5月2日
熊本城から 水前寺成趣園へ
途中で遭遇 くまモン車
路面電車
熊本市中央区水前寺
熊本洋学校教師館ジェーンズ邸
アメリカ合衆国北軍の退役将校で1871年に開校した熊本洋学校の教師として赴任したジェーンズの住宅
西南戦争では政府軍総督の宿舎となった
夏目漱石が熊本で住んだ3番目の家
明治二十九年に五高の教授として熊本に招かれた夏目漱石
明治三十三年まで熊本で過ごした
水前寺成趣園
細川藩初代忠利公が鷹狩のおり、渾々と清水が湧くこの地を気に入り、御茶屋として作事されたのが始まり
「湧くからに流るるからに春の水」という漱石の句でも知られる 水前寺成趣園
古今伝授の間
この部屋で細川家初代の細川幽斎公が桂宮智仁親王に「古今和歌集の解説の奥儀」を伝授されたことからこの名前がついた
出水神社
成趣園を境内地として細川藤孝公・忠興公以下歴代藩主、
明智光秀の次女で忠興の妻 ガラシャ夫人も祀られている
忠興が賞玩したという袈裟紋の水盤
細川忠利公愛用の盆栽の松
ここから阿蘇のホテルへ
熊本城から 水前寺成趣園へ
途中で遭遇 くまモン車
路面電車
熊本市中央区水前寺
熊本洋学校教師館ジェーンズ邸
アメリカ合衆国北軍の退役将校で1871年に開校した熊本洋学校の教師として赴任したジェーンズの住宅
西南戦争では政府軍総督の宿舎となった
夏目漱石が熊本で住んだ3番目の家
明治二十九年に五高の教授として熊本に招かれた夏目漱石
明治三十三年まで熊本で過ごした
水前寺成趣園
細川藩初代忠利公が鷹狩のおり、渾々と清水が湧くこの地を気に入り、御茶屋として作事されたのが始まり
「湧くからに流るるからに春の水」という漱石の句でも知られる 水前寺成趣園
古今伝授の間
この部屋で細川家初代の細川幽斎公が桂宮智仁親王に「古今和歌集の解説の奥儀」を伝授されたことからこの名前がついた
出水神社
成趣園を境内地として細川藤孝公・忠興公以下歴代藩主、
明智光秀の次女で忠興の妻 ガラシャ夫人も祀られている
忠興が賞玩したという袈裟紋の水盤
細川忠利公愛用の盆栽の松
ここから阿蘇のホテルへ