瘡蓋の事での自律心というのをさっき書いたけど、
何故かさぶたを取りたいのにじっと耐えているのかといえば、
かさぶたを取ったら結果的に治りが遅い事を自分がわかっているから。
それがわかるから(取りたい→取る)にならない。
ベンジャミン・リベットの意識実験を思いだす。
じっと耐えるのは自発的自由意志によるものだ。
無意識からの命令が「気になるものは気にならないようにすべし」なんじゃないか・・
そこで意識は、かさぶたを取りたくなる・・・
だが、取ったらどうなるか・・今までの経験が甦る・・
経験に学べ・・が浮かぶ・・
いや、取ってしまいたい・・早急に解決したい・・
それが本当の解決か?・・・
ううっうう・・取りたいけど我慢する・・その欲求がのさばりそうになるのを耐える・・
取らない!・・・これが自発的自由意志だ。誰かに命令されたわけじゃない。
自らの苦しみの果て(そうでもないか・・)の意志だ。
耐えた!耐えることが出来た!
こういう経験をかさぶたを含め多く経験することが人間成長の礎になるのではないか・・・
今日はなんだか選挙モードなのかなぁ・・
何故かさぶたを取りたいのにじっと耐えているのかといえば、
かさぶたを取ったら結果的に治りが遅い事を自分がわかっているから。
それがわかるから(取りたい→取る)にならない。
ベンジャミン・リベットの意識実験を思いだす。
じっと耐えるのは自発的自由意志によるものだ。
無意識からの命令が「気になるものは気にならないようにすべし」なんじゃないか・・
そこで意識は、かさぶたを取りたくなる・・・
だが、取ったらどうなるか・・今までの経験が甦る・・
経験に学べ・・が浮かぶ・・
いや、取ってしまいたい・・早急に解決したい・・
それが本当の解決か?・・・
ううっうう・・取りたいけど我慢する・・その欲求がのさばりそうになるのを耐える・・
取らない!・・・これが自発的自由意志だ。誰かに命令されたわけじゃない。
自らの苦しみの果て(そうでもないか・・)の意志だ。
耐えた!耐えることが出来た!
こういう経験をかさぶたを含め多く経験することが人間成長の礎になるのではないか・・・
今日はなんだか選挙モードなのかなぁ・・