阪神淡路大震災も17年目をむかえました。
いまだに、関連記事などを読んだり聞いたりすると、
当時の光景や、不安が湧き上がってきます。
ここ宇治では、大きく揺れただけで、
『 災害 』に大きく見舞われたということは少なかったのですが、
( 朝日焼は、何個か作品が落ち、道具が少し崩れただけの、軽い被害ですんでいます。 )
以前にも少し触れましたが、
主人は神戸市灘区で被災した一人です。
住んでいたマンションの一階店舗部分が
落ち、4階に住んでいたのが、でる時は3階だった、、
まさに命からがら逃げだしたそうです。
そこから今の実家に落ち着くまで、
避難生活、仮住まい。。と、転々とせざるをえなく、
毎日の小さな消耗品が手に入らない不自由な生活をしていたそうです。
でも、何年か過ぎ、
生きていくうえで一番後回しになりがちな
美しい工芸品、美術品などに触れ、
器を作る事。。『 陶芸 』を学ぶことにし、
陶芸の訓練学校を卒業しました。
今、自由気ままに作陶をしているわけではないですが
家族と共に、前へ,未来へと進んでいっています。
震災の日に授かった命や、逝ってしまった命。
思い出すと、色々な涙がまだまだ出る日ですが、
日は昇ります。
体全体で暖かさを感じ、前に進んでいきましょう!
いまだに、関連記事などを読んだり聞いたりすると、
当時の光景や、不安が湧き上がってきます。
ここ宇治では、大きく揺れただけで、
『 災害 』に大きく見舞われたということは少なかったのですが、
( 朝日焼は、何個か作品が落ち、道具が少し崩れただけの、軽い被害ですんでいます。 )
以前にも少し触れましたが、
主人は神戸市灘区で被災した一人です。
住んでいたマンションの一階店舗部分が
落ち、4階に住んでいたのが、でる時は3階だった、、
まさに命からがら逃げだしたそうです。
そこから今の実家に落ち着くまで、
避難生活、仮住まい。。と、転々とせざるをえなく、
毎日の小さな消耗品が手に入らない不自由な生活をしていたそうです。
でも、何年か過ぎ、
生きていくうえで一番後回しになりがちな
美しい工芸品、美術品などに触れ、
器を作る事。。『 陶芸 』を学ぶことにし、
陶芸の訓練学校を卒業しました。
今、自由気ままに作陶をしているわけではないですが
家族と共に、前へ,未来へと進んでいっています。
震災の日に授かった命や、逝ってしまった命。
思い出すと、色々な涙がまだまだ出る日ですが、
日は昇ります。
体全体で暖かさを感じ、前に進んでいきましょう!