母の容態(入院29日目)&牛窓から岡山へ&友人のイタリア旅行(アルベロベッロ)

2024年09月08日 19時02分30秒 | 生活

 昨夜は早くからお布団に入って読書していたらいつの間にか寝て、又読んで~。

窓を開けていたら暗闇の中で何やら物音が・・・。

高くなっているので上がってくることは出来ないとは思いつつ。

(多分、猪ではないかと言われました~

怖いので閉め切って寝ました。

その後も何となく目が覚めたりしてなかなか熟睡って難しい。

 

 

 

 朝のお散歩に行こうとしたら、階段の途中にユリが

嬉しいサプライズでした

いつもの坂道を登っていると、岡山の我が家周辺ではまだ沢山咲いている夾竹桃ですが、牛窓ではもう終わっていて、たった一輪だけ見つけました。

2週間前までは歩けていた歩道ですが、草で道が無くなっています。

野生の朝顔でしょうか

 

オリーブ園の上では獅子ゆずが又大きくなっていました。

 

 

この大きなカエデ

ずーっと昔家族6人でしし座流星群を見た時の木。

秋になったら紅葉が美しいそうなので楽しみですが、来ることが出来るかな

 

桜も銀杏もあるのできっと秋には綺麗でしょう。

 

今朝は更に曇っていました。

 

 

6時過ぎ

 

元ペンションのオーナーさんが来られておしゃべり。

今日はちょっと「姿勢を見て」と言われたので、後ろから横から見てみましたが、全然曲がっていらっしゃらない。

カメラで撮って見て頂いたらご本人もよくわかるのではないかと思い提案しました。

「じゃあ、撮って」

ご本人は肩が後ろ過ぎ(巻き肩ではない)なので「まだ良くないわ~」

健康意識高いです。

朝はパン食で、コーヒーは飲まず。

バナナと卵は毎日食べた方がいいわよ」

卵は毎日4個茹でてご主人と2個ずつ食べられるそうです。

あと、キャベツもいっぱい食べると言われていました。

「面倒な時には袋入りを買ってくるのよ」

その他にもサプリメントをあれこれ。

「飲んでる」と言われて「特には」と答えましたが、微量栄養素はサプリメントで補っていらっしゃるとか。

体操や歩き方も教えて下さいました~。

私よりもひと廻り以上も上の80歳ですが、発する言葉も前向きでお元気そのものです。

少し前まで整形外科に入院なさっていたそうで、回復してきたので又旅を再開されるそうです。

「もう国内ね」

あとで年齢表を見ながら考えたら、母は84歳の時にハワイ、86歳(その年に87歳)の時にアルゼンチンに行ったんだわと今更ながらびっくり

 

「これから1週間は33℃だそうよ」と言われていましたが、岡山では猛暑日のようです。

昨日の瀬戸内市は33.2℃(エアコンは入れなくても大丈夫だった気もしますが1時半に入れました)、最低気温は22.7℃。

岡山は最高気温35.5℃、最低気温24.1℃。

 

 

 Google先生によりますと「ヤブラン」

こちらは「葛」。

葉っぱが大きいですね。

 

今日も見えない

帰って来ました。

今日は6時40分頃。

チーズリゾットを作りました。

今朝の果物

 

今日も心地よい風が吹いて来て、午前中、本を読みながら早くもお昼寝

今夜、岡山に帰ります。

明日から多分とても忙しくなると思いますが、もう1回、週末に牛窓に来ることが出来るかな

 

 

 

 

 今日も午後1時半過ぎに友人が写真を送って来てくれました。

「昨日はバーリ空港にイケオジがベンツで迎えに来てくれた」そうで、アルベロベッロまで約1時間のドライブ。

「色々説明してくれて感じの良い人だった」そうです。

ビデオも送ってくれて、それを聞いていると「レモンチェッロ」や「レモンアイスクリーム」「レモンサラダ」などの🍋レモン製品を勧めてくれていましたが、これはアマルフィーのことらしく、アルベロベッロはオリーブの木がいっぱいだそうです。

(英語はカナダやニュージーランドに滞在していた娘さんが流暢に対応)

私にとっては「レモンチェッロ」はアルゼンチン滞在中の10日間(2週間)くらい、毎日皆さんが飲んでいたので懐かしかったです。

甘くて美味しいのですがすごく強いお酒ですし、私は飲めないので残念でした

 

 

 夕食のレストラン前で。

私としたことが~~~と言いますか、イケオジって名前のことかと思っていました(爆笑)。

イケメンおやじさんのことだったのね

友人にめちゃくちゃ受けていました

このレストランでワインを1本空けて酔ったとか。

1人で

不明です。

トゥルッリは夏涼しくて冬寒いそうです

 

ここに日本人が居るお土産屋さんがあるそうです。

彼女がひとり旅をしている時に、ここの店主さんにみそめられて結婚したらしく(旅番組でたまたま会ったとか)、今は息子さんと3人でしているそうです。

「以前TVで見て会いたかったんよ」と言っていました。

「そう言えばナイアガラの滝の近くにもそういう人がいたね」とお互いに別の年ですが、同じ行程を行ったので話が出ました。

「誰かいい人がいたらイタリアにお嫁に行くからって言っといて」と頼みましたら又、バカ受けしていました

 

 

出国時に買ったヴィトン。

スリが怖くて持ち歩けないと言っていました。

「羽田限定シール可愛い🩷」

よく見ると2枚目の写真の上に飛行機マークがありました。

 

「今日は1日アルベロベッロをゆっくり堪能して」、「明日11時出発してマテーラへ」。

あちらもかなり日中は暑いそうです。

こちらも少なくとももう1週間、猛暑日

 

 

 

 その後も今日は地元のスーパーに行ったりしてのんびりしているようで何回かライン交換をしました。

早くもお土産の心配も

お水は基本的に買っているようですが、ローマにはたくさん給水所があったようです。

マグネシウムの多い硬水なので、お腹が緩くなる人もいるそうですが飲めますね。

 

 

 

 

 

18時からの「光る君へ」を観ましたのでこれから岡山に帰ります。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと246・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.8

 

93歳を迎えた道場六三郎氏の言葉

 

「これが日本一か」
これ以上のものはない
というくらいの
レベルでやらなきゃダメ

自分で創意工夫して、
自分がうまいぞと思って
つくった料理でないと嘘だと思う。
━━━━━━━━━━━━━━
道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)
○月刊『致知』2024年10月号
特集「この道より我を生かす道なし
この道を歩く」【創刊46周年記念号】より
━━━━━━━━━━━━━━

人気番組『料理の鉄人』で
全国にその名を轟かせた道場六三郎さん。
93歳にして仕事に向かう意欲は衰えず、
なおも自己の料理に革新の芽を探しています。

本誌5月号で掲載したインタビューに
球界のレジェンド・王 貞治さんが感動し、
なんと『致知』最新号で
お二人の対談が実現しました。

若い頃の栄光に安住せず、
まさに一道を極め続けるお二人の言葉には
一生をイキイキ生きるための
秘訣が詰まっているように思います。

ぜひ、最新号をご覧ください

▼記事はこちら

10月号ピックアップ記事

対談『この道より我を生かす道なし この道を歩く』
王 貞治(福岡ソフトバンクホークス会長)
×
道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月08日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

理想を持たない者はさ迷う。また、その理想が物質的なところに据えられたなら、それはすぐに疲弊し、衰える。理想は、霊的なことになければならない!

He that is without an ideal is a wanderer; and if the ideal is set in material things it will soon play out and fade. The ideal must be in spiritual things!

(323-1)

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母の容態(入院28日目)&牛窓&友人のイタリア旅行(ローマ)

2024年09月07日 20時50分00秒 | 生活

 牛窓で朝を迎えました。

窓を少し開けて寝たところ、朝方寒かったです。

瀬戸内市の気温よりもここはもう少し低いです。

昨夕も岡山を出た時には33℃、瀬戸内市に入った頃には28℃でした。

その後、27℃、26℃・・・。

 

 

 

 ゆっくり寝ていいのですが、早くから(暗いうちから)目が覚めます。

少し明るくなってお散歩へ。

 

北の旧塩田跡。

 

今朝も霞んでいます。

 

今日9月7日(土)から、立秋の前日9月21日(土)まで白露(はくろ)」。

まさに露が降りていました。

この時期海水温との差が大きいので霞んでいるとか。

 

 

 

だ~れもなかなか来られませんでした。

 

 

この景色独り占め。

 

 

サンロードが美しく、今日も瀬戸内の海は穏やかです。

 

しばらくして、元ペンションオーナーの方が来られました。

「最近、皆、遅いのよ」

台風は「全然何ともなかったわよ。ここはいつもそう」

しばらくして、ろくちゃんが~

覚えてくれていたのか走って飛びついて来そうでした

 

 

もうユリの時期は終わっていましたが、いくつか新しいお花を発見

古墳が本当に多いです。

 

朝の陽が射して猫じゃらしがキラキラと綺麗でした。

そして、緑のクラデーションも

 

 

平地では見ないお花に出逢えました。

 

 

今はこのお花の最盛期。

このオレンジの小さなお花もたくさん咲いていました。

そして、これも。

Google先生で調べたら良かったのですが、段々と皆さんとおしゃべるする時間が長くなって。

「牛窓は少し不便だけど、この景色がそれらを消して余りある」と今日もろくちゃんちのお母さんが言われていました。

 

霞んでいましたので、何も見えない

我が家のお庭

 

たくさんのバラを植えたり、ヒバの木もたくさん前面に植えていましたが、お貸ししている間に全部枯れてしまいました。

 

 

まるでアイスクリームのようなサボテン。

1ヵ月以上過ぎてしまいましたが、今日、たっぷり水をやって、陽の当たる場所に移動させました。

昨日の病院での話し合いではもう1回、来週末に来ることが出来そうなので嬉しいです。

今日は窓を開けて本を読んでいたらいつの間にはうとうと。

こんなことが出来るなんて最高の贅沢~

 

昨夕、出がけに果物を頂いたので持ってきました。

今日の果物

🍉すいか、🍈メロン、🍐梨、🍎リンゴ、🍌バナナ、🍍パイン、🍇ピオーネ、🍇オーロラブラック。

🍇ぶどうが❤型しています

 

夕方5時過ぎの瀬戸内海

 

 

  母の入院ももう28日。

長くなりました。

週末は面会が出来ませんし、実習生も来ないので、母は多分退屈かも。

今年はまだ暑いですから、病院の方が身体は楽でしょうが、早く帰りたいよね

昨日の話し合いでは、母の状態から考えて24時間家にいることになりますので(ショート先のお返事もまだ)、もう牛窓に泊まりに来ることはもちろん、私の通院も難しい状態です。

通院のことは今度の課題として残っていてパーキンソン病なので障害者の使えるヘルパーさんの制度が使えることになるようですが、申請からしばらく日にちがかかりそうですので、その場合は自費となります。

訪看さんの時間と続けるなどして時間の確保を当面はしていくことになりそうです。

ただ24時間ずっとの介護はきっときついと思いますので、ちょっと息抜きの日は欲しいですね。

牛窓で少しリラックス出来る日が少しでもあれば嬉しい。

(あくまでも希望的観測)

 

 

 

 

 お昼過ぎ、イタリア旅行中の友人から「たくさん撮ったけど1部だけ送るわ」と写真が届きました。

「昨日は朝9時〜夜9時までローマ観光して25000歩歩いた💦
疲れてシャワー浴びて11時前にばたんきゅーだったけど4時前には目が覚めて6時頃までゴロゴロしたりストレッチしてた」そうです。

7時間の時差なので現地は朝の6時半位だったと思います。

1日乗降り自由なバスで2廻りしたと言っていましたが、このバスかな

今ハイシーズで凄い人のようです。

多分、最初に行ったのはコロッセオ。

懐かしい~。

向かって左側に十字架がありました。

ここで多くのクリスチャンがライオンの餌食になったので。

 

真実の口

私も手を入れました~。

2人の写真は中国人の1人旅の女の子に撮ってもらったとか。

それから、市場に行って、昼食にピザを食べたらしいです。

ヴァチカン市国

 

左右の回廊の柱は二重になっていますが、それが1本に見える場所があります。

広場に白い円の印がありましたが、今でもあるのかな

 

ミケランジェロのピエタとかペトロのお墓(と言われている)とか、中央の天井とかペテロのすり減った足の像(皆がキスするので)とか多分、写真を撮っているだろうと思います。

下の2枚目はキリストの出現を受けた聖女マルガリタ・マリア・アラコックだと思いますが、最初の写真は聖書の中のお話かな

 

システィーナ礼拝堂へ行けていないので次回は是非、行ってみたいです。


彼女達はヴァチカンからバスでもう一周して夕暮れの街並み見て、スペイン広場とトレビの泉へ。

 

スペイン広場ではイベントをしていたようで、階段の方には行けなかったようです。

昔はここの階段に座ってアイスクリームを食べることが出来ましたが、確か今は立ち止まってはいけなかったような・・・

アイスクリーム屋さんも長蛇の列だったようですが、それを考えるとすぐにアイスクリームを買えたり、お花屋さんがそばにあって「買わない」なんて言われたり昔はのんびりしていました。

(お花は確か赤いカーネーションだった気がします)

 

「トレビの泉は泉に降りれないくらい人だかり」だったようです。

私が行った時も多くの人がいましたがここまでではありませんでした。

この泉に後ろ向きでコインを投げると再びローマに来ることが出来ると言われているようですが、私の時はちょうど市職員が水換え中で泉の中は空。

仕方がないので横の小さな泉にコインを入れました。

再び行けたらいいのですが~

 

この後、彼女は朝食へ。

今日は午後からアルベロベッロに行くようです。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと247・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.7

ああ、私は運がいいなあ、
なんて運がいいんだろうと思って
いるとね、運がよくなる。

━━━━━━━━━━━━━━
宇野千代(作家)
○『人生百年時代の生き方の教科書』(致知出版社刊)より

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月07日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

自分自身について心配するよりも、他の人のことを心配しなさい。そうすればうんと良くなる!

Worry more about somebody else than you do about yourself, and you'll be a lot better off!

