あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

白菜のお浸し

2020-04-29 12:04:24 | 日記
ものぐさな私が畑仕事を始めるようになってから10年余り。

ある時、畑に取り残したハクサイ・キャベツが、春になり菜の花を咲かせている様子に驚いたことがありました。
調べてみると、同じアブラナ科の仲間なのですね。
その花が咲く前のやわらかな花芽を摘み取り、妻がお浸しにしたものを味わって、さらに感動を覚えました。
固まった葉を野菜として味わう時期とは異なる美味しさであり、その素朴な味覚に春を感じたからです。
妻の味覚によれば、ハクサイとキャベツにはそれぞれの個性(味わい)があり、どちらかといえばハクサイの方がくせがなく美味であるとのこと。
以来、この時期になると、毎日のようにハクサイ・キャベツ(今年はコマツナも加わり、裏の空き地の正体不明の菜の花も)のお浸しを味わっています。
キャベツなどは、収穫した後でも根が残っていれば、暖かくなるにつれてそこから新しい葉が顔を出し、固まらずに真っ直ぐ伸びて菜の花を咲かせます。
そのたくましさに感心すると同時に、野菜たちが新たな恵みをこうして与えてくれることに感謝しています。

畑の草取りをしていたら、ツクシが一本『こんにちは』と語りかけるように、直立しています。
そのまっすぐさに笑ってしまいました。これでは、草取りの対象外にせずにはいられませんでした。

コロナ禍のため、今年はものぐさな私でも、農作業に取り組む時間が増えそうです。

〇ハクサイ


〇キャベツ


〇コマツナ


〇ツクシ

子どもの詩(言葉)から

2020-04-27 15:30:40 | 日記
子どもの詩【日本作文の会編集 小学校詩の本 1年生】から

  子どもの詩を読むと、ほのぼのとした気持ちになります。
  その豊かな感性に、心が やさしく揺さぶられるからでしょうか。
  コロナ禍にあっても、子どもたちには そのみずみずしい感性を大切に持ち続けてほしいと思います。
  今回は、日本と外国の子どもたちの感性にふれる 詩(言葉)を取り上げてみました。
 
    しゅくだい
            1年  かわの しょうこ 
  みのわせんせい
  よく しゅくだい だすね。
  いちど
  「アイスクリーム 食べなさい」って
  しゅくだい
  ださないかな。

漢字や計算の宿題ではなく、こんなおいしい宿題が出されたら、誰でも喜んで取り組むことができそうです。
みのわ先生に代わってアイスクリームの宿題を出してあげたくなりました。

    ちょう
            1年 こばやし まき
  ちょうが いもむしからでてきよる。
  はねがかたまって
  まるまっちょった。
  くしゃくしゃのはねが
  ゆっくりゆっくりのびた。
  すごくながいまえあしで、
  からだをふんばって
  いっしょうけんめいでよる。
  ストローみたいな口が
  ぴゅっぴゅっぴゅってふるえた。
  がんばれ がんばれ
  いうておうえんしたよ。

ちょうが頑張って羽化する様子をじっと見守っていたんですね。
「がんばれ がんばれ」の応援の声は、きっと ちょうにも届いたことと思います。


    かぜになって
            1年 あじの ゆきお
  かぜになったら、
  かあちゃん かせいでっとこさ いって
  あせ ひっこめて やんだ。
  すっと(すると) 
  うんと かせがれっぞい。

お母さんが汗一杯になって働いているのを知っているから、涼しい風になってあげたいんですね。
とっても涼しくて優しい風が、お母さんの汗を吹き飛ばしたことでしょう。

外国の子どもたちの詩(言葉)【神様への手紙 谷川俊太郎訳】

 〇 かみさま 
   どうして よる おひさまを どけてしまうのですか?
   いちばん ひつような ときなのに。  (バーバラ 7才)

 〇 あなたは どうして じぶんが かみさまだって わかったんですか?
                      (シャーリーン)

 〇 かみさま どうして いちども テレビに でないの?
                      (キム)

 〇 かみさま、
   きんようから 2しゅうかん、なつやすみのりょこうに でるので、
   きょうかいに いけません。
   かえってくるまで きょうかいで まっててね。
   あなたは いつ おやすみを とるんですか?
   さよなら               (ドニー)


