母の容態(入院14日目)&昨夜から牛窓に&昨日の「訪問診療」の続き&東京物語(1953)

2024年08月24日 20時30分00秒 | 介護

 コロナが広がっている関係で、週末は面会に行けませんので、昨夜牛窓にきました。

(昨日は広い道を来ましたが、その前はイノシシの多分お母さんとうりぼうに遭遇)

今まで行きも帰りも荷物が多くって大変でしたが、大分、少なくなってきました。

本当はバッグひとつで気楽に来たいです。

昨夜はやっと購入したお風呂セットやクッション等を持って来ました。

それから、ミニアレンジ。

こちらに附いたのは9時過ぎだったと思います。

荷物を降ろしたりしていたらすでに10時近く。

岡山を出る時には33℃でしたが、ここは28℃。

やはりかなり気温が違います。

最初は昨日から、次に今日から、続いて明日から、雨が降ると言われつつ、降りません。

今日も牛窓は雲はあるものの快晴です。

 

 

 牛窓に来て何がいいかと言って景色は言うに及ばすですが、この朝散歩

 

日の出です。

 

今朝はお話し好きの旅好きの80歳のKさんと途中で出会い、一緒に歩いて上がってきました。

いつも平たんな道を歩いていることを改めて感じました。

ここは坂道なので、もうハアハア

いい運動になります

Kさんが向こうに見えるのは「淡路島」だと教えてくれました。

 

え~

そうだったのですね。

この島の左方面(北)が神戸だとか。

 

そして、屋島の右手の街はやはり高松で、屋島の奥に見えるのは四国山脈。

 

 

この観音様は随分古いそうで危険なので今年中に解体されるとか。

昨年の秋にここへ行ったのでとても身近に感じます。

外国の方(アジア)がお掃除なさっていましたっけ。

 

いつものメンバーが揃いました。

イギリスの方の奥さんが今日はお散歩にノアを連れて来られていました。

 

ろくを見て、黒のレッドリバーが欲しいと思われて飼い始められたそうです。

 

ご主人様との出逢いは大学だったそうです。

我が家の娘達と一緒です。

 

山を下りていたらご主人が車で帰って来られました。

 

オリーブの木と青空

 

 

 昨夜は暗くて見えませんでしたが、ユリが咲いていました。

真っ白で美しいです

 

 

改めて・・・

バスセット

 

測って購入した茶色の50cmのクッション

この2人掛けと1人用をどこに配置しようかと思案中。

 

今朝の瀬戸内海です。

相変わらず湖のように穏やか。

 

ミニアレンジをあちらこちら置いて楽しみました。

 

 

段々と晴れてきました。

台風10号は逸れた

 

 

今日の果物

ここにはミントがないので、映えません

 

 

 

 

 昨日、眠くて書けなかったので、改めて書いて介護記録に残しておきたいと思います。

昨日の瞑想中、思い立ったのですがとにかく11時半まで「終わったら電話しよう」と続けて瞑想。

その後、すぐに小笠原内科に電話し、いろいろお聞きしました。

24時間体制については昨日書きましたので割愛し、小笠原先生のところでしたら、緊急退院して対応も可能のようです。

誤嚥対策も在宅でOK、夜も本人も家族も眠れるように睡眠のコントロールをされるようです。(夜間セデーション)

とにかく、家族が疲れれてはダメなので、そこのケア体制はしっかりして下さるようでした。

しかし、ここは岡山。

全国から同じような悩みでお電話があるそうで、ソーシャルワーカーさんがドクターの本を持って行くなり何なりして、「こういう最期にしたい」と伝えるのがベストと言われました。

そして、地域包括センター、病院の地域連携室、県の在宅看護ステーション(ここは2回掛けましたが出られませんでした)へまずは電話しました。

どこも立場上、○○がいいとは言えないようですが、退院が決まったらサービスの見直しが入るからその時がチャンスと言われました。

角が立たないように変更することが出来るのではと。

地域連携室の方は母の容態について、全く同じ情報を共有されていますので話が早かったです。

(食事はペースト食1口しか食べられないと言われていましたので、少し遅い情報もあり)

ですから、「今後はもうショートを使えるような段階ではない、食事の前に吸痰しないといけないし(これは練習して私がすることになります)、食事の度に窒息の可能性がある、娘さんは夜は基本的に一人で介護することになるので夜も十分寝ることが出来ない、30分のお買い物も行けるかどうか難しい・・・そう言った覚悟は心身共出来るかどうか、耐えられるかどうかです」と言われました。

これって覚悟をしたら出来る問題なのかなとまず思いましたし、それに寝ない状態にずっと耐えられる人っているのかなとも思いました。

ただ、母が「痛い」とか単語しか話せず会話が全く成立しないと、看護師さん達と同じことを言われましたので「それは違います」と言いました。

母の記憶力は鮮明で(勘違いやうろ覚えももちろんありますが)、会話も成立していますので、母との会話内容をお話しましたら驚かれていました。

最初は構えてしらした感じがしましたが、最後は「私達の年代は子供からの介助や援助はおろか施設入居も危ういですね」と笑っていらしたので意思の疎通がうまく行ったかなと思いました。

ここはケアマネさんが電話をさせれるところだと思っていましたが、家族も患者も相談出来る場所だったようです。

(今更~

結論は「リハビリによってどこまで食べられたりお薬を飲んだり出来るか(飲んでいないのでパーキンソンが悪化)がカギとなるので、しばらく様子をみましょう。そして、退院が決まった時点で決めましょう」と言われました。

最後に私がお話で出していた「〇〇クリニックは本当の24時間体制、365日対応ですよ」と言われました。

そして、「今のクリニックは外来を持っているの無理だし、看護師さんも沢山持っている訪問看護ステーションがいいです」

「〇〇クリニックにお話を伺ってみます」と電話を切り、○○クリニックの電話を掛けたが1時15分頃。

ここも受付から優しい感じでした。

そして、1時間位話をしました。

結論は「お電話があったことをドクターに伝えます。退院の時期が見えてきたら、『訪問診療(専門)にしたい』ということを伝えて、こちらにお電話下さい」と言われました。

 

 その後、Rちゃんから電話がありました。

「お母さん、今日も面会に行きますか 行く時迎えに来て下さい。昨日はRちゃんは5時半まで寝てしまっていました」

ということで、4時過ぎに出て行って来ました。

母は目を開けていました。

最近は左向きが多いので回って顔を見て声を掛けると微かににっこり。

「おしりが痛い」「腰が痛い」と言いましたので看護師さんに伝えると「又、体位変換しますね」

母の様子を伺いました。

モニターの説明もして下さいました。

「言語聴覚士さんが(嚥下の体位が独特だそうです)上手に食べさせて下さって、主食9割、副食4割食べました」と言われましたので本当に嬉しかった

(今はまだ昼食のみで、徐々に増やしていくそうです)

Rちゃんが「お母さん、大きな食器を考えたらダメよ。小さいよ」

「そうか。。。そうだよね」と思いました。

看護師さんが続けて「でも明日、明後日はお休みです」

言語聴覚士さん、お休みのようです。

看護師さんでは怖ろしくって食べさせられないと言われていました。

折角食べられているのにと素人は思いますが、続け過ぎもよくないのでしょうか

帰り際母が「バナナが食べたい」と言いました。

そうだよね、食べたいよね

母に何か希望を持たせたくて「ご飯が食べられるようになったら、おうちに帰れるからね。今日は新しいドクターともお話して、おうちに来て下さるようにして下さるからね」と伝えると「うんうん」と微かに頷きました。

その前にRちゃんが「家に帰りたい」と聞いていましたが、母の返事は微妙~~~。

こんな状態では自分でも無理と思ったのか、私に迷惑をかけると思ったのか。。。

 そう言えば、今朝、お散歩の時にKさんが言われたのですが、お母様の最期の頃、お母様は何としてでも生きようとなさっていたそうです。

理由を聞いたら少しでも生きて年金を子供達3人に残したいと思われていたとか。

「親ってどこまでも親よねぇ」と。

「もしかしたら我が家の母もそうなんでしょうか」と言うと「そりゃあ、そうよ。それが親と言うものよ」

長生きはしてほしいですが、苦しいのに無理にがんばっているのだとしたら・・・考え込んでしまいました。

私が母と同じ状況になった時、そんな愛情深いことを考えられるとは思えない

(そんな大した年金もないですし

友人の友人は、お金をやはり息子さん一家の為にたくさん使って、心身共も支えてきましたが、今、がんで入院していても1日でも付き添いはしてもらえないそうです。

「忙しい」と。

そして「お金がないと子供は振り向いてくれないのよ」と言われたそうです。

こういうお話、とてもよく聞きます。

若い人達は年金の保証もないので、生きるのに精一杯なのでしょう。

やっぱり、日本は大切なものを失ったとしか言いようがありません。

原因は何か

Rちゃんは学歴社会だと言っていました。

こういう時、よく思い出すのは「東京物語」。

私が生まれる前の映画ですが、何回か観ました。

北マケドニアの友人がこの映画を何度も観たと言っていました。

 フルヴァージョンのようです。

 

東京物語(1953)

 

 

 

 

 

 昨年の今日は母は7月16日の私の誕生日に入院後、やっと退院して帰ってきた日です。

去年も大変な目に遭いまたし、食事の形態もがらっと変わったわけですが、それでも母は元気でした。

1年経った今年はかなり弱っています。

コロナに罹ったのが大きな原因だったのかどうか

 

 

2023年8月23日

ちょっと落ち込み中(明日、退院)

 

2023年8月24日

母の退院&秋の空

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと261・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.24

 

最新刊|人生百年時代の生き方の教科書

 

越えても越えても峠あり。
しかし、必ず峠は越えられる
━━━━━━━━━━━━━━
日野久三郎(弁護士)
〇月刊『致知』2004年3月号
特集「壁を越える」より
━━━━━━━━━━━━━━

地球が一公転するごとに
季節の四季は巡ってきます。

しかし、人生の四季は一回限りです。

青春、朱夏、白秋、玄冬
――中国古代の五行説は
人生の四季をこう表現しました。

年齢的にいえば、
青春とは25歳くらいまでのことに
なるでしょうか。

朱夏は50歳、
白秋は75歳、
玄冬はそれ以降となるでしょう。

いまから半世紀前の昭和49(1974)年、
100歳以上の人口は500名を超える程度でしたが、
現在では9万人を突破し、
その数は年々増加傾向にあります。

人生百年時代が、
まさに到来したと言えるでしょう。

玄冬の「玄」には暗いという意味がありますが、
同時に奥深いという意味もあります。

その意味では、奥深いところから
新たな息吹をもたらす時期が
玄冬であると言えるかもしれません。

その時代を各人がどう過ごすかが
非常に大事になってきますが、
本書には白秋・玄冬の時代を
どういう心構えで生きればよいか。

そのための心得、知恵が説かれているのが、
このたび、弊社から新たに刊行される
こちらの一冊です。


『人生百年時代の生き方の教科書』

 

収録されるのは、次のような60話。


・人生の後半をどう生きるか
外山滋比古(お茶の水大学名誉教授)

・人生は美しいことだけ 覚えていればいい
佐藤愛子(作家)

・運がよくなる秘訣
宇野千代(作家)

・朝顔の花が咲く条件
五木寛之(作家)

・一期一会
瀬戸内寂聴(作家)

・「くれない族」 では幸せになれない
曽野綾子(作家)

・真冬の枯れ木にも花を咲かせることはできる
千玄室(茶道裏千家前家元)

・希望は失望に終わることはない
三浦綾子(作家)

・人は創めることさえ忘れなければいつまでも若い
日野原重明(聖路加国際病院理事長・名誉院長)


後半生を豊かに生きる心得を、
各分野の人生の達人60名の叡智に学ばんと、
珠玉の逸話を掲載しています。

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母の容態(入院13日目)&訪問診療について&面会

2024年08月23日 23時55分00秒 | 介護

 今日も又、暑かったです。

最高気温は昨日と同じで37.2℃、最低気温は昨日よりも高く26.8℃。

もうこれが最後の猛暑かなと思いましたが、明日もまだ36℃はありそうです。

 週末はコロナの為に面会が出来ないそうですので、牛窓に行こうかな~、岡山にいる方が今は落ち着くなかな~と悩んで、夕方になってから決めようと思っていましたが、今日の気温を見ると牛窓の最高気温は34.6℃、最低気温は26.0℃だったようですので、やっぱり岡山よりは涼しい。