(540-11)

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母の容態(入院27日目)&友人のイタリア旅行&ケアマネさんとの顔合わせ&牛窓へ

2024年09月06日 22時06分00秒 | 医療、病気

 今日も暑かった(34.8℃)ですが、もう夏もエンディングに向かっていると思うと気分的に違います。

母の面会や用事でどうしても外出しないといけないからでもありますが、「籠る」ことがなくなってきました。

 

 朝のお散歩より

 

何となく秋の雲

 

今日は4周歩きました。

 

薬品がかかって椿が枯れています。

工事はまだ10月末までかかるようで、そばに立っているポプラちゃんが気になります。

 

今日は西側と南側と、大きな朝顔が1輪ずつ咲きました。

 

 

毎日暑いので、朝は蕾のバラも昼には咲いて、一日で終わりです。

 

 

 

今日の果物

 

 

 

 朝5時、友人から写真が届きました。

無事にローマのホテルに着き、これからシャワーをして寝ると言っていました。

フライト時間は14時間。

「疲れた~」

私、機内食、大好き

 

🍙おにぎりが冷え冷えで硬かったようです。

どのあたりかな

私がヨーロッパに行った時はまだアラスカ経由でした。

伊丹から羽田までエールフランス。

ブリティッシュエアウェイズがなぜか飛ばなかった為です。

それから羽田からアラスカまでが8時間、アラスカで2時間の給油があり、それからロンドンのヒースロー空港まで更に8時間だったように思います。

マッキンレーが美しかった

アラスカには大きな白熊のはく製が置いてありました。

まだあるかな

テルミニ駅の近くのホテルのようです。

印象を聞いたら

「教会かな。立派な建物が見えたよ」

シスターが1人飛行機に乗られていたそうで、ローマ空港にお迎えのシスターが来られていたと言っていました。

 

何だかローマらしいホテル

 

私が泊ったのはサンラザール駅の近くで、目の前の教会の中に普通にミケランジェロの「モーゼ像」がありびっくりしました

今日は一日、ローマ観光のはず。

日本との時差は7時間です。

 

 

 

 私の方はZoomでカウンセリングのお勉強をし、3時半過ぎに病院に行きました。

母は昨日師長さんから言われていた通り、お部屋移動していました。

何でも朝方、おしゃべりをするらしく。。。

今回のお隣の方はお耳が遠いそうで

 

母は今日も良い表情でした。

3時まで実習生さんとおしゃべりをしていたそうです。

お食事もまずまず食べたようで、今日はとても活発で、ベッドから落ちるのではないかと思えました

 しばらくすると、MSWさんに連れられておふたりのケアマネさんがご挨拶に見えました。

その後、4人で今後のことについて打ち合わせをしました。

一番びっくりしたのがMSWさんが「看護師さんは日に何回まで来ることが可能ですか」と聞かれると何と3回だそうです

でも、緊急時の為に1回は取って置きましょうということで、日に2回、午前と午後に来て下さることになりました。

それ以外をヘルパーさんに来て頂くわけですが、これも驚いたことがあります。

今までのヘルパーさんではなく「定期巡回」というのがあり、何度でもヘルパーさんが来て下さるそうです。

この方がまるめで安いと言われました。

私さえ良ければ介護でも看護でもどちらを使っても23時とかでも訪問OKとか

夜勤の看護師さんも待機しておられ、文字通り24時間365日のサポートです。

又、嬉しく思ったのが訪問診療のドクターの方で、訪問言語聴覚士さん、訪問管理栄養士さん、訪問リハを派遣して下さるとのこと。

情報共有のネットワークも積極的に使っていらっしゃるとお聞きして、嬉しく思いました。

それから退院までに、もう1回病院の言語聴覚士さん、それに管理栄養士さんに会わせて頂くことにしました。

「ムース食を自宅で作ってもいまいち上手く出来ない」と言いますと「そんなことする人はまずいないから、泣いて喜ぶわ」

私も一応管理栄養士なので~~~

同じ24時間365日でも随分と差があります

これがクリニックを持たない訪問診療です。

母は難病指定のパーキンソン病なので医療費の上限が決まっています。

ですから「可能な限り医療を使いましょう」と言われました。

又、昨日の障害者用の介護サービスはやはり使えるそうです。

昨日は詳しく知っている職員がいなかったとか。

ですから、このサービスを使ってヘルパーさんに長く滞在してもらうことによって、母がショートに行けなくても「(私が)通院出来ますよ」と言われました。

ショート先からはまだお返事がないそうですが、何とも手厚い介護体制。

ずーっと母が家にいることで私が外出することが出来なくはなりますが、あんまり疲れた場合は母が1週間ほど入院ということも可能で、大きな病院は大抵この制度を持っているそうです。

ショートに行けない場合、お風呂も訪問入浴を週に2回入れて下さるようです。

人の出入りが今まで以上に多くなります。

 予定では来週の11日~13日の間に退院カンファレンス予定です。

(ケアプランが出来次第)

参加者はすごい人数になるので病院ですることになっています。

病院からはドクター、看護師さん、言語聴覚士さん、MSWさん、この4人は最低でもいつも参加されるそうです。

それにもしかしたら管理栄養士さん。

訪問診療の方からは、ドクター(理事長さん・・・牛窓繋がりの)、看護師さん、ソーシャルワーカーさんを始め、訪問言語聴覚士さん、訪問管理栄養士さん、訪問リハ。

訪問看護ステーションからは看護師さん(何名かは不明)

ケアマネさん(今日のおふたり

福祉用具の方

各ヘルパーステーション(今は2社)

ヘルパーさんは今まで通りにしてみて、限界を感じたら定期巡回に変えましょうと言われました。

(そうじゃないと義理が立たない~

今までと違って私は何もしなくていいそうです。

 退院は再来週の月曜日。

火曜日が大安でその日にされる方が多いそうですが。。。来週末でも退院出来ないことはないようですが、ちょっとバタバタになり連休にも入るのでそのように決まりました。

来週はまだ暑いのに忙しくなりそうです。

・・・ということで、病院からの帰りに買い物をして、牛窓に来ました。

やはり涼しいですし、虫の声がすご~~い。

 

 

 

 牛窓に来る途中で、前の訪看さんに電話をしました。

「私達がいつも十分なサポート出来なくてごめんなさいね」と言われましたが、やはり外来があると物理的に無理とよくわかりました。

ですから、それは仕方がないですし、私もご迷惑をおかけしなくて済みます。

看護師さんに今度のサポート体制をお話するとびっくり仰天されていました。

訪問診療ってそんなことが可能なのぉ~~~

「絶対、そっちの方が安心だしいいわ」と言われていましたが、とにかく、お礼に伺いたいので来週の火曜日以降で行くことにしました。

(この方が月、金はお休みなので)

 

 

 

 顔合わせの途中で、ヘルパーステーションから電話がありました。

ケアマネさんが何も言われないから直接かけていらしたようです。

「実はケアマネさんにはまだお話していないのですが、ケアマネさんも変わられるんですよ」とお話したらびっくり

MSWさんが、今日顔合わせが出来たので来週の月曜日にケアマネさんに言われるそうです。

その後、又、私もお詫びとお礼のお電話をします。

 

 

 

 

 

 牛窓に来るまでは準備もありますし、少々大変と思うのですが、来たらやっぱりここはいいわ~と思います。

暗いので街の灯りと小豆島の灯りがちらちらしか見えませんが、明日の朝は又、素晴らしい景色が見られるでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと248・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.6

 

一番より尊いビリ

 

一番はもちろん尊い。
しかし
一番よりも尊いビリだってある
━━━━━━━━━━━━━━
東井義雄(教育者)
○月刊『致知』1999年11月号
特集「本物は続く、続けると本物になる」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「いのちの教育の探求者」として
ペスタロッチー賞や教育功労賞を受賞した
東井義雄氏の言葉です。

東井氏は子供の頃からスポーツが苦手で、
師範学校時代はマラソン部に入ったものの、
いつもビリで恥ずかしい思いをしたといいます。
しかし、この時、ビリにはビリのよさがあると
目覚められました。

ビリの子の心がわかってやれる教員でありたい。
勉強の分からない子、跳び箱が跳べない子の
悲しみを分かってやれる教員であろうとされたことは
東井氏の教育者としての原点でした。

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月06日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

愛の、希望の、忍耐の、辛苦の、親切の、優しさの法則こそが成功をもたらし、然るべき季節にその実を結ぶ。

For it IS the law of love, of hope, of patience, of longsuffering, of kindness, of gentleness, that WILL succeed, that WILL bring its fruit in due season.
(1497-1)

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

タゴールの詩「ひとりで進め」


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145882&c=3304&d=ed84

 

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、ヒマラヤの山々とタゴールの写真、タゴールの歌のYouTubeリンクが掲載されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145883&c=3304&d=ed84

(詩人ラビンドラナート・タゴールについて|「ひとりで進め」などの有名な詩歌と名言を紹介)

━…………………━


ここ数日、東京板橋では朝晩がやや過ごしやすく、いよいよ秋が来たかという感じです。


いかがお過ごしでしょうか。



今回は、タゴールを話題として取り上げたいと思います。



◆ ラビンドラナート・タゴールについて


ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)は、インドの西ベンガル州の州都コルカタ(旧名カルカッタ)に生まれた詩人、劇作家、哲学者、作曲家です。


詩集『ギーターンジャリ』でアジア人として最初のノーベル文学賞を1913年に受賞しています。



ラビンドラナートの父デベンドラナートは、インドの伝統的宗教であるヒンドゥー教の熱心な信者かつ研究家でした。


ラビンドラナートは彼の14番目の末子で、とても甘やかされて育てられたとのことです。



タゴール家はコルカタの大財閥であり、ラビンドラナートは英国に2回留学しています。


しかし、当時の英国の教育は彼の肌に合わなかったらしく、いずれのときも卒業できずに帰国しています。(*1)



ラビンドラナートは1901年に、息子などの教育のために青空学校を創設しましたが、ノーベル文学賞の賞金をこの学校に発展のためにすべて注ぎ込み、この学校は彼の死後の1951年に国立のビシバ・バーラティ大学(タゴール国際大学)になっています。



タゴールは特に詩人として有名ですが、音楽家として2000曲以上のベンガル語の歌を残しています(*2)。


インドの国歌「ジャナ・ガナ・マナ」(人々の意志)はタゴールの作詞・作曲であり、バングラデシュの国歌「我が黄金のベンガルよ」はタゴールの作詞です。


(写真:タゴールとヒマラヤの夕焼け)


◆ ベンガル分割法とタゴールの詩「ひとりで進め」


1905年にインドを植民地統治していた英国は、ベンガルの人々の間に広まっていたインド独立運動の力を削ぐために、ベンガル州をヒンドゥー教徒の多住地域とイスラム教徒の多住地域に分ける法律を出します。



この法律には民族運動支持者の多くが猛反対し、かえってインド独立の機運が高まることになりました。

「ひとりで進め」は、この法律の施行と同じ年の1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞したベンガルの愛国歌です。



この時期ラビンドラナートは政治運動に加わっていましたが、暴力や党派争いに幻滅し、1907年に故郷に戻り、瞑想と教育に専念する生活を始めます。(*1)



彼はこの時期に書いたベンガル語の詩集「ギーターンジャリ」を自身の手で英訳し、この英訳詩集が理由で1913年にノーベル文学賞を受賞します。



その後、人間性の重視と国際平和を主なテーマとして評論、詩作を行ったほか、世界中を講演して回りました。

そして、1941年に病気で亡くなっています。



1947年にインドが独立を果たすと、タゴールは、マハトマ・ガンジーと並ぶ、その功労者と見なされるようになります。


◆ 「ひとりで進め」について


「ひとりで進め」は、1905年にラビンドラナート・タゴールが作詞したベンガルの愛国歌であり、数多く人々、そしてマハトマ・ガンジーが愛した歌でした。



調べてみるとこの歌の詞にはいくつかのバージョンがあります。


それが、ベンガル語から日本語への翻訳の際に生じたのか、もともといくつかの種類があるのかは私には分かりません。


以下の歌詞はYouTubeチャンネル「Vリリカル」(VLyrical)にアップロードされている、インドの歌手シュレヤ・ゴシャル(Shreya Ghoshal)さんの歌の英訳の歌詞(*3)を筆者が日本語訳したものです。



・ 歌詞「ひとりで進め」(全文)


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

ひとりで進め、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



もし皆が口を閉ざすなら。おお、不運な我が友よ、もし皆が、あえて語らないなら

誰もが恐れで、見て見ぬふりをするなら

心を開き、できるだけ大きな声で、あなたの考えをそのままに、ひとりで語れ


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら



もし皆が離れていくなら、おお、不運な我が友よ、もし皆が逃げ出すなら

困難な道に沿って歩いているとき、誰もがあなたを見捨てるなら

道が茨に覆われていたとしても

それを踏みつけて、足を血で濡らしながら、ひとりで進め


あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



もし誰も光を掲げないなら、おお不運な我が友よ、もし誰も光を示さないなら

もし雷雨の暗い夜に、皆があなたの前で扉を閉め切るなら

まさにその稲妻で胸に火を灯し、ひとりで道を照らせ



あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め

ひとりで進め、ひとりで進め

あなたの呼びかけに、もし誰も答えないなら、ひとりで進め



タゴールの詩をもう一作紹介させていただきます。詩集「ギーターンジャリ」に収録されている作品です。(*1)

・ 『私はその日が来るのを知っている』


私はその日が来るのを知っている


――そのときはこの地上を見る私の視力は失われ、生命は無言で暇乞いをして、最後のカーテンを私の眼の上にひくだろう


それでも星たちは夜眺めているだろうし、朝は前と変らずに明けて、時間は海の波のようにもりあがって喜びと苦しみを投げつけるだろう



この最後の時を思うとき、時間の堤は破れて、私はあなたの世界とその投げやりにされた宝を、死の光の中に見る。


最低の席というものもなく、一番卑しい生命というものもない。


私が空しく求めてきたもの、私が手に入れたもの


――そういうものはどうでもいい。ただ私に本当に所有せしめよ、私がこれまでないがしろにし、見すごしてきたものを。

(出典*1)

以下に、バラ十字会の研究家が書いたタゴールについての記事を紹介します。


▽ ▽ ▽


記事:『タゴールのメッセージ』(Tagore’s Message)


インドの偉大な哲学者の詩と言葉は今も心を燃え立たせる


ヴィンセント・エドワーズ(by Vincent Edwards)


(写真:タゴールと雪に覆われたヒマラヤ)


インドの偉大な詩人で哲学者であるラビンドラナート・タゴール(1861-1941)がまだとても若かった頃、彼の父親はタゴールに、本を置いてヒマラヤの山々に登ることを強く勧めました。


細かい経緯は分かりませんが、ヒマラヤの雪に覆われた威厳ある山並みの光景から、この若者は新しい世界観を得ることになりました



この地で彼は、その後の人生でずっと忘れることなく大切にしたビジョン(vision:理想像)を手に入れました。

それは自由な世界というビジョンであり、この世界では愛と理解に、国境よりも深い意味があるとされます。

ここでは男も女も兄弟姉妹のように支え合って暮らし、科学者は人々の役に立つために研究を深めることができます。

この世界では人を疑う理由などありません。というのも、戦争は人々の友情と愛によって禁止されているからです。



おそらくラビンドラナート・タゴールほど平和を愛し、戦争を憎んだ人は、誰一人としていなかったことでしょう。

やがて彼の母国では、彼の名前を誰もが知るようになり、裕福な人々にも、とても貧しい人々にも、彼の詩が知られるようになりました。

彼の歌は、人々が集まる街角でも、そして国を遠く離れた隊商(caravan:キャラバン)の列でも歌われていました。

世界平和の夢を歌った彼の詩に、無数に多くの人々が心を揺り動かされました。


・ ノーベル文学賞

Nobel Prize in Literature


(写真:若い頃のタゴール)


1913年にタゴールにノーベル文学賞を受賞するという栄誉がもたらされました。

アジア出身の人がノーベル賞に選ばれたのはこれが初めてのことでした。

そしてインドの偉大な天才の受賞は、あらゆる方面からの称賛をもたらしました。



ラビンドラナートに惹きつけられた英語圏の読者の中に、インドの人々と同じくらい熱烈な一人の信奉者がいました。

それは、アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツです

彼は、このインドの詩人の詩集のひとつに序文を贈っています。

その中でイェイツは、この著名なインド人の作品を見いだしたときの驚きがいかに大きなものであったかについて述べています。



しかし、イェイツがこのことをベンガル人の医師に語ったとき、医師は少しも驚いた様子を見せませんでした。

医師は言いました。「私は毎日ラビンドラナートを読んでいます。彼の詩の一行は、世界中のすべての厄介事を忘れさせてくれます。



1916年にタゴールは、アメリカへの旅をしました。

それは、多くの人の思い出に残る旅となりました。彼はどこに行っても多数の人々の注目を集めました。母国の盛装を身につけて歩く、穏やかな眼をした男性は、人々の記憶に長い間留まり続けました