子どもたちの質問に、神様はなんと答えるでしょうか?
神様の答えを 是非 聞いてみたくなりました。


 新型コロナの感染拡大に伴い、学校が長い間休校となり、子どもたちは学ぶ場も友達と遊ぶ場も失われる状況下にあります。
特に入学を心待ちにしていた1年生にとっては、待ち望んでいた学校生活が遠ざかり、残念な思いでいっぱいでしょう。
 来年の受験を控えた子どもたち、部活動に懸命に取り組んできた子どもたちも含め、多くの子どもたちが、一日も早い学校再開を心から望んでいることと思います。
 子どもたちの学びや生活を支援しようと、たくさんの方々がネットやテレビ等を活用し、さまざまな支援に取り組んでいるとのこと、子どもたちへの何よりの心強い応援だと思います。
 昨日の新聞には、担任が子どもたち一人一人に毎日メールを送り、子どもたちによりそいながら支援する取り組みが紹介されていました。
離れていても、教室にいる時のように子どもたちとの関係を大切にし、学習や生活面でのサポートを継続することで、子どもたちは学校や担任とのつながりを強く意識するようになることと思います。記事によれば、子どもたちもメールが届くのを楽しみに待っているようです。
 こういった子どもたち個々への支援が、これからとても大切になってくるのではないかと感じます。
 電話相談の経験から、メールと同様に電話でのやりとりも有効なのではないかと感じます。
一方的ではなく、双方向に開かれた形で話ができますし、子どもたちが今抱えている悩みや思いにも耳を傾け、相談相手になることもできます。
 自由に外に出ることもできず、友だちとの交流もできない子どもたちにとって、抱え込むストレスは大きくなる一方かもしれません。
その意味でも、家庭でも 離れた学校でも、子どもたちが安心できる心の居場所が必要なのだと思います。
 不要不急の外出制限の中、家庭での子どもたちの世話をする親の方々の負担もさぞかし大きいことと思います。
 家庭での日々のふれあいが、親子にとって笑顔あふれる心安らぐひとときでありますように!


春の訪れ 樹の花

2020-04-23 19:27:50 | 日記
シャクナゲと洋ナシの花が、咲き始めました。






シャクナゲは、まるで押し合うようににぎやかに咲いています。
そんなにくっつき合うとコロナ感染が…。
人間界の心配事もどこ吹く風。
青い空を背景に、あっちこっちで花同士があいさつを交わしているような…。
つぼみの段階では 赤ちゃんのようにピンク色に染まり、花が開くと純白の乙女のような可憐な装いとなります。
調べてみると、花言葉は 「威厳」「荘厳」「危険」。
私には もっと身近な存在で 親しみやすい 「純粋」「乙女」「夢」といったイメージなのですが…





ナシの花言葉は 「愛情」。
純白の花びらの中に、赤く染まったおしべが点在し、まるで恥じらう乙女といった印象があります。
慎み深い愛情を持った花なのかもしれません。
見上げると、無数の白花が気持ちよさそうに風に揺れています。
花の向こうの青い空も揺れているような…。
 
こうやって 春は、いろんな色や表情を 花に託して 通り過ぎていくのでしょうか。

谷川俊太郎詩集から

2020-04-22 17:17:02 | 日記



      川
              谷川俊太郎

   母さん
   川はどうして笑っているの
  太陽が川をくすぐるからよ

   母さん
   川はどうして歌っているの
  雲雀が川の声をほめたから

   母さん
   川はどうして冷たいの
  いつか雪に愛された思い出に

   母さん
   川はいくつになったの
  いつまでも若い春とおないどし

   母さん
   川はどうして休まないの
  それはね海の母さんが
  川の帰りを待っているのよ

川のそばの草むらに 仲良く腰を下ろしている 母と子。
流れを見ながら よりそうように 語り合っています。  
あたたかい春の光が その二人を 包みこむように輝いています。

子どもにとって 川は、自分と同じように 笑い・歌う 存在なのでしょうか。
くすぐられて笑ったり ほめられて歌ったりする ような…。

子どもの問いかけに答える 母の言葉に、川と我が子を重ねる 優しくあたたかい母の思いを感じます。
くすぐっているのが 太陽で、ほめているのが 雲雀であることから、川の情景まで見えてきます。
太陽の光を受けてきらきらと輝く水面、その上空で 輪を描くように高く舞う雲雀の姿やさえずり…。