それに山の中はもう少し気温が下がります。

ということで、牛窓に来ました。

今日の果物

 

 

 

西側の朝顔

今まで見ることの出来なかった最後の1種。

 

 

最後の収穫

朝の瞑想をしている時、昨日届いて読み始めていた小笠原先生のところへお電話してみようと思いました。

長く私のブログを読んで下さっている方の中には覚えておられる方もいらっしゃると思いますが、3年ほど前メールを差し上げたことがあります。

やはり思い悩んだ結果でした。

電話の受付のスタッフからして感じがいい。

ソーシャルワーカーの方が話を聞いて下さったのですが、張り詰めていた糸がほっとしてプツンと切れたようで、泣けてきました。

言われたことは今のクリニックは24時間対応となってはいますが24時間対応のクリニックではないと言われました。

24時間対応と言われていてもクリニックによって実情は様々とのこと。

勧められたのは病院の地域連携室や地域包括センター他、2つ。

その後それぞれに電話を掛けてみました。

わかったのは外来を持っているクリニックはやはり物理的に限界があること。

そして、最後に電話をしたのは訪問診療のクリニック。

クリニックと言っても訪問のみ。

文字通り24時間365日対応。

(24時間対応というのは、電話をかけて通じるということをが最低限のベースのようですので、それぞれ違うわけです


 午後3時過ぎ、Rちゃんが電話して来てくれて「一緒に面会に行きます」

 

行くと、母は微かににっこり。

「おしりと腰が痛い」と言いました。

そして、「バナナが食べたい」。

看護師さんのお話によると朝、血圧を測る時力が入るみたいで、180位になるそうですが、その他は降圧剤のパッチを貼っているので安定しているそうです。

担当医がバカンス中らしく現在女医さんが現在診て下さっているそうです。

食事は言語聴覚士さんによって。

お昼ご飯のみ。

今日は

9割と4割食べたそうです❤️

しかし、残念なことに、土日はお休み。

折角、食べられていますが・・・。

明日、明後日は面会出来ません。

スタッフが土日は少ないそうで、電話対応も難しいと言われていました。

まだ半分も書けていませんが、又落ち着て整理したいと思います。

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと262・°*

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.23

相を変え、運命を変える

真の活学は人間の相を変え、
運命を変える
━━━━━━━━━━━━━━
安岡正篤(東洋思想家)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「貫くものを」総リード【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━


●上記の安岡先生の言葉を踏まえて、
総リードにはこう書かれています。

最近、ある人からいただいたお手紙に感動した。
お手紙にはこう記されていた。

「人の心は触れるものによって変わる、
という言葉をいただきましたが、
まさに私は『致知』に出会ったおかげで
志ができ、すべての物事に
感謝するようになりました(中略)。

たくさんの災難が起こりました。
しかし、それも学びの一つとして
受け入れることができるようになりました。
今まで、私の人生は暗くて
良いことなどないと考えてしまっていましたが、
光に満ちていたことに気づくことができました」

そして、お手紙はこう結ばれていた。

「刑務所という所へ来てしまった身として、
今後も世のため人のため、生きていく所存です。
それができて初めて、『致知』を学んだ、
と言えるのではないかと思います。
この覚悟を磨くため、今後も
『致知』を座右に置き、精進を続けます」

仕事にも人生にも真剣に生きている人の
心の糧になる──
この理念を46年間貫き続けてきたことで、
『致知』は多くの人の人生に
光を与えるお手伝いができている。
そのことを『致知』の制作にたずさわる者として、
何よりも嬉しく思うのである。

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

古代人と渦巻きと螺旋


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1142648&c=3304&d=ed84

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、古代エジプトのナカダ文化の陶器、縄文の火焔式土器など、古代の渦巻きと螺旋の写真が挿入されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1142649&c=3304&d=ed84

(渦巻のスピリチュアルな意味|古代人が生命の象徴とした螺旋の模様)

━…………………━


東京板橋では熱い日が続き、アブラゼミが大合唱をしています。

そちらはいかがでしょうか。


台風10号が発達しながら日本に近づいているようです。どうかお気をつけください。



◆ 渦巻きのスピリチュアルな意味

今回は、渦巻きと螺旋(らせん)のスピリチュアルな意味についてお話ししようと思います。

そのために、今では多少使い古されてしまった、「スピリチュアル」の意味を再定義しておきます。


・ 「スピリチュアル」の定義

「スピリチュアル」というカタカナ語は、日本では様々な意味に使われ過ぎて、かなりあいまいになってしまっています。

しかしここでは特に、心の奥が静かな喜びに震えるような体験が持つ性質のことをスピリチュアルと呼ぶことにしましょう。



一例ですが、たとえば次の場面を想像していただきたいのです。


あなたはアラスカの高緯度の地方、澄んだ水の波ひとつない湖のほとりで、ひとりで風景を見ています。

今は夜明け前で、周囲には物音ひとつしません。

オーロラで薄く輝く星空が、少しずつ明るくなってきて、雪をかぶった遠くの山々の頂上近くが、ピンク色に染まり始めました。

そしてその日の最初の陽光がひとすじ、地平線から射してきました


(イラスト:オーロラと星空と湖の日の出)


思い浮かべていただけたでしょうか。



このようなとき、その体験には何か、心の奥を揺さぶる厳かさがあるのではないでしょうか。


「スピリチュアル」(spiritual)という英語は本来、このような性質のことをおおむね表していました。


参考記事:『スピリチュアルとは?本当の意味を簡単に解説、4つの実際の例、「感じる」というキーワード』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1142650&c=3304&d=ed84



・スピリチュアルだけれども宗教でなく(SBNR)

歴史を100年ほどさかのぼると、このような厳かな(スピリチュアルな)感動を人に与えるのは、多くの場合に宗教に関連する事柄だったようです。


しかし今や、ネイチャー・ウオッチングや音楽や、ヨガや瞑想など、さまざまな体験で私たちは、静けさや厳かさを楽しんでいます。


そして、個人の好みや傾向のこの変化を表すのに、「スピリチュアルだけれども宗教でなく」(SBNR: Spiritual But Not Religious)という言葉が、数十年前から米国でたびたび用いられるようになっています。



単純化を怖れずに語るとすれば、それは、宗教とは別のアプローチで、外部にある偉大な何かと、あるいは内部にある偉大な何かと、親密に心を通わせることであるように思われます。



この内部にある偉大な何かは「ハイアーセルフ」などと呼ばれたりすることもありますが、多くのバラ十字会員はむしろ「内なる自己」(inner self)という言葉を用いています。


・ 渦巻きと螺旋(らせん)の違い

渦巻きと螺旋はどう違うのかということが気になる方もいらっしゃることと思います。私も気になっていました。


調べてみると、通常渦巻きとは、半径が大きく(もしくは小さく)なりながら巻いている平面上の図形のことを指します。


この渦巻きの中央部を平面に対して上方または下方に引っ張ったときにできる立体的な図形が、螺旋と呼ばれます。



しかし、渦巻きと同じ意味で螺旋という言葉が用いられることもありますし、つるに巻いたアサガオの茎の形ように、半径が変わらない立体図形も螺旋と呼ばれます。


・渦巻きと螺旋と、古代人のスピリチュアリティ

下の写真は、火焔式土器と呼ばれる縄文時代の遺物です。

この土器には、いたるところに螺旋がデザインされています。

(写真:笹山遺跡で発掘された火焔型土器)


これからご紹介する、バラ十字会の研究家が書いた記事にも、古代エジプト人が描いた見事な渦巻きが登場します。



おそらく古代人は、渦巻きや螺旋に強いスピリチュアルな意味を感じていました。

言い方を変えれば、強く心を動かされていました。


なぜでしょうか。主に次の2つの理由があると思われます。


1.月とヘビに対する信仰が、渦巻きや螺旋に関連していること

興味深いことに、古代エジプトでもメソポタミアでも、日本の縄文時代でも、古代人の多くが、月とヘビのことを神だと見なしていました。


月の満ち欠けとヘビの脱皮が、不老不死と結びつけて考えられたためだと推測されます。



参考記事:『縄文文化の精神性』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1142651&c=3304&d=ed84



そして、春分から夏至、秋分から冬至に至る月が、天空で描く道筋が渦巻きであることや、ヘビの巻くトグロが螺旋形であることから、渦巻きや螺旋が不老不死という意味と結びつけて考えられたのだと思われます。


2.強烈なエネルギーの現象、生きものの成長・生殖に関連して、渦巻きや螺旋が自然界にたびたび現れること

竜巻、渦潮など、螺旋の形をとる自然現象のいくつかは、強いエネルギーによって生じています。

たとえば竜巻は、北極周辺から低緯度地方の上空に下りてきた寒冷渦(cold vortex:コールド・ヴォルテックス)と地上の気温差のエネルギーによって生じる激烈な現象です。



また、巻き貝、松かさの鱗片の配置、ヒナギクの花の中央、ネジバナの花の付き方、ヒマワリの種の配置など、自然界のデザインにはいたるところに螺旋が表れ、その多くが生きものの成長に関連しています。



参考記事:『自然界に見られるフィボナッチ数列|なぜ黄金比と関連?』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1142652&c=3304&d=ed84



このことから古代人は、渦巻きと螺旋を、強いエネルギーや生命力を結びつけて考えたのではないかと思われます。


それを受け継いでいるのか、あるいは直接の体験に由来するのかはわかりませんが、人間の生命力も渦巻きや螺旋と関連しているという考え方が、ヨガや太極拳など、長い歴史を持つ伝統で唱えられています。


さて、バラ十字会の専門家が書いた記事『渦巻きとらせんの神秘』を、下記にご紹介します。


▽ ▽ ▽

◆ 記事:『渦巻きとらせんの神秘』

The Mystical Spiral

ディニ・ヤコブス

By Dini Jacobs


(写真:森の中に作られた迷宮、アンモナイト、迷宮の古代の壁画


・ エネルギーの流れを表す渦巻きという象徴

渦巻(Spiral)は、エネルギーの流れを表わすために、太古の昔から用いられていた神秘的象徴で、世界中のさまざまな遺跡の道具類に見ることができます。

エジプトの先王朝時代の陶器や、神殿の石壁の彫刻に渦巻の模様が使われています。

また、西ヨーロッパや南北アメリカ大陸や東洋の、巨石からなる遺跡やストーンサークルにも見ることができます。


渦巻は現在もなお、さまざまな宗教団体や神秘学派で用いられています。

また、神秘的な象徴として一般にも使用されています。


・ 渦巻きと太陽の軌跡

幾何学的図形の中でも、渦巻は極めて古くから使われていたので、何か特別な意味があるに違いないと、考古学者は長い間考えていました。

渦巻きが表していたのは、一年の4分の1の期間に、太陽が空に描く軌跡であることが、研究と数々の実験によって明らかにされています。


春分から夏至までの間、太陽が空に描く通り道は右回りの渦巻きで、太陽はこの渦巻きを、外側から内側へとたどります。

夏至が過ぎると、内側から外側に進み、秋分には元の点に戻ります

一方冬期には、左回りの渦巻きをたどり、冬至までは外側から内側へと進み、その後春分に最初の点へと戻ります。


・ 渦巻きを組み合わせた模様

2つの渦巻を組み合わせた模様が、多くの古代文化で共通して使われています。

そこから発展した3つの渦巻を組み合わせた象徴も現れました。

しかしどの象徴においても、ひとつひとつの渦巻は3ヵ月という期間を意味しています。


3つの渦巻を組み合わせた象徴は、人間の胎児が子宮にいる期間を表していると考えられています。



・ 自然界に見られる渦巻き

自然界で見ることができる形には、異なる構造であるにもかかわらず、同じ数式に従っているものがあります。

渦巻状の運動はマクロコズム(macrocosm:大宇宙)の中に様々な種類のものを見ることができます。

最もよく知られている例は、美しい渦巻銀河であり、星々でできた腕を優美なカーブを描いて外側に伸ばしています。


ミクロコズム(microcosm:小宇宙)では、自然界や人間の体に見ることができる、さまざまな形と周期がその例です。


・ 渦巻きと人生と生物の成長

渦巻は、人生の展開やあらゆる生物の成長がたどる自然な進行を表しています。


その渦は常に大きくなっていき、同じ地点を通ることはありません

渦巻の性質からして、それは必然的なことであるように思えます。


そして、変化と成長、カオス(chaos:混沌)の中にある秩序、相反すると同時に同じであるものを、渦巻は見事に表しています



(写真:古代エジプトのナカダ文化第2期(紀元前3400 年頃のゲルゼー文化期)の渦巻模様のある陶器のつぼ)