彼は長い茶色のローブをまとい、長老のようなあご髭と、鉄灰色の髪が印象的な人物でした。

彼がほほ笑むと、顔全体が人間への深い愛に照らされているように見えました。



1916年の日本への訪問の際も、彼は同じように人々に深い印象を与えました。

あるときラビンドラナートは、若い人々のグループに講演をするために招待されました。

その少年少女たちは、心を動かされ、そして彼を敬慕するようになりました。

というのも彼らは、この礼儀正しい訪問者から、愛嬌(あいきょう)のある告白を聞いたからです。



「私のことを怖がったり、私が皆さんに長々と話をするつもりだとは思ったりしないでください。」

「私は、自分が灰色のあご髭と白い髪をしているために、そしてゆったりとした長いインド風のローブを着ているために、いくぶん恐ろしく見えることを存じています。」

「そして外見から私を知った人たちは、私が老人であるというばかげた誤解をして、私に上座を譲り、少し距離を置いて敬意を払ってくださることも存じています。」



「しかしもし私が皆さんに、自分の心をお見せしたら、実は未熟で若いことがお分かりになるでしょう。」

「おそらくは私の前に立っている皆さんのうちの何人かよりも私の方が若いかもしれません。」



「そして皆さんは、私がとても子供じみた人間であるのを知ることでしょう。」

「優れた知恵のある現代の大人が信じているとすれば、きっと恥ずかしいと思われるようなことを私が信じているからです。」

「というのも、私は理想的な人生があることを信じています。」

「また私は、小さな花の中に、その美しさに隠されてはいるけれども、強い命の力が存在していて、その力は、機関銃などよりも強いと信じています。」

「また、鳥のさえずりの中には〈自然〉が自体の力を表わしていて、その力は、激しく続く砲撃の、耳をつんざくような轟音(ごうおん)に現れている力よりも強いと、私は信じています」。



何と驚くべき、そして深く考えさせられる言葉でしょうか。


ラビンドラナート・タゴールが、実際にどのような思想家であり、詩人であったのかを、この言葉ほど明らかにしてくれるものはないでしょう。

さらに、すべての大国が強力な軍備を築きつつあった時代に、彼は恐れることなく、人間が友愛で結ばれている世界を夢見たのです。



それはひとりの詩人の愚かな夢に過ぎないのでしょうか。

おそらく、私たちにそのように信じさせようとする、地位の高い政治家もいることでしょう。

しかし、思慮深い人々はよく知っています。

もし、美と善が永遠の存在であるとすれば、この偉大なベンガル人の詩人の理想は、必ず実現します。

忍び寄ってくる不信感が国々の間に築いた壁は、必ず崩されることになるでしょう。



ラビンドラナートの死が発表されてから70年以上が過ぎました。

しかし、彼の声は今も私たちのもとに届いており、むしろ以前よりもはっきりと大きく聞こえます。

それはあたかも、国際的な緊張が新しい局面を迎えたこの時代に、彼が特別なメッセージを運んでいるかのようです。



彼の詩の多くで、彼は、世界中の「子供たち」と自分を重ね合わせています。

彼はいつも、自然や魂に関することを詩にしました。

花や山や雲が、そしてあらゆるものが〈創造主/神〉の存在をそれとなく示しています。



こんなにも分かりやすく〈創造主/神〉の愛について語った詩人が過去にいたでしょうか。

彼の思いを表す詩のいくつかを読んでみてください。

そして、あなた自身で判断してください。



◆ タゴールの名言(7選)


・ 私に考えさせてほしい。未知の暗黒を貫いて私の人生を導いてくれる〈一なるもの〉が、あの星々の中にあるかどうかを。


・ 悪は敗北を受け入れることができない、しかし正義にはそれができる。


・ 人が知恵とともに子供らしさを取り戻すことを、神は待ち望んでいる。


・ 瞬間の騒々しさは、永遠の音楽をあざ笑う。


・ ああ我が神よ、全てを手にしながら汝自身を失った人々が、汝自身以外には何も持たない人々をあざ笑うのです。


・ 裕福な人が、神からの恩恵だと財産を自慢するとき、神は恥じる。


・ 神は偉大な王国に退屈するようになるが、小さな花々には決して退屈しない。


△ △ △


下記は筆者の前回の記事です。


参考記事:『渦巻きのスピリチュアルな意味|古代人が生命の象徴とした螺旋の模様』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145884&c=3304&d=ed84



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。(^^)/~



参考文献:
*1 タゴール/山室静訳「タゴール詩集」、2004年、グーテンベルグ21
*2 佐々木美佳著「タゴールソングス」、2022年、株式会社三輪舎
*3 https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145885&c=3304&d=ed84 、2024年9月6日閲覧



==============

■ 編集後記

クレロデンドルム(ブルーエルフィン)という花のようです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1145886&c=3304&d=ed84

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母の状態(入院26日目)&愛する人達の動向

2024年09月05日 22時07分00秒 | 医療、病気

 朝が涼しくなってきました。

家の中よりも外の方がさわやかで気持ちが良かったです。

スマホによりますと家の中は24℃でしたが、今日の最低気温は22.7℃でした。

 

 ポプラちゃんの近くなので切られたりしないか心配。

 

椿の新しい葉っぱはつやっつや。

桜の葉っぱは朝の陽に透けてきれいです。

 

今日は2周少々しか歩けませんでしたが、このくらいが今はちょうど良さそうです。

我が家のバラ

「ステファニー・ドゥ・モナコ」と「プリンセス・ドゥ・モナコ」(グレースケリー)

 

「ドフトゴールド」

今日の朝顔は南側に白いお花が4輪咲きました。

今日の果物

ブルーベリーを散らしたのがあまり美しくなかったようです

最近のサラダ用。

少し前まではオリーブオイルとピンクの岩塩と胡椒でした。

 

3時半頃、MSWさんよりお電話がありました。

「もしかして病院内に居る

「いえいえ、これから家を出るところです」

ケアマネさんと訪問看護ステーションが決まったようです。

明日の4時に顔合わせになりました。

 

 その後、病院に行くと母が冷えピタをしてるもしや又発熱と思ったら、母が隣に移動になっていました。

今日の母はとってもいい表情をしていました。

「眺めがいいねえ」と言うと「うん」

師長さんによりますとレントゲンの結果、肺炎ではなかったようです。

ほっとしました。

でも、一体何だったのかまだわかりません。

そこへMSWさんが来られて、もう一度詳しくお話を聞かせて下さいました。

ケアマネさんと訪看さんは同じ事業所だそうです。

訪問診療のドクターのご紹介かと思いましたが「ううん。うちによく出入りしているところ」と。

又、私が「ショートもデイも使えなくなると病院に行けなくなるのでどうしよう」と言っていたので、パーキンソンは難病なので、今の介護保険以外に障害者の認定を受ければ24時間サービスも受けられるから、私の通院時間も確保出来ると言われました。

すご~いと思い、必要な書類を持って福祉事務所に行きました。

うちではない、2階です。

いや、うちではない1階です。

等と言われあちこちへ。

「事務員なので詳しいことがわからないので聞いてきます」と言われ待っていましたが、「詳しい方」は出て来られなかったり。

その度にMSWさんに電話し、代わってもらいました。

長い時間かかりました。

ふと多くの人が一斉にお部屋から出て行かれ始めたので時計を見ると5時16分。

流石、お役所。

(私も人のことは言えません。そういう時期もありましたので~)

結局、障害者手帳を受けとらないといけないようですが、その為には4~5ヵ月はかかるそうです。

もう定時を過ぎていましたので、又、明日以降MSWさんに電話をして下さることになりました。

MSWの方は明日、ケアマネさんがいらっしゃるので何かいい方法はないか聞いて下さるとのことでした。

「手ぶらで帰すことになって申し訳ないです」と福祉事務所の方が言われましたが、「いえいえ」。

でも、面会に行って、一旦帰って書類を持って再び出かけて暑い中を(一時よりはいいですが)バタバタしたので疲れました~

 明日も結構忙しいです。

もう今までお世話になっていたクリニックのソーシャルワーカーさんにMSWさんは話されたそうです。

「仕方ないですね」と言われていたとか。

クリニックへお礼に行こうと思っていますが、明日の顔合わせが4時からですから、多分5時までには帰れないので明日は行けそうにありません。

「前のケアマネさんには明日顔合わせをして正式に決まってから話します」と言われていましたので、こちらは来週初め。

いずれにしても、お礼に伺うのは来週のことになりそうです。

 明日は金曜日ですので、母の調子がこのまま良ければ、当分もう行けないかもしれないので牛窓に行こうと思っています。

サボテンを持って帰らなくちゃ。

 

 

 

 今朝、歩いている時にお婿ちゃんから手術が無事に終わって、これが今日の「朝ご飯」とメッセージが来ました。

右のボトルはスキムミルクのようです。

はちみつトースト

シリアル

スキムミルク

アップルゼリー

この袋の中身は何

歩きながらチャットをしていたら、今日こそは6時25分にはテレビ体操しようと思っていましたが、又出来ませんでした

お婿ちゃんはマメに連絡をくれます。

初めはERからでしたので、「一体何が起こった」という感じでした。

ベッドに寝ているし、モニター画面の写真もあるしで・・・。

何もかもが日本とは違うと言っていました。

こうして海外の病院食を見ることはないので興味津々。

私が海外で病院に行ったのは1度ありますが、患者としてではありません。

娘がハワイの病院で研修していた時、1日オフがあり、遊びに出かけました。

すると目の前でオートバイが事故。

救急車に乗るまでお世話して、「じゃあ、行こうか」

すると今度は病院から緊急呼び出し。

ちょうどアメリカの男の子と一緒に研修していたので彼が迎えに来てくれることになりました。

急ぐし方向は反対だしで「じゃあ、一緒に行く」となって一緒に病院に行って私は終わるまで外来で待つことにしました。

4時間位待った気がします。

結局、夕方になってしまい、夕食を食べて帰った気がします。

 もうひとつ、医療の面から言いますと、インドでドクターにお世話になりました。

この旅はネパールで単身がんばっていらした神父様に物資を持って行き、インドではマザーテレサの「子供の家」に行こうという旅でした。

近所の教会の数人が行くと言うことで私もこの神父様とは懇意でしたので、一緒に行くことにしました。

このメンバーは面白い人が揃っていて、とにかく、教会関係には泊まらず他の宗教の施設でお世話になろう計画を持っていました。

インドでお世話になったのはお寺。

ヴァーナーラシーのサールナート(お釈迦様が最初に説教なさった場所)の近くでした。

和尚さんがどこかのお寺に行かれて不在。

しかも、インド熱(勝手に私がそう呼んでいる)に罹って帰って来られずにいらっしゃるとのことでした。

何日かして帰っていらしたのですが、私達のグループ5人のうち2人が感染。

そのうちの1人が私

高熱と嘔吐と下痢が続き、死ぬかと思いました。

その上、インドの夜って(当時)、漆黒。

何にも見えません。

手探り状態で、雨期の最後でしたから、スーツケースの中までびしょ。

もう1人の方は高齢ではありましたし、本当に死にそうで、お坊様がドクターを読んで下さいました。

ここあたりからは以前にも書いたと思いますが、ドクター曰く「明日の午前中には行く」

お坊様曰く「多分、12時間後の午後だと思う」

流石です、お坊様。

ドクターが歩きながらゆったりいらしたのは次の日の午後。

日本から持って行っていたお薬は全然効きませんでしたが、郷に入っては郷に従えです。

ドクターがポケットからお薬をいくつか出して、手で割って、口の中へポン

遠巻きに見ていた近所の人たちがその辺の木の葉っぱも摘んで飲ませてくれました。

すると何と30分後には熱が引きました

そして次の日にはガンガー(ガンジス川)に沐浴に行きました。

屋台のチャイをお坊様が買って下さいました。

美味しかった

ヒンズー教のお坊様は額にティカを塗って祝福して下さったり、お花売りの子供達に囲まれながらガンガーへ。

でも、流石に病み上がり。

浸かるのは足だけにしました。

そのそばでは死体を焼く煙が絶えることなく立ち昇っていました。

薪代だけ持って死を待っている人達もいました。

 ちなみにネパール(ポカラ)ではどこかの宗教(創価学会だったような)の信者さんの経営するホテルの広~いお部屋を1室ずつ提供して頂きました。

ご親切に市内観光にも連れて行って下さいました。

他の場所にも泊まりましたが、ここはアンナプルナの真ん前。

本当に美しい光景で、忘れられません。

もう一度、ヒマラヤを見たいというのがバゲットリストにあります。

 

 

 

 

 続いて、もうひとつ。

今日の12時25分発のイタリアエアウェイズでローマに旅立った友人。

昨日は銀座周辺で大学時代の友人と串カツとビール、大きな抹茶のかき氷を食べてご機嫌な写真を送ってくれました。

今日はこれ。

ついに念願のヴィトンを買ったようです

11時45分には搭乗口へ。

「後ろに大谷翔平が写ってるよ~」

 

彼女にとっては初めてのヨーロッパ。

この飛行機を見た時、イタリアの飛行機って変わったんだと思いました。

「いつの話」ということになりますが、私が乗ったのは今はもうないアリタリアでした。

(行きと帰りはブリティッシュエアウェイズ)

 

 

 

 

もう10時が来てしまいました。

今、お婿ちゃんが袋の中身はコーンフレークだと~~~

今日は退院にはならなかったようです。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと249・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.9.5

 

【編集長取材手記】心に響く「世界のホームラン王」の名言

 

どんな世界でも、
いまはすぐに答えを求める、
答えを出そうとするのが流行りのようです。
しかし、答えを出すまでの過程で
努力することが大事なんですよね。
常に「もうこれでいい」ってことは
ありませんから
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王貞治(福岡ソフトバンクホークス会長)
○月刊『致知』2024年10月号
特集「この道より我を生かす道なし
この道を歩く」【創刊46周年記念号】より
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●【編集長取材手記】
王貞治さんが語った大谷翔平選手の
「成功の秘訣」
こちらからお読みいただけます

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月05日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

あらゆる種類の癒しは、内からの波動を変えることにあるということを--生きた細胞組織の内にある聖なるものを、神の創造エネルギーに同調させることに他ならない。

Know that all strength, all healing of every nature is the changing of the vibrations from within, - the attuning of the divine within the living tissue of a body to Creative Energies.