三連の母の答えを 子どもはどう受け止めたのでしょうか。
川の水の冷たさは、川が生まれた時から 忘れないで大切に持っているもの。
それが、「雪に愛された思い出」という母の言葉で、雪が溶けて川の始まりとなる源流の景色が見えてきます。
雪に包まれた山々。
春の訪れとともにその雪が溶け始め、一つ一つのしずくが集まり小さな流れとなって山を下り、それが川の始まりなのでしょうか。
川の冷たさは、川になる前の 雪との思い出。
「雪に愛された」という言葉を通して、子どもは、こう感じ取ったのかもしれません。
愛されたことを忘れないでいるために冷たいのだ。自分が母から愛されているように。

四連で 子どもは、思い出を大切にしながら流れている川を見て、「川はいくつになったの」と尋ねます。
「いつまでも若い春とおないどし」という母の答えに、子どもは 自分と同じぐらいの歳と 感じたのかもしれません。
雪の思い出とともに 生まれた川が 山を下り 次から次へと 決して途切れることなく 流れ続けていることに、若い春を感じたのかもしれません。     
同時に、「母さんもいつまでも若い春のままで」と 思ったのかもしれません。

五連で 子どもは、流れ続ける川は いつ休むの? と 問います。
「それはね海の母さんが 川の帰りを待っているのよ」  
母の答えに、子どもは 自分の帰る場所とおんなじだと思って 安心したことでしょう。

川の帰りを海の母さんが待っているのですから、川は海で生まれ、やがて水蒸気となって雲になり、雪となって山に下り、雪解けの季節に合わせて川となって 
海の母さんのもとに帰るのでしょうか。
そうやって 人間が誕生する前から、繰り返し 川は 若い春と同じように 新たに生まれ 新たな流れとなって 海の母さんのもとに帰ってきたのかもしれません。
ある意味で、川は人生そのものでもあるのかもしれません。
一つの川となって流れていく中で、さまざまなものと出会い、別れ、時には笑い、歌いながら、愛された思い出と愛した思い出を胸に、海の母さんのもとに帰る旅。

自分が子どもだったころは、母とどんな話をしただろうか…
そんななつかしい思い出の中に 自分を導いてくれるような詩です。

まど みちお 詩集から

2020-04-18 17:18:40 | 日記


まど みちお詩集 植物のうた 銀河社発行 より

       梢
                 まど みちお

   かぞえきれないほどの
   はっぱに なって
   おしあいで 空をさわっている

   さっきまで
   じめんの下の くらやみにねて
   空へのゆめばかり みていた水が
   根から幹へ
   幹から枝へ
   枝から梢へと のぼりつめて いま

   むかし 雲だったころに
   まっさおに そまって
   走ったり ねころんだりした
   空を

   虹だったころに
   あふれる やさしさで
   リボンをむすんだ
   空を

   雨だったころに
   胸 とどろかせて
   スカイダイビングした
   空を

   さわっても さわっても
   さわりきれないもののように


担任だったころに 「空からの落とし物」という劇に 子どもたちと 取り組んだことがありました。

空の国の宝物を、あわてんぼうの家来がうっかり下の世界に落としてしまいます。
それは、空を塗り替える魔法の大筆でした。
空の国の王様は、その筆を取り戻す役目を、下の世界に降りることのできる雨の小人たちに頼みます。

筆が落ちたのは、虫たちが楽しく平和に暮らす野原でした。
生きているのか・死んでいるのかわからない その不思議なものを見つけ、大騒ぎとなります。
そこに小鳥がやってきて、それは空から落ちてきたものだと話します。
そこに雨の小人たちがやってきて、落とし物が空の国の大切な宝物で、それを探しに空からやってきたことを話します。
その話を聞いて、虫たちは それだったらと、雨たちをその宝物を見つけたところに案内します。
ところが、その宝物をおいしいごちそうだと思った大毛虫が、力づくで横取りしてしまいます。
雨たちががっかり気を落とします。
その様子を見た虫たちは、一緒に宝物を取り戻そうと雨たちを元気づけます。
カブトムシやクワガタといった力の強い虫やたくさんの虫たちの手助けもあって、やっとのことで大毛虫から宝物を取り返します。

雨たちは虫たちに心から感謝し、そのお礼に この宝物の筆で 見たこともないようなきれいな夕焼けを描くことを約束します。
雨たちは、みんなで筆を背負い、虹の橋を渡りながら空の国に帰っていきます。
やがて、野原で空を見上げていた虫たちは、これまでで一番きれいな燃えるような夕焼けを見て、大喜びします。


空への憧れは、今でも続いています。
まどさんの詩にあるように、
「さわっても さわっても さわりきれないもののように」

その遠さがあるから 憧れることをやめることはできないのかもしれません。