・ 物質界と非物質界からなる秩序であるコスモス(Kosmos)


ギリシア人は、ものごとの物質的な面と非物質的な面を総合して、有機的統一体として把握することの重要性に気づいていました。


ギリシア語の「コスモス」(Kosmos)は「秩序」を意味していて、そこには、次のような考え方が反映されています。

つまり、物質はそれ自体の運動と秩序があるから存在しているのでもあり、成り立ってもいるのだという考え方です。

言い換えれば、物質とは振動であるということです。原子核の周りを回る電子の運動や、分子の中の原子の振動、DNA鎖の中の分子のリズミカルな運動などについて考えるとその意味がお分かりになるでしょう。



同じように、人間の意識が生まれ、進化していくということは、意識の構造を継続的に、より洗練されたものにしていくということであり、ひとりの人間というミクロコズムを、より秩序あるものにしていくということです。

このような観点から見ると、渦巻は魂(soul:ソウル)が永遠の生命に向かって進化していくことを象徴しています。


・内向きの運動と外向きの運動、二重のらせん

単純な二次元の渦巻には、いくつかの特徴的な性質があります。

それはその源から始まって、その源に戻っていきます。それはすでに起こったことの意味を明らかにし、新たな光を当て、その結果として起きる新しい発見へと私たちを導きます。

渦巻は過去の説明であり、未来の予言なのです。



時空(space-time)という四次元の世界では、渦巻は圧力の低い領域の周囲で形成され、上向きもしくは下向きに圧力をおよぼす、らせん状の流れと考えることができます。

たとえば竜巻や台風を思い浮かべると良いかもしれません。

渦の中心に、それとそっくりなもうひとつの渦ができ、らせん状の流れが2つ重なると、内向きの運動と外向きの運動が組み合わせられます。



人間の本質の核心には、このような二重のらせんがあります。

上向きのらせんは、人間の意識が高められることを表現しており、下向きのらせんは人間の身体が物質化され、物質の領域で進化することを象徴しています。

それによって全体的な存在、つまり「生ける魂」を、二重のらせんが創造しているのです。


・ 瞑想と意識の上昇とらせん

私たちが殿堂内や自宅で瞑想するときには、私たちは自身の意識を〈創造主/神〉の精神に同調させようと試みています。

そのような時には、上に向かうらせんとして自分自身の意識を視覚化することができます。


創造されたすべてのものを包み込むような大きさの渦になるまで、ずっと広がっていく円として、らせんを思い浮かべます。

意識を上昇させている間に、私たちはある「滞在の場所」に到達します。

バラ十字会員には〈天上の聖所〉として知られている精神の状態です。


・ 渦巻きと迷宮(labyrinth:ラビリンス)

渦巻と密接に関連しているのが「迷宮」です。

迷宮とは、二重になっている渦巻と考えることができます。アメリカ先住民族のホピ族は迷宮のことを「母なる地球」の象徴と呼び、地下にある彼らの聖なる場所「キバ」(Kiva:円形の大広間)を、それになぞらえています。


この「キバ」を通して、以前の世界からホピ族が出現したという言い伝えがあります。

迷宮の中の線と通路のすべては、創造者の普遍的な企画が具体化されたものであり、この企画には、すべての人が〈人生の道〉を歩む上で従わなければなりません。



知られている最も古い迷宮は、エジプトで発見されたものであり、紀元前19世紀にさかのぼります。

しかし最も有名な迷宮はもちろん、クレタ島のミノス王のラビリンスであり、神話のアリアドネの糸の話で知られています。



迷宮は、作られては破壊され、広げられたり狭められたり、また、姿を消したり現れたりします。

それは正しい道を知っている人にとっては秩序正しい〈宇宙〉であり、道を見失っている人にとってはカオス(混沌)です。


(イラスト:迷宮)


ウィリアム・ブレイクの言葉には、こうあります。


私はあなたに黄金の糸の端を渡します。

ただ、それを巻いて糸玉にしなさい。

この糸があなたを、

エルサレムの壁の中に作られた

天国の門へと導きます。


△ △ △

以上の記事は、バラ十字会日本本部が季刊で発行している雑誌『バラのこころ』に掲載されたものです。


この雑誌の170号(電子書籍版)が、ECサイトのAmazonで、8/26(月曜日)の午後3時59分まで無料です。


下記のURLをクリックして手に入れてください。


https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1142653&c=3304&d=ed84



記事内容:宇宙のクウィンテセンスを求めて-中世とルネッサンスの錬金術師はどのように瞑想したか/ウィリアム・ブレイク/一日の行動を振り返る/宇宙のガイドという恵み/自由、与えるのか奪うのか/自然界と調和して生きる(格言)/バラ十字古代エジプト博物館のコレクションから -音楽にまつわる遺物



また、他のバックナンバーはご購入することができます。



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。(^^)/~


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■ 編集後記

サルスベリが咲いています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1142654&c=3304&d=ed84

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母の容態(入院13日目)&面会へ&「最期まで家で笑って生きたいあなたへ」

2024年08月22日 23時20分00秒 | 介護

 本当に今年の夏は厳しいですね。

ひたすら忍耐の日々です

今日の最高気温は37.2℃、最低気温は26.2℃でした。

明日はもっと上がって38℃と27℃予報だそうです

 

 

 朝のお散歩より

 

 

雲は秋の雲なのに・・・

 

昨日、今日、教会のカギがしまっていました。

 

おみかんが大きくなっています。

無花果や花梅も実が熟れています。

 

 

我が家のお花

朝顔は南側も西側も1輪ずつでした。

 

バラは「ドフトゴールド」と「ラ・マリエ」が蕾。

他は咲いて終っていました。

 

八重のジャスミンに蕾が更に付いていました。

 

 

今日の果物

昨日から食卓に乗っているのは秋の味覚の「梨」。

鳥取かと思っていましたら徳島だそうです。

 

 4時前、面会に行く準備を始めました。

多少は気温が下がっていないかなと・・・。

朝、夜勤明けのRちゃんが「起きていたら一緒に行く」と電話をくれました。

実の家族でもないのに

 

 

 母は寝ていました。

いつもならそのまま寝させますが、折角のチャンス。

がっかりさせてはいけないので起こしました。

開口一番「何か食べたい」「飲みたい」

ナースコールを押しました。

それからのぞき込んでいると

「いつでも助けてね」

「何を言ってるの 24時間助けるよ」

看護師さんのお話では今日から昼食だけリハの方が食べさせて下さっているようです。

おもゆ?3割、ペースト食5割を食べたそう。

お薬もだいぶ飲めるようになったみたいでした。

この調子で朝も夕食も様子をみながら増やしていくそうです。

ただ水ゼリーなども看護師さんが飲ませるのは誤嚥が怖いので中止のようです。

点滴も今日はなしでした。

スポンジで口の中を潤すだけ。

辛いでしょうが、訓練中なので「がんばって早くお家に帰ろうね。多くの人が応援し祈ってくれているからね」と励ましました。

「入院のしおり」には面会時間は1時から8時、土日は10時から8時になっていましたが、今はコロナの為に再び平日の1時から4時半のみになっているようです。

 

帰るとこの「なんとめでたいご臨終② 最期まで家で笑って生きたいあなたへ」が届いていました。

読むのが楽しみです

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと263・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.22

 

取材手記/ファンケル創業者の哲学

 

与えられた仕事に無我夢中で取り組む先に、
代えがたい喜びと面白さが味わえるのです
━━━━━━━━━━━━━━
池森賢二
(ファンケル名誉相談役・ファウンダー)
○月刊『致知』2024年9月号
連載「二十代をどう生きるか」【最新号】より

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★【今日の言葉+α】2024.8.22

夏休みも終わり、
今週から仕事がスタートしたという方も
多いことでしょう。

今年一年も約半分を過ぎ、後半戦に突入です。
そこで本日は、皆様の心の指針や糧になる
WEBchichi厳選記事をお届けします!

【厳選記事】

 

【101歳】裸足になってひたすら前進を続けよ(茶道裏千家前家元・千玄室)

世界一の勝運を呼んだもの(栗山英樹×横田南嶺)

「結果を出せるのは結果を決めているから」(井村雅代×乾友紀子)

「脳力」を極限まで引き出す極意

修行には段位がある——全国の食通を虜にするシェフが修行時代に心掛けていたこと

右耳が聞こえなくなったコロッケさんに、母親が言い聞かせた5つの言葉

「ありがとう」が家族を救う。36万回の感謝を口にした村上貴仁さんの実話

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母の容態(入院12日目)&母と電話

2024年08月21日 23時00分45秒 | 医療、病気

 牛窓の朝

お散歩がてら当分、来ることが出来ないので、ご近所さんに一言、言っておきたいと思いました。

Rちゃんはすやすや

誰も居ない山の上

 

 

雲がかかっている日が多いです。

あとでお聞きしたらいつもの夏はこんなことはないそうです。

そして、冬が殊の外美しいそうです。

 

 

ベンチに腰を下ろして眺めました。

雨が降ったのか朝露なので、濡れていました。

あとで、可笑しかったのが、旅好きの80歳の方が「ここだけは濡れていないわ」と言われて座られました。

「そこ、先程私がハンカチを敷いて座っていました~」

「あらまあ、それでか」

 

 

最初にいらしたのはその80歳の方。

ひとしきり、旅のお話をしました。

「行きたいけれど、お金がそんなにないから行けないかも」という私に、

「何を言っているの 先のことなんて考えず、帰って来たら又行くために貯金をするのよ」

 

そうこうしていると母と娘さんがいらっしゃいました。

このワンちゃん「ろく」だそうです。

「空が秋空になってきたわねぇ~」

 

 

雲が面白い

 

 

 

 

今日の景色

 

6時過ぎに帰宅。

Rちゃんは気持ちよく眠っていました。

帰る準備が整った時、「お母さん、早いですね」

Rちゃんは又、夜勤ですし、暑くならない前に出ようと話していました。

7時に牛窓を出ましたがちょうどラッシュ時。

随分とかかりました。

 久々の教会

珍しく鍵が掛かっていました。

 

 

家に帰るとかぼちゃが生っていました。

 

観賞用みたいなかぼちゃです。

 

朝顔は西側に3輪のみ

 

すでに気温は高くて、エアコンを付けてリラックス。

今日の果物

今日は1時から当然、面会に行く予定でしたが暑い上に頭痛。

様子を見ながらお薬も結局2回飲みましたが・・・。

面会出来るように帰宅したのに、残念。

母が待っているに違いないと思いましたので、申し訳なくて。。。

友人に話すと

「その気持ちは分かるけど

自分を許してあげないと

倒れたらおばあちゃん喜ばれないし周りに迷惑かける事になるよ」

自分を許すかぁ・・・なかなか難しい。

行けなくても何か方法はないかと思い考えました。

昨日、スマホを充電して帰りましたので、電話かラインビデオで様子を知ることが出来ます。

そこで病院へTEL。

しばらくして、看護師さんから母の電話を使ってお電話がありました。

母は何を言っているのか理解不能でした

でも、一生懸命話してくれました。

看護師さんの話に寄りますと、昼食時にゼリーのようなものを食べたそうです。

又、お薬も一部再開したそうです。

その上「本人は嫌だったかもしれないけれど入浴もした」そうです。

「状態も落ち着いているので、無理をされないように」とおっしゃて下さいました。

良かった

母は順調のようです

明日は会いに行けますように。

 

 

眠くって又、何を書いたか書かなかったか。。。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと264・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.21

 

アラン・ドロンが『致知』で語った言葉

 

私は他人から受けた善も悪も
決して忘れません。
特に不当な悪は忘れません
━━━━━━━━━━━━━━
アラン・ドロン(フランスの名優)
○月刊『致知』1983年7月号
━━━━━━━━━━━━━━

●フランスの名優・アラン・ドロンさんが
88歳で亡くなりました。
ドロンさんはいまから40年以上前、
『致知』に登場されています。

『致知』について説明を受けたドロンさんは、
『致知』を手に取りながら、
こう述べられています。

「私は日本語は読めないが、
フランスには、これに相当するような
雑誌は出ていませんね」

また、日本には『致知』をはじめ
リーダーを育てる書物が多いことを聞いて、

「さすが、立派なものです。
それだから、
日本の経済は成長してきたのでしょうね。
日本の企業が黒字で資源が少ないのに、
どんどん伸びていくのは
そういう背景があるからでしょうね。
たいへん、羨ましいです」とも。