(1967-1)

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母の容態(入院25日目)&発熱&友人イタリアへ

2024年09月04日 19時53分45秒 | 医療、病気

 今朝も涼しく歩きやすい季節になりつつあります。

(昨日は23.4℃、今日は22.3℃。明日は21℃予報です)

日中はまだ暑いですが、今日の最高気温は33℃なので、気分的にも少し違ってきました。

とは言うものの、この残暑はまだ2ヵ月続くと天気予報が言っていました

 

 

まるで秋みたいですが、雨が降らないので枯れているのだと思います。

テニスコートと歩道の間に網が張られていました。

ボールがよく飛んで民家の方に行ってしまうからかも

 

日の出

太陽が昇ると暑くなります。

今日は5周歩きましたが、やっぱり膝に水が溜まって来てます

 

我が家の朝顔は南側の白色が8輪。

 

よれよれ~

西側の紫が3輪とマゼンタが2輪。

 

まだがんばって咲いてくれています。

 

「ラ・マリエ」

 

「プリンセス・ドゥ・モナコ」

 

「シェヘラザード」

そして、ジャスミン

今朝の果物

ブドウはピオーネとオーロラブラック。

ピオーネはとても甘く、オーロラブラックは甘さの中に酸味もある感じです。

午前中用事があって外出しましたのでついでにぐるっとドライブ。

河津桜の通りです。

 

阿部池の向こうのゴルフ場があるのですが、暑くても多くの方々がラウンド中

 

岡南飛行場の滑走路

広々としています。

 

 

こちらサイドは児島湖

 

 

 2時過ぎ、まだ暑い最中でしたが面会に行って来ました。

母は寝ていました。

そこへ看護師さんがいらして、お熱が出たと

看護師さんのお話によりますと、昨夜母は元気で夜中におしゃべりをしていたらしいです。

(何を言っていたかは不明)

そして、今朝の朝ご飯は完食

この時お熱は37.5℃くらい。

その後、10時に実習生さんが測って下さったら38.5℃

私が行った時には解熱剤で下がっていました。

お昼ご飯は全く食べず、ずっと寝ているとのことでした。

明日、レントゲンや血液検査があるそうですので原因がわかると言われましたが、今の予想では誤嚥性肺炎か尿路感染かと言われていました。

病院に居てさえお熱が出るなんて、家に連れて帰るのが不安です

 

 

 

 今朝、友人が次女とイタリア旅行に行くために東京に行きました。

「可能な限り、写真を送るね~」ということで、今日は飛行機の写真を2枚。

岡山桃太郎空港

始発 JAL 7時10分発 東京着 8時25分

偶然彼女も私も昨夜10時半に寝たようです。

私はなぜか3時に目が覚めて、その後目が冴えてしまいました。

友人は2時半に目が覚めたそうです。

彼女のところからですと瀬戸大橋線に乗って、岡山駅から6時のリムジンバスで空港へ。(6時半着)

羽田着

8時35分頃

その後ホテルに荷物を置いて、大学時代の友人が千葉に住んでいるので銀座で待ち合わせて夕方までおしゃべりすると言っていました。

これから、気持ちだけでも一緒に旅出来ることが楽しみです

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと250・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.4

 

モスバーガーの創業精神

 

その気になって見れば、
仕事を教えてくれる「先生」は
周りにたくさんいます。
周りの先生から
どれだけ積極的に学んでいくか。
その姿勢が自分を成長させていく。
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櫻田 厚(元モスフードサービス会長)
○月刊『致知』2024年10月号
特集「この道より我を生かす道なし
この道を歩く」【創刊46周年記念号】より
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日本を代表する
ハンバーガーチェーン
モスフードサービス。
その創業期から経営に携わり、
今日の発展を牽引してきたのが
櫻田厚さん、73歳です。

最新号では、創業者の教えや
モスで学んだ経営発展の神髄を
余すところなく語っていただきました。

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櫻田 厚(元モスフードサービス会長)

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月04日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

わたしの意志ではなく、おお主よ、あなたの御心が、わたしの内に、わたしを通して行われますように。わたしがさまざまな形で接するすべての人に対して、わたしを今日、いま、祝福の水路としてください。

NOT MY WILL BUT THINE, O LORD, BE DONE IN AND THROUGH ME.
LET ME EVER BE A CHANNEL OF BLESSINGS, TODAY, NOW, TO THOSE THAT I CONTACT, IN EVERY WAY.

(262-3)

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母の容態(入院24日目)&着々と

2024年09月03日 21時30分00秒 | 介護

 明け方、土砂降りの雨が降りました。

雨が降ると植物が喜ぶので嬉しい

その後も、○○時から雨が降りますと予報は出ましたが、延び延びになって結局は大して降らず

 

 今朝の空

朝顔の下の千日紅がかわいいです

 

今日はがんばって6周も歩きました。

膝が痛くなって初めてではないかと思います。

今朝は涼しかったので歩きやすかったのですが、膝はやはりなかなか治らず

 

 

 今日の果物

我が家の朝顔

西側は合計6輪。

明日も咲きそうです。

 

  

 

 

南側も白色が6輪。

明日も咲きそうです

 

「ラ・マリエ」と「ステファニー・ドゥ・モナコ」

 

ジャスミンの大輪が咲きました

 

皆、ある部分神経質や気になる部分があるかと思います。

人口の15~20%がセンシティヴな人のようですが、私も当てはまると思っていましたが、あまり当てはまりそうにないような

久々のお抹茶が飲みたくなって、朝一の眼科の帰りに和菓子を買って帰りました。

もう多分、お茶のおけいこにも行けないだろうな~と思いつつ。

 

お菓子も随分と小さくなりました。

「淡雪」と「葛桜」

先日に続いて、簡単な夏寿司が食べたくなって作りました。

Rちゃんが眼科に居る時に「お母さん、どこですか Rちゃんは夜勤明けでお母さんの家に来ていますよ」

結局、一寝入りして、一緒に母の面会に行き、帰りに我が家に来ることになりました。

そこで、お寿司をパッキング。

きゅうりはぬか漬けです。

 4時、Rちゃんち経由、病院に行きました。

母は点滴の針を抜いたようで、腕を包帯でぐるぐる巻きの途中。

でも、顔色は良さそうでした。

昨日のプリンが気に入ったということを聞いて、初めて、あっと思い出しました。

昨日の帰りに毎日持って行こうとヨーグルトを買ったのでした~

忘れてきたので又、売店に階に降りました。

 今日もお昼には言語聴覚士さんが来て下さったようです。

実習生がメニューを置いてくれていました。

昨日は朝7/3

昼5~7/5

ハンバーグのペーストは全部食べたようです。

マンゴープリンは1~2口。

今日は実習生さんが3時までなので聞けませんでした。

 帰りにMSWさんがナースステーションにいらしたので、プリンを置いていることと、爪切りをお願いしたいこと(結構のびていて危ない)、ショートがダメならデイなどはどうかと伺ってみました。

まず、訪問診療のクリニックが受け入れて下さったようです。

ショートは今、打診中で、施設内で相談後お返事があるようです。

デイは休む場所がないので、ナーシングホームなどのデイを探さないといけないかなと言われていました。

と言いますのも、母が一日中家に居るとなるとペインクリニックとか病院関係も行くことが出来なくなります。

今日の眼科はコンタクトレンズでした。

相変わらず入れるのが下手

2週間近く入れずに過ごしたりもしましたので、ワンディにしょうかと悩みました。

ハードの4シーズンは市内に1軒のみ。

なんと母の眼科医さんのところでした、

今回2ウィークがあと1個になりましたので、行こうかと悩みましたが、ちょっと遠いので涼しくなって次回に又考えようと思います。

 ちょっと話が脱線しましたが、母は家に帰ったら食欲も出てもっと元気になるのではないかと思います。

好きな時間に食べさせることが出来ますし。

ただ、誤嚥や尿路感染のリスクは高くなりますが

 面会の帰りにRちゃんが寄った時いろいろ話しました。

最近、施設で2人の方が亡くなったそうです。

しかも、Rちゃんが夜勤の時に。

スタッフの皆さんが「Rちゃんの夜勤の時を待っているんよ」と言われたとか。

確かに母もRちゃんが大好きで今日も満面の笑顔。

母がまず気に入ってその後担当部署が変わって、個人的にお付きするようになったわけです。

Rちゃんに母が帰ってからの配置の相談をしました。

又、今日はRちゃんから、亡くなってからお葬式までの日本の風習について一杯質問を受けました。

ベトナムとの違いに興味津々のようでした。

 

 

 

 お婿ちゃんが痛みで救急で病院に行ったようですが、今日、入院になって手術をするようです。

胆石だったとか。

でも、10月に帰国するのでお好み焼きやお寿司を食べたいと言っていました

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと251・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.3

 

禅のトップが語る仏教の根本

 

禅に限らず仏教の教えの根本は
「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」、
つまり「自分は未だ(彼岸に)渡らざるに、
まず他を渡す」ということだと思います
━━━━━━━━━━━━━━
山川宗玄(臨済宗妙心寺派管長)
○月刊『致知』2024年10月号
特集「この道より我を生かす道なし
この道を歩く」【創刊46周年記念号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●全国3,300の寺院を擁する臨済宗妙心寺派。
5月にその管長に就任された山川宗玄師の言葉です。

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月03日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー


あなた自身の中に、体を癒すためのすべてのものが備わっているのです。

Know that there is within self all healing that may be accomplished for the body.

(4021-1)

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母の容態(入院23日目)&DrとMSWと母の今後についての話

2024年09月02日 21時50分00秒 | 医療、病気

 生活を立て直そうと思いつつ、自分に甘い私はなかなか出来ないのですが、最近ブログを早くアップするようにし、10時はベッドに入り、寝ている間のゴールデンタイムを有効活用し~~~と、簡単な時間割(時間配分)みたいなものを作ろうとしています。

とにかく睡眠時間の確保が大切。

どうしても4時半とか遅くても5時には目が覚めるのですから、寝る時間を早くする以外にはありません。

母は入院中の今、健康の為にちょっとルーティン化(ゆるゆるですが)を試みようとしています。

なぜかあれこれしていたら、一番大切なことをする時間がなくなってしまう結果になってしまって

 

 

 

 5時前に目が覚めて、窓を開けたりあれこれして、家を出たのは日の出タイム頃。

(今は5時38分頃

昨日の母の同い年の友人の方はすでに5人くらいのグループの中にいらして公園の出口方面を歩かれていました。

このグループは1つは80代~90代。

もうひとつは70代でしょうか。

朝、大体待ち合わせていらっしゃるようです。

このグループの中のメンバーは随分と変わりました。

かつて母もこの中に居ました。

 

こちらの朝顔はまだ綺麗に咲いています。

咲き始めが遅かった気がします。

 

 

我が家の朝顔

西側には3輪咲いていました。

1輪は一番下に隠れて咲いていました。

昨日も咲いたようです。

明日も咲きそうです。

 

こちらは一番上に咲いていました。

ちょっと色が違います。

青とマゼンタのミックス

 

そして、マゼンタ色

南側には白が4輪咲いていました。

 

 

 

暑かったので肥料をやらなかったせいで小さめですが、「ラ・マリエ」と「シェヘラザード」。

 

ジャスミン~

 

今日の果物

 

 今日はドクターからのお話と病院の地域連携室の相談員さんとの話し合いの日でした。

2時からでしたが、とても暑くなるので少し早めに行って病院でご飯を食べながら自分の考え等まとめようと思って、12時ぐらいに家を出ました。

食欲がないので、ミニうどんとかおにぎりにしようかなと思いつつも、タンパク質を食べなくちゃと思って、ハンバーグにしご飯を小盛りにしてもらいました。

が、何のことはない

全部食べてしまいました🤣

1時15分頃になったので、まず母に面会してからドクターのお話を聞こうと思って病棟に上がりました。

母は寝ていました。

この福者カルロ・アクティスの写真を持っていきました。

 

目を覚まして「喉が渇いた」。

ナースコールを鳴らしましたが、来て下さった時には又寝てしまっていました。

岡山市街と国際ホテル

 

そこへ、今日から母に実習生として付いて下さる看護師の卵さんが来て下さいました。

本当にありがたい

母もどんなにか慰められるかと思います。

その後2時になってもご連絡がなく、しばらくすると検査のためにドクターは30分間ぐらい遅れられるので、その前に地域連携室の相談員さん(正式には、この方はMSW・メディカルソーシャルワーカーと言われる方のようです)とお話することになりました。

本当にこの方と話をするとはっきり言われるのでドキッともするのですが、覚悟も決まると言いますか。

それに情報も多く、しかも現場に即しているのでとっても有能な方だなぁといつも思います。

MSWさんのお話によりますと

「今日は退院の話です」と言われたあとで、

・母は食事にムラがあり波があるので今後は分食がいい。朝、10時、お昼、3時、夕食みたいに。

・現在、栄養剤を点滴をしているが必ずしも必要ではない(お部屋に来て母に2回エンシュアを飲ませて下さった認定看護師さんは水分が足らなくなるからしっかり家では水分補給をするように言われました)

・現在、吸痰は日に1回。Spo2はいいので今後はスポンジでOK。

・食事は全介助(これは以前ほぼからそうでした)

・(リハをしていると実践生さんにお聞きしたので伺うと)現在、午前中にしているのは口腔リハのみ。

・ESBLという抗生剤が効きにくい金を1年前も持っていた。これは繰り返す。細菌性肺炎や尿路感染症になった場合もやっつけにくい→仲良くやっていく、重症化しやすいか仕方がない、大量の抗生剤を投与すると身体も弱るが、余計な耐性菌が出来る。

ここまで伺ったところへドクターが来られました。

今後、誤嚥性肺炎や尿路感染症を何度も併発しながら弱っていくというパターンではないかということでした。

今日の血液検査では炎症の数値も正常になっていたが、良くはならず繰り返す。

嚥下が悪いので栄養が取れず動けなくなっていくだろうと言われました。

それから「トイレを言わなくなった」ので今後はポータブルトイレではなくおむつになる。

・機能ではなく病状的にはOKだがリハも厳しい。

・ショートはご飯が食べられない状態なので、受け入れてくれるかどうか。

・誤嚥した場合は熱、痰、Spo2が下がる

そして、今後これから良くなることは見込めないということと、選択肢としては老健のような施設に入るか、病院に入院するかと言われましたので、家に連れて帰って家で看たいという希望を伝えました。

ドクターちょっとびっくりなさっていたようでしたが、「分かりました。」ということで、もう先生の方からは特に何もおっしゃることがないようで退席されました。

その後、MSWと活発な意見交換をしました。

MSW・メディカルソーシャルワーカーとは「社会福祉士資格、または精神保健福祉士資格という国家資格取得者の総称として「ソーシャルワーカー」という呼称があり、その中でも医療機関で働いている人たちのことを、医療ソーシャルワーカー、メディカルソーシャルワーカー(MSW)と呼んでい」るそうです。(ネットより)

まず、ショートは万が一受け入れてくれたとしてもご飯が食べられなくなった、その他等で救急車を呼ぶのではなく、何かがあったら自宅に連れて帰ること。

続いて、共通の合意事項としてはドクターのたくさんいらっしゃる訪問診療のクリニックを探すこと。

それから、なるべくたくさんのナースが在籍している訪問看護ステーションを探すこと。

これはクリニックのドクターに紹介して頂くそうです。

私としては言語聴覚士さんやリハ、管理栄養士などの他のスタッフがも入って下さる方ががありがたいので、そのことを話しましたが、そのクリニックはやはりドクターが1人しかおられないので、それはやはり心もとないということで選択肢は3つのうちの2つに絞られました。

そしてどちらがいいかという話になった時に、

①の方はサバサバ系、体育系

②の方は呼吸器や癌などが専門でマメで細かい。

私としては②かなと思ったのですが、「小笠原先生は①のタイプよ」と言われました。

はっきり言われるから勝負(決断)も早い諦めも早い覚悟も早く付く (これはわかりません)

