「お正月が越せたら」

2024年10月09日 23時28分30秒 | 介護

 今日はとてもいいお天気で、室内では過ごしやすかったのですが日中外はは26.7℃もありました。

朝晩、すっかり寒いくらいになってきましたが、まだ15℃もあるのですね。

冬のことを考えたら、まだぽかぽかです。

 

 今日も朝顔がたくさん咲いて数えきれませんでした。

しかも冷え込み始めましたので昨日のがまだ開いたままというのもあったりします。

昨日まで雨でしたので鉢を雨の当たる場所に出していましたが、今日はいつもの場所に仕舞いました。

 

 

 

今日の果物

少し前より「光る君へ」に紫式部、清少納言、和泉式部と出揃っていますので、母の作品の掛け軸も出そうと思っていて、今日、やっと入れ替えました。

左から和泉式部、紫式部、清少納言です。

 

俳画も桔梗に替えました。

 

 

 今日からやっと言語聴覚士さんが入って下さるので、担当者会議がありました。

結局、我が家へのその連絡は開催1時間前の9時半でした。

ヘルパーさん方にも昨夜だったそうですが。

 

 

 今日の母は6時半頃目を覚ましました。

水分(アクエリアスをお湯で薄めてメイプルシロップを入れてとろみを小1杯で200ml)を少し飲み、パン粥でお薬を飲まそうとしましたが2さじしか食べず。

その後は粘っこい痰がたくさん出て来ましたので、何度も何度も口腔ケア。

 8時からヘルパーさんが来て下さった時にも同じ状態で母の調子はいまいちでした。

レスパイトの前の母の血圧はものすごく高かった(200超えもあり)のですが、帰ってからはかなり低めで90台~110くらいの間。

時に74もあり。

高血圧のパッチを前回のコロナ入院の時から貼ってはいますが、パーキンソン病んいよる乱高下はお構いなしのようです。

ただ心臓も安定させるメリットがあるそうです。

 10時にリハの方が「介護福祉士」さんと来られました。

なぜこの新たな方がいらしたのか最初はわかりませんでした。

その方は「介護福祉士です」と言われたので「ヘルパーさんですか」と伺うと「ヘルパーの上です」と言われました。

上ってどういうこと

未だに意味不明ですが、その方がいらしたのは多分、巡回介護でヘルパーが入ると予想されてのことではないかと後で思いました。

今日のリハは母の調子がいまいちでしたのでそのように伝えました。

その後ケアマネさんがいらしたりして、バタバタしてリハを見ることが全く出来なかったのですが、続いての担当者会議の時にリハの方がおっしゃるには、「今日はめちゃくちゃ調子が良く、座って、しかも歌まで歌ってくれました」と言われたのでびっくり仰天しました

もしかして、ジャニーズ系の一番お気に入りの男の子だからかなとふっと思いましたので、彼がその後母の普段の様子を話されている時に、「もしかしたら彼の時の場合は特別バージョンかもしれません。」と付け加えました

「担当者会議の前のリハをしてる時に話をさせて欲しい」ということでケアマネさんがいらしたのですが、今日は2人来られました。

退院カンファレンスの時にいらしていたもう一人のケアマネさんと御一緒でした。

この方は退院カンファレンスの時にとてもよくお話しして下さったので、この方が担当の方かと私が思い込んでいた方です。

私は今日ケアマネさんにお断りしないといけないと思っていましたので、どのように伝えようかと考えて、「性格や人格的にどうのということでは全くなく私の方が益々嫌な人間になりそうなので・・・」と前置きしたところで、ケアマネさんの方が「実は私は体調があまり良くなくて、しかもも抱えている利用者さんも多過ぎるので、ここで何人か交代させて頂こうと思って、今日その代わりのケアマネと一緒に来ました」と言われました。

でも、お聞きすれば、もうひとりのケアマネさんもマックスの40人も担当されていて、いっぱいいっぱいの状態。

いくら何でもそれではあまりにもハード過ぎるのではないかと思いました。

そこで、私も色々と悩んだけれども、前のケアマネさんが慣れていらっしゃるからどうかなと思っていたことを伝えました。

そうしますと「よくわかって下さっている方なら私たちも安心なので、全面的に訪問看護ステーションなどの利用のサポートもさせてもらいます。」と言われ、「この後で受けて下さるかどうか電話をさせて頂きますね」