世界中に夢を与え続けたドロンさんの
ご冥福を祈ります。

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母の容態(入院11日目)&コロナ陰性・個室解除&面会へ

2024年08月20日 22時27分15秒 | 医療、病気

 昨夜は一晩中雨が降りました。

雨の音を聴きながら眠りたかったので、窓のそばで窓を開けて寝ました。

ユリも瑞々しい。

 

 

6時過ぎ頃に少し雨が止みました。

瀬戸内海はいつもよりももっと静かでまるで湖のよう。

 

9時過ぎ頃には青空

幻想的です

 

今日の果物

 

 

 10時40分、病院の男性の看護師さんからお電話がありました。

「値が高くなったので」と言われたのでドキッとしましたが(低くなったと言われる方もいましたが)、「隔離解除になりましたので個室からお部屋移動して頂きます。」

そして、「飲み込みの評価後、食事や投薬が出来るかどうか、これで大きく変わります」

「面会は1時~4時でデイルームが狭いのでお部屋でして頂きます」

 その後、11時、ドクターからもお電話がありました。

ドクターは「ウイルス量が下がったので隔離解除になりました。」

「飲み込み機能が低下しているので今後食事や薬が飲めるように嚥下訓練(リハ)をして、1~2週間様子を見て、その後食べられないなら、又、その時今後にについて話をします」

 

 

 とにかくひとまず本当にほっとしました。

そして、面会に行くために準備を始めました。

 

1時に牛窓を出ました。

いつもよりは気温が低かったですが、やっぱり日中は暑い

しかも2号線バイパスが混んでいましたので、疲れました。

今後、母が入院中どちらで暮らそうかと考えていましたが、暑い間は牛窓との往復は無理と判断しました。

今日はまだ荷物を引き上げないで帰ってきました。

 

 

 岡山の家の朝顔

2輪咲いていました。

西側は1輪。

そして、Rちゃんに一応メッセージを送っていたところ、「今日は夜勤明けなので少し寝て一緒に面会に行く」

3時半に約束をして一緒に面会に行きました。

母は最初、何事が起こっているかわからない風でした。

すっかり変わり果てて・・・

かわいそうに

でも、私がわかり、Rちゃんもわかり・・・。

続いて「喉が渇いたので甘い水がほしい」と言いました。

ナースコールをしたところ1回目はすぐに来て下さいましたが、2回目は

母は喉が渇いてたまらないようでした。

でも、口を潤す程度。

 

母に写真を見せ、手紙も読んで聞かせました。

母は「誰も来てくれなかった」と何回も言いました。

コロナだったと言ってもなかなか理解出来ないようでした。

「解除の電話があったので、急いで来たのよ。明日から毎日来ることが出来るからね」

「10日間、一人だった」みたいなことを言いましたので、びっくりしました

凄すぎ

隔離されている間も数えていたのでしょうか。

わたしなんて、今日、何曜日だったっけ・・・と特に牛窓でぼぉ~と過ごしているとわからなくなったりしていました

「もう15分過ぎています」と看護師さんに言われて「又、明日来るから」と別れました。

 

 

 

 私は夜、牛乳とか置いておけない物を取りに牛窓に帰るつもりでした。

Rちゃんが夜勤明けで明日、お休みなので「一緒に行く

Rちゃん、今、一緒に来ていますが、明日の夜には又、夜勤だそうです

明日、早目に帰って、面会してから、仕事に行くと言っています。

 

 

 

 Rちゃんはここ牛窓の家を見るまではあまり牛窓で老後を暮らすのはよくないと思っていたようですが、景色とちょうどいい大きさに大絶賛。

「絶対、ここいいですよ。岡山の家は広過ぎる」

いろいろ配置換えをしてくれて、あれこれおしゃべり。

月末に3日間、お休みがあるので「野菜を植えに来よう」

岡山にも野菜を植えてくれたりします。

 

 

 

 息子家族は夜勤明けの明日からロサンゼルスのディズニーランドへ。

5月の時点ではすでに決めていました。

多分、3月頃から

来年は上の子が中学生になるので最後と思ったのでしょう。

お嫁ちゃんが大のディズニー好きで、その為にバイトもがんばり、年に数回行っているようです。

昨日、息子より「26日には帰るけれど、おばあちゃん、どう

でも、外国の人からしたら考えられないことのようです。

娘からも「将来面倒みられないから上手にお金を使って長生きしてね」

確かに子供達には年金もないかも。。。

子供世代の大変さがわかるので何も言いませんが日本は戦後、大切なものを失ったようです。。。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと265・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.20

 

最悪の時こそ最高である

 

失敗や挫折、艱難辛苦の時こそ
自分を変えるチャンス、
より成長させるチャンス。
そうやって捉えると、
いいことも悪いことも
人生で起こることはすべて最高、
これ以上のものはないと思える。
そういう心構えで努力すれば
必ず花が咲きますよ
━━━━━━━━━━━━━━
正垣泰彦(サイゼリヤ会長)
○月刊『致知』2021年11月号
特集「死中活あり」より
━━━━━━━━━━━━━━

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母の容態(入院10日目)&サボテン「白星」

2024年08月19日 20時40分00秒 | 植物

 今日は牛窓に来て初めて、岡山でも梅雨以来の雨が降ったようです。

朝から曇ってはいましたが、日の出が見られました。

 

 

昨日、猪が出るとお聞きしたので安全な道を歩くことにしました。

 

大きな紅い太陽が目に入り急いで見える場所へ。

 

 

昨日、ご近所さんがここは津波も来ないし、土砂崩れもないと言われていました。

石が多いので古墳も多く安全で、「阿弥陀山」と呼ばれているとか。

 

確かに大きな石や古墳がとても多いです。

 

 

ここの家は確か画家の方のお住まいだった気が・・・。

 

 

今日はどなたにもお会いしないなぁ~と思い帰ろうと下っていたら、80歳の女性の方が上がって来られて「随分早いね」。

彼女はオリーブ園の入り口まで車でいらしています。

今日はオリーブ園についていろいろ教えて下さいました。

しばらくして、昨日我が家へご案内したお母様が今日はひとりでワンちゃんと来られて「お早いですね」

昨日交換したスマホの着信がなかったということで、確認しましたが番号は間違っていませんでしたので再度鳴らしてお互い確認。

ワンちゃんはレッドリバーだそうです。

名前は「六?ろく?」

イギリスの方のノアちゃんも同じ犬種。

どちらも真っ黒で毛がピカピカ光っています。

 

白いユリが目に鮮やかです。

 

今日の果物

ふと外を見ると雨が降っていました。

あまりにも静かに降っていましたので気が付きませんでした。

 

一日を通して雨が降りましたが、傘がいらない程度でした。

午後から少しまとまって降ったようです。

雨音がしないので気が付きませんでした。

10時頃、昨日お聞きした病院跡のお花屋さんに行ってみました。

ここは毎週月曜日がお休みのようですが、開けておられました。

 

 

何か手入れの要らない(お水をしばらくやらなくても大丈夫な)グリーンを探しました。

サボテン

でも、見ているとどれもユニーク。

なかなか決められませんでした。

やっとこれ

 

陶器の鉢に入れ直して頂きました。

この子はメキシコから来ました

 

外観とシフォンケーキのお店

 

今日は太陽の陽射しはないものの湿度が高くて朝のお散歩の時もここでもじんわり汗が

 

前島フェリー

片道5分

 

ホテルリマーニ

きれいに倒れないように包んで下さいました。

水遣りは月に1回、たっぷりと流れるくらいに。

先週の月曜日に水遣りなさったそうで、次は月末位に。

置く場所は家の外でも中でもいいそうですが、太陽の光に当てること。

 

我が家のニューフェイスです。

よろしく

名前は「白星(しらぼし)」ちゃん

メキシコ生まれです。

 

 書類のことで証券会社の方が3時頃いらしたのですが、その方がすぐにサボテンの存在に気が付かれました。

彼女は最初に勤務した岐阜での最初のお客さんに「サボテンは人とコミュニケーションが出来る」と聞かれたそうです。

こちらの話を聞いてちゃんとそのようになるとか。

植物ってそう聞きますが、サボテンの能力は他を上回るとか。

成長はかなりゆっくりですが、確実に応えてくれると言われていました。

すでに我が家に連れて帰って来る時から話しかけているので聴いていてくれているかな

 今日も3時前の2時50分、病院に電話をして、母の容態をお聞きしました。

大きな変化はなしとのことで、ほっとしました。

そして、明日はいよいよコロナの検査だそうです。

もし陰性になっていたら、個室解除だそうです。

検査は朝でも結果は午後からとのことで、ドクターからお電話があるそうです。

この時に、退院、転院などの今後のお話があるのかと思っていましたが(あるいは予後)、いずれにしても退院はすぐには難しいと言われていました。

嚥下訓練などが始まるからなのか、詳しいことはまだ不明です。

大きな総合病院なので、急性期が過ぎたらそこに居ることは出来ないはずですが・・・。

明日、ドクターが何と言われるか。

担当看護師さんには母によろしく伝えて欲しいと伝言をお願いしました。

夕方のNHK岡山ニュース「もぎたて」より

今年の猛暑日

 

ちなみに2枚目の写真の高梁は岡山県高梁市のことです。

高梁は暑いイメージがあります。

今年の猛暑は記録を塗り替えています。

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと266・°*

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.19

笑いは最大の武器

笑われる存在になると無敵です。
相手に自分を認めさせようなんて思わない。
笑いが最上の武器、
そう子供の頃から思ってましたね
━━━━━━━━━━━━━━
井上ひさし(小説家、劇作家)
○月刊『致知』2024年9月号
連載「千年の名言」より
━━━━━━━━━━━━━━

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母の容態(入院9日目)&ご近所デビュー

2024年08月18日 20時25分00秒 | 生活

 昨夜は真面目に10時過ぎには目が冴えていましたがお布団に入りました。

月が煌々と照って、海に反射しているのを見ながらいつしか眠っていました。

目が覚めてたのは4時過ぎなので6時間くらいは眠っています。

この時期、段々と夜が明けるのが遅くなっていて暗かったのですが、起き上がってごそごそ。

5時15分頃、家を出てお散歩へ。

 

瀬戸内市牛窓

今日の日の出時刻:05:26:28 AM
今日の日の入時刻:06:47:51 PM

明日の日の出時刻:05:27:13 AM
明日の日の入時刻:06:46:39 PM

 

1分ずつですが日の出が遅くなり、日の入りが早くなっています。

 

今日も曇っている感じでしたので、日の出はどうかなと思いつつ・・・

 

 

でも、昇ってきました。

 

 

 

太陽は雲の帯の中に一旦消えましたが、

 

又、顔を出しました。

 

 

オリーブ園の頂上には今日は誰もいませんでした。

 

ここで梅干を入れた七穀米入りご飯のミニおにぎりを持って来ていましたので美味しく頂きました

 

 

この畑は夏は春はキャベツ、冬は白菜がいっぱい植えられてもっと牧歌的で美しい風景が見られます。

 

ここで「ローマの丘」の方を覗いていたら、お散歩の方が上がって来られました。

お聞きしたらローマの丘まではかなりあって、猪も出るから止めておくように言われました。

そして「どこからいらしたの

「そこの下の方です」

「えどこ」で、大抵次の私の返事くらいでこの会話は終わるのですが、この方、何度か話をかわそうとしましたが、よほど気になられたようで、「あそこかしら」「ここかしら」と10回くらいは聞かれました