①の方は元々牛窓の建築士さんから話を伺い、牛窓繋がりのドクターで何回かお電話したところです。

②の方はケアマネさんおススメ。

結局、馴染み深い①にしました。

どちらもいいけれども我が家には①の方がいいのではないかなとMSWさんも思われたようです。

MSW曰く、小笠原先生のところはある意味、理想。

在宅を選ぶと言うことは「諦める判断力」を持たないと家で死なせられないと言われました。

病院で抗生剤を4本打っていても家では無理。

病院では生きる日数は延びるかもしれない。

在宅は「たった一人で死ぬことを納得出来るかどうか」

小笠原先生の患者さんはその覚悟が出来ている、割り切っている人達だと思う。

私の母はかなりの淋しがり屋だと言われたので「どうしてわかりました」と思わず聞き返しました。

やはり看護師さん達に居て欲しいみたいです。

「お母さんには娘さんがいた方がいい。それは家族しか出来ない」

・・・ということでクリニック(診療所や外来)を持たない訪問診療①のクリニックに決めました。

そして、訪問看護ステーションはそこに任せるとして、ケアマネさんをどうするかという話になった時に「もう切りましょう」という話になりました。

全てMSWさんが「私が先に話をします」と言われました。

「どのように言われるのですか」と伺うとカクカクしかじかとおっしゃって、「これでどこか間違ってませんか」とおっしゃったとので、いや、もう私としてはびっくり

もうパーフェクトでした。

私の気持ちが本当にそのまま、適切に簡潔にまとまっていました。

「まずクリニックとかが決まって全てが整った後でこちらにお断りの電話をするので、娘さんの方からもその後お世話になったので、一言お礼を後から伝えて下さい。」ということでした。

皆さん、最期まで診ようとして下さっていたのでどんなにびっくりなさるか。

でも、どう考えても今のクリニックでは無理です。

外来があるのでドクターすぐの対応出来ませんし、代わりに他のドクターが往診に来られることも出来ない。

それは訪問看護もそうです。

訪問看護は2.5人いればいいそうです。

今のクリニックは2.5人ではないですが、もういっぱいいっぱい。

あと、ヘルパーさんはこのまま続行。

それから、福祉用具も続行。

様々な質問したのですが、まず第一にトイレを作った方がいいかどうか

母の部屋の近くに。

そうでないと、私は今、仮寝の状態なので寝ることが出来ないと言いますと、「もう改修とかという段階ではなく配置の問題だと思うよ」と言われました。

つまり、もうポータブルトイレを使うということはあり得ないだろうということです。

その代わり、おしめ対応になるので臭いのしないゴミ箱か臭いのしないナイロン袋等があれば十分。

それから、ベッドの位置について前から考えていたのですが、今は台所に頭を向けて南に足が向いてる状態でテレビが見えるようになっていますが、母の顔が見えないのでどうかなと考えていたところそのお話をすると、そこに同席されていた実習生さんに「テレビ見られるかしら」と聞かれました。

彼女が「見られません」と答えられたので、「多分、お母さんは台所で動かれてる娘さんを見てる方がいいと思うので、向きを変えてもらいましょう」と言われました。

なるほど、なるほどと思いました。

また、ショートに関しては先ほども書きましたが「ご飯が段々食べられなくなる状態だけれども、その時点で救急車を呼んだりされないという上で受け入れて下さるところならいいけれども。ケアマネさんもショートも今の状況がわかっていないから、全てこちらの病院から連絡します。」とおっしゃいました。

何とも心強い。

これら、今まで全部私が連絡をしないといけなかったことです。

そして、退院はこれだけの大がかりなことを決めて、退院カンファレンスも開かないといけないので、2週間後の週末ぐらいになるかなという感じでした。

「もしその間に急変してしまったらどうなりますか」と一番心配なので伺うと、「どうしても家で最期を迎えさせてあげたい 例えば段々食事が出来なくなって、数日間の命ということになれば頑張って私(MSWさん)が体制を整えて新しいところに要請して家に帰れるようにします。でも、数時間の命となると病院で亡くなることになります」と言われました。

「急変するというのはどういう場合ですか」と尋ねますと、心筋梗塞。脳梗塞、くも膜下出血などだそうです。

これはもうどうしようもないと言われました。

そして、最後に「お母さんはすごく寂しがり屋だから、娘さんがそばにいるのが一番いいと思いますよ」と言われました。

先程も書きましたが、なぜ母が寂しがりやだということが分かったのか、本当にびっくりしました。

恐らく度々病室を訪問して下さり、看護師さんがいたら嬉しそうだったりした母を見て来られたのではないかと思います。

そういったことも考えられた上で、ベッドの位置を反対にした方がいいのではというアドバイスを下さったわけです。

「今後、私は家に帰ったら今のようなストレスフリーなサポートが受けられるのでしょうか」と伺うと「まず無理」と言われたのでがっくり来ましたが、もうそれはケアマネさん次第だと言われました。

あと、私の導入して欲しかったこととして、THP とか THP + などの情報共有とかいざという時のテレビ通話などの機器についてです。

けれどもこれは多分、岡山はまだそれほどを普及してないということと、多分機器の問題ではないと思うと言われました。

「電話1本でも大丈夫よ。すぐに行くからとか全ての情報が共有されていれば、今のように不安になることはないので、心配いらない」と言われました。

それから最後に私自身やっていけるかどうか。

これからショート使わなかった場合、ずっと毎日死と隣り合わせでやっていけるかどうか心配だということをチラッとお話ししたところ、「よく寝ることが出来たら大丈夫」と言われました。

そして睡眠時間とかあれこれ聞かれたのですが、結局今朝の最初のお話に戻りますが、母が寝てる間には絶対寝るとか睡眠時間の確保することが大事になってきます。

これから3日間ぐらいのうち、彼女が全てマネージメントして下さいます。

その後今までのところにお断り、お礼の電話が行き、それから退院カンファレンスが行われます。

帰りにまた母のところに寄りました。

母は喉が渇くと又、言いましたので、看護師さんを再び呼びましたが、そのネームの上には特定看護師という「特定」という文字が入っていました。

今日はこの方がいつもお茶やエンシュアの補給をして下さっていました。

やはり看護師の上の資格を持っておられる方で、もしかしたら ICU とかでも働かれていて注射などもドクターの代わりに出来る、そういう方なのかなと思ったりしました。

「水分不足になる可能性があるから注意するように」とのことでしたが、訪問診療になれば点滴も可能です。

 

 実習生さんは私が介護ノートに食事のメニュー表を貼ってるの見られて、「これからは私が取っておきますね。」とおっしゃって下さいました。

何かと心強い

 

 

何とかブログアップが10時に間に合いそうです

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと252・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.2

 

【免疫力を高める三つのスイッチ】

 

一、皮膚に氣持ちのいいことをする
二、笑うこと
三、感謝すること

━━━━━━━━━━━━━━
吉丸房江
(健康道場・コスモポート主宰)
○月刊『致知』2008年6月号
特集「人生の道標」より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月02日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

人にではなく、神に認められるような生き方をしなさい。

Study to show thyself approved unto GOD - not to man!

(294-198)

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母の容態(入院22日目)&母の同級生&イタリア巡礼

2024年09月01日 20時20分00秒 | 精神世界

 今朝、久々に母と同い年の方に公園の入口でばったりと会いました。

「お母さん、どう」と聞かれ、今日はおひとりでしたのでしばらくご一緒に歩くことにしました。

彼女は正式には大正15年2月生まれなのでまだ98歳なのですが、何がすごいと言って一人暮らしで、しかも大雨以外363日(元旦と2日は休むそうです)毎朝公園に散歩に来られており(少し前までは10周から12周、12000~13000歩歩かれていましたが、今は6周だそうです。それでもすごい)、ほとんど何でも一人でこなし、介護保険を一切使っておられません。

血圧が少し高くて耳が聞こえにくいぐらいで、あとは全く健康。

内科の先生が「2階にデイサービスがあるから来たら」と言われるらしいのですが、「何もかも一人でできるのにどうしてそんなところに行かないといけないの」と答えたそうです。

公園1周が人によりますが5、600歩ぐらいですが、6周歩かれ、そして帰ってからご飯の準備をしたり、ご主人のご仏壇を拝んだりなさるそうですが、「抱負というか希望というか、生き甲斐とか目標とかありますか」と伺ったら「そんなものはもう何にもなくなった」と言われましたが、「そうだ。毎朝、主人の仏壇に、朝起きたら死んでいるようにしてちょうだいと、それだけはお願いしている」と言われました。

「もうそれだけが望みなんよ」

娘さんが今は月に1回(以前は月に2~3回)、赤穂からいらっしゃっているようです。

何度も赤穂に連れて行こうとなさったみたいですが、ご主人と建てたてた今の家がどうしていいし、一人暮らしが安気でいいということで、一人で暮らされてます。

スマートフォンも「ガラケーを持ってる」と言われて、電話をかけることは出来ないけれども取ることは出来るそうです。

「ご近所周りはいかがですか」と伺うと、「近所はなあ。今頃の風潮は自分たちさえよければいいという風潮でしょう。世の中が」と言われました。

「だから、誰もとも話はしない。ただ会ったらおはようとか、こんにちはぐらいは言うけれども、皆家の中に居て出て来られもしないし、今回でも台風どうだったですかと言うことも誰にも言われたりしない」と言われていました

「一人暮らしが安気でいいけれども、今回のような台風の時はサッシじゃないから、家がガタガタと鳴ってちょっと怖かった。不安だった」と言われていました。

今でもクリニックに行くのは公園を歩いた後行かれるそうで、バスで言うと3つ目ぐらいの停留所くらいの距離でしょうか。

そうすると8000歩以上にはなると。

それから、お買い物にも歩いて午前中に行かれるそうです。

私だったら車で行っちゃうのですが、彼女は歩かれます。

そして、今日も帰ってから台風後の庭木や草などの掃除をすると言われていました。

何もかも人に頼らず、一人でするのが彼女の信条です。

「毎朝歩くのが面倒の思われることはないのですか億劫になることはないのですか」と伺うと「そんなことは一度も思ったことがない」と言われました

やはり、豆腐のような根性(もろくも崩れ去る)の私とは違います。

「折角来たのだから雨が降っていても1周でも多く歩いて帰ろうと思って歩いていると大体5、6周にはなってる」と言われていました。

本当に何もかも一人でするということと、自分を甘やかさない強さみたいなものが、毎度のことながら健康で長生きの秘訣なのかなとつくづく思います。

それにしても私と比較してすごい方だなと驚きで本当に目が点となってしまいます

「ちょっと腰が曲がったんよ。最近」と言われていましたが、確かに背中が少しだけ丸くカーブはなさっていましたが、普通に矍鑠と歩かれており、「今日はもう6周歩いたから帰るね」と言われてお別れしました。

とにかくすごい

どうしたら彼女にのようになれるのかと思い色々とお話を伺った朝でした。

 

 

 それから教会へ。

神父様がアメリカから無事に戻られて、教会のドアは開けっぱなしになっていました。

ふとロビーを見ると巡礼のパンプレットがありました。

イタリア

2コースあって

どこがちがうのだろうとみて見ると(B)の方はサン・ジョバンニ・トロンドへも行くようです。

これって何があったかしたとあとで調べると、聖ピオ神父の聖地でした。

 

この方も遺体が腐敗していません。

ちょっと経年劣化しているかな

そして、(A)プランは良く見ると、なんと福者カルロ・アクティスの眠る教会巡礼ではないですか~

 

この福者’(間もなく聖人に列聖されるようです)は少し前にとりなし(取次ぎ?)を祈ったら母に効果があった(気がする)方です。

このあたり

母の面会⑫&【福者カルロ・アクティス(Carlo Acutis)】

 

この方はまだ最近なので遺体が綺麗。

ちなみに遺体が腐らないから「聖人」になるのではなく、調査などの為にお墓を掘り返したら腐っていなかったという結果論で、聖人ではなくても世界には100~150位の腐っていない遺体があると聞いたことがあるような。。。

カトリック教会で有名なのはやはりフランス・ルルドの聖ベルナデッタでしょうか。

 この巡礼、メインはアッシジ

アッシジは私の保護の聖人の聖フランチェスコの聖地ですから、いつか絶対に行きたいと願ってきましたし、行きた~~~い

何だか急に熱心なカトリック信者になった感じです、私

こちらは長崎&津和野と島原、天草&長崎

 

イタリア、行きたい。。。

今日は朝顔は咲いていませんでした。

 

 

ジャスミンは変わらず美しいです

 

今日の果物

今朝は台風が行ってしまったと言うことで、町内清掃がありました。

班長さんが後からご丁寧に門に掛けて下さっていました。

今日のおやつは白桃

 

 ホスピス仲間の一人が今日、ご主人と牛窓に行ったようです。

私が言っていたホテルはどことラインが来ました。

そこで、牛肉の赤ワイン煮込みを食べたかったよですが、11時半からだったので、11時からOKだったスパイスカレーにしたとか。

牛窓の写真を送ってくれましたが、今日の牛窓はお天気が良くてとても美しかったです

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと253・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.9.1

 

この道より我を生かす道なし
この道を歩く
━━━━━━━━━━━━━━
武者小路実篤(作家)が
色紙などに繰り返し書いた言葉

○月刊『致知』2024年10月号
特集「この道より我を生かす道なし この道を歩く」より
━━━━━━━━━━━━━━

昭和53年に産声をあげた
『致知』は、おかげさまで
創刊46周年を迎えました。

記念すべき創刊号の
表紙を飾っていただいたのは、
世界のホームラン王・王貞治さん、八十四歳。

共に長年の『致知』愛読者である
道場六三郎さんとご対談をいただきました。

ぜひ、誌面でご覧ください!

◎対談「この道より我を生かす道なし この道を歩く』
王 貞治(福岡ソフトバンクホークス会長)
×
道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)

●詳細はこちら

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(9月01日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー


あなたの理想を知り、その理想にかなった生き方をしなさい。なぜなら、すべての人は自分自身について釈明しなければならないからです。

Know thy ideal, and live to that.
For, each soul must give account for its own self.
(2803-2)

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)←また、忘れていました

 

 

(フルバージョンは8月30日(金)のブログ

母の容態(入院20日目)&台風10号

に貼り付けましたのでご興味のおありの方はご覧下さい。

 

 

 

下駄屋のおばさんの思い出


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144244&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、赤い鼻緒の下駄、白装束の巡礼さん、山形県村山市の林の中の道の写真が挿入されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144245&c=3304&d=ed84

(下駄屋のおばさんの思い出|赤い鼻緒と白装束・御高祖頭巾の巡礼さん)

━…………………━

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母の容態(入院21日目)&在宅医療チーム

2024年08月31日 19時50分00秒 | 介護

  今日は朝から一日雲が多かったものの青空の見られる空模様でした。

昨夜、台風は今治あたりと聞き、その後瀬戸内海を横断するものと思っていましたが、朝(4時半過ぎ)起きたら何だか静かで雨も降っておらず。

TVを付けると台風は高知方面に進路変更

台風が落ち着いていたら牛窓に行こうと思っていましたので、身体の方は行く方向で着々と準備してはいましたが、心はずっと迷い中。

6時、警報が出ていたり運休も続いていましたが、もうこのあたりは大丈夫と思えましたので、一旦、家を出ました。

が、2号線バイパスで信号にかかった時、なぜか引き返そうと思いました。

信号にかからなかったら行ったと思います。

直観などと大袈裟なものではないですし、今日一日何事も起こりませんでした。

一日ひたすら読書をして過ごしました。

 

 

 

 今日の果物

いつもと一緒で、お皿と盛り付けが変わっているだけ

でも、これだけでも、いろいろなことを丁寧にしようという気持ちが起こります

西側の朝顔

紫色を見るのは2回目

南側は白色が2輪

 

ジャスミンがかわいい

ペチュニアも咲いていますが、もう樹形がすごい

 

空を撮ったら、トンボが写っていました。

 

 

 週末の土、日は面会出来ません。

でも、今週末は看護師さんの介助でお食事が出来ているはず。

「元気にしているかな」と思いつつ、読書をしながら今日は過ごしました。

週明けの月曜日にドクターからお話があり、その後、地域連携室の相談員さんとお話します。

幸い、この方が「なんとめでたいご臨終」の著者・小笠原先生の講演会に行かれたことがあるのでお話が早いです。

しかもホスピスに勤務していましたし、在宅、緩和、終末医療には明るいです。

小笠原先生の全く同じようなドクターはいなくても、限りなく近い方を探したいと思いますし、ご本を持って行って、「こういうサポートを受けたい」ともう一度伝えたいと思いながら、一日を過ごしました。

特にTHP(トータルヘルスプランナー)さんの存在も大きそうです。

その存在感は大きく、ケアマネさん以上の気がします。

あるいはケアマネさんが兼ねておられるのかもしれません。

又、THP+。(システム機器)

情報共有には絶対に欠かせません。

結局、「往診」や「訪問」ではなく、24時間365日の「在宅医療」が出来るところかどうかです。

その為には外来を持っていないクリニックのドクターであること(多くのドクターが在籍していればなおいい)、又、多くの看護師さんが在籍している訪問看護ステーションであること。(SOSに応じてもらえる)

そして、出来れば訪問言語聴覚士さんや訪問管理栄養士さんなどその他のスタッフが在籍していること、あるいは在籍していなくても要請出来ること。

在宅介護にはチームとしての支えが必要です。

今まで「チーム〇〇ちゃん」という介護ノートを付けてきました。

途中からですが、そのノートもNo16になりました。

私以外にも看護師さん、ヘルパーさん、リハ、ショートなど関わって下さっている方が書いて下さってきました。

その中で情報は共有出来ても、ケアマネさんとクリニックの連携は取れずじまいです。

眼科のドクターとクリニックのドクターもそう。

薬局も私も途方に暮れるばかりでした。

昨年の入院時もそうだったのに、今年も又同じことが繰り返されました。

思えば3年前もそうでした。

もう二度と同じことは繰り返したくありませんので、決断することにしました。

このままだと母にはかわいそうな思いをさせ、私には一生消えない後悔が残ります。

今までおかしいと思い続け、ストレスを感じ続けてきましたが、在宅介護を支えてくれる本当の24時間365日サポートに切り替えます。

私のように介護人がひとりの場合やひとり暮らし方の場合には特にそのようなサポートが必要です。

今はただ「ああ、間に合って良かった」と言いたい想いです。

(これからなので、まだ言えません)

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと254・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.31

 

「こういう本が欲しかった」

 

新しい自分が見たいのだ
――仕事する

━━━━━━━━━━━━━━
河井寛次郎
(生涯を通じて膨大な作品を残した陶芸家)
○『仕事力大全』(致知出版社刊)より
━━━━━━━━━━━━━━

『致知』創刊45年の歴史の中から、
後世に残したい珠玉のインタビューや
対談記事を厳選し、約800ページにまとめた
『一生学べる仕事力大全』。

本書は、

『1日1話、読めば心が熱くなる
365人の仕事の教科書』

の刊行後、

「この本の元となった記事の全文を読んでみたい」

という声が、読者の皆さまから
たくさん寄せられたことが
きっかけで生まれました。

名経営者のインタビューや伝説の名講演、
一度きりの師弟対談、創業者同士の対談など、
以下のような54話を収録しています。

(※肩書は、いずれも掲載当時)


○利他の心こそ繁栄への道
稲盛和夫(京セラ名誉会長)

○トヨタのものづくりと人づくり
張富士夫(トヨタ自動車相談役)

○不可能を可能に変える経営哲学
鈴木敏文(セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問)
矢野博丈(大創産業会長)

○ドラッカーと本田宗一郎 ~二人の巨人に学ぶもの~
岩倉信弥(本田技研工業社友)
柳井 正(ファーストリテイリング会長兼社長)

○「無」から「有」への出発
青木定雄(エムケイ会長)
櫻田 慧(モスフードサービス会長)

○人に学び、自分を追い込み、緊張感の中で仕事をする
安藤忠雄(建築家)
牛尾治朗(ウシオ電機会長)

○世界の頂点をいかに掴んだか
栗山英樹(侍ジャパントップチーム前監督)
横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)

○わが忍の実践哲学
川上哲治(巨人軍元監督)

○師弟感奮興起物語 「世界の王」はこうしてつくられた
荒川 博(日本ティーボール協会副会長)
王 貞治(福岡ソフトバンク球団会長)

○デザインの力で新時代を切り開く
佐藤可士和(クリエイティブディレクター)

○地球上で最も必死に考えている人のところに
アイデアの神様は降りてくる
森岡 毅(刀代表取締役CEO)

○私の夢、私の人生――運命のピアノは鳴り響く」
フジ子・ヘミング(ピアニスト)


……などなど、その道を極めんとする
一流プロフェッショナルたちによる、
仕事の心得や生き方の極意に
触れることができます。

登場する方々の話には、
職業のジャンルや置かれた境遇は違えども
その実体験を通して掴んだ真実には、普遍性があり、
人間関係、部下指導、チーム運営……など、
あらゆる仕事における問題解決の仕方や思考法が
記されていると感じます。

その確かな実感をもとに、
“仕事力”に関する事項を集成した書籍として、
『一生学べる仕事力大全』と名付けました。

いつの時代にも変わらない
本物の仕事力・人間力を身につけたい方へ、
生涯学び続けたいと願う方へ、
熱い思いを込めて、本書を送り出します。

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(8月31日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

他人の中に欠点として見出すものは、自分自身の最大の欠点である、常に!

That thou findest as a fault in others is thine own greatest fault, ever!

(815-2)

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母の容態(入院20日目)&台風10号

2024年08月30日 20時26分00秒 | 介護

 朝起きた時、良く晴れていましたので、台風は進路を変えたか通り過ぎたかと思いました。

その後、お昼前位まで陽が射したりもしていました。

朝のお散歩

西の空

南の空

 

 

風はやや強めでした。

 

 

 

我が家の南側の朝顔

珍しく青色が咲きました。

この白色はこのまま咲かなかったような。。。

 

八重のジャスミンがたっぷりの水分(雨)を得て、一層咲いていました。

少し離れたところに居ても芳香が漂ってきました

 

本当にかわいいです。

土地があれば地植えにしてシンボルツリーにしたいですが、残念

 

南天の実

すでに鳥が随分と食べているようです。

今日の果物

盛り付ける間もなく食べてしまいました~

 

 台風が夕方から明日にかけてひどくなるとニュースで言っていましたので、午後一の1時に面会に行きました。

ちょうど雨が小降りになり、帰りには止んでいましたので助かりました。

お部屋に入ると

えっ

線がない。。。

見れば母が右の方によってベッドから身を乗り出し気味で、だらんとしていましたので、急変したかと思いました

ティッシュボックスを落としたのが気になったのかかな

びっくりしました。

母に退院について話すと「まあ、今日じゃないのぉ」と残念そう。

まだお食事3回食べられないといけないし、脚のリハビリがあると話しました。

でも、いずれにしても近い

希望が湧いたのではないかと思います。

点滴の時に貼ったテープの跡が痒いようで顔と手に母の好きなイオンクリームを塗りました。

母も自分で塗っていました

その後「喉が渇いた。お茶がほしい」と言いましたのでナースコールを押しました。

介護士さんが来て下さいました。

お昼ご飯をどのくらい食べたかお聞きしたところ「今日は担当でなかったのでわからないです」

その後、看護師さんが来られましたので同じことをお聞きしたところ同じ「今日は担当でなかったのでわかりません」とのこと。

でも、母が「食べた」と言いましたので食べたのでしょう

それから、明日明後日は面会出来ないけど月曜日に又来るからと言って別れました。

帰り道

久々にけやき通りへ

 

雨に濡れた木々が一層美しい

 

 

 

 

 間もなく夜8時半。

台風は今頃、瀬戸内海を横断中のようです。

そろそろ岡山周辺

静かです。

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと255・°*

 

 

 

 


★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.30

 

パラリンピック開会式で選手団を先導

 

ハードは変えられなくても
ハートは変えられる
━━━━━━━━━━━━━━
垣内俊哉
(パリ2024パラリンピックの開会式で
日本選手団を先導したミライロ社長)
○月刊『致知』2017年4月号
特集「繁栄の法則」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「パリ2024パラリンピック」の開会式で
日本選手団の先導を務めた
ミライロ社長の垣内俊哉さん。
先天性の骨形成不全症という難病を持ちながら、
「ユニバーサルデザイン」を
ビジネスとして定着した方でもあります。
自らの活動の原点や
苦難を支えた言葉について
『致知』でお話しいただきました。

 

 

 

 

 

ずっと配信が止まっていたエドガー・ケイシーのメルマガが、なぜか急に又配信されるようになりました。

 

★[ECCJ] 今日(9月01日)の珠玉のリーディング

 

エドガー・ケイシー


建設的な精神状態を保ちなさい。決して憤慨してはならない。怒りは循環に負担となる分泌物を体内に作り出します。

Never resentments, for this naturally creates within the system those secretions that are hard upon any circulation.
(470-19)

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

下駄屋のおばさんの思い出


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144244&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、赤い鼻緒の下駄、白装束の巡礼さん、山形県村山市の林の中の道の写真が挿入されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144245&c=3304&d=ed84

(下駄屋のおばさんの思い出|赤い鼻緒と白装束・御高祖頭巾の巡礼さん)

━…………………━


台風10号がのろのろと居座っていますね。

今朝の東京板橋では、雨が滝のような音とともに地面をたたいていました。


そちらはいかがでしょうか。しばらく影響が続くようです。どうかお気をつけください。



このメルマガでは、固い話(下記)のお届けがしばらく続きましたが、今回は、私の友人から、子供の頃の思い出についての寄稿をご紹介します。


オヤジバンドでの演奏とお祭りが、三度の飯よりも好きだという、山形に住んでいる方です。



参考記事:


『渦巻きのスピリチュアルな意味|古代人が生命の象徴とした螺旋の模様』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144246&c=3304&d=ed84


『ヒューマニズムとは何かを簡単に解説|その精神と意味と歴史上の運動』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144247&c=3304&d=ed84


▽ ▽ ▽

『下駄屋のおばさんの思い出』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦



我が家から車で数分の距離のところに道の駅があります。

そこでは連日、近隣農家の方々が栽培した採りたての野菜が売られています。


地物のキュウリの販売が始まったと思える頃にカミさんと二人で行ってみました。

色鮮やかなキュウリがスーパーマーケットよりも安い価格でドーンと重なって売られていました。

そこで手頃な大きさのキュウリを一袋購入。


来たついでにと言っては何ですがお土産品のコーナーにせんべいを買いに行こうとなりました。


すると、入って直ぐのところにいつの間にか下駄の販売コーナーが


最近の下駄は実にカラフルですね~。木と布でできたビーチサンダルと言った風情でしょうか。



そこで、ふと思い出しました。

私には全く記憶が無いことだったのですが、私の姉がある時『こんな事があったね~(笑)』と言って私に話してくれた笑える……話です。


私が子供の頃、小学校に入る前のことです。

母親にこんなことを言ったのだそうです。

『上のお姉ちゃん二人ばっかり赤い鼻緒の下駄を履いてるのはずるい~』と。

つまり、自分も赤い鼻緒の下駄が履きたいと。



かなり強引に迫ったらしいのです。

とうとう根負けした母親は私を連れて近所の下駄屋さんに。

その店は夫婦二人で営んでいる近所でも評判の店で旦那さんが店の奥で生地を造り、奥さんが店番と鼻緒の取り付けの仕事をやっていました。



下駄屋のおばさん、母の話を一通り聞き終わると何も聞かずに何も言わずに私の足のサイズに合わせて赤い鼻緒の下駄を仕立て上げてくれたのだそうです。



さて、その後どうなったのか・・・!?

私には全く記憶がありません。


姉もその後のことは全く話してくれません。

よっぽどのことがあったのでしょうか(笑)



もう一つ、下駄屋のおばさんのに関しての思い出ではっきりと記憶しているできごとがあります。


私が小学校の二年生くらいの頃のことと記憶しています。


この頃、我が家は国道沿いにありました。


国道とは言ってもまだ未舗装で車などは、ときおり通るだけなので私ら子供達には格好の遊び場でした。



そんなある日のできごとです。大人たちの間に、私ら子供達には理解できない話が広まったのです。


後から聞いたのですが、『小さな身体の巡礼さんがこっちに向かってやって来る』と言った内容の話でした。

その時、私ら子供達はなにごとが分からずに道路で走り回って遊んでいました。



しばらくすると、白装束と御高祖頭巾(おこそずきん)に身を包み白い杖を持った巡礼さんが右に左にゆっくりと身体を揺らしながら南の方角からこちら側、つまり北の方角に歩いて来るのが目に入りました。



驚きました、当の巡礼さん、小学生の私より背の低い方だったのです。

歳の頃は分かりませでしたが三・四十代位ではと思えました。


すると、驚いている私らには目もくれず、下駄屋さんの店内に『はい、こんにちは。ちょっと休ませて頂けませんか?』と入って行ったのです。

すると着物姿の下駄屋のおばさん、正座したまま静かに一礼すると『どうぞゆっくりと休んでいって下さい』。

眉毛一本動かさずの神対応でした。巡礼さんも深く一礼、すぐに二人の会話が始まりました。

巡礼さんが身振り手振りを交えながらほっこりとした笑顔で話しています。

今までの旅のことなどを話されていたのでしょうね。


下駄屋のおばさんもときおり何か話しかけています。


きっと『どちらから来られましたか? これからのご予定は?』などと話していたのではないでしょうか。



今になって思うんです。

あの時の光景は観音菩薩と地蔵菩薩の会話だったと。


しばらくすると、巡礼さんゆっくりと立ち上がり、深く一礼の後、店を出て北の方角に向かって歩いてゆかれました。先ほどと同じように小さな身体を右に左にゆっくりと揺らしながら。


あの時の巡礼さん、野垂れ死にを覚悟しての旅だったのでしょうね



もし、あの時の巡礼さんが今も存命ならばすでに百歳は超えておられることでしょうね。

否、もう既に亡くなられているかもしれません。

でも私は信じています、あの時の巡礼さんは今も日本のどこかで巡礼の旅を続けておられるのだと。



太っ腹だった下駄屋のおばさんに関しての私の思い出話です。


△ △ △

再び本庄です。


御高祖(おこそ)頭巾とは、江戸から明治にかけて主に女性の間で用いられた防寒具で、四角の布の対角の二隅に耳掛け用のひもをつけ、頭だけでなく、両耳もしくは両耳と口元を覆った頭巾とのことです。


山形県は寒いので、巡礼の方もこの防寒具をつけていたのでしょう



下記は前回の山下さんの記事です。


参考記事:『サルバドール・ダリの絵画を読む(聴く?)』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144248&c=3304&d=ed84



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。(^^)/~


==============

■ 編集後記

近所の植え込みです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144249&c=3304&d=ed84

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母の容態(入院19日目)&言語聴覚士さん、そして退院へ

2024年08月29日 21時00分00秒 | 医療、病気

 今日は一日ほぼ降り続けています。

最高気温は27.5℃、最低気温は24.4℃。

湿度が高いので多少にしますが久々にほっとする気温でした。

 朝顔は西側に2輪

 

南側に3輪咲きました。

 

今日の果物

昨日買ったドンクのクリームチーストオレンジのパン

好きなので半分買って帰りました

(なるべくお米を食べるようにしています)

 

 

 今日は11時半に家を出て病院へ。

病室に入るとすでにお食事が半分終わっていてびっくりしました

昼食は12時からですが、11時半から食べさせ始められていたようで、私を待って半分残して下さっていました

  

しばらくして言語聴覚士さん(主任さんでした)、地域連携室の相談員さん、看護師さんといらして、お食事再開。

母はエプロンもして入れ歯もちゃんと入っていました。

ベッドの角度は家でも45℃ですが、病院でも45℃で、それに枕2つを首に置いておられました。

(家では1個)

写真を撮りました。

ご飯はもう食べ終わっていましたので、黒ゴマプリンを食べさせられたところ全部食べました。

その後、とろみのついたエンシュア。

母は何度か「ごちそうさん」と言っていました。

これからも言語聴覚士さんが食べさせて下さるのかと思っていましたが、患者さんがとても多いので忙しいそうで、もう朝夕ご飯も再開し、土日も看護師さんに任せていこうと思っていらっしゃると言われました。

(後から考えるとこの言語聴覚士さんの判断とお言葉で母の今後が決まった気がします。)

パーキンソン病のお薬が今までのように5回始まり(昨日より)、何よりも口から食事が出来るようになったのが一番大きな要因ではないかと思うのですが、母は顔色もよく元気になってきました。

正直、今回はもう母はダメかもしれない。。。

そう思っていました。

面会に行っても丸まってじっとしていましたし、いつ何が起こるかわからない危機感を感じてきましたが、今日は本当に元気になってきたと思いました。

写真を撮ろうとして「笑って」と言うと、昨日、一昨日はまだ笑顔とは言えませんでしたが、今日はSmile

言語聴覚士さんは又、覗くとは言われていましたが、「(退院時等)呼ばれたら来ますが基本、今日と同じやり方です」

本当にお忙しそうで、風の如く去っていかれました。

でも、お聞きしたいとお聞き出来ました。

明日、台風がどうなるかわからず、その後は土日ですので、今日はエンシュアを多めに持って行き、とろみも持って行きましたので、看護師さんが「これで、いつでもエンシュアを飲ませることが出来ます」と言われました。

お食事の直後だとおなかがいっぱいでほとんど飲めませんが、これからはいつでもOKです。

その後、母は痰が気になるようでした。

看護師さんが「取ろうか

もう痰はないとは言われましたが、食後には吸痰しているようです。

(前はもうひっきりなしだったと言われていました)

まだ居てもいいのかなと思っていたら「(吸痰しても)大丈夫ですか」と言われました。

母はこれが嫌なので、もうひとり介護士さんがいらっしゃいました。

喉と両鼻の3ヵ所。

もう本当に嫌でたまらないので手で遮ろうとしますので、とにかく母の手を握って「大丈夫だからね。もう終わるよ。おりこうさんだね~(まるで子供に言うように)」等など声掛けしながらがんばってもらいました。

痰は喉の奥にはありませんでしたが、その後、口から粘着性のものを出しました。

エンシュアを飲むと出やすいのですが、これも痰

唾液とエンシュアが絡んだものかも

看護師さんも不明のようでした。

「ありがとうございました」と看護師さん。

 

 

 その後、4時半。

地域連携室の相談員さんから電話がありました。

「9月2日(月)の2時からドクターから今度の退院に向けてのお話がありますが、来れますか

まだベッド生活ですから多少リハもあるでしょうし、すぐにすぐ退院は出来ないとは思いますが、いずれにしてもその方向です

退院後どうするかについては私があちらこちらに電話をしないといけないのかと思っていましたら、相談員さんが「どこの機関を利用するか、又、上手に移行しないといけないし、ケアマネさんも今後どうするか(変えた方がいいとちらっと言われていました)等まず私と話をしましょう」と言って下さいました。

何とも頼もしい

情報も多く持っておられますし、その中で我が家のニーズにあった機関を見つけ、これからの在宅介護を安心してスムースに行うことが出来るようにマネージメントして下さる頼りになる存在ですが、以前の入院の時にはこの地域連携室(患者サポートセンターとも言うそうです)のことをほとんど知りませんでした。

どこの病院にもあるそうです。

ケアマネさんがこことコンタクトを取っておられることは知っていましたが、私が主に母の病状についてお尋ねするのは今までは看護士さんでした。

なかなか的を得ないので(今日も高血圧のパッチを貼っていると言われましたが、別の看護師さんはそれはパーキンソンのパッチで高血圧は何もしてないと言われたり)悶々とすることが多かったのですが、ここの存在を知ってからはストレスフリーになりました。

入れ歯の前にこれをするとスムースだと言語聴覚士さんが言われていました。

帰り道のアメリカフヨウ

 

白桃ですが、やはり「清水白桃」が一番美味しい

 

 在宅介護においてこの2冊の本には一番助けられましたし、今後も助けられると思います。

「なんとめでたいご臨終」と「なんとめでたいご臨終②最期まで家で笑って生きたいあなたへ」

そして、同じように要介護5の奥様を在宅で介護していらっしゃる翔真さんのブログから知った本

「天涯の花」

剣山のキレンゲショウマの花

まだ序章を読んでいます。

田坂広志さんの2冊目の本「すべては導かれている」。

ずっと以前に買った最初の本は「死は存在しない」。

昨日、ホスピス仲間が電話してきた時「私、田坂広志さんにハマっているんよ」と言うではないですか

これもシンクロですね

 

 

 

 昨日、会った友人の旅程表。

コピーしてくれました。

9月5日から9月14日まで、ローマから主に南の海岸線の村々に行き、ナポリ、プローチダ島 へ。

これを見ながら旅した気分になります

 

 

 

 

 週末は面会出来ないので、牛窓に行きたかったのですが、台風の為に行けそうにないです。

せめて、1泊でも行けたらなぁ~

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと256・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.29

 

ジャパネットの髙田明氏が語る夢を叶える法

 

本当にやる人は愚痴を言わない、
他責にしない。
その姿勢を続けていったら
必ず夢は実現する
━━━━━━━━━━━━━━
髙田明(ジャパネットたかた創業者)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「貫くものを」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「本当にやる人はそうじゃないですね。
愚痴を言わない、他責にしない。
その姿勢を続けていったら必ず夢は成就する。
僕はこれまで講演を頼まれると、
演題はずっと同じで、
「夢を持ち続け日々精進」にしてきました。
夢を持ち続けること。日々やり続けること。
とにかく過去や将来に囚われず、
いまを生きることに意識を集中させる。

成長こそ企業の役割だって言う人がいますけど、
それだけではダメなんです。
成長だけではどこかで必ず行き詰まります。
だから、成長プラス継続。
これは企業でも研究でも共通だと思います」

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母の容態(入院18日目)&友人と

2024年08月28日 21時30分00秒 | 友人との時間

 湿度が高いので暑いですが、ひと頃とは違ってきました。

 台風が来そうな空ですが、実際はまだかなり遠く、進行はかなりゆっくりのようです。

公園の周りをお散歩

 

 

結局、教会のカギはわかりませんでした。

 

 

今朝は南側の朝顔が2輪、西側が1輪咲きました。

 

「ラ・マリエ」がかわいい

 

ジャスミンは芳香を放っています

 

小さな白バラのようです。

 

このお味噌、半額でしたので買ってみました。

早速、朝のお味噌汁を作りましたが、フルーティーな感じで美味しかった

 

今日の果物

 

 

 今日は友人が来週からイタリアに行くので、彼女のお買い物に付き合い、一緒にお食事をしました。

このえびめし、今までは美味しいと思っていたのですが、本当の岡山のソウルフードの「えびめし」の味ではないねと友人と同時に言いました。

味が変わった

それとも「えびめしや」のえびめしを食べたから

おやつはコーヒーゼリー

ソフトクリームと苦めのコーヒーゼリーが美味しかった~

友人と別れたあと、その足で母の面会に行きました。

ウトウトしていましたので、すぐには私がわかなかったようです。

「喉が乾いた。何でもいいから飲みたい」と言いましたのでナースコール。

来られた看護師さんが母がちゃんと口をすぐに閉じないので「こんな時は危ないから飲まさない方がいい」と言われて出ていかれました。

しばらくしていらした看護師さんは優しい感じの方でした。

今日から3時のパーキンソン病のお薬も再開とのことで「喉が渇いていてちょうど良かった」。

母は「コーヒーが飲みたい」と言いました。

朝晩は栄養ゼリーが出ているそうですが、「とろみを持って来てくれたら看護師でもエンシュアを飲ませることが出来る」と言われました。

前の看護師さんは何も言われませんでしたが、そうなんだ。。。

明日は11時半頃に行き病院に行き、言語聴覚士さんの食べさせ方を学んで来ます。

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと257・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【人を叱る3つのコツ)】

 

人を叱る3つのコツ

 

一、現行犯で叱る
二、古いことを持ち出さない
三、しつこく叱らない
━━━━━━━━━━━━━━
井村雅代(アーティスティックスイミング日本代表ヘッドコーチ)
○月刊『致知』2016年12月号
特集「人を育てる」より
━━━━━━━━━━━━━━

1984年から日本を率い、
6大会連続でメダルを獲得するなど
前人未到の実績を残してきた井村雅代さん。

世間では“鬼コーチ”と評される井村さんから
叱るコツを教えていただきました。

 

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母の容態(入院17日目)&光が見えてきました。

2024年08月27日 23時39分00秒 | 介護

 夕方になって雨が降り出しました。

風も徐々に強くなってきていて、台風の影響も徐々に強くなっていっているようです。

 

ジャスミンが長く咲いています。

 

 

葉っぱだけ大きくなった紫陽花とカラー

来年は咲くかな。

 

 

 

今日の果物

 

 

 朝、昨日から考えていたように、地域連携室の相談員さんに電話をして今の母の様子を伺い、お聞きしたかったことを伺えました。

昨日からよくお話出来るようになったが、これはパーキンソンの薬を飲み始めたせいではないかと言われました。

現在は車椅子はまだご利用しておらず、寝たきりの状態。

血圧は朝は高くなるが、だいたい130ぐらいで落ち着いてるとのこと。

計る時すごく力を入れるので多分、普段は130くらいではないかと言われていました。

食事は横向き、側臥位30度くらいにベッドを上げて寝たまま流し込んでいるという感じのようです。

ご飯は重湯+とろみのようなペースト食でフルーチェみたいだそうです。

これを110gがベースで、その8割を食べたということ。

おかずは普通の人の半分の量が基本でその3割を食べたということ。

今週末か来週初めあたりに3食になる予定で、看護師さんも食べさせられるようになる。

言語聴覚士さんは何人かいらして担当制のようです。

今の担当の言語聴覚士さんは男性で○○さん。

今週は月曜日から金曜日まで入る予定になっているそうです。

退院時とかいつかお会いしてお話を伺ったり指導して頂けるのかお聞きしたところ、意外にも11時半~12時くらいに私が伺ってもいいそうです。

「面会時間ではなくても看護師に言っておきますから。すぐにすぐというわけにはいきませんが」

ということで、明後日の11時半に行くことにしました。

又、母は吸痰が嫌なのだろうという話でした。

意地悪な看護婦さんが2、3人来て押さえつけるから、ひどい目に遭わせられると思っているのいるのではないかと思うということでした。

(確かにそう言っていました

吸痰は1日に3回、さほどひどい状態ではないと言われました。

今回はコロナをこじらせて肺炎になって、しばらく後遺症が続いている感じだとも。

細菌にも感染していて細菌性でもあったようで、でも、いずれにしてももうばい菌は0。

「エンシュアが好きなのですが、エンシュアはダメなのです」と伺うと「持って来られていましたね」とよく見れていらっしゃる

言語聴覚士さんに相談してみて下さると言われました。

今まで看護師さんに言ってもダメだったものがこの方だと話が早い

20分位お話出来て、この相談員さんは「地域連携室だけではなく、病棟にも良く居るので声を掛けて下さい」と言われました。

とっても希望を持つことが出来るお話で嬉しくなりました。

 

 その後、ケアマネさんが岡山市のゴミ袋(オムツ等用に毎年下さいます)を持って来て下さった時、このお話をすると、ぽろっと彼女は私と同じ病院で働いていたと言われましたので、びっくり。

そう言えば、お名前に記憶が。。。

「黙っていてね。知らなかったことにして」と言われましたので、もちろん言いませんでしたが、4時に面会に行った時にお会いしようと思い、ナースステーションでお会い出来るか伺ってみました。

その後、母のお部屋へ。

今日はドア側に初めて向いていましたので、それを言うと手をひらひらさせて移動するのだと説明してくれました。

そして、見るとエンシュアが空になっていました

母に聞いてもいまいちわかっていませんでしたが、今日、6缶ほど持っていきましたので、これから飲ませて頂ける~~~

改めて、相談員さんってすごいと思いました。

ちょうどそこへお隣の方の体重測定にいらしたスタッフの方がいらしたので、この「45」は低くはないですかと伺ってみると、「40位だと低めではあるけれど年齢を考えたら大丈夫です。」

又、エンシュアは「どのくらい飲んだかはわからない」

母がベッドをもっと上げたり起こしたりしてほしいと言うのでそのようにしました。

その方が私の顔が見やすかったかな。

母との面会を終えて、ちょっと眼科に寄って後、1階正面玄関前にある地域連携室に行ってみました。

ちょうどそこへ、病院から電話が

出て見ると相談員さんで、「今、5階にいます」

私が地域連携室に居ることを知り降りて来て下さいました。

お顔を見ると「あら、どこかでお会いしたような・・・」と言われました

私もケアマネさんから伺っていないとと思ったかもしれませんが、確かに確かに見覚えがありました。

ホスピス勤務時代、ご一緒でした。

当時も相談員をなさっていたそうです。

思わぬところで思わぬ人と~

その後、今後どうしたいかということを再び相談しました。

同じホスピスに居たことに加えて、小笠原先生の講演を聞きに九州まで行かれたことがあると言われましたので話が益々早い。

母は難病指定のパーキンソン病なので、医療費の上限が決まっています。

まず、訪問看護師は多く看護師を持っているステーションが良いこと。

ここは紹介出来ると言われました。

ドクターの方も私の意向を汲んでひとつおススメがあると言われました。

そこは訪問言語聴覚士、訪問管理栄養士もいるそうです。

わぁ、最高と思いましたが、残念なことにドクターがおひとりだそうです。

なかなか帯に短し襷に長し。

でも、こういう専門職を依頼することが出来るので、今まで電話をしていた訪問診療専門のクリニックでもいいし、もう1か所ケアマネさん一押しのクリニックでもいいと言われました。

