのではないかと考えると、水と油のように
混じり合うことなく考えの違いだけが浮かび上がってくるものなのかもしれません。

それでも、この法案の是非が国民全体の話題となり、これまでの歴史を振り返り、憲法の意義や内容
を問いなおす機会となっていることに、希望の灯を感じます。

若者たちを中心とした国会前での定期的なデモ、小さな村や地方のさまざまな都市でもさまざまな形
で法案に反対する活動や行動(デモ等)が行われていることを力強く感じます。

こういった世論を政治家は無視できないでしょうし、自分たちの立ち位置を客観的に捉えなおし、新
たな土俵で議論する意味を悟ってくれるかもしれません。

未来の日本がどんな国であるべきなのか、その国をつくる主体の一人としての立ち位置を、多くの人
に意識させる 動きになっているのかもしれません。

昨日の新聞の一面には、沖縄県の翁長知事が、普天間飛行場の辺野古への移設計画について、第三者
委員会の報告に基づき、承認を取り消す意向を強く示唆した という記事が掲載されていました。

沖縄の基地問題も、安保政策や法案と密接な関係にあります。
基地負担を沖縄だけに押し付けてきた反省の上に立って、日本の国全体の問題として改めて問い直す
時期なのではないかと感じています。

軍事力や基地を所有することで、平和は守り・つくられるものなのかどうか、私の問いはいつもそこ
から始まっているような気がします。

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南三陸町に出かけて

2015-07-27 20:36:04 | 日記
昨日は、所要があって南三陸町へ出かけてきました。

南三陸では、仮設の商店街で昼食をとりました。
日曜日ということもあり、人出も多く、このにぎわいが復興の後押しとなってくれるといいなあと 改めて感じました。
昼食は、今が旬であるウニ付きの海鮮丼を食べました。
さっと塩をかけてウニを味わって という店の方の助言もあり、その通りに食べてみると、まさに格別の味わいでした。
ウニの甘みが、一段と濃厚に感じられ、他の海鮮と合わせて食べると さらにおいしさが倍増する感じがしました。

漁業に従事する方々にとっては、魚も、ウニも、ホヤも、ワカメも順調に育ち漁ができるようになり、その思いが海鮮丼に
盛り込まれているような印象がありました。

高台から志津川湾を見下ろすと、以前と同じように養殖イカダが整然と並んでいる様子を見ることができます。

復興から未来に向けた再生へと、町の発展とそこに暮らす人々の幸せを心から願わずにはいられません。

昼食を食べた店は、震災前に新たにつくられた料亭でした。
そこのおかみさんが、妻が入院中に同室だった方で、料亭経営を通しての苦労や熱い思いを聴いていたとのこと。
その料亭が震災の津波で流され、再起の思いを込めて仮設商店街に店を構えていたのです。

この仮設商店街のそれぞれの店の経営者も、同様に再起の思いを込めて店の経営にあたっているのだと思います。

仮設の店に留まるのでなく、新たな町づくりの一翼を担い、新たな場所で新たなスタートを切りたいという夢を描いていることと
思います。

かっての町の面影は流されて消えてしまいましたが、そういった未来にかける夢や願いが 具体的な形となり新たな町づくりが
進んでいくことを心から願います。

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子ども科学 電話相談を聴きながら

2015-07-25 22:11:30 | 日記
楽しみにしているラジオ番組が、夏休みのスタートに合わせて始まりました。
NHKラジオの「子ども科学 電話相談」です。時間帯は、平日の午前中(8:00~)です。

これまで聴いたところでは、幼稚園の年長から中学生までの子どもたちが、心と体を含めた科学のさまざまな分野について
質問し、それぞれの分野の専門家の先生から回答してもらっているようです。

何より楽しいのは、子どもたちの素朴で本質的な疑問の内容です。

アサガオのつるがどんなふうにして支えに巻きつくのか、織姫と彦星は人間なのか宇宙人なのか、アフリカの広い草原で育った
ゾウは、せまい動物園のオリの中でストレスを感じないのか、同じ昆虫なのに完全変態をするものと不完全変態をするものがいる
のはなぜか、……等。