 そこへ、ドクターがいらっしゃいました。

その他にもそこにいた方はヘルパーステーションの方、訪問入浴の方、福祉用具の方がおられました。

ドクターといらっしゃったのは3人です。

看護師さんと記録係、そしてドライバーは外で待っておられたみたいです。

この時、ドクターとはあまりお話が出来ず、褥瘡の様子とか、またお薬を減らすという情報がレスパイト入院先のドクターからあったかどうかなどのお話だけでした。

ドクターはその話は聞いてないということでしたが、「確かに薬があまり飲めなくなっているので、5回を3回に何とかしてみましょう」と言われ、早速今日の夕方から変更になりました。

 往診をされてる途中で、言語聴覚士さんが来られました。

言語聴覚士さんとは今日は初回でしたので契約が必要でした。

医療ではなく介護保険だそうです。

彼女は点数のことをとても気にされていて、またまそこに置いてあったケアプランを「ちょっと見させて下さい」と言われて、点数は大丈夫かなという感じでした。

言語聴覚士さんは20分が300点で、最低40分かららしく600点いるそうで、それに何かの加算があり、毎週1回。

確かにかなりのポイントが必要になります。

が、私にとっては(母にとっては)前回の退院前より来て頂きたい方でした。

ドクターが帰られた後は契約を済ませていましたので、母とのリハに入られましたが、私はまだケアマネさんとの話が残っていました。

ヘルパーさんももう一つのヘルパーステーション(忙しくて今回もいらしていませんが)と足並みを揃えたいということで、金曜日に話を我が家でなさりたいとのことでした。

何んだかんだとやはり忙しいです。

やっとやっとこさで皆さんが帰られて、言語聴覚士さんと母と3人だけになり、言語聴覚士さんのリハの様子を拝見することが出来ました。

舌や喉などのマッサージもあるということを始めて知りました。

そして飲み込みとかのチェックをされて、喉に聴診器を当てながら飲み込みなどのチェックをされたりして、最終的に「これはかなり厳しいので、お薬も食事も何かいい考えをお伝えすることが出来ない」ということで帰って行かれたのですが、その前に最後ノートに記入されながら色々とお話しを聞かせて下さいましたし、私も相談させてもらったりして、とてもいい時間を過ごすことが出来ました。

今回のケアマネさんのことなどもご存じで、お金を払っているのは我が家なので、「次がもしダメでも大丈夫。お力になります。」

結局彼女は1時までおられました。

どうして言語聴覚士になられたかと言うと、彼女のお姉さんが看護師さんだったようで、その見学に行った時にこの言語聴覚士という仕事を見てとても魅力を感じたそうで、この仕事を大切に思ってるという話をなさっていました。

 1時になりお昼のヘルパーさんが来られました。

少し挨拶をされて言語聴覚士さんは帰って行かれました。

その後、このヘルパーさん、いつも何かがあった時にいつも彼なのですが、本当に手際がよくあっという間におしめ交換をし、食事を食べさせて下さるのを見ていたら言語聴覚士さんは「怖くて食べさせられない」ということで帰られたのですが(ドクターの指示を仰いで次回からと言われました)、ヘルパーさんは「もぐもぐもぐもぐごっくんして、今のは甘かったから、もう1回ごっくんにして」という感じで食べさせられて結局パン粥を全部を食べさせて下さいました。

彼曰く「多分自分はプロじゃないから恐ろしさが分かってないのかもしれない」と言われつつ。

その後やっと2時前ぐらいから少し時間が出来休めるかと思ったら薬局から電話があったり来られたり(我が家でお薬のセッティングされます)、ドクターからお電話があったり、2回目の洗濯をしたりしてやっぱり慌ただしくバタバタと過ごしました。

