震災で自分の小さな子供を失った女の人がこの前テレビのドキュメンタリーに出ていた。
その人は後に新しい子供を授かって暮らしているんだけど、
その子供に集中したり、冗談に笑ったり、楽しく感じたりするとき、
死んだ子供に申し訳がない、といった罪悪感に襲われるという。
子供だけ死んで、自分が生き残ってのうのうと幸福でいいんだろうか・・・
笑ったりしてていいんだろうか・・・
喜んだり、楽しんだりしてはいけないんじゃないか・・・
・・そんなことを思う、と言っていた。
わかる気がする。
けれど、多分、亡くなった子供はあの世でそんな母親を責めたりしないだろう。
そういうことを思う、そのことがその子の魂が成仏しないことになる・・・
そういった内容の本を読んだことがある。
鵜呑みにするわけじゃないけど、ひとの苦しみを喜ぶ魂なんてないと思うので、
そういった見解はもっともかなと思ってる。
まだ死んでないから実際のところわからないけどね。
自分さえよければいい、なんてその母親は思ってないのは勿論で、
だからこそ、幸福を感じる自分に罪悪感を持ってしまうのだろう。
自分さえよければいい、というように人間は元々なってない。
そう思う。本質的にそうだ。
だって、(自分さえ)という在りようがこの世では成立しない。
観念の世界にだけ、それはあるのだろうけど、
事実の世界には存在出来ない。
その人は後に新しい子供を授かって暮らしているんだけど、
その子供に集中したり、冗談に笑ったり、楽しく感じたりするとき、
死んだ子供に申し訳がない、といった罪悪感に襲われるという。
子供だけ死んで、自分が生き残ってのうのうと幸福でいいんだろうか・・・
笑ったりしてていいんだろうか・・・
喜んだり、楽しんだりしてはいけないんじゃないか・・・
・・そんなことを思う、と言っていた。
わかる気がする。
けれど、多分、亡くなった子供はあの世でそんな母親を責めたりしないだろう。
そういうことを思う、そのことがその子の魂が成仏しないことになる・・・
そういった内容の本を読んだことがある。
鵜呑みにするわけじゃないけど、ひとの苦しみを喜ぶ魂なんてないと思うので、
そういった見解はもっともかなと思ってる。
まだ死んでないから実際のところわからないけどね。
自分さえよければいい、なんてその母親は思ってないのは勿論で、
だからこそ、幸福を感じる自分に罪悪感を持ってしまうのだろう。
自分さえよければいい、というように人間は元々なってない。
そう思う。本質的にそうだ。
だって、(自分さえ)という在りようがこの世では成立しない。
観念の世界にだけ、それはあるのだろうけど、
事実の世界には存在出来ない。