これらの疑問に対して、ていねいに 言葉を選びながら わかりやすく 誠実に答える 回答者の先生方の答えがまた、いいいのです。
専門家としての知識や考えをフル動員しながら答えていることが、心を温かくしてくれます。
科学の本質を理解しているからこそそれをかみ砕いて わかってもらえるように話しているところに、教育者としての原点を感じます。

電話でのやりとりを通したラジオ番組ですから、絵や写真で説明はできません。すべて言葉が理解の源泉なのです。

パソコンなどの機器を活用した教育活動が、学校の中で行われるようになってきました。
言葉よりも 視覚的にとらえられる 映像や図を通して、子どもたちの学習が理解しやすくなってきたのは確かです。
しかし 同時に、それは 言葉による理解や思考を 安易にし、言葉への信頼を見失う 側面をつくっているのかもしれません。

この番組を通しての 子どもと専門家のやりとりに、私は 言葉を通しての 教育の原点を痛感するのです。

言葉は、その表現されたものを通して、聴き手の想像力に働きかけ、絵(映像)を描き、意味するものを理解できる道具です。
映像などで視覚的に理解させるものではなく、聴き手の思考にそった形で絵と意味するものを提示できる すぐれものです。
しかも目に見えない感情(驚きや喜怒哀楽)まで、伝えることができます。
電話でのやりとりは、文書化された言葉とは異なり、その時の感情も含めた血の通った交流となります。

この番組は、言葉の本来持っている可能性と力とを 実感するひとときでもあるのです。

是非、機会があったら 耳を傾けてほしいと思います。

今日は、どんな疑問が出されて、どんな回答がされるのか、わくわくする思いを体感していただけたらと思います。

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道徳の教科化に対する不安

2015-07-24 07:42:37 | 日記
2018年以降、小中学校の道徳が正式な教科に格上げされるのに向けて、文科省の諮問機関「教科用図書検定調査審議会」が、
教科書検定の基準案を了承したとのこと。この基準案に沿って、これまでの副読本ではなく教科書が作成されることになります。

安倍政権になって、教科書検定のルールが「愛国心」などを盛り込んだ教育基本法に照らして欠陥があると見なされた場合は、
不合格になるとされ、道徳の教科化の流れも含め、教育の内容や方向性まで政権の意向に沿った形で動いている印象があります。

愛国心が満たされた内容であるかどうかは、誰が どんな形で判断するのでしょうか。
そもそも、愛国心をどう定義するのでしょうか。
国際化した今の世界で必要なのは、愛国心という狭い領域に留まるのではなく、同じ地球に住む同胞として世界の人々との信頼や
交流を通した相互理解に 努めることなのではないでしょうか。
その考えに立って愛国心をとらえるなら、自国を愛する思いは、そこに住む国民誰もが抱く 故郷や文化・伝統や歴史によせる
心情ととらえることができます。
しかし、そこに違いや優位性のみを強調してしまうと、偏ったナショナリズムに結びつく危険性があります。
そんな不安を抱いてしまう状況なのではないかと考えてしまいます。

「読み物道徳」から「考え、議論する道徳」へと、文科省はその方向性を宣伝しているようです。
しかし、教科扱いとなることでその評価はどう進めていくことになるのでしょうか。
自分なりの考えを持ち、意見発表できるという 態度面で評価しきれるものなのでしょうか。
考えや意見発表の内容について、取り上げる項目(愛国心等)に照らして評価することになるのではないでしょうか。
見えない心の内にあるものを評価すること自体に無理があり、特定の考えや価値観が押し付けられていくのではないかと不安に
なります。
検定基準案では、そのため子どもたちが多面的に考えられるような配慮を教科書会社に求めているとのことですが、果たしてどんな
教科書がつくられていくのでしょうか。
指導方法や評価の在り方も含め、作成される教科書の内容に注目していきたいと思います。

