あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

サッカー アジア杯優勝 おめでとう

2011-01-30 09:27:50 | インポート

サッカーの日本チームが,見事優勝でアジア杯の戦いを締めくくることができました。

何度か相手オーストラリアに決定的なチャンスをつくられながらも,GK川島選手の好セーブ等もあり,守り抜くことができました。選手交替も効果的で,ゲームを見通すザッケローニ監督の確かな手腕を感じました。延長戦の後半で,交替したばかりの李選手が,長友選手のクロスを絵に描いたようなボレーシュートで決め,待望の1点をあげることができました。この得点が,優勝を決めたゴールになりました。

表彰式での選手やスタッフのリラックスしたすがすがしい笑顔に,チーム一丸となって戦ってきた充実感や満足感が感じられました。選手たちの手に,負傷して出られなくなった香川選手や松井選手等のユニホームもあり,出られなかった選手の悔しい思いも汲み取って戦い,表彰式にも臨む姿に,チームのすばらしい一体感も感じました。

MVPを獲得した本田選手の言葉が,日本のチームワークを端的に表現しているように感じました。

「この賞はチームメートとスタッフに捧げたい。みんながいなければもらえなかった。」

一人がみんなと みんなが一人となり 心が一つに結びついて勝ち取った優勝だったと思います。心を込めて『優勝,おめでとう!』の言葉をおくりたいと思います。

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幼い命のことを考えました ~新聞記事と詩を通して~

2011-01-28 17:45:35 | インポート

脳腫瘍と診断された子どもの新聞記事を読みながら,ある詩を思い出しました。亡くなった我が子へのいとおしい思いを書いた中原中也の詩です。記事の内容と中也の詩を,次に紹介したいと思います。

陸玖(りく)君(5歳)は,2008年4月に,腫瘍が脳内に転移していることが分かり,再入院しました。脳のすき間にある髄液がうまく流れず,液がたまって頭痛を起こしていました。水頭症と呼ばれる状態でした。頭から管を通し,たまった液をおなかに流す手術をした結果,頭痛は治まりました。ところが退院を控え,点滴に変わって錠剤の服用を始めるようになると,容体が悪化し,食べ物が飲み込みづらくなったり,ろれつが回らなくなったり,物を持てなくなったりするようになります。それでも,陸玖君の家へ帰りたいという願いもあり,5月3日に退院することになりました。陸玖君は大喜びしましたが,母は残された時間が長くないことを感じます。

家では手足に力が入らず,日常生活や遊びなどがうまくできず,時々「できないよー」と声を上げることがあったようです。楽しみは食べることで,食べたいものを母にリクエストしてつくってもらったり,外食に出かけたり,5月半ばには念願のディズニーランドにも出かけることができたようです。下旬には頭痛がひどくなったものの,陸玖君の希望で祖父母やいとこも含め10名で1泊2日の温泉旅行にも出かけました。

6月3日に水頭症が再発し,再入院することになります。手術も効果がなく,腫瘍の細胞があちこちに飛んでいました。その数日後,全身が激しくけいれんし,薬で抑えた後,主治医が「その時が来たら,人工呼吸器を着けますか」と親に聞いてきました。母は,「その時」をずっと意識してはいたものの,現実感はなく,「ここで終わりにはできない」と思います。そして夫婦で延命治療を選択します。

我が子をみとるのは,とても辛く苦しく悲しいことだと思います。親としての無念の思いを,延命治療を選択する決心の内に感じます。子どもの幸せな時が,親が幸せな時でもあります。しかし,親に先立つ我が子の死は,親を辛い悲しみの底に落としてしまいます。

中原中也は,愛する我が子を失った思いを,次のような詩にしています。

         また来ん春・・・

                       中原 中也

また来ん春と人は云ふ / しかし私は辛いのだ

春が来たって何になる / あの子が返って来るぢゃない

   おもへば今年の五月には / おまへを抱いて動物園

   象を見せても猫(にゃあ)と云ひ / 鳥を見せても猫(にゃあ)だった

      最後に見せた鹿だけは / 角によっぽど惹かれてか

      何とも云はず 眺めてた

         ほんにおまへもあの時は / 此の世の光のただ中に 

         立って眺めてゐたっけが・・・

我が子の存在は,春そのものでもあったのかもしれません。しかし,春が来ても,我が子を抱き上げた時の温もりも重さも感じることはできないのです。いろんな動物を見ては猫(にゃあ)と呼んだあの声も,もう耳にすることができません。自分の足で立って何も云わず鹿を眺めていたあの姿を見ることはできないのです。此の世の光を一身に受け,確かに生きたその姿を,作者は忘れることはないでしょう。心の中にしっかりと焼きついた我が子の姿は,何度も何度もよみがえってくるのではないかと思います。

誰からも愛されながら此の世を去ってしまう 幼い命の はかなさ・尊さ・重さ・輝き・大切さ・かけがえのなさを 強く感じてます。

幼い命が,決して消えることはなく,死とは無縁の状態で 途切れることなく輝き続けることを切に願います。

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雪の花が満開です!

