脳腫瘍と診断された子どもの新聞記事を読みながら,ある詩を思い出しました。亡くなった我が子へのいとおしい思いを書いた中原中也の詩です。記事の内容と中也の詩を,次に紹介したいと思います。
陸玖(りく)君(5歳)は,2008年4月に,腫瘍が脳内に転移していることが分かり,再入院しました。脳のすき間にある髄液がうまく流れず,液がたまって頭痛を起こしていました。水頭症と呼ばれる状態でした。頭から管を通し,たまった液をおなかに流す手術をした結果,頭痛は治まりました。ところが退院を控え,点滴に変わって錠剤の服用を始めるようになると,容体が悪化し,食べ物が飲み込みづらくなったり,ろれつが回らなくなったり,物を持てなくなったりするようになります。それでも,陸玖君の家へ帰りたいという願いもあり,5月3日に退院することになりました。陸玖君は大喜びしましたが,母は残された時間が長くないことを感じます。
家では手足に力が入らず,日常生活や遊びなどがうまくできず,時々「できないよー」と声を上げることがあったようです。楽しみは食べることで,食べたいものを母にリクエストしてつくってもらったり,外食に出かけたり,5月半ばには念願のディズニーランドにも出かけることができたようです。下旬には頭痛がひどくなったものの,陸玖君の希望で祖父母やいとこも含め10名で1泊2日の温泉旅行にも出かけました。
6月3日に水頭症が再発し,再入院することになります。手術も効果がなく,腫瘍の細胞があちこちに飛んでいました。その数日後,全身が激しくけいれんし,薬で抑えた後,主治医が「その時が来たら,人工呼吸器を着けますか」と親に聞いてきました。母は,「その時」をずっと意識してはいたものの,現実感はなく,「ここで終わりにはできない」と思います。そして夫婦で延命治療を選択します。
我が子をみとるのは,とても辛く苦しく悲しいことだと思います。親としての無念の思いを,延命治療を選択する決心の内に感じます。子どもの幸せな時が,親が幸せな時でもあります。しかし,親に先立つ我が子の死は,親を辛い悲しみの底に落としてしまいます。
中原中也は,愛する我が子を失った思いを,次のような詩にしています。
また来ん春・・・
中原 中也
また来ん春と人は云ふ / しかし私は辛いのだ
春が来たって何になる / あの子が返って来るぢゃない
おもへば今年の五月には / おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)と云ひ / 鳥を見せても猫(にゃあ)だった
最後に見せた鹿だけは / 角によっぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
ほんにおまへもあの時は / 此の世の光のただ中に
立って眺めてゐたっけが・・・
我が子の存在は,春そのものでもあったのかもしれません。しかし,春が来ても,我が子を抱き上げた時の温もりも重さも感じることはできないのです。いろんな動物を見ては猫(にゃあ)と呼んだあの声も,もう耳にすることができません。自分の足で立って何も云わず鹿を眺めていたあの姿を見ることはできないのです。此の世の光を一身に受け,確かに生きたその姿を,作者は忘れることはないでしょう。心の中にしっかりと焼きついた我が子の姿は,何度も何度もよみがえってくるのではないかと思います。
誰からも愛されながら此の世を去ってしまう 幼い命の はかなさ・尊さ・重さ・輝き・大切さ・かけがえのなさを 強く感じてます。
幼い命が,決して消えることはなく,死とは無縁の状態で 途切れることなく輝き続けることを切に願います。