道徳が教科扱いとなることで、心の教育という美名のもとで、子どもたちの心の中に土足で踏み込んでいく指導が強化されたり、特定
の考えや価値観が押し付けられたりするような事態に陥らないようにしていく必要があります。

学びの主体となる 子どもたちの人権や個性、感性を尊重し、多面的なものの見方や感じ方、考え方を育み、豊かな人間性を自ら磨い
ていけるような 教育の方向性であってほしいものです。

安保法案を巡る独善的な憲法解釈と共に、教育の分野にまで 政権の意向がゆがんだ形で浸透していることに、大きな不安を感じます。

ここまで露骨に権力という流れに乗って、変えられていいものなのかどうか。

濁流のような流れが、これまで築きあげられてきた 大切な礎を さまざまな分野で 押し流しているような印象があります。

どこかで歯止めをかけないと、未来はますます暗雲に覆われてしまうような気がしてなりません。

立ち止まって 改めて、縦糸と横糸を視野に入れ 多面的に 未来を見据えていく必要がありそうです。
未来を子どもたちに受け渡していくのは、大人として果たさなければならない 何より重い責務と感じるものですから。

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絶品のトウモロコシ

2015-07-23 19:46:29 | 日記
自画自讃になってしまうかもしれません。

収穫を始めた今年のトウモロコシが、格別のおいしさです。
ひとつひとつの実がプチプチはじけそうな光沢があり、見ただけでもおいしそうな感じがします。
特に、収穫してすぐゆでて アツアツの状態で食べると、皮がみずみずしくやわらかで、トウモロコシ特有のあまさが
口の中いっぱいに広がります。
元来、トウモロコシ好きなのですが、今年の出来は格別で 多くの人に味わってもらいたいと思っています。
妻の職場と仮設住宅の方々に味わってもらえたらと考えています。

今年は、おひさまコーンという二種類の品種を植えたのですが、どちらも同様のおいしさです。
種から育てることを原則とし、発芽した苗をすべて畑に植えたので、今年はたくさんのトウモロコシが収穫できそうです。

コンパニオン・プランツで一緒に植えたエダマメも、おいしく、ビールの友として格好のつまみとなっています。
ここしばらくは、トウモロコシとエダマメが 私の準主食となりそうです。

昨年度から植え始めたモロッコインゲンも、収穫の時を迎えています。インゲンのうまみが凝集されたような味で、これも
おひたし、テンプラにしても美味です。見た目は、普通のインゲンに比べると平べったく大ぶりで不格好な形ですが、味は
インゲンの王様とも言えそうです。

キューリやズッキーニは、最盛期を過ぎつつあり、これからはナスやトマトが収穫期を迎えます。
スイカやメロンも、実が日々順調に大きく育っています。

ピーマンやオクラも、もう少しで収穫できそうです。

とは言え、難敵は雑草です。
野菜の成長を上回る勢いで成長するので、雑草との格闘は日々の課題となりそうです。
ナンキンマメなどは、雑草の勢いに負けそうなので、明日あたりから重点的に雑草との戦いに挑みたいと思っています。

定期的に敷地内の草刈は続けているのですが、その素早い成長サイクルには閉口してしまいます。

先日、草刈をしながら気づいたことがありました。
イタドリなど草丈の高い植物の枝や葉に、セミの抜け殻がついていたのです。
幼虫が羽化するのに、格好の支えとなっているのですね。
草刈を終えた後に、ふと これから羽化するセミの支えを奪ってしまったのではと、申し訳ない思いも感じました。

自然との仲の良い共存のあり方も考えながら、雑草や害虫たちとの適度なかかわりを模索していきたいと思います。
収穫と味わいの喜び、自然の恵みへの感謝の気持ちも忘れずに、楽農に取り組んでいけたらと思っています。
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