京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

マクニールの『疫病と世界史』を読む

2020年06月13日 | 環境と健康

 本書はWilliam H. McNeil『Plaques and peoples』(1976)の日本語訳である(佐々木昭夫訳、中央文庫)。この書は人類における感染史の教科書といえるもので、この分野の研究者の必読本となっている。

  エルナンド・コルテスが、たった600人の部下の軍隊で数百万の民を擁するアステカ帝国を滅ぼすことが出来たのは、彼らが持ち込んだ天然痘であったという説はマクニールを嚆矢とする。同様のことを述べたジャレッド・ダイアモンドの有名な『Gun, Germs and Stell』(銃、病原菌、鉄)は1997年に刊行されたものである。

 マクニールは人類の歴史を貫く二つの太い糸として「マクロの寄生」と「ミクロの寄生」を考える。マクロ寄生とは支配者による社会的収奪であり、ミクロ寄生とは微生物による生物的消耗のことである。この二つの系の織りなす様々な歴史的な事件が、世界の人口や文明の消長を支配してきた。本書では、熱帯林でくらしていた人類の祖先から、現代人にいたるまで、疫病の物語が滔々と展開する。ここでは、興味深い考察をいくつかピックアップしてみた。

 

1)インドのカースト制は感染症対策のソシアルディスタンスだった。

 古代インドでは文明化した部族と森にすむ部族が棲み分けていた。一般的には、辺境の部族は文明の進んだ部族にいつのまにか”消化吸収”され混然融和されてしまうのだが、ここではそうならなかった。高温多湿な熱帯雨林での疫病が、文明の侵入を許さなかったからである。こういった生態的な背景があったので、インドでは、森の部族の人々を隔離された下層カーストとして組み入れる特殊な社会が形成された。そして、カーストの枠として身体的接触を忌諱する不可触賤民を形成した。どの社会でも、感染症の発生頻度の多い職業が、地理的な隔離をうけておのずと被差別地区へと変遷する歴史的な経緯があったのではないか?これは、単に嫌悪感からくる社会的差別感情だけで出来たものではなく、森の部族からの感染菌による疫病へのおそれが重要な動機としてあったする。文明化された都市の住民も、それなりに病原菌を持っていたろうから、このことは逆に森出身の人の防疫にもなった。

最近、インドではCovid-19のために、大都市のロックダウンが行われた。そうすると数百万もの森や村から来ていた人々が、一斉に都市を離れて故郷に逃げ帰った。彼らは都市で定着した生活を営んでいたのではなかった。

 

2)19世紀のフランス陸軍では田舎から来た兵士の方が都会の兵士より病死率が高かった。

田舎出身の身体強健な青年よりも都会の栄養不良で虚弱な青年の方が感染症になりにくかった。都会では、ほとんどの住民が子供の頃に多くの感染症(麻疹、疱瘡、おたふく風邪、百日咳など)に罹り、軽くすんで免疫を獲得していたが、田舎では大人になるまでその経験がなかったからである。現在はワクチンのおかげでそのような違いは見られないが、新型感染症ではそのようなことが将来おこる可能性がある。

 

3)生涯身体で生き残る病原菌

 抗体ができても数年間、いや終生、宿主の体内に病原体が残存する感染症がある。「腸チフスの料理人メアリー」の話しは有名である。彼女は症状が出なかったが、知らずにチフス菌をばらまいて他人にひどい感染をおこしたスパーブレッダーであった。菌にとっては、宿所で生き残るための隠れ戦術といえる。メアリーの場合は、胆のうにチフス菌が巣くっていたそうだ。

我々も大抵、子供の頃に罹った水疱瘡のヘルペスウィルスを終生、身体に保持している。これは実に50年以上も、遠心性神経組織に潜んでおり、体調が悪くなると成人病の一種である帯状疱疹となって発症する。Covid-19のSars-CoV-2がこういった隠れウィルスになるかどうかは、まだ分かっていない。結核菌も病後、長いあいだ体の一部で休眠のような状態で巣くっているとされる。

4) 中国における疫病史とCovid-19発生の背景

 中国の古代文明は黄河流域で発祥し、紀元前600年頃にはこの広大な氾濫原を利用した稲作が盛んに行われた。豊かな食糧の備蓄によって、戦国時代となり、紀元前221年に秦が天下に覇を唱えたが、短い内戦を経て漢帝国が成立し、実質400年にわたり全中国を支配した。そして黄河流域の華北を中心とする文明が華中、華南に進出しはじめたのは漢王朝の末期であった。肥沃な南への進出が遅れた理由は、その地にはやる疫病罹患が大きなリスクとなって、開拓者にのしかかってきたからである。

華北と華南は山岳地帯によって分断され、気候風土がまったく違っている。華北の疫病に適応し馴れてしまった人々にとって南方にはびこる恐るべき困難は、新たに遭遇する病原体(菌やウィルス)であった。司馬遷の史記に「揚子江江南の土地は低く気候が湿潤で成年男子は若くして死ぬ」と書かれている。南方に派遣された官吏の任期は著しく短く、そこで死亡する者の割合が高かった。三国志のクライマックスである「赤壁の戦い」で、南下した曹操の大軍は、呉と蜀の連合軍に破れたと演義には書かれているが、実は史実によると、曹操軍に蔓延した疫病(多分赤痢かチブス)のために、戦う前に撤退したらしい。

