天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

一歩引く

2020-04-19 15:09:00 | 運命と生活
2020・3・18、人格と運命
[表面に強き者は 弱き者なり]

人間の実態をある程度あきらかにしていることばです。
ひとつの典型に、何にでも弱点を見せない強気を装う人がいます。
表面的にはとても強そうで、言いたいことはいう、
したいことも躊躇なくする、それだけ見ていると信念も併せて強そうです。

しかし、人格的に見ると、自分の弱さを隠すために、強気を表に見せているようにも見えます。

つまり、自分本位で利益になるものと、そうでないものを選り分ける結果、得てして『自己中心になり、聞き方も、言い方も、考え方もかたよる』ものです。

本当に人間、心理状態は複雑です。幸せを願い病気の治ることを願いながら、
実際の生活面では性格的ほころびをとりつくろうとするものです。

それでいて、意のままにならぬからと言っては悪癖を出し、心を悩まし体を苦しめ、果ては生活を乱す。
ーこれでは、強気の面も破綻することになります。

御神尊様は『表面に弱き者こそ、強き者』といわれ、『表面にも裏面にも強気の者』こそ『真の強き者』
つまり、『自分を飾ることなく、見栄を張ることなく、プライドをひけらかす』ことなく、
『常に一歩を引いて、負けて克つ克己心こそ』『己が運命を開くみち』です。やります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あらた

2020-04-19 14:27:00 | 運命と生活
2020・3・17、生活と運命
[生活改善と人間関係の改善の急務を悟り 汝 直ちに改善に急ぐべし](救いの絶対性)まとめ

人間の欲求にはきりがなく、何を見ても何を聞いても不平不満はつきものです。

それを『人様のせいだ』と思わずに
『私がまだまだだ』『私が足らないから』『私が悪かった』とはなかなかたどりつきません。

そのように『人を赦し、人を容れる寛いこころ』をもてば、生活も人間関係もひとりでに改善されるものです。

『人間の心の働き』〜『心の力ほど偉大でありがたい』ものはありません。
『その力を存分に発揮することを、急務』と言われています。

急げ、急げとは、
昔の人は、火打ち石で火をつけていました。
この石を火打ち金、(三角形の鋼鉄片)と打ち合わせて発火させます。

瞬間の火花が物に火をつけます。これを灼(あらた)といいます。
これを神の救いは『あらたか』の表現とおなじです。
つまり即決のことです。時間をおかずに救いはあらわれるというわけです。

だから、思い切って改善の一歩をふみだすのです。

[即決の 神の救いの 灼なり] やります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改善の道

2020-04-19 14:20:00 | 運命と生活
2020・3・15、改善と運命
[人間的に助かることこそ これ自ら我が身を助くる手段なり]

あなたの心の中にもう『ひとつのこころ』があります。
あなたの中に、『もうひとりのあなた』が住んでいます。

その『もうひとつの心、もうひとりの自分を知る』ためには、『あさのことば』の鏡に照らせばいいのです。鏡に映るあなたの心がみえればしめたものです。自分自身の本当の人間像をみつけることになります。

それは何とも『ガンコで手に負えない自分』『融通の効かない自分』『陰気とぐちの自分』『気にする必要も無い小さなことを、忘れることができない自分』など、挙げればきりがありません。

はっきりしていることは、『人生はそんなに時間はない』ということです。
そんな『あなたを助けることが、できるのは神様ではありません』
『あなたを助けうるものはあなた』以外にありません。

『自分を変える努力』ーつまり生活の改善、人間関係の改善このふたつにつきます。
しつこいですが、書かずにはおれません。やります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わる

2020-04-19 14:15:00 | 新陳代謝
2020・3・13、合掌と運命
[祈るから助かるものではない、願うから助かるものでもない]

私たちの心理の中には、先祖からの遺伝子のながれで、どんなに科学が(化学)発展発達しても、苦悩から解放されることは無いようにおもいます。

中には環境にめげて、苦しむ人。御神尊様のように運命研究に挑み、さらなる苦しみに自ら飛び込む方もいます。

そこに神に祈り、願う人が当然現れるのも、ひとつのあり方です。
コロナのこの頃では、なおそのような思いが生まれるでしょう。
神仏に願掛けしている人もいるはずです。

しかし抱える事情の解決を、神に祈り、願えば問題が解決するわけでもありません。

『必ず事情の陰に、心のわだかまりあり』です。
『相手を赦せない』『その邪気、邪念こそ、神の救いの手』を払い除けています。
これを自覚し、反省と懺悔の誠にかえるとき、切れて離れた関係が修復される時です。

[変わるから助かるのである]  やります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間心理

2020-04-19 13:59:00 | 運命の認識
2020・3・12、天地の理法
[人間心理はまことに 複雑多様である]

その複雑な気持ちのままでも、生きて生きられぬことはありませんが、それでは自分の運命も変転極まりないことを、覚悟しなければなりません。

あなたや、私はかつて健康でも病気でも構わない、なるようになれという、生き方をしたときもあったはずです。

しかし、思い返せば病気を治したい幸せでありたいと心底願い、それを実現した時期もあったでしょう。
でも未だに願うだけで、なんら変わらないという人もいるはずです。

そこをなんとかしなければなりません。
神仏に拝むだけ、参るだけで願いが叶うものなら、人生願いっぱなしですみます。
それが簡単に済まないから困ったとなるのです。

どこかを変えなければならないわけです。
変えるとは複雑な心の使い方を改善し、人間らしい生活をするしかありません。

家族や他人と仲良く楽しい場合を、らしさといいます。
そうでない場合があります。それは『らしさを失う』といいます。
夫婦、親子それぞれ『らしさ』があります。

その『らしさを失わない』ことが、満足なひぐらしのコツです。
人間ひとりでは生きられず、共同生活によってのみ成り立つものです。
まして身近な家族に向けてこそ、努力しなければなりません。やります!






