11月16日
JR中央本線 武並駅

岐阜県恵那市


深萱立場跡
大井宿と大湫宿の中間にあたる立場

武並駅から 2.1km

藤村高札場

黒すくも坂

紅坂橋

ぼたん岩

花崗岩が牡丹の花状になっている

うばが茶屋跡

藤村高札場から 1.1km

紅坂一里塚

江戸日本橋より89里目

平六坂

妻の神
妻の神は塞の神などとも書き、村境にあり外から悪霊が
入ってくるのを防ぐ神とされる

殿様街道跡

竹折高札場跡
紅坂一里塚から 1km

四ツ谷休憩所

おいしいトン汁

栗ご飯も買いました

うつ木原坂

奥にぼんやり見えるのは恵那山

下座切場跡
村役人が裃を着て土下座し
幕府や藩の役人を出迎えたところ

みだれ橋

みだれ坂とみだれ橋
余りの急坂に大名行列がみだれ
息がみだれ、女人の裾がみだれた

首なし地蔵
地蔵前で昼寝をしていた二人
一人が目を覚ますと 連れの首がない
地蔵に「黙って見ているとは」と怒って
地蔵の首を刀で切り落としてしまう

姫御殿跡
皇女和宮降嫁の際、岩村藩が休憩所として建てた休憩所の跡

祝峠

馬頭観音

下街道
名古屋までの距離は上街道より四里半近かった
そのため下街道は大変にぎわったとされる
幕府は中山道の宿場保護のため
下街道の商人荷の通行を禁止した
四ツ谷休憩所から 2.1km

槙ケ根追分道標 幕末には九件の茶屋があった
伊勢神宮 遥拝所跡 下街道追分を前に旅人が伊勢神宮を遥拝した


イノシシのヌタ場
イノシシの泥浴び場のことを「ぬた場」と呼ぶ

槙ケ根追分から 1.5km 西行の森

南北両側にある 槙が根一里塚


すこし坂を上り

伝西行塚


馬頭観音

十三峠碑

西行硯水公園
西行は鳥羽院の北面武士でした
23歳のころに出家して西行と名乗り
この地の「竹林庵」で3年間を過ごしました


五平餅 おいしかった

豆餅 おなかいっぱいだったので
家に帰って少し焼いて食べた やさしい甘さがあり おいしかった~~

西行の森から 2.4km

中野観音堂

中野村高札場跡

中野村庄屋の家 浸水防止壁

長島橋から大井宿本陣跡までの中山道の各商店や家の のれんコンテスト


恵那駅に戻ってきました
JR中央本線 武並駅

岐阜県恵那市


深萱立場跡
大井宿と大湫宿の中間にあたる立場

武並駅から 2.1km


藤村高札場

黒すくも坂

紅坂橋

ぼたん岩

花崗岩が牡丹の花状になっている

うばが茶屋跡

藤村高札場から 1.1km

紅坂一里塚

江戸日本橋より89里目

平六坂

妻の神
妻の神は塞の神などとも書き、村境にあり外から悪霊が
入ってくるのを防ぐ神とされる

殿様街道跡

竹折高札場跡
紅坂一里塚から 1km

四ツ谷休憩所

おいしいトン汁

栗ご飯も買いました

うつ木原坂

奥にぼんやり見えるのは恵那山

下座切場跡
村役人が裃を着て土下座し
幕府や藩の役人を出迎えたところ

みだれ橋

みだれ坂とみだれ橋
余りの急坂に大名行列がみだれ
息がみだれ、女人の裾がみだれた

首なし地蔵
地蔵前で昼寝をしていた二人
一人が目を覚ますと 連れの首がない
地蔵に「黙って見ているとは」と怒って
地蔵の首を刀で切り落としてしまう

姫御殿跡
皇女和宮降嫁の際、岩村藩が休憩所として建てた休憩所の跡

祝峠

馬頭観音

下街道
名古屋までの距離は上街道より四里半近かった
そのため下街道は大変にぎわったとされる
幕府は中山道の宿場保護のため
下街道の商人荷の通行を禁止した
四ツ谷休憩所から 2.1km

槙ケ根追分道標 幕末には九件の茶屋があった
伊勢神宮 遥拝所跡 下街道追分を前に旅人が伊勢神宮を遥拝した


イノシシのヌタ場
イノシシの泥浴び場のことを「ぬた場」と呼ぶ

槙ケ根追分から 1.5km 西行の森

南北両側にある 槙が根一里塚


すこし坂を上り

伝西行塚


馬頭観音

十三峠碑

西行硯水公園
西行は鳥羽院の北面武士でした
23歳のころに出家して西行と名乗り
この地の「竹林庵」で3年間を過ごしました


五平餅 おいしかった

豆餅 おなかいっぱいだったので
家に帰って少し焼いて食べた やさしい甘さがあり おいしかった~~


西行の森から 2.4km


中野観音堂

中野村高札場跡

中野村庄屋の家 浸水防止壁

長島橋から大井宿本陣跡までの中山道の各商店や家の のれんコンテスト


恵那駅に戻ってきました