言っても良かったのですが、どこの方がわかりませんでしたのでちょっと躊躇しました。

でも、「どちらからですか」とやっと口を挟めたのでお聞きしたら、ご近所さんでした。

元ペンションのオーナーさん。

そこから話が弾みました。

彼女のお年は80歳

お若い

旅がお好きだったようで、いろいろ聞かせて下さり、牛窓情報や、介護の話まで。

この方も介護をなさったそうです。

牛窓で介護するのに十分なサポートが受けられるのか、自分の今後の為に話をお聞きしたところ、京都だそうでした。

京都まで通っていらしたそうで、「介護は最後までしておきなさいよ。自分の納得の為に。その後の人生が全然違ったものになるから」と言われました。

結局、皆、環境や親との関係性が違いますから一概には言えない問題ですが、介護者が「納得出来たかどうか」というのはポイントが高そうです。

旅はご夫婦でいろいろなところへ行かれたようです。

「75歳までは行けるから・・・」と言われていました。

アメリカを2週間かけて縦断したり、最後は南極へ行ったと言われていました。

(その後は国内

でも、私の両親の共通の友人の女性は生涯独身で海外旅行を楽しんでおられました。

どこででも眠れるし、何でも食べることの出来るやはり豪快な方で、多分、150ヵ国以上は行かれたと思います。

80歳を過ぎても行かれていましたっけ。

 それから、「イギリスの〇〇さんと同じ黒い犬を飼っているご近所さんが上に来ているから挨拶していた方がいいよ」

そこへ、イギリスの〇〇さんがノアちゃんと来られました。

今日のノアちゃんは上に犬がいるのに気が付いたせいか、興奮状態でした。

このワンちゃん達、フラットコーテッド・レトリーバーかなぁ~

又、お会いした時にお聞きしてみよう。

ノアちゃんとお別れして、上に上がりました。

そこには先程の女性が先に行っておられ、あと母娘さんがおられました。

すぐご近所の方々です。

そこで、結構皆で立ち話をしました。

牛窓の生活情報や携帯番号など、たくさん教えて頂きました。

そして、我が家をいつも見ながら「かわいいから中を見てみたい」と思ってらしたそうです。

この時は陽が昇ってきて暑くなってきましたので「いつでもいらして下さい」とお伝えして散り散りに別れたのですが、

 

 

クサギ

ジャスミン見たいです。

今日は葉っぱが匂いました。

お薬みたいな匂いでした。

 

先日行った「ロッサ」周辺

 

 

ご近所のペット同伴可のホテルには名古屋、滋賀、京都、大阪、和泉、福山、愛媛等などのナンバーの車が連日停まっています。

 

家の近くまで帰ると母娘さんとワンちゃんが見えましたので、「寄って行かれませんか」とお声を掛けると「では、図々しく」とおっしゃってお母様がいらっしゃいました。

娘さんの方はワンちゃんを繋ぐ場所がないということで先に帰られていました。

私もまあ、まだ片付けていないところへ恥ずかしげもなくお通ししたとものだと思います

でも、喜んで下さいました。

「かわいい。やはり眺めがいいですねぇ」

そして、ベランダで又、あれこれ教えて頂きました。

お花やケーキ店、ヨガ教室、ゴミ収集場所やゴミ袋等など。

今日は一気にご近所さんデビューした感じです。

ここはご近所付き合いはあまりないそうですが・・・。

皆さんが地元の方でないので、それぞれが生活しているという感じだそうです。

生活パターンも週末だけいらっしゃる方から、来ては泊まらずバラの手入れだけして帰られる方も。

でも、この1~2年で人気が出たのか空き家になっていた家が全部埋まったと言われていました。

皆さんのお話を合わせると「牛窓で十分最期まで生活出来る」でした。

特に車の運転が出来るなら問題なし。

救急車もすぐに来てくれるし、ヘルパーさんも大丈夫とか。

「もう貸さないで、介護が終わるまでは来れる時に休養に来られたらいいんじゃないの

 

 

 

 

ユリがたくさん咲きました。

来年にはもっと増えるかな。

 

今日の果物

 

今日も風があり、お昼前まではエアコンを付けませんでした。

その後も大丈夫だったかもしれませんが(31~33℃くらいでしたが)、TVで熱中症のことをよく言っていますのでエアコンを入れました。

母の病院に電話した午後3時頃

雲が出てきました。

 

 

「光る君へ」のあと。

ちょうど日の入りの時刻でしたが、太陽はどこに沈むのかな

 

今日の母は変わらず熱もなく、血圧調整しているので血圧も落ち着いているそうです。

ご飯は鑑定士さんが「まだ」おっしゃっているのでまだダメだそうで、とろみをつけた水ゼリーくらい。

お薬もまだ(パッチのみ)。

ここで、家ではエンシュアが好きで日に3本飲むこともあったことをお話して、エンシュアはダメなのかお聞きしてみましたが・・・「ああ」という感じではありましたが、看護師さんでは何とも言いようがない感じでした。

手紙を入れていたことをお話して、その反応があったかどうかお聞きしたところ、手紙も壁に貼って下さっているようで、写真などを見せると微笑んだりもしているようです。

ですから、今日は伝言をお願いしました。

手紙に書いた内容と同じようなことですが、いつも想っていること、多くの人が祈ってくれているので、がんばれ

今日の看護師さんは殊の外優しい、多分前回も同じように感じた方だったと思います。

「伝えますね~」

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと267・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.18

 

悲しみが愛を育む

 

悲しみを経験したがゆえに
他人の悲しみや苦しみに
心から寄り添えるようになる。
辛い体験がその人の中に
潜んでいた愛を育んでいく
━━━━━━━━━━━━━━
鈴木秀子(文学博士)
○月刊『致知』2024年9月号
連載「人生を照らす言葉」より
━━━━━━━━━━━━━━

●文学博士である鈴木先生は、
日本や外国の文学作品に秘められた
人生や仕事の知恵を読み解いていかれます。
9月号で取り上げられたのは
谷川俊太郎さんの詩「春に」。
物事に遭遇した時、
心に込み上げる二つの相反する思い。
複雑な自分の心とどのように向き合うか。
そのヒントを探ります。

鈴木先生の好評連載
「人生を照らす言葉」の魅力はこちら

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母の容態(入院8日目)

2024年08月17日 21時31分00秒 | 介護

 日中はまだまだ普通に36.0℃を超えてきますが、今日は海風が吹いてエアコンが要らない気がしました。

今朝は起きるのが少し遅くなりましたので、山の上までは歩けませんでした。

それにスニーカーは持って来たものの、素足に履くと靴擦れしました

 

実際はもっと暗いです。

昨日、しっぽがふさふさの動物が素早く走り抜けるのを見ました。

タヌキ キツネ

ローマの丘の遺跡

 

この光から向こうはもっと鬱蒼としていましたので行くのは止めました。

 

 

 ホテルリマーニ

 

 

あちらこちらに古墳

 

 

 

裏山のユリ

 

 

今朝の雲は秋の雲のようでした。

 

屋島

 

今日の果物

ベランダにメジロが小枝をくわえて飛んで来ました。

 

 

 週末なのでヨットが沢山出ていました。

 

 

 

お昼過ぎ、見ると干潮。

もっと良く見ると歩いている人や

 

 

ボートが見えました。

 

 

4時頃の海

夕方の空

 

 

そして、夜空

 

 

 

 今日も午後3時に病院に電話をしました。

容態は今まで同じ。

お熱はなく、でも、痰が多いので吸引していること。

食事は欠食で、とろみをつけた水ゼリーのみ。

質問や言葉、例えば「おはよう」等に反応するが会話はなし。

痛み刺激に対しては大きな声で「痛い」。

・・・ということで、レベルは変わりなし。

写真は見せてそばに置くと目で追う。

手紙は見せて下さったのかどうか(入れてあることに気が付いて下さったのかどうかも)不明。

ベッドに一人で座ることが出来ないのでベッドを起こして座る感じと言われましたが、これは家でも同じ。

嚥下訓練は隔離解除後に嚥下調整士さんが入り、食事開始となるようです。

少し新しいことがわかりました。

 

 

 その後、Rちゃんから電話があり、又、寄ってくれたようですが、車がないので「お母さん、今はどこ

コロナ解除後にドクターの話があるので、その後、家に連れて帰ろうと思っていることを話したところ「お母さん、それは大変よ」。

可能な限り、看護師さんやヘルパーさんに助けて頂くつもりだと話すと、「とにかく解除になって面会に行く時はRちゃんも一緒に行くから電話して」。

早くコロナの隔離解除になり嚥下の訓練が無事に始まることを願うのみです。

面会出来るようになれば母の元気も出るのではないかと思いますし、出来ることもきっとあると思います。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと268・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.17

 

イチローもその実践者だった

 

やらされている百発より
やる気の一発
━━━━━━━━━━━━━━
中村豪(愛知工業大学名電高等学校・
豊田大谷高等学校硬式野球部元監督)
○月刊『致知』2012年8月号
特集「知命と立命」より
━━━━━━━━━━━━━━

●いくら指導者が熱を入れても、
選手がやらされているという意識では進歩はない。
やる気の一発はやらされている百発にも勝る。
高校時代の教え子・イチローは
その最たる実践者だったといいます。

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

昨日、添付するのを忘れていましたので、本日の昼頃、追加アップしておきました。

ここに、簡単アップしておきます。

 

今週のタイトルは「ヒューマニズムとバラ十字会の関係」

━…………………━

文章を以下に転載していますが、ブリューゲルの絵画など、ヒューマニズムをより深く理解するための写真が挿入されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140793&c=3304&d=ed84

(ヒューマニズムとは何かを簡単に解説|その精神・意味と歴史上の運動)

━…………………━

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母の容態(入院7日目)&友人と母のこと

2024年08月16日 23時04分00秒 | 友人との時間

 今日も眠くて眠くて何度もうとうとながら書いています。

 

 

朝、4時に目が覚めましたので即、起きて準備し、教会経由スーパー、ポストに寄って、牛窓へ。

6時にはここに到着しました。

  2号線から見た日の出

 

ユリが何輪か咲いていました。

 

今、牛窓ではミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ウグイスが鳴き、夜には虫の声。

トンボがたくさん飛んでいて、夏から秋へと移行中という感じでしょうか。

動き回っている鳥がいると思ったらメジロでした。

 

 

6時15分の景色

 

友人が「岡山にまだ居るなら行くわ」と6時半にラインが来ましたがすでに牛窓。

結局、「なかなか会えないし積もる話もあるから行くわ」

「ランチ、どこで食べる

「ロッサ」のいかすみパスタが食べたかったそうですが、満席。

「ホテルリマーニの和食はどう」と写メを送ってくれましたが、かなりの量。

「これ多過ぎない 絶対食べられないわ」と言うと「前は食べたよ」

マジ

こちらは9時半

 

12時前後には着くということでしたので、フルーツもバナナはなしに。

今日の果物

彼女のところから50分かかるようです。

「シャインマスカット大福」を持って来てくれました。

 

結局、2時にパスタのお店「ロッサ」に予約してくれていましたので、それまで食べながらおしゃべり。

娘との電話あたりからゆっくり話ていませんでした。

昨日のドクターの話について話す時やっと感情が解けたのかうるっ。

友人も実のお母さん以外は見送って来ています。

「お義母さんの予後についてドクターから話があった時」、彼女はやはりひとりでは大変で、我が家に寄って帰りました。

忘れていましたが思い出しました。

ふたりとも涙ぐみながら話をしました。

彼女のお義母さんはその後1年2ヵ月胃ろうで生きることになりました。

亡くなる時、意識のないはずのお義母さんの目から涙がひとすじ。。。

意識がないと言っても伝えられないだけで意識はずっとあって、辛く苦しかったのではないかと友人は話していました。

母の今後の話をした後「じゃあ、そのまま病院は変わっても入院だね」と彼女が言った時「いや、自宅へ連れて帰ろうと思っているんよ」と答えました。

点滴などは続くので自宅では難しいと思ったようですが、それは看護師さんが毎日来て下さると思いますし、昔は自宅で亡くなる人が多かったですし、「なんとめでたいご臨終」でも(今みたら2が出ていましたので早速購入しました)それは十分可能です。

母の願いは「家で死にたい」ですからその願いを叶えたい。

友人は「そうか。。。後悔のないようにね」

 2時間弱話したあと、「ロッサ」へ。

 

「ロッサ」

 

イカスミパスタとピザをシェアしました。

こちらはブドウジュースと前菜

 

リコッタチーズもこちらのお店の手作り。

もちもちしていて、いい加減の塩加減で美味しかった

こちらはツナとアンチョビのピザ。

こちらも美味しかったです

もうおなかがいっぱい

 

ロケーション抜群なので、いつも満席です。

2時からの席が空いていました。

私はここへ来るのは3度目くらい

友人は母の日に連れて来てもらっていて、その時、このイカスミを娘さんのお姑さんも含めて3人でシェアをして美味しかったのだそうです。

それで再び、食べたいと思っていたようです。

 

 

次回は「木下商店」に行ってみようと言っていました。

 