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慈悲心

2020-04-18 17:04:00 | 信仰と生活
2020・3・4、天地と慈悲
[慈悲心あれば いつも幸せ]

<不満なければ 腹立たず 憎むことなし>と続きます。

最近はコロナのせいで、違った人間の一面が曝されています。
咳をめぐって対立したり、オイルショックの時と同じ買占めの現象が見られます。
人間性はなかなか変わらないものと残念におもいます。

悲しいことは、その行為の中に運命の根本が潜んでいることが、あまりに知られてないことです。
申し訳ないことです。私の努力が足らないところからです。

御神尊様は、人生の目標は単に、貧、病、争のおかげにとどめず、運命開拓をめざし、人間づくりと人格の向上の道を示されたのです。

そして、『慈悲こそ人生の大切なり』と、慈悲の実践によってのみ、人格は磨かれるといわれます。

では『慈悲とは』人(家族)の立場を思い、心を寄せていくことです。
明るくふるまい、意地を張らず柔らかくいたわり、優しい行動を通し、それを実践することです。

どうしても、私たちは自分中心の考え行動をとりがちです。
相手の気持ちを理解し、努力を修行としましょう。やります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善のはじめ

2020-04-18 17:01:00 | 運命と性格
2020・3・3、性格の善用と運命
[それが善のはじめです]

善いことをすることよりも、自分自身の悪い性分を克服することにあります。

それが、はじめです。
叱言を言う時など、その言い方にその人の性分が出ますね。よく言われるのに、言い方が気に入らなかった。だから、腹が立って大きな声になったと。

その剥き出しの性分を抑えて、ものを言えば相手に対する響きは、必ず違った関係になるでしょう。

ようするに、性分を抑えること。それが日常生活における、人間の善の第一歩になります。御神尊様はそれが信仰の、要諦であり、一歩と言われています。

これが、神への第一の誓願です。最近は、宗教、信仰に対する誤解が相変らずです。性格の善用を言わないのは、間違いでしょう。やります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

性格の改善

2020-04-18 16:58:00 | 運命と性格
2020・3・2、性格と運命
[『善いことをしょう』は第二第三]
[何をおいても、先ず自分自身の悪い根性を克服すること]

おじゃべりの人に、『言うな』
物言わぬ人に、『言え』と強制すれば苦しみます。
『或いは死んだがまし』とまで考えるかもしれません。

人間の性格はそれほど、変えがたいものです。その性格の善い部分、悪い部分はその人の関係によって引き出されます。特に夫婦間は、遠慮無く発揮されるものです。

悪い部分は暗い家庭になり、事情が生まれ病気になったりします。
そのようなクセ性分は努めて出さぬように、その時その場でおさえることができれば、幸せにめぐまれることになるのです。

しかし、持って生まれた自分の悪性に打ち克つのは、容易ではありません。

つまるところ、悪性が克つか、あなたの『やります』が克つかです。負けられない勝負です。負ければ、家族も含めて永遠に幸せが来ないことになります。

岩にかじりついても、打ち克たねばなりません。その努力を指して合掌が生かされたといいます。

善いことをする前に、とにかく自分自身の性格の嫌われる部分を克服することです。やります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活の脊髄

2020-04-18 16:54:00 | 運命と生活
2020・3・1、性格と運命
[性格は 人間生活の脊髄なり]

だいたい人間の性格(性分)というものは、普通の状態のときでも、生活面で絶え間なくはたらいています。

これを身体に例えれば、脊髄と同じです。

命の中には、生き延びようとするエネルギーが溢れ、そこに固有の性(しょう)を見ることができると言われています。

人間も男性、女性というようにその性があります。これが一人ひとり複雑多岐に分かれ、それぞれの個性となっています。

そして、生きんがために外圧と抵抗したり、或いは敗北したりの年月の中で、習い性となって形作られてきたものです。

それはやがて生命の第二の本能となります。

しかもこれは親から子へと、引き継がれる生命の流れの中で『親の性は子の性』という永い歴史となるのです。

この過去世から流れている『(性)しょう』が、現世のさまざまな縁、つまり両親や環境などと関係して、その人固有の性格がつくられるのです。

これは間違えば、サワリ、タタリ、インネンという迷信の格好の材料になるし、仕事にしている人も多勢います。

だからこそ、性格は変え難く、質(たち)が悪い部分に泣かされ、不幸病気を製造することにつながります。これが真実です。やります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正邪の境界線

2020-04-18 10:13:00 | 信仰と生活
2020・2・28、
[人間精神には 正邪の境界線あり 人間の身体にも正邪の境界線あり]

この『境界線という表現』には、おどろかされます。心も身体も超えてはならない境界があるということです。

厄介なのは、その境界線が電波のように、形として捉えることができないことです。

だから思いがけず、その境界を超えてしまうことです。これを弁えなければ知らず知らずのうちに、正邪を往復して精神的な不安定の中に生涯をおわることになります。

『正邪の正』は、共に喜び、共に楽しむこと。
『邪とは』怒り、泣き、ケンカを家族と遠慮なくするかと思えば、自分の精神的苦痛、肉体的苦痛を、相手にも味わわせようという行為もあります。
これは境界線を超える『天地に対する反逆行為』です。

順応するところに、心安らかな世界があります。
境界をしっかり認識するところに、合掌の生活の成果があります。
やります!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする