京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

ルネ・デュボスの健康思想: 幸福な健康とは?

2024年10月14日 | 環境と健康

   

 ルネ・デュボス(René Jules Dubos、1901-1982)はフランスのサン・ブリス・スー・フォレ生まれ。1921年にパリ国立農学研究所を卒業し、当初は科学ジャーナリストとして働いた。1924年に渡米し、1927年にラトガース大学からPh.Dを取得した。その後はロックフェラー研究所に所属し、1957年に教授となり1971年に退職した。主として微生物学を研究。環境生理学関係の多くの啓蒙書を著す。ここでデュボスの名著「健康という幻想」(Mirage of Health)の読解を行う。現代における人類の健康と幸福を考える上できわめて重要な書の一つである。デュボスは病気の原因は主因(病原菌)と人の生理状態を規定する遺伝子要因と環境要因の二つが重要なことを主張している。主因の科学的研究は格段に進歩したが、背景の環境作用についてはあまりわかっていない。

(1)健康とは環境により規定される相対的な状態である。

 古代人類が地球で活躍していたころ、まず大自然があり、その円環の中に人類社会の小さな円環が包摂されていた。自然の円環はある周期で回転し、それにカップルして社会も人も連動して活動しいてた。ギリシャや中国の哲学者は、古代においては「人々は愉快に飲み食いし、好きに働き好きに飲み食いし、病気で苦しむこともなく、いつか眠るがごとく大往生をとげていた」という黄金伝説を考えた。ジャンジャック・ルソーも自然に反する生活や社会が人を不幸にしていると考え「自然に帰れ」と唱えた。

 しかし、デュボスはそんな神話はなかったと言う。現生の原始未開民と同様に、ドップリと自然にひたって暮らしていたが、彼らは様々な苦難を体験していた。避妊や堕胎の知識はなかったので、多くのケースで人減らしのための間引きがおこった。誕生がすなわち死を意味する過酷な時代であった。その第一関門を潜り抜けてきても、文明社会ではかからないような皮膚病、寄生虫、土着病(マラリアなど)に苦しみ、ケガによる破傷風、毒虫と蛇などの害や捕食者のリスクに日常的にさらされていた。現代の感覚や考え方では、「古代=自然=幸福」とはとてもいえな状態であった。ただ、赤ん坊や幼児期における最初の「間引き」で生き延びた人々は、その環境に遺伝的適応をしていたので、文明人が辟易するマラリアなどの疾病に耐性をもって延びることができた。人間(生物)の健康は、それぞれの環境への適応によって違った仕方で維持されているのである。平均寿命は短かかったが、その生涯は自然との「交流と戦い」という波乱にみちたもので、ビルの谷間でなんとなく年老い死んでゆく現代人よりも充実したものであったかもしれない。「古代=未開=みじめ」とは言えなかったのである。

 デュボスはタンネスの書いたの次のような記事を引用している。

 「エスキモーは太陽の下にある、一番貧乏で野蛮な国民の一つだが、彼らは自らとても幸福で世界で最高に恵まれた人間だと信じている。かれらは他の人たちには耐えられないような不断の悩みや苦しみを、ちっとも気にしてない。かれらの生活の大部分は衣食に関する絶対的必要物の獲得に費やされたがたいしてめんどうと思っていない」

 未開人が文明社会に投げ込まれたり、反対に文明人が熱帯や極地で生活すると、急性あるいは慢性の病気にとりつかれる例が、たくさん紹介されている。ルソーの「自然への回帰」の掛け声は、ある意味自己撞着の思想で、人間を本性にひきもどす自然などはなかった。

 

(2) 病原菌は必要条件で発病には十分条件が必要である

 19世紀の終わりまで、病気の原因は人とその環境の間の調和が欠ける為と考えられていた。古代ギリシャのヒポクラテスによると四つの体液間のバランスの崩れが病気をおこすと唱えた。中国では陰と陽の組み合わせがその原因であるとした。しかし近代になって、ルイ・パスツールローベルト・コッホおよびその後継者達は、唯一特別な微生物によって病気が生ずるとした。この特異的病因論が、その後の医学の理論的支柱となり治療の実践の要諦となった。

 ところが病原体を摂取したり、感染しても発病しない例がたくさん見つかった。1900年ごろドイツのベツテンコーファーやフランスのメチニコフはコレラ菌をたっぷり飲んだが、発症しなかった。コレラ菌がまず腸管に定着し、発症するために幾つかの条件が必要と思われる。感染症の発病には、まず必要条件としてウィルスや細菌のような微生物が要求され、さらにそれが体で増殖、発病するための十分条件が整わなければならない。必要条件の研究はやりやすいので進んでいるが、十分条件の生理的研究はあまり進んでいない。たとえばCovid-19についても原因ウィルスのSARS-Cov-2の分析はさかんになされているが、発症のメカニズムはよくわかっていない。ウィルス感染者の8割が無自覚ないし軽症なのに、2割が重症になる理由は体質的なものか患者の内部環境の問題かは、大いなる研究課題である。

(3) 医学の進歩が疾病を減らしたのではなく公衆衛生学が環境を改善したからだ。

産業革命以来、都市の悲惨な生活は結核、麻疹、天然痘、コレラなどを蔓延させた。このような文明病を抑えたのは、医学の進歩ではなく公衆衛生学であった(「スノーの井戸ポンプ」)。血清、ワクチン、抗生物質は2次的なもので、これらが発明される以前に、これらの病気は撲滅とは言えぬまでも、かなり減っていた。医学が病を撃退したというのは、潮が海辺から引き始めているときに、バケツで水をくみだして大洋を空にしていると主張するようなものである。

(4)健康のプロセスは二つの生態的(複雑系)システムの相互作用で成り立っている。

二つの生態システムとは内部環境と外部環境の事である。内部環境は個体における細胞、体液さらに組織というお互いが平衡メカニズムをもった複雑な網状構造を通じて相互に関係しあっている。一方、外部環境も予測出来ない複雑なもんで、物理化学的なものだけでなく、社会的、生物的な要因も含んでいる。これ自体が相互作用をもち、その一つの波乱が一方に多大な影響を及ぼす。

(5) ある地域に特異的な病気には、それを治す自然の仕組みがどこかにある。

エドワード・ストーンはこのような哲学から、柳の外皮のエキスに含まれるサリチル酸が低湿地の住民のリュウマチに効くことを発見した。これのアセチル化合物がアスピリンである。

 

参考図書

ルネ・デュボス 『健康という幻想-医学の生物的変化』田多井吉之介訳、紀伊国屋書店1983

 

追記(2024/11/31)

アンドレ・ゴルツ「エコロジスト宣言」(高橋武智訳1980)でも同様に、結核なのど疾病が近代において減少したのは医療のおかげでなくむしろ生活習慣や衛生環境の改善によるとしている。

 

 

 

 


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