今日の瀬戸内市は今年の最高気温の36.7℃だったようです。

お店は時間制で3時半まででした。

 

その後、夜光虫の私はなかなか記帳にいけないので2つの銀行に寄ってもらいました。

小さい街なのでまとまってあるので便利。

4時頃

裏の他の場所にもユリが咲いていました。

 

友人は9月に入ったらイタリアに行きます。

「いいなあ~」を連発する私に、昔と違って手放しでは行けず、又、いろいろと不安心配もあると説明してくれました。

実際、お母さんが施設におられるので、「キャンセル保険」をかけたそうです。

その額何と5万。

この旅行は下の娘さんからのプレゼント。

 

 

 友人が帰った後、病院に電話をしました。

今日は担当の看護師さんが帰られたあとで、「午前中の様子しかわかりませんが」と言われて「特にお変わりなく過ごされています」

良かった

昨日おくつかの写真と共に届けた手紙。

友人が「読めるん」と言いましたが、問題はそこ

大きな字で詠みやすいように綺麗に書かないといけないのでワードで書きました。

今回はコロナだからしんどいね。

(これはひとりでいる時間が長いので余計にそうです)

あと1週間したら解除になるから、そうしたらお家に帰ろう。

それまで、お口の体操(嚥下訓練)をして、少しでも食べたり飲んだり出来るようにがんばるようにと。

そして、多くの人が祈ってくれているのでひとりじゃない。大丈夫だよと書きました。

 

 

 昨日まではもう母も本当にダメかもしれない。。。と思っていました。

でも今日、お昼前に祈っていた時に、根拠のない「大丈夫」という想いが湧いてきました。

それが当るかどうかはわかりませんし、どういう意味かもわかりませんが・・・。

もう少し時間が与えられるのか、「おめでたいご臨終」を迎えられるのか、いずれにしても別れはきます。

母が幸せでいることが今の私の幸せなので、どのような形になっても私も母のためにがんばりますし、母の希望のように自宅でご飯を食べた後で「ごちそうさんでした」と言って旅立たせてあげられたら最高です。

 

 

 

 

 今頃になって目が冴えてきました。

昨夜岡山に戻って一泊しましたが、やはり妙に落ち着きました。

地に足が付いている感じとでも言いますか。

懐かしい我が家。

牛窓は景色が綺麗なのですが、見降ろしているのでもしかして安定感がない

ここに来たら来たで落ち着くのですが。

岡山ほど暑くないので安心して暮らせていますし。

でも、まだ暑くこの家の中に籠っていますので土地に馴染んでいないのかもしれません。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと269・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.16

失敗の経験の意味

最も適切な決断を下す力は修羅場経験、
とりわけ失敗の経験がないと養われない
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野中郁次郎(一橋大学名誉教授)
○月刊『致知』2012年8月号
特集「知命と立命」より
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★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

ヒューマニズムとバラ十字会の関係


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、ブリューゲルの絵画など、ヒューマニズムをより深く理解するための写真が挿入されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140793&c=3304&d=ed84

(ヒューマニズムとは何かを簡単に解説|その精神・意味と歴史上の運動)

━…………………━


今日は関東に台風が近づいています。東京板橋では、雨や風が何度も強くなったり弱まったりしていますが、それほどひどいことにはなっていません。


そちらでは、いかがでしょうか。



◆ ヒューマニズムとは何か、その意味

ヒューマニズム(humanism)は人間を意味する「ヒューマン」(human)と、行動・主義・理論などを表す語尾の「イズム」(-ism)からできている言葉です。

そして主に2つの異なる意味を表すために用いられています。ひとつは「歴史上に実際に起こった運動」であり、もうひとつは「ヒューマニズムの精神」です。


・ 歴史上の運動としてのヒューマニズム

人類の歴史には「ヒューマニズム」と呼ばれる運動が何回か起こっています。

その中でも最も有名なものは、古代ギリシャとローマの文化と芸術を見直そうという14~16世紀のヨーロッパで起こった運動です

この意味のヒューマニズムは人文主義、人間主義、文芸復興などと訳されます。



この運動はカトリック教会の古い学問に対抗して「もっと人間らしい学問と芸術」を取り戻そうとしたものです。



当時のカトリック教会の考えでは人間は原罪を背負って生きている堕落した存在でした。

それに対してヒューマニズムを信奉する人たちの間には、人間の本来の性質は善であるとする傾向がありました。



イタリアの詩人で学者のペトラルカは、古代ローマの詩人のウェルギリウスやホラティウスの写本を集めて研究することによって、理想的な人間はどのようであるかを突き止めようとしました。



下の絵画は、16世紀のブラバント公国(現在のベルギーとオランダ)の画家のピーテル・ブリューゲルが描いた『農民の踊り』です。

(写真:『農民の踊り』ピーテル・ブリューゲル(1568年頃)



それまでの絵画では、聖書の一場面とか、偉人や聖人の肖像ばかりが描かれていたのですが、ブリューゲル家の画家たちは、自然や農村の風景や花や、人々の生活を油絵で描くことを始めました。


参考記事:『四大元素とブリューゲル』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140794&c=3304&d=ed84



宗教的な題材よりも、実際の人間や自然の姿を描くことを芸術家の使命だと考えたのだと思われます。



17世紀になるとヒューマニズムは科学と結びつくようになります

フランスの哲学者デカルトは、神を認識することができる「恩寵の光」によってではなく、人間は自分に備わっている「自然の光」(自然界の事物を認識する能力)を用いることで、より良い生き方をすることができると考えました。



18世紀になると、人間の認識の能力と理性を重視し尊重する考え方は、哲学だけでなく社会、政治、経済にも広がり、科学的な合理性を極端に重視する「啓蒙思想」と呼ばれる運動が生じます。



たとえば啓蒙思想の哲学者の中には、世界は機械仕掛けのカラクリのように自動的に動いているので、人間の自由意志は幻想であると唱える人も現れました(機械的世界観)。



それに対して18世紀の後半のドイツには機械的世界観に対抗して、「新ヒューマニズム」という古代ギリシャをお手本にして人間らしさを取り戻す運動が起こります。

この運動にはレッシング、ゲーテ、シラーなどが関わっています。



デカルトとゲーテは当時のバラ十字思想と深く関わっていますので、ヒューマニズムの運動とバラ十字会には深い関わりがあることになります。



参考記事:『デカルトの心身二元論とは?他説の例と合せてわかりやすく解説』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140795&c=3304&d=ed84



参考記事:『ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと神秘思想、主な作品の紹介、テンプル騎士団』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140796&c=3304&d=ed84


・ ヒューマニズムの精神

以上のような歴史上のヒューマニズムは大まかに言えば、人間的でない何らかの傾向に対する反動として起こった「人間らしくあろうとする」運動ですが、「人間らしく」の意味は、それぞれでかなり異なっています。



一方で、すべての人間は尊重されるべきだという考え、人類全体が幸せであることを願う精神のことも「ヒューマニズム」と呼ばれます。

この意味の場合には、明確化するために「ヒューマニタリアニズム」(humanitarianism)という別の語が用いられる場合もあります。

この意味でのヒューマニズムは、人道主義と訳されます。「博愛主義」もほとんど同じ意味です。



ですからこの意味でのヒューマニズムを信奉する人は、戦争や残虐行為や、あらゆる貧困に反対します。

人間としてあたりまえの考え方だと思われるでしょうか。



しかし世界のニュースを見ていると皆さんもお感じのことと思いますが、すべての人にこのヒューマニズムの精神が行き渡っているわけではありません。



そしてそれを説明する理論もあります。

スパイラル・ダイナミクスという進化心理学の理論によれば、個人の心理学的な発達段階は、人類の歴史の心理学的な発達をなぞるように進んでいきます。

そして現在の世界には主に次の4~6の段階の人がいて、互いに争っています。


4.(神話的秩序の段階)自分と同じ神話(宗教)を共有している人たちだけが幸せであること願う人たち


5.(科学的達成の段階)人類全体が幸せであることを願う人たち


6.(感受性豊かな自己の段階)すべての生きものが幸せであることを願う人たち



どうでしょうか。

世界や日本の現状に照らして、少しの間、このことについて考えてみていただきたいのです。

かなり納得のいく考え方なのではないでしょうか。



もしこの説が正しいとすれば、ヒューマニズムの精神とは、心理学的な発達段階が5段階以降に達した人たちの特徴にあたることになります。



参考記事:『胎児と子供は、人類の歴史を繰り返す』(後編)

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140797&c=3304&d=ed84



(イラスト:多様な文化を持つ男性と女性のシルエット、多文化社会の友情)


◆ 地球上のすべての人の幸せを願う精神

さて、駆け足でヒューマニズムの意味を説明してきましたが、ここからは第2の意味、つまりヒューマニズムは、地球上のすべての人の幸せを願う精神を意味するということで話しを進めましょう。

そして、ヒューマニズムを信奉し実践する人がヒューマニストです



発展途上国では餓死する子供たちが今でもたくさんいるにもかかわらず、先進諸国で食べ物が大量に無駄にされていることがおかしいと考える人はヒューマニストです。



世界の紛争地域で、幸せな生活どころか、多くの人の身の安全が確保されていないことに我慢がならないと感じる人はヒューマニストです。



当会のフランス代表が、自身の人気のブログで、この意味のヒューマニズムについて書いています。その記事を翻訳しましたので、ご紹介させていただきたいと思います。

▽ ▽ ▽

◆ 記事『ヒューマニズムについて』

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

(写真:セルジュ・ツーサン)


・ 人間の尊厳を尊重するヒューマニズム

バラ十字会では、人の心の深奥にある崇高さ(スピリチュアリティ)を重視することに加えて、人間の尊厳を尊重すること(ヒューマニズム)を多くの方々に訴え続けています。



2001年に当会が発行したマニフェスト(宣言書)には次のように書かれています。

「ひとりひとりの人は、全人類という身体を構成する、欠かすことのできない細胞にあたると私たちは考えています。」
「この原則に基づいて、生まれた国や住んでいる国家に関係なく、すべての人が同じ権利を持つべきであり、同じ敬意が払われるべきであり、同じ自由を享受するべきであると私たちは考えています」



このようなヒューマニズムは、私たちの会自体に具体的な形で表れています。

当会には、あらゆる人種、あらゆる国籍、あらゆる社会的地位、あらゆる宗教の男女が属しているからです。


・ 私たち人間は誰もがソウルメイト

すべての人は兄弟姉妹です。

私たちすべての血管には、ほぼ同じ血液が流れており、遺伝子の構造も同じであり、人類という同じ生物種に属しています。



すべての人の体はほとんど同じです。

それに加えてバラ十字思想の見地からいうと、私たちは誰もがソウルメイトなのです。


なぜなら、すべての人の魂は同じ源から発しているからです。

より明確に言えば、個々の人に宿っている魂は、「普遍的ソウル」(Universal Soul:宇宙の魂)という樹木から分かれ出た枝にあたります。



この普遍的ソウルは、知性であり意識であり、エネルギーでもあり影響力でもあり、オーバーソウルとか、神とか創造主と呼ばれることもあります。



以上が意味しているのは、人類は本質的には一体であり、宇宙という崇高な源に由来しているということです。


(イラスト:緑の地球を囲んで見つめる人々)


・ 親近感という生物学的な本能

もちろん多くの人は、自分と同じ国、同じ宗教、同じ政治思想、同じ考え方の傾向、同じ文化習慣、同じ美的感覚の人に親近感を覚えます。



すべての人には、同類の人と集まって群れを作る生物学的な本能があるからです。

このような傾向は無理もないことで、それ自体が否定的されるべき事柄ではありません。



しかし、自分と異なった考え方や生き方をしている人を認めなかったり、さらに悪いことに、憎んだりするとしたら、それは異常なことであり、間違っているとさえ言うことができます。

他人に対してそのように振る舞うことは、人間尊重と寛容の精神が欠けていることを明らかに意味します。


・ どの人も憎まないという現実的なスタート地点

イエス・キリストや、過去の他の偉大な人たちは、すべての他人を愛しなさいと命じました。

キリスト教の信者であろうとなかろうと、ヒューマニズムがこの言葉に強く表われているのを否定することはできません。



しかし、この理想にほんとうに沿った生き方をすることは、誰にとっても容易なことではありません。

ですから、無条件で絶対的な愛をすべての人に注ごうと努力して、かえって、独りよがりや偽善に陥ってしまうよりは、どのような人も憎まないというところからスタートする方が良いように思います



