昨日、ある写真クラブの「写真展」を拝見した。
会場には、写真を撮影された方々が見え、話を伺うことができた。
先ず、第一印象としては、撮影された方々が、本当に楽しみながら取り組んでいるのだろうか?と感じられたこと。
いろいろな人の考え方・意見を聞くのも大切だけど、「この写真は、十分に満足はいかないにしても、自分としては満足している。」という感じが弱かった。
多分、指導者の言われるままに作品を選び、トリミングをし、プリントした、せいではないだろうか。
たとえば、もっと焼き込んだら写真そのものが、数倍もすばらしい作品になるだろう、と思われるものが、いく点かあった。
それは、プリントは、写真屋任せ、という人が何人もいた。しかも、デジタルデータをもってしてである。
せめて、最初に小さなサイズでプリントし、もっと濃くしてほしいとか、このプリントのように大きくしてほしいとか、ハイライトの部分をもっと焼き込んでほしいとか、撮影者の意思表示をすることの大切さが認識されていなかった。
「沈黙は金」は、当てはまりません。自分の意思表示をしていますか?
「儚きもの汝の名は、氷」なんて、こんなに素敵な色を秘めているですね!
会場には、写真を撮影された方々が見え、話を伺うことができた。
先ず、第一印象としては、撮影された方々が、本当に楽しみながら取り組んでいるのだろうか?と感じられたこと。
いろいろな人の考え方・意見を聞くのも大切だけど、「この写真は、十分に満足はいかないにしても、自分としては満足している。」という感じが弱かった。
多分、指導者の言われるままに作品を選び、トリミングをし、プリントした、せいではないだろうか。
たとえば、もっと焼き込んだら写真そのものが、数倍もすばらしい作品になるだろう、と思われるものが、いく点かあった。
それは、プリントは、写真屋任せ、という人が何人もいた。しかも、デジタルデータをもってしてである。
せめて、最初に小さなサイズでプリントし、もっと濃くしてほしいとか、このプリントのように大きくしてほしいとか、ハイライトの部分をもっと焼き込んでほしいとか、撮影者の意思表示をすることの大切さが認識されていなかった。
「沈黙は金」は、当てはまりません。自分の意思表示をしていますか?
「儚きもの汝の名は、氷」なんて、こんなに素敵な色を秘めているですね!