2011-01-27 23:11:00 | インポート

フォトアルバムにも載せてありますが,木々の枝や葉の上に積もった雪が,純白の花が咲いたようにきれいに見えます。白い花の向こうに,澄んだ青空が広がっていると,そのコントラストがより一層見事で,寒さも忘れて見とれてしまいます。

空の青さも,晩秋の頃の深い色合いから少しずつ透明感のある明るい青に変わってきている印象があります。雪の持つ明るさと空の抱える明るさが,心の内まで明るくしてくれるような感じがします。

葉の上に積もった雪が,一枚一枚の葉の形をなぞるように白く縁取ります。低い気温だったため雪は氷状に固まり,まるで葉が花のように見えます。太陽の光が当たると,キラキラ輝き,とてもきれいです。

寒いのは本当は嫌いです。でも,雪が降って寒ければ雪の花の咲く景色を見ることができます。晴れていれば,雪の花の向こうに大好きな青空も見ることができます。遠くの山々も鮮やかに見えます。だから,寒いのも少しは好きになってきました。

厳しい寒さも日曜日頃まで続くそうですが,2月に入ると徐々に平年並みの寒さに戻り,3月は平年より暖かくなるとのことです。来週は,文字通り立春を体感できそうです。春が訪れる前に,冬の名残の美しさをしっかりと味わっておきたいものです。125_016 125_019 125_020 125_022

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サッカー いよいよ決勝へ

2011-01-26 20:45:53 | インポート

昨晩は,サッカー応援に熱中しました。前半,韓国には1点を先行されましたが,組織的な連携プレーがすばらしく日本チームが押し気味だったので,いつかは同点,さらには逆転してくれるものと余裕をもって見ていました。予想通り同点になったものの,後半は前半での戦いを忘れたように少し押され気味になりました。両チーム得点が入らず,延長戦となった時点では,ハラハラドキドキの連続でした。PKで1点いれ2:1になった時には,これで勝利は確実かなと思いました。

しかし,さすが韓国です。最後まであきらめずに攻め続け,見事同点に追いつきました。終了間際での同点であり,追いついた韓国の方には勢いもあり,このままPK戦での決着となった時には,負けるかもしれないと思いました。でも,結果的には,決めるべき人がPKを決め,GK川島選手のすばらしい大活躍もあり,劇的な勝利をおさめることができ,心から感動したゲームでした。

決勝は,オーストラリアと戦うことになりますが,韓国戦の前半で見せたような流れるような組織プレーを最後まで展開し,是非アジアカップを獲得してほしいと思います。決勝戦は,29日の午後11時頃に開催されるとのことですので,最後の応援もしっかりと頑張りたいと思います。

◇孤族の国 第2部 家族代行 のシリーズが 始まりました

新聞では,新たに第2部の連載がスタートしました。一人で生きる人を,NPO法人等が本人の依頼で家族のように代行してサポートする状況を取り上げた記事となっています。依頼者の家族となって,買い物や部屋の掃除,病院への送迎等をはじめ,最終的にはみとりや葬儀の世話,持ち物や遺骨の管理までサポートするところもあるようです。また,一人暮らしをする人の家族が,身近で世話が出来ないために,家族の代行として,NPO等に具体的なサポートをお願いするケースもあるようです。

これからは,高齢化社会への道と並行するように,孤族の国への道を歩んでいくことになることと思います。これらの社会的変化を視野に入れ,今後の自らの生き方や在り方をじっくり考える機会としていきたいものです。

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ラジオを聴いて感動したこと

2011-01-25 21:47:20 | インポート

 今日,ラジオを聴きながら涙ぐんでしまいました。NHKのラジオビタミンという番組の中に,ときめきインタビューというコーナーがあり,ゲストの方の話が心を打つ内容だったのです。

 ゲストは,車イスバスケットボールプレイヤーの京谷和幸さん(40歳)と奥様の陽子さんでした。和幸さんは,以前は元Jリーガーでジェフ市原の選手でした。高校時代から全国的にも名前の知られたプレーヤーで,将来を期待されたサッカー選手でした。ところが,22歳の時に交通事故に合い,サッカーはもちろんのこと歩くことさえできない体になってしまったのです。この事故に合った日は,結婚式を間近に控えた衣装合わせの日だったそうです。陽子さんにとっては,幸せな気分が一気に吹き飛ぶ出来事でした。手術を終えた担当医からは,歩けない体になるかもしれないという話も受けたとのこと。

 入院して間もなく,陽子さんは自分が入籍したいことを和幸さんに求めます。つまり,これからの人生を和幸さんと共に生きることを決心したのです。この決意が,やがて和幸さんを救うことになります。担当医から,歩くことのできない体であることを告げられた時に,和幸さんは医者の言葉が信じられず,サッカーがもうできないことに絶望を感じて泣きあかします。そして,気づきます。こんな体の自分と共に生きることを決意し,入籍してくれた陽子さんの深い愛に。陽子さんのためにも,しっかり生きなければならないと,和幸さん自身も決心したそうです。

 入籍した翌年に二人は結婚式をあげます。どんなカップルにも負けない,深い愛と絆で結ばれた,二人で生きる人生のスタートだったのではないかと思いました。陽子さんの決意や和幸さんの苦しい思いなどを聴いていると自然と涙が出てきました。そして,この二人なら,どんな苦労や哀しみも手を取り合って乗り越えていくだろうなあと感じました。

 その後,和幸さんは仕事の傍ら,94年から車いすバスケットボールの千葉ホークスに所属,パラリンピック出場を夢に厳しいトレーニングを続け,2000年のシドニー,04年のアテネ,08年の北京とパラリンピック出場を果たしました。今は,二人の子の父親でもあります。

 涙ぐんだものの,雨上がりの後の空のようなさわやかな気持ちになりました。一生懸命生きるということの大切さを感じたひとときでもありました。

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