一見矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、憎しみを一掃するということは、普遍的な愛へと向かう大きな一歩であると考えられます。


(写真:人種文化の異なる世界中の人たちの交流)


・ スピリチュアリティとヒューマニズム

スピリチュアリティ、つまり心の深奥にある崇高さを追求することは、私の人生にとって不可欠なことですが、スピリチュアリティの追求とヒューマニストであることのどちらかを選ばなければならないとしたら、私はヒューマニストであることを選びます。



すべての人にとって、最も優先して学ぶべきことは、自分の近くにいる人を愛すること、もしくは、愛するとまではいかなくても、少なくとも、すべての違いを乗り越えて尊重することではないでしょうか。

このような愛や尊重がなければ、人類が平和と調和に満ちた世界を築くことは決してできないでしょう。



一方で、スピリチュアリティという指針のもとで、人間尊重の精神が発揮されることが真の理想だとも私は考えています。

なぜなら、心の深奥にある崇高さを追求することによって、物質を超越した気高さがヒューマニズムに加えられるからです。

このような気高さは、無神論や、ましては物質主義からは、決して生じることがない要素です。


バラ十字会AMORCフランス本部代表セルジュ・ツーサン



著者セルジュ・トゥーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。


△ △ △

上の記事で紹介されていた「普遍的ソウル」について書いたブログ記事があります。

ご興味のある方はこちらもどうぞ。


関連記事:『宇宙の魂について(その1)』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140798&c=3304&d=ed84



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。(^^)/~



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■ 編集後記

ベランダのハイビスカスが咲きました

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140799&c=3304&d=ed84

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母の容態(入院6日目)&担当医師からの電話、岡山へ

2024年08月15日 23時59分45秒 | 介護

 岡山にいます。

今朝、8時44分に母の担当のドクターからお電話がありました。

コロナは病院の規定では2週間だそうで、又、今回ウイルスの量が多かったのでまだ検査をしても同じだと思うと言われました。

肺炎は良くなって来ているそうですが、飲み込み(嚥下)が悪く、食事もお薬も誤嚥が怖いので飲めない状態で、持って行ったお薬も使用しているのはパッチのみ。

予後が限られてくると言われました。。。

嚥下に関してはリハにも入ってもらっているそうで、嚥下訓練をしていくとは言われました。

胃ろうや首の動脈から栄養を入れる方法もあるが、高齢だし、これは延命になる。

今、コロナに罹って1週間なので、もう1週間は少なくとも入院。

正直、厳しいかと。。。

今は点滴のみ。

点滴にわずかに栄養を入れている状態で、あとは抗生剤、コロナの治療中。

面会はあと1週間後以降。

嚥下訓練の効果がなければ、今後のことをそこで話し合いたいと言われました。

母は起きてはいるそうですが、入れ歯も入っていないし意志の疎通が出来ないと言われました。

「痛い」とかは言うそうですが対話は難しい。

急変の可能性を伺うとやはり誤嚥。

パーキンソン病が悪く、薬も飲めていないので、唾液で誤嚥してしまう可能性もあると言われました。

大体12分位話をさせて頂きましたが、しばらくは覚悟はしていても受け止めるのにショックでした。

誰にも何も話す元気もなく、言えばもっと自分もしんどくなりそうでしたので、ひたすら祈ったりあれこれ巡らせつつじっとしていました。

 しばらくして、TVの設置に1時間早い10時前にいらして、しんどいながら動いたり話をしたりしないといけない状態に。

でも、工事はお昼には終わり快適になりました。

高松の放送が2局、観ることができます。

それからまた、一人で静かに過ごしました。

何か母に出来ることはないか考えました。

お手紙を書いたり写真を持って行こうと思いました。

又、スマホを持っていますから、看護師さんにお願いして、少しでも声を聞かせたり、顔を見せたり出来ないか伺おうと思いました。

 2時40分頃、いつもより少し早めでしたが、病院に電話をし容態を伺いました。

今日の看護師さんは殊の外優しい感じで、「99歳なのに私達もちょっとしかお部屋に入れない」と言われていました。

「でも、簡単な会話が出来るんですよ。痛いと聞くと痛いと言われます」

お薬はやはり飲めていないがパッチだけはしていると言われましたので、そう言えばもっと量の多いパッチがあると聞いたことがあるので、伺うと「そうですね。あ、でも、ドクターがそれに変えてくれています」

手紙や写真を持って行ってもいいか伺うと、喜んで下さいました。

「壁に貼ったり出来るので是非、持って来てあげて下さい。」

「24時間、いつでもこちらは大丈夫です」と言い電話やラインのことを伺うと「スマホを持っておられるのですね。いつでもいいなら出来るかもしれません」と言って下さいました。

看護師さんのお話を伺ったらちょっと元気が出てきました。

 その後、木曜日の夕方に来て下さるヘルパーさんから時間変更のお電話がありました。

母の入院をご存じなかった

午後5時半、まだ少し暑いですが、岡山に戻る準備をし6時出発。

疲れていなければ、又、牛窓にもう少し居ようと思いますので、戻ろうと思っていました。

ここのところずっと緊張しているのか血圧が上がっているのか(肩こりもあり)、後ろ頭が重いです。




 ここから今朝の話です。

昨夜お布団に入って窓の外を見ると流れ星が1つ見えました。

今朝は早く目が覚めました。
10時半頃に寝て3時半。
いくらなんでももう少し寝たいと思ったのですが、目が冴えてしまいました。
お洗濯も済ませ、土鍋風釜で「極うま65分」にご飯を仕掛けてやや明るくなってからお散歩に出かけました。
 
 
今日はちょっと違った道を行ってみようと思って、歩いてると鬱蒼とした森の向こうから、どなたかが犬を連れて歩いて来られるのが見えました。
「おはようございます」とおっしゃったので、私も「おはようございます」と答え答えましたが、よく見るとあら外国の方。
しばし、私たちは立ち話をしました。
彼はこのすぐ上の〇〇色の家に住んでおられるイギリスの方で、今大学で英語を教えておられるそうです。日本人の奥さんと結婚して、子供達とは家では英語だそうですが、それだけではやはり十分ではないので、オーディオブックとか Netflix とか今は色々な方法で英語を学べるという話をなさってました。
朝日がとても綺麗で、「毎朝違うから見飽きませんね」と私と全く同じことをおっしゃったのが何だか不思議。
私が一番最初に行った外国はイギリスで多分25歳の頃。
大学を出てお勤めを始めて3年目の夏だった気がします。
牛窓で初めて出会ったご近所さんもイギリス人。
イギリスにご縁があるのかな。
そんなお話や我が家の孫たちの言語の話などもしながらしばし楽しくお話ししました。
ワンちゃんはノアだそうです。とっても人懐っこいワンちゃんで、私たちが長くおしゃべりをしている間に木の陰に隠れてしまいました。
 
 
今朝はうろこ雲が綺麗でした。
 
 
 
 
 
 
オリーブ林の中に古墳が点在。
 
 
 
 
 
 
スニーカーを忘れて来ていましたので歩き辛い。
 
 
 
我が家のユリ
 
大きな松ぼっくりの木がありました。
今日の果物
ふと見ると人が歩いていました。
 
 
干潮で道が出来ているようですが
 
結構、足まで浸かっています。
 


 岡山に戻り、手紙と写真を託け、又、牛窓に帰ろうかと思いましたが、ご近所さんと話していたら遅くなってしまいましたので、明日の朝、帰ることにします。

眠くってうたた寝していました
今はだいぶ元気を回復しました。



・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと270・°*


★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.15

ご先祖様への感謝を忘れまい

ご先祖のおかげでいまの自分がある。
「ありがたい」という感謝の思いを
常に持ち続けていることで
ご先祖は喜び、人生も好転する
━━━━━━━━━━━━━━
天明茂(経営コンサルタント)
○月刊『致知』2015年5月号
連載「生命のメッセージ」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「先祖の因縁」は本当にあるの?
天明氏が家系分析を通して分かったこと
こちらから

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母の容態(入院5日目)&「いつ帰られますか?」

2024年08月14日 21時48分00秒 | 介護

 今日ものんびりと牛窓で過ごしました。

今日の牛窓の最高気温は35.2℃、最低気温は24.4℃。

岡山の最高気温は36.7℃、最低気温は26.1℃でしたので、やはり牛窓の方が気温が低いです。

その上、ここは山の上なので更に涼しいと思います。

ですから、あまり暑いという感じはしないです。

もちろん、日中はエアコンを使っているのですが、やはり岡山と違うと思うのは家の構造 エアコンが新しいせいもあり

昨日はNHKの夕方の岡山地方のニュース「もぎたて」の配信が遅くて、ブログにアップ出来なかったのですが、

牛窓の最高気温は34.6℃、最低気温は23.8℃。

岡山の最高気温は36.8℃、最低気温は24.7℃。

連日、変わらず猛暑です

昨夜は蒸し暑くて、寝る時28℃もありました。

友人が「岡山は30℃よ~」と言っていました。

昨夜は流石に窓を開けてペルセウス座流星群を観ながら寝ようとは思えませんでした

それに、22時就寝を牛窓だけでも心がけようと思っていますので、22時には寝ました

 

  朝焼け

日の出タイムが遅くなってきました。

今は5時25分くらいのようです。

お散歩に行くことにしました。

早朝でも岡山では長く歩くことは出来ませんが、ここは緑が多いので日陰もあり、やはり歩きやすいです。

 

 

ふと見ると、真っ赤な太陽が見えました。

急いで見渡せる場所に行きました。

 

 

雲に隠れながら太陽が昇っていきました。

 

こちらが多分よく見る夾竹桃。

少しクリーム色がかっています。

 

こちらはやはり真っ白で一重。

 

途中で「クサギ」が咲いていましたので、葉っぱを取って匂ってみましたが、特に匂いませんでした。

お花も香りもジャスミンのようなのですが、葉っぱは相当臭いらしいのです。

 

小さなk神社がありましたが、もうお社だけという感じでした。

 

 

ローマの丘の方に行ってみたいですが、ひと気もなく鬱蒼としているので止めました。

 

 

今日は誰も居ませんでした。

 

 

 

サンロードが美しいです

 

 この広場はかつて家族でペルセウス座流星群を見た場所です。

40個くらいは見たような。。。

 

この木の下周辺でした。

   

 

オリーブがあると景色が違って見えます。

 

 

 

 

オリーブパレス前ではオリーブの木を売っています。

 

 

鐘は少し前からありましたが、最近ではポストも。

 

一瞬母に出そうかと思いましたが、ここでお手紙セットを買って投函しないと届けられないようです。

 

 

ここにもドッグラン

 

前島とホテルリマーニが見えます。

 

 

 

 

 

こちらは西の方面

そう言えば、今日の「もぎたて」で言っていましたが、昨日の花火の音は四国の高松だったようです。

紫陽花がまだ綺麗です。

 

 

我が家のユリ

 

今日の果物

朝食はご飯とお味噌汁(あおさとお豆腐とお揚げ)と韓国のりとサラダ。

まだお茶碗が見つからない

  

ベジタリアンではないですが、やはりお野菜とフルーツ中心になってしまいます。

お肉とかではなくフルーツが我が家のエンゲル係数を上げています

1度買えば毎朝食べますが、結構持ちます

 

 今はまだNHKプラスを見ていますので、地方のニュースは東京とその周辺。

アナウンサーは東京の前は岡山勤務だった方ですので懐かしい。

ひとつ、電球が切れていますので買わなくちゃ。

 

 今日は10時から12時まで建築士さんが来られました。

10日間くらいの夏休み中だそうです。

いつもの如く話題はあちらこちらに。

お互いの介護(彼女のおススメクリニックの話も)や牛窓の情報もいろいろ伺いました。

ヨガクラス、ゴミ捨て場所等など。

暑くなくなったら山を下りてパン屋さんに行ってみようと思いました。

「ここにしばらくおられますか

・・・というのも借りたい方が少なくとも2人おられるそうなのですが(「23日に一応外観だけでも見させてあげて下さい」)、彼女としても春になって草抜きが大変になるくらいまでは使ったらどうかなと思っておられるようです。

今日は又、岡山の家の今後のことも。

(減築、貸す、売る等)