中国の南部でなんとか人口が維持できるようになるのは、10世紀の宋王朝になってからである。そこでの疫病に何度も打撃を受けながら、適応できた集団が淘汰されて、人口を増やしていった。

マクニールの本書には付録「中国における疫病」(クインシー・カレジッ極東史教授ジョゼフ・H・チャー編纂)がついている。これをみると中国の歴史は、どこかで感染が連続している。

 中国は広大な地域に膨大な人口を擁する多民族国家である。それは人文地理的に幾つかのブロックに別れており、そこでは、独自の遺伝子構成を備えた人々が、これまたその地に独特の感染微生物と共存してくらしている。それらは長い歴史的な経緯を経て共存しあって、いまやほとんど無害になったか、小児病として子供の頃に軽く感染するぐらいのものになっている。少し強情なものは、風土病となっているが、その地域では平衡状態になっていて、おおむね平和共存している。

 こういった安定状態にある多数のブロックを攪乱する事態が近代の中国に起こった。中国は近代化と経済発展を目指して、国土の隅々まで高速鉄道と道路網を張り巡らした。人、物および感染微生物の往来は無尽となり、多数のブロックコンテンツの無秩序なミックス(混合)が行われるようになった。各ブロックで、なんとか維持されていた調和は破壊されて、ある地域ではいままで経験しなかった微生物フローラに曝されるようになった。

今や中国の交通網の中心の一つである武漢で、Covid-19の原因ウィルスであるSars-Cov-2が発生したことは象徴的なことである。Peter Daszakによると20世紀に人類が経験した約500種の感染症の解析の結果、人口が密集し、道路が拡充され、森林が破壊され、農業の拡大により景観が変化した場所ほど、新たな病原菌が出現する頻度が大きいことが分かった。

(J.チウ「追跡新型コロナウィルスの起源;中国のコウモリ洞窟を探る」日経サイエンス 2020/07 p30-36)

5)防疫に役立つ迷信のはなし

昔、満州の部族は草原に棲むげっ歯類マーモセットについて、つぎのような禁忌を伝承していた。マーモセットは罠で捕らえてはいけない。弓矢か銃で捕らえよ。また動作の鈍いマーモセットに近づくな。マーモセットの集団に病気の兆候が出たら、テントをたたみ移動せよ。マーモセットはペストの保菌動物であるので、これらの伝承は防疫に役立った。

清朝が衰微して、漢民族が満州に入り込んで毛皮をとるために、むやみにマーモセットを捕獲した。当然の事のように中国人にペストが発生し、ハルピンから建設されたばかりの鉄道によって四方に広がった。迷信が大事な祖先の知恵を伝えていることもある例だ。

 

6)病原体の間に疫病競合がおこることがある

ハンセン病は中世における大きな感染病であった。これが14世紀以降激減した。この原因はそのころから流行り始めた結核と免疫競合したためではないかという説がある。結核菌と接触が、ハンセン症に対する部分的な免疫をもたらすものであることは、疑いようもないとマクニールは言う。Covid-19にBCG接種が部分免疫を示すのではないかという説と似ている。

 

追記1)2020/07/01

多くの国で一夫一妻制をとり、フリーセックスを社会的に排除してきたのは、淋病をはじめとする感染症を防止するためのものであった。アダム・クチャルスキーの「感染症の法則」(草思社2021)にそのようなことが書かれている。

 

 

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近代医学と自然治癒エコロジー派の相克

2020年06月13日 | 環境と健康

 近代医学を支える思想は特定病因論である。一つの病気には、それに対応する一つの原因があり、それを取り除けば病気は治るとする。インフルエンザに罹れば、抗ウィルス剤と解熱剤を投与して原因ウィルスを体内から駆逐すればよい。

一方、エコロジー派の人は次のように主張する。ヒトはもともと自然治癒力を備えているので、副作用のリスクのあるクスリは必要ない。子供が高熱を発すると、すぐに解熱剤を投与する傾向にあるが、風邪の発熱は体内に侵入した病原体を熱で弱らせるための防御手段である。下痢もまた、毒物を一刻も早く体内に排出する緊急措置である。それをクスリによって抑えることは結果として病気の回復を遅らせるものだという(現にコレラ患者に下痢止めを与えると死亡率がたかまる)。プラトンもその著『共和国』で、病院や医師が多数、必要な都市は悪い都市であると述べている。

  医者が基本的にもうけ主義で、だいたい不要な検査や治療を施すこと、それはかえってリスクがあることを市民は知っている。ただ、敗血症になりかけの患者は、ただちに抗生物質の投与が必要だし、熱中症で脱水症状の子供には点滴が必要になる。そういった時は、理屈ぬきにお医者サマに頼らなければならない。

 大部分の日本人は「近代医学か自然治癒エコロジー」かといった極端な二分法は採らずに、状況に応じて適当に使い分けている。新型コロナウィルス感染症(Covid-19)に関しては、今のところ適切な治療法は見当たらないので、賢い市民の場合は少し体調が悪くても病院には近づかず、自宅で安静を保つようにしている。ただの風邪なのに、PCR反応が擬陽性で指定病院に隔離され、そこでウィルスに感染しては、たまったものではない。

 老化と癌だけは、自然治癒力を今のところ期待できない。だったら、これらは近代医療のお世話になるのかどうか問題になるが、それぞれ医者が何をしてくれるかを冷静に見極める必要があるということだ。

 

 

 

 

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