 6時になり夕方のヘルパーさんが来て下さいました。

この方もとても優しい方で、結局我が家が最後で事務所が近いということもあってか、とても丁寧に母の世話をして下さいます。

食事介助の時、母はかなりの間、激しくむせ咳き込みました。

こんな力がどこにあるんだろうというぐらいの激しさで、結構長い時間、咳き込んで、その後疲れたのか寝ました。

 そして、8時45分。

今日最後の看護師さんが来られ総チェックをして下さいました。

私の長い1日もここで終わりブログを書いてるわけです。

今日はいろいろ盛沢山でブログのタイトルも一文では終わらないのですが、やはり今日はこの一文しか考えらませんでした。

書いたように、3時20分ドクターからお電話がありました。

「今日はあまりにも沢山人がいてゆっくり話が出来なかったので、今お話しできますか」ということで、言語聴覚士さんのお話なども含めて今後のことを話し合いました。

言語聴覚士さんは胃ろうも私はありだと思うと言われましたが、ドクターとしては母や私の意向に合わないのではないかなと思っていると言われました。

そして私が尋ねたものですから、

もし水分が摂れなければ、あと1週間。

水分が摂れれば1週間から2週間。

もし食事が摂れればそれ以上。

母の頑張りによると言われました。

もちろん、その間に誤嚥性肺炎や窒息の可能性は絶えずあるので、いつ何時何が起こってもおかしくない状況だということはいつも言われます。

「今後薬が飲めなくなった場合、点滴もあるし、パーキンソン病のパッチを大きいものに変えるという選択肢もあるので、その時には言って下さい」ということと、食事についてのお話がありました。

食事を食べさせるということ、薬を飲ませるということはかなりリスクがあるので、ドクターとしても家族の意向を聞きたかったようですが、母は今日も「食べたい」と言いました。

そして、パン粥を食べ、また、いつものパターンでいなり寿司も少し食べました。

この時に「食べたというほど、今日は食べてないから食べたい」と言いましたので、そのことを先生に伝えたところ「ご家族の意向次第です。」

ということで、「では、リスクはあっても欲しいものを食べさせるという方向でいいですか」と確認されました。

欲しいものを食べさせず、我慢させて少し長生きしたとしても果たして。母は幸せと言えるでしょうか

そして、私は再び尋ねました。

今、100歳のカウントダウンをしていますが、次の誕生日まで生きるということは難しいのではないかとそれは私も感じていますし、率直なところを「後どのくらいですか」と伺うと「自分の肌感としては、お正月が越せたら随分がんばったなと言えると思う。」とおっしゃいました。

ドクターとのお話は30分。

ゆっくりお話を聞いて下さいました。

その後少し泣いた後はしばし放心状態だったかも。

母が寝ていましたので、空を見に外に出ました。

 

 

 

空はこんなに青いのに。

ですが、母は人の営みを自然に生きているのだと思いました。

望んだように自宅でたくさんの人たちに良くして頂きながら苦しいけれども、徐々に食べられなくなり、徐々に動けなくなり、という人としての老衰という道のりを今進んでいるのだろうと思うと、それはとても自然なことのように思えます。

そういう意味では苦しいとは思うけれども、幸せなのではないかなと思いました。

残された時間があとどのくらいあるのか分かりませんが、今までと何か格段、私が変わったことをするということはないと思います。

ただ今までのように「もう一口でも頑張って食べて」ということは母に負担になるので、もうやめよう。

レスパイト入院の時にかなりの覚悟で行かせたのですが、その間にもし死んだらどうしようかと思いました。

でも、母はそのような死に方をきっと選んではいないと思いました。

とはいうものの、帰ってきた時には本当にほっとしました。

ですが、行かせたことによって、やはりしんどい思いをさせたり命を縮めてしまったのではないかなという後悔は感じています。

でも、あの時は本当にいっぱいいっぱいでした。

もういっぱいいっぱいにならないようにしたい。

最後までもうショートにはもちろんレスパイト入院にももちろん行かせず、自宅で過ごさせるためには、やはり私がいっぱいいっぱいにならないことが一番大事だと思っています。

 

もみじの紅葉が進んでいます。 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと215・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.10.9

 

服部幸應氏が伝える家庭で実践してほしい食育

 

家庭で実践してほしい食育

一、選食力(健康を維持する食べ物を選ぶ力)
二、食事作法を身につけること
三、地球の食を考えること
━━━━━━━━━━━━━━
服部幸應(服部学園理事長)
●月刊『致知』2006年8月号
連載「視点」より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(10月09日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

あなたが為すべきと知っていることを行いなさい!そうしたなら、その結果は放っておきなさい!神がそれを増やしてくださいます!あなたの心配、不安は、あなたの心を混乱させるだけです!

DO WHAT thou KNOWEST to do, to be aright!
Then LEAVE IT ALONE!
God giveth the increase!
Thy worry, thy anxiety, only will produce disorder in thine OWN mind!

(601-11)

コメント (6)
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