上州中山道筋坂本宿
丸仁屋跡
西 京へ百ニ里
東 江戸へ三十四里
坂本宿
大きな花びら
小林一茶の定宿「たかさごや」
信濃国柏原(かしわばら 現在の上水内郡信濃町大字柏原)が生んだ俳人小林一茶(1763〜1827)は、郷土と江戸を往来するとき中山道を利用すると、「たかさごや」を定宿としていた。寛政・文政年間、坂本宿では俳諧・短歌が隆盛し、旅籠、商人の旦那衆はもとより馬子、飯盛女にいたるまで指を折って俳句に熱中したという。
いせや
かぎや
坂本宿のおもかげ残す「かぎや」
「かぎや」は坂本宿時代のおもかげを残す代表的籠建物である。伝承によれば、およそ三百七十年前、高崎藩納戸役鍵番をしていた当武井家の先祖が坂本に移住し旅籠を営むにあたり役職にちなんで屋号を「かぎや」とつけたといわれる。
まず目につくのは、家紋の結び雁金(かりがね)の下に「かぎや」と記した屋根看板である。上方や江戸に向かう旅人にわかり易く工夫されている。
屋根は社寺風の切妻、懸魚(けんぎょ又はげぎょ、屋根の破風に取りつけた装飾)があり、出梁の下には透し彫刻が施されている。
今日はここまでです