この2つが看護ステーションを持っていないので、大きなステーションを紹介してくれ連携することも可能だとのこと。

更に更に希望が湧きました。

今日は、母を希望通り在宅で看ることへの大きな希望が湧いた日でした。

それから、飲んだエンシュアはとろみをつけて100cc。

食後だったのでお腹が良かいっぱいだったようです。

「こういうことも家だと自由だし、バナナを潰して食べさせてあげることも自由に出来ますよ」

そして、明日から朝も夕もゼリーが出て看護師さんが食べさせて下さると言われましたが、今夕からゼリー開始だと病棟では聞きました。

「それは良かった」と相談員さん。

「今週中には私もドクターと話し、希望を伝えますので」と言って下さいました。

 

 

帰りに教会に寄りましたがやはり閉まっていました。

あとでわかったことは今、神父様が司教様とアメリカに行かれているので御ミサ後閉めておられるそうです。

金曜日に帰られるそうですが、台風直撃の日なのでどうなるか。

でも、「鍵を開けて入って下さい」

そうでした。。。

 

 

公園にもユリが・・・

 

6時過ぎ、Rちゃんから電話があり「お母さん、ご飯食べた

食べていましたが(と言いますか太って来たのでちょっと抜こうと思っていましたが)、Rちゃんが折角フォーを作ったと言いましたので、食べに行きました。

 

最近、2人の人が亡くなったそうで、疲れているみたいでした

 

 

 ところで、母が看護師さんがきついと言った時にこのことについて話しました。

以下ネットより

パレートの法則:「2:8の法則」

経済学者ヴィルフレド・パレートによって提唱され、262の法則のもとになった学説と言われ、「2:6:2の法則」と呼ばれることもあります。

「パレートの法則」は、経済学者ヴィルフレド・パレートによって提唱され、262の法則のもとになった学説と言われます。

「全体の大部分(8割)は一部分(2割)から生み出されている」という内容で、「20:80の法則」とも呼ばれる学説。

「2:8の法則」が「2:6:2の法則」と呼ばれる理由は「2:6:2程度で、うまくバランスをとっている」から。

これは自然の法則だそうです。

●もしも、あなたを嫌う人がいても、気にすることはありません。

あなたに好意を持ってくれる人が2人いたら、逆に、あなたを嫌う人が2人いて、当然なのです。

「262の法則」によれば、どんな組織にでも自分に対して「好意的な人2割・どちらでもない人6割・好意的ではない人2割」がいることになります。つまり、どんな組織でどう行動しても、2割の人からは嫌われる可能性があるということです。

それは、価値観だったり、過去の経験だったりが影響します。

好意的ではない“2割”を気にするより、自分らしさを大切にどう気を使っても2割の人に嫌われてしまうのなら、自分の思いを我慢しすぎても仕方がありません。

好意的ではない2割を気にするのではなく、自分の生き方を貫くこともひとつの選択肢でしょう。

大切なのは、自分のことを嫌いな2割がいる一方で、何があっても自分を好いてくれる2割の人もいるということです。

「一部の人から嫌われるのは当たり前」「組織には必ず自分の味方もいる」と思って生活することで、心がラクになるかもしれません。

まとめ

「262の法則」を意識することで、心が軽くなることもあります。

学校や職場で悩んでしまったときに、思い出してみてはいかがでしょうか。

万人に好かれようと無理をする必要はありません。

ただ、価値観や考え方が合わないとしても、相手の価値観や考え方を尊重する姿勢は大切にしましょう。

 

 

ところで、

昨年の8月26日の記事

母と家族会議

又、今後、尿路感染症や誤嚥性肺炎になった場合3つの治療方法が可能性としてあることも話しました。

これは転院前の総合病院のドクターが言われたことですが、

①総合病院に行くなら原因がわかるのと治療が出来るが、今回のような意に沿わないこと(胃管、拘束等)も起こる。

②今回の転院先に行く場合は、原因の追究解明は出来ないが(MRIがない等)、入院治療は出来る。

③家で抗生剤などの点滴をすることも可能。

母は真剣に聞いていました。

今後どうするかは又その時に考えようと言いました。

基本、②か③ですが。

①はもうかわいそう過ぎて無理ですし、母も絶対に望まないだろうと思います。

 

昨年も同じ悩みを抱えていて3つの選択肢を言われていたわけですが、あり得ないと思っていた①に現在なっています。

が、入院先も同じで、昨年のことがあったせいか、拘束も胃管もないです。

ミトンはされていることがあります。

このことについては今日の相談員さんとも話しました。

ただ、今回はやはり救急車で病院の①のケースだったかなと思います。

コロナに罹っていましたし。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと258・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.27

 

佐藤愛子が語った「人生で大切なこと」

 

人生は美しいことだけ
覚えていればいい
━━━━━━━━━━━━━━
佐藤愛子(作家)
○月刊『致知』2003年1月号
特集「言葉が運命を拓く」より
━━━━━━━━━━━━━━


本日は、昨年100歳を迎えた直木賞作家
佐藤愛子さんの名言をご紹介しました。

この言葉のあとには、
つぎのように続きます。

「長いこと生きてくると、
いろいろな経験を
してきますけど、
楽しいことよりも、
美しいことのほうが心に残ると
いうことが分かります。

美しい自然、人の美しい心。
そういう美しいことだけ覚えていれば、
人生捨てたものじゃない、と
いうふうに思えるわけでしてね」

私たちもいつも
美しい思い出を心に浮かべて、
力強く生きていきたいものです。

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母の容態(入院16日目)&ペインクリニック㉒&田坂広志が語る「すべては導かれている ー 逆境を越え、人生を拓く五つの覚悟 ー 」

2024年08月26日 23時06分00秒 | 介護

 今朝はやはり、岡山は暑~いと思いました。

でも、暑いですが一時期よりは少しマシになった気がします。

 今朝はゆっくりし、お散歩に行きませんでした。

 畑のお野菜を全部抜きました。

 

今日もいいお天気でした。

デュランタが咲いていました。

 

真っ白い「新雪」

朝顔はこの一輪のみ。

 ぶどうが安くなってきました。

この「オーロラブラック」は糖度19。

ピオーネは17度。

同じお値段でしたので、「オーロラブラック」を買いました。

 

今日の果物

 

 沖縄に移住した友人から久々に電話をくれました。

メール交換はよくしていますが、たまに思い立ったように電話をくれます。

先日、韓国に行かれていたのでお話を伺いました。

韓国ではお寺で瞑想をなさっていて、随分前に「解脱の入口」とそこの和尚さんに言われたそうです。

年に何回か行かれて指導を受けておられるようです。

この和尚さんとはアメリカの大学での心理療法のクラスで一緒で意気投合さなったようでした。

「(アガスティアの葉によると)あなたの解脱は来世のようだから、今世、がんばってね」

「え~、やっぱりそうなんでしょうか」と私(笑)。

「わからない。」

「○○さんは今世ですか?」

「いや、わからない。なるようになる」

そのお話の続きで、

良かった探しや自分を褒める習慣を付けることは大切。

それがベースとなる。

自分をまるごと認めないと「無」にはなれないし解脱出来ない。

いちいちひっかかるので。

自分が自分であること。

個性も何もかもひっくるめて。

マイナスと思えてもそれは裏表一体。

役に立つ。

だから、全部がOK。

又、9月、10月に韓国に行かれるそうですが、私もいつか一緒に連れて行って頂こうと(まだ韓国に行ったことがないですし)思っています。

私の韓国の友人によりますと(以前、我が家にホームビジットされた韓国の教授お2人)、このお寺はソウルから近く、とても有名なお寺のようです。
このおふたりも待って下さっていますので、韓国にも一度行ってみたいです。

 

 その後、牛窓の建築士さんがカギを取りに来られました。

お手洗いのお水が止まらなかったりするので見に行って下さるそうです。

 そして、4時前、面会へ。

母は寝ていましたが、起こしました。

「きついんよ」と言って看護師さんがとてもきついと言いました。

やはり、きつく言われると相当辛いようです。

丸まってじっとしている様子を見ると、連れて帰りたくなります。

家に帰ると絶対に元気になると思います。

看護師さんに様子を伺うと「概ね変わりたいです。週末は言語聴覚士がお休みでしたので、お薬だけで対応しました。今日は半分くらい食べられました。これから少しずつ様子を見ながら増やしていきます。」

折角食べられるようになったのに、お腹もすいてバナナが食べたいとまで言っていたのに、2日間お薬だけ。

小笠原先生なら多分、緊急退院させて、家で過ごすことが出来るようにして下さるでしょう。

小笠原内科だからこそ出来ること。

先日、お話を伺った○○クリニックへ電話をしてみたところ、地域連携室に電話し様子を聞いてこちらの希望を伝えることと。

それから、ヒアルロン酸注をしたらお風呂にははいれないのでシャワーをしてから行きました。

今日午後3時にオンライン予約。

22番でした。

ペンクリニックへ

 

前回は右膝に水が無くなっていましたが、今回は又少し溜まっていました。

牛窓で坂道を歩き回ったせいかも。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと259・°*

 

 

 

 

田坂広志が語る「すべては導かれている ー 逆境を越え、人生を拓く五つの覚悟 ー 」|あすか会議

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.26

 

逆境を越え人生を拓く5つの覚悟

【逆境を越え、人生を拓く、五つの覚悟】

一「自分の人生は、
大いなる何かに導かれている」と思い定める

二「人生で起こること、すべて、
深い意味がある」と捉える

三「人生における問題、
すべて、自分に原因がある」と受け止める

四「大いなる何かが、
自分を育てようとしている」と解釈する

五「逆境を越える叡智は、
すべて、与えられる」と信じる

━━━━━━━━━━━━━━
田坂広志(多摩大学大学院名誉教授)
○月刊『致知』2022年6月号
特集「伝承する」より
━━━━━━━━━━━━━━

本日の名言は、著書『死は存在しない』が
ベストセラーとなった田坂広志さんが
常日頃、自ら主宰する「田坂塾」などで
説いておられるお話です。

《大反響》
田坂広志さんがシスター鈴木秀子と語り合った
計10ページのロング対談『未来の世代に伝えたいこと』
が致知電子版で読めます!

 

●致知電子版はプランを見直し、
より内容を充実させました。
田坂氏のインタビューを含む
過去約8年分のバックナンバーが
読み放題です。

▼全文閲覧はこちら

 

 

 

 

こんなのを見つけました

https://www.chichi.co.jp/web/20211202_tasaka_hiroshi/

 

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母の容態(入院15日目)&岡山へ&Niccolò Paganini - Caprice 24・Vivaldi - Four Seasons (Winter)

2024年08月25日 21時30分30秒 | 精神世界

 今朝は雨が降る予報でしたが、5時過ぎに目が覚めて外を見ると

 

室内との気温の差があるせいか、カメラが何度も曇りました。

一重の真っ白い夾竹桃の花。

もう終わりです。

 

オリーブ林を抜けて上に上がるこの坂道、本当にいい運動になります。

もう少し涼しくなったら、もう少し歩いてみたいです。

 

今日は風を涼しく感じました。

ベンチに座ってその涼しい風に吹かれているとろくちゃんと奥さんが来られました。

 

ろくちゃんファミリーはいつもこの席に座わられて、海を眺めておられます。

ろくちゃんもおりこうに座っています。

今日は目のことをあれこれ話していたら、Kさんが来られました。

 

続いて台風や地震や避難経路や避難場所のお話になり、結構ここでおしゃべりを楽しみました。

 

今日は太陽は雲に隠れていましたので、長くここへ留まることが出来ました。

そこへ、Kさんの御主人もいらっしゃいました。

白髪のダンディなお方でした。

ワイルドな方でアフリカが大好きで、アフリカによく行かれたそうです。

 

 

そこへ、またまたご近所さん。

チワワと、チワワとトイプードルのミックス犬、チワプー。

ろくを見て、ワンワンキャンキャン

 

9歳のろくはこの余裕

 

今朝はノアちゃんに会いませんでした。

毎朝、こうしてご近所さんがお散歩に来られて交流されているようです。

いつも私が一番早い

Kさんがオリーブ園は海抜180mと言われていましたが、少し降りたあたりが163m。

「何かあってもここは大丈夫だから岡山からここへ逃げてくるのよ」

ちなみに岡山の我が家周辺は0.7m。

 

降りる道で西の空にすごい雲が

「すごいです」と言っていたら、おふたりが「ここの雲はいつも変わっているよね~」

 

別れ際、いつものようにKさんが「気楽に、いつでも来たらいいよ」

岡山のご近所さんよりもすっかり馴染んでしまった感じです

今日の瀬戸内の海

 

今日の果物

 

 

 

 午後からバラ十字会のオンライン集会がありました。

やはり、こういうスピリチュアルなことに触れていると私の魂がとても喜び高揚するのを感じます。

眠くて堪らない時もあるのですが、今日は7時間寝ているのでしっかり覚醒していました~

その後、4時半頃の海

 

朝と同様、外に出るとカメラのレンズが曇ってしまいました。

 

昨日はたくさんヨットが出ていましたが、今日は雨予報だったり台風の影響もあるのか1艘のみ。

 

お昼前の11時頃、雨は少し静かに降ったのですが、その後はこのお天気。

良く晴れています。

ですから、夕方になって暗くなりつつある頃、ここを出ようと思っています。

1時間後の5時半頃

・・・ということで、7時に牛窓を出て帰ってきましたが、今回は行きも帰りも降りる場所をひとつ手前で降りてしまいました。

帰りは稲光がずーっとしていて、それを見ながら帰ってきました。

 

 

 

 

 今日出会った人がヴァイオリンが好きで、特のこの2つの曲が好きだと言われましたのでアップ。

私も同じく好きなので

 こちらは映画からのようです。

Niccolò Paganini - Caprice 24

 

 

 I Musici(イ・ムジチ)より

Vivaldi - Four Seasons (Winter)

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと260・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.25

 

追悼・シャトレーゼ創業者 齊藤 寛会長

 

人生には波があって、
ピークが来ると必ず沈みます。
高い波の時に驕らず、
波が来ない時に
失望しないことが大切

━━━━━━━━━━━━━━
シャトレーゼホールディングス会長 齊藤 寛
月刊『致知』2023年5月号
特集「不惜身命 但惜身命」より
━━━━━━━━━━━━━━

本日は、『致知』2023年5月号の特集に登場され
去る8月10日(土)に永眠された
菓子製造小売業界大手・シャトレーゼの創業者、
齊藤 寛さんの名言です。

「おいしいものをお値打ち価格で」をモットーに、
国内730店舗、海外9か国160店舗を展開し、
400点以上の和洋菓子を手掛け、
2024年めでたく創業70年を迎えた同社。

20歳の時に地元・山梨で
僅か4坪の焼き菓子店を開いた齊藤さんは、
ご両親の教えに基づいた〝三喜経営〟を提唱し、
本誌のインタビューにもその重要性を
熱く語ってくださいました。

心よりお悔やみ申し上げますと共に、
故人のご冥福をお祈りいたします。

▼齊藤会長のロングインタビューはこちら
『人生も経営も試練が成長をもたらす』
シャトレーゼホールディングス会長 齊藤 寛

コメント (2)
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