母なるもの
しばらくぶりに映画を観に行きました。ボン・ジュノ監督の「母なる証明」(原題 マザー)です。ストーリーは、殺人の容疑で拘束された知的障害のある一人息子(ウォンビン)の無実を信じて、孤立無援で真実をさぐる母(キム・ヘジャ)を描いたものです。勿論 真犯人を追って繰り広がれるサスペンスとしても十分緊張感のある作品ですが、監督が表現したかった真のテーマは‘母と息子の絆’特に‘韓国の母というもの’です。
母親べったりの男性のことを日本ではマザコンと言って、女性たちの軽蔑?の対象になりますが、韓国ではある意味大多数の男性がマザコン(韓国では通称ママボーイ。)といっても過言ではないかも知れません。二十歳前後の息子と母が手を繋いで歩いたり、恋人同士のようなスキンシップは、珍しくありません。これは息子が母親に抱く感情、そしてその愛情表現としてごくあたりまえの事であり、周囲も自然なものと受け入れるため日本ほど特別視されません。そして韓国男性にそんな絶対的な愛と信頼を抱かせるのは、まさに韓国のオモニたちの息子に対する無償、無限のサラン(愛情)です。
儒教が社会規範、倫理観に強い影響を及ぼしてきた韓国では、いまだに男尊女卑とまでは行かなくても、男性優遇社会であることは変わりません。当然女性たちの社会的な活動には、まだまだ制限も多く、経済的な男女格差も大きいと言えます。そんな背景の中で、女性は母になり男子を産み、立派に育てることで、社会に自分の存在を証明し、自分の‘恨(ハン)’を晴らすことができるのではないでしょうか。これは私の考え過ぎかも知れませんが、この映画で表現されている社会的な善悪を超えたオモニの行動を理解するには、子を守る親の本能以外の説明も必要な気がします。
文化や文明の発達と共に、人間は動物的な本能を少しずつ失って行く反面、その国、社会、宗教や倫理ごとに人間としての本性が付け加えられて行くことでしょう。オモニとおふくろ、マザコンとママボーイの違いもそんなところではないでしょうか・・・