秋になったら他の場所の家探しなどドライブを兼ねて連れて行って頂きます。

先日、娘と話したのですが娘曰く「牛窓は終の棲家にはならないよ」

やはり車がないと不便ですし、ヘルパーさんとかにお世話になるなら(私がです)ここでは無理と。

彼女に昼食を食べて行くように誘いましたが、お休みなのでご両親のもとへ。

今日はハンバーグランチにしました。

 

 

 3時前、いつものように病院に電話をし母の容態をお聞きしました。

お熱なし、酸素なしを維持。

痰が結構出るので吸引を度々して下さっているそうです。

痰が多い為、誤嚥してはいけないので食事や投薬はまだ慎重だそうです。

血圧は降圧剤の点滴を調整しながらしているとのことで、少し下がって来たようです。

コロナの検査はまだだそうですが、そろそろ検査のようです。

面会がOKになったらドクターからお電話があるそうです。

「来られた時よりは落ち着かれていますよ」

予断は許しませんが、少しほっとしました。

 

 

 

3時半頃の海

 

海の色が三段階に違っているのが綺麗であり不思議

 

そう言えば、「今どこですか」ではなく「いつ帰られますか」と聞かれるようになりました。

昨日もケアマネさんから入院以来初めてお電話があったのですが、内容は市から支給のごみ袋について。

行く便があるので取りに行って下さろうとして介護保険証か何かがいるので、「あと10分で伺います」。

忙しくてすごく焦っておられて、私の話がなかなか届かない

牛窓だと知られて「いつ帰られますか

今日も金融機関の方に「いつ帰られますか

たった30分ほどの距離ですが~。

でも、いつ帰るか。。。

食料が尽きたら。

母の面会が可能になったら。

いつかな~

やはりここはのんびりします。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと271・°*

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.14

 

禅の泰斗・青山俊董師の言葉

 

天地総力をあげてのお働きをいただき、
生きている命にふさわしい、
今、ここの生き方をしたいと、
切に念ずることである
━━━━━━━━━━━━━━
青山俊董(愛知専門尼僧堂堂頭)
○月刊『致知』2024年9月号
連載「巻頭の言葉」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

『致知』の顔とも言える「巻頭の言葉」。

最新号の「巻頭の言葉」には
90歳を超えてもなお
仏道修行に打ち込む青山俊董師に
ご登場いただきました。

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」


与えられた運命を生かす──95歳の名女将が語る〝不可能を可能に変えてきた道のり〟

 

=====================================
与えられた運命を生かす
──95歳の名女将が語る〝不可能を可能に変えてきた道のり〟。
佐藤幸子(かみのやま温泉 古窯 大女将)
=====================================
-----------------------------------------------------------------
創業73年、山形かみのやま温泉を代表する「日本の宿 古窯(こよう)」。
こだわり抜いた地元の食材を生かした郷土料理、
名峰・蔵王連峰を一望できる天空露天風呂、
心を込めたおもてなしなどが評価され、
「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」にて、
40年以上連続でトップ10を受賞している。

しかし、かつてはお金も水も電話もない、徒手空拳からの出発だったという。
幾多の苦労を乗り越え、不可能を可能に変えてきた創業者の佐藤幸子さんに、
これまでの歩みと共に、古窯73年の歴史を貫いてきた精神とは…。
------------------------------------------------------------------

誌面に紹介されている、佐藤さんの名言は、

「与えられた運命を生かす」

愚痴や文句や批判を言わず、辛い時も苦しい時も
その境遇を受け入れて、一所懸命やっていれば、
必ず助けてくださる人との出逢いに恵まれ、
よりよい方向へと発展していく。
不可能はないと思います

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母の容態(入院4日目)&昨夜のペルセウス座流星群 2024

2024年08月13日 21時33分30秒 | 自然

 昨夜はブログアップした後ペルセウス座流星群を観ながら寝ました。

西に浮かぶ月が綺麗でした。

一時間くらいで14個見ることが出来ました。

中には思わず拍手喝采してしまった大きくて長くて明るい流星もありました。

  街の灯り

お布団を窓側に敷いて夜空を眺めながら寝ました。

4時に目が覚めた時、15個目を見ました。

夜明け

 

この景色、見飽きません。

 

 

ユリが咲きました。

 

秋の雲みたいでしたが、日中は入道雲がモクモク。

 

 

小豆島の土庄と岡山港を結ぶフェリーかなと思います。

 

段ボールを開けていると大昔のこんなものを発見。

まだ乾燥せず使うことが出来ました。

潮の流れが綺麗です。

 

 

今日の果物

お昼ご飯はカレーとサラダ。

午後1時半頃、TV設定に来て下さいましたが、地デジだけがまだ映りません。

3時後頃、母の容態を聞きました。

血圧が入院して以来下がらないようで、点滴を同ドクターにお願いしようと思っていると言われていました.

あとは痰の量がやはり激しいようです。

 

 

 

間もなく9時半が来ます。

どこかで花火が上がっています。

眠くてうたた寝していました。

今夜も夜空を眺めながら寝ようと思っています。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと272・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.13

 

父母(ちちはは)もその父母もわが身なり
われを愛せよ我を敬セよ
━━━━━━━━━━━━━━
二宮尊徳(農政家)
〇月刊『致知』2007年10月号
特集「人生の大則」より
━━━━━━━━━━━━━━

●故郷でお盆休みを過ごされている方も
多いことでしょう。
私たちがいまこうして存在するのは
両親やご先祖様のおかげです。
この機会に、二宮尊徳のこの言葉を
噛み締めたいものだと思います。

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母の容態(入院3日目)&ペルセウス座流星群 2024

2024年08月12日 22時18分00秒 | 介護

 昨夜は眠くて窓を開けたまま寝てしまっていたところ、寒くて目が覚めました。

聞こえるのはツクツクボウシの鳴き声。

何日か前からはかなりの数のトンボが飛び始めています。

寒くてお布団をかき寄せましたが、ふと外を見ると朝焼け。

ちょうど5時15分頃でした。

それから準備して出かけたのでは日の出タイムにはもう間に合わないですので、今日はのんびり歩いてお散歩に行くことにしました。

やはりここには自然があります。

そよそよと風が木々を揺らし、緑の香りがして、やはり思い切って来て良かったと思いました。

まだTVを観ることが出来ず、今日はなぜか見逃し配信の「岡山ニュース」もないので、気温がわかりませんが、昨日の朝の岡山も涼しかったです。

立秋を過ぎたあたりから何気に秋の足音が聞こえて来始めた気がします。

 

まだ紫陽花が咲いていました。

 

 

 

 

この辺りには古墳が多くあります。

 

オリーブ園からの眺め

 

 

 

 

オリーブの樹々です。

 

 

女子達が朝陽をバックに写真を撮り、お弁当を広げて楽しそう。

 

  

反対の北側はパラグライダーのスポットでしたが、今は塩田跡にソーラーバッテリー。

 

獅子ゆず

とっても大きい。

 

この街は邑久

西大寺

 

こちらは四国の高松

ジャスミンに似た甘い香りのするこの木は「クサギ」。

葉っぱを触わると臭いそうで、又、体験してみようと思っています。

 

この夾竹桃の白い花はいつもよく見るお花と違って、もっと白くて何だかエレガント。

一重だからでしょうか

 

オリーブの実がたくさん生っています。

 

 

絵になります。

我が家の裏にユリが自生しています。

明日には咲くかな。

 

眺めがいいです。

気持ちが晴れます。

 

 

又、前方にクサギ発見

 

今日の果物

 

スマホ撮影

刻々と変わる海の景色

  

屋島もくっきりと。

1日飽きることなく眺めています。

 

 

 朝の9時半頃、ショート先からお電話が入っていました。

気が付きませんでしたので、ショートメッセージも入っていました。

「お母様、ご家族様の体調も大丈夫でしょうか?ご入院されたとお聞きしました。又、お電話させて頂きます」

11時過ぎに気が付いて返信しました。

その後、3時前にお電話があり、30分ほどお話しました。

「酸素濃度がどうだったのか聞いてみたら」と娘に言われていましたが、担当のドクターも医療施設ではないショート先では無理かもしれないと言われていましたし、私も多分そうかもしれないと思いつついましたが、尋ねるだけ尋ねてみました。

朝一番に計っておられるそうでした。

そして、帰宅する日の朝は95%だったと言われましたが、その後、看護師さんに代わられ、詳しくお話して下さいました。

何と母は89~91%あたりだったようです。

吸痰すると94%。

でも、食後は又下がって90%になったり。

本人が大丈夫と言ったそうで、まわりも大丈夫そうと判断したようです。

私も娘と話をしていて初めて知ったのですが(ネットで調べたところ、NHKでも取り上げられてました)、「患者の中には肺炎が悪化し、血液中の酸素の状態が悪くなっても、息苦しさを感じないケースが報告されています。これはHappy Hypoxia(ハッピー・ハイポキシア)=「幸せな低酸素症」と呼ばれています。」

母はこれだったのかもしれないと思いました。

普段の母の酸素濃度は大抵悪くても98%。

私も訪看さんも出ない100%が出ることもしょっちゅうでした。

昔結核も煩っていますし、94を切ったら連絡するようにいつも言われていました。

介護ノートには毎日3回の酸素濃度を書いていますが、施設側がいちいち見られないでしょうし、こういった情報は共有されないのでしょうか。

あとで、看護師さんと話した時、母でなくても施設での数値は明らかに低過ぎます。

情報共有について、施設としてはお薬やドクターの往診を待っておられたそうで(看護師さんがショート先に医療が行けないと言われていましたが・・・こんな矛盾が国の制度の中にはいっぱいあります。命に関わるのに)、ショート先に来られなかったので、自宅で待機されているものと思われたようです。

しかし、医療側はドクターも担当看護師さんもお休みでしたし、「そんなに悪いと聞いていなかった」ということで訪問も組んでおられず、その日の訪問はもう手いっぱいと最初言われました。

コロナだけど、そんなに悪いと聞いていなかったので・・・ということのようです。

昨日のお電話の時、ドクターは「お薬まだですか?くらいは外来に電話してくれてもいいよ」と言われていましたが、他のブロ友さんのお話ではドクターとダイレクトにお話が出来るようですし、同じく24時間対応なのに、我が家はその恩恵をなかなか受けられません。

医療サイドはやはりケアマネさんがすべき仕事をしていないと何回かおっしゃっていましたが・・・

確かに今回もお電話なし。

でも、多分それは休み明けの明日13日になれば病院の地域連携の窓口開くからということで待っておられるのでしょう。

ドクターは施設にお電話なさらなかったのかお聞きしたら1度、コロナになったあとであったそうです。

昨日のドクターからのお電話の時に「今回、私的には随分とがんばったつもりだったんだけどな」とぽつりと言われた言葉。

気になっていましたので、ショートとの電話のあとで、看護師さんとお話した時、お聞きしてみたら「先生は本当に今回、ケアマネさんと連絡を取ろうとかなり努力されていたんですよ」と言われていました。

なんか連携がうまく行っていない。。。

そう感じたのは、このショートとの電話のあとで、やはり母の容態が気になって入院先に電話をしてみたのです。

嬉しいことに母の酸素量は昨日の1Lから10時半にオフになったとのこと。

お熱も36℃台。

(昨日は下がったとは言われましたが、37℃少々あったと言われたように思います。)

でも、痰は出ていてまだゴロゴロ。

これは唾液だけではなくお聞きしたらやはりまだ粘りのある痰が混じっているようです。

全身の様子というかバイタルはどうなのかお聞きしたら、血圧が昨夜から160~200あり、今日もまだ160と言われましたので、家での状態が当てはまるかどうかわかりませんでしたが家でのパーキンソンによる血圧の乱高下についてお話したところ(だからお薬も出ていない)、看護師さんの声が明るくなって「そうでしたか。お聞きして本当に良かったです。」と言われました。

母は個室ということもあり寝ている時間が多いそうです。

ここで、又、思いました。

こういう情報って行かないの

担当のドクターは救急搬送される時、お休みでしたので、他のドクターがひとまずファックスして下さったようです。

その後、どうなっているのかはわかりません。

看護師さんにはショート先が言われたこと等もお話ししました。

誰が悪いとかではなく、とにかく、情報の共有が出来ていないといつも思ってきましたが、ここに及んで顕著に現れた気がします。

なぜいつも私があちらこちらに電話しないといけないのだろうと思います。

窓口を1つにしてほしい。

緊急の時、何軒も掛けることは出来ません。

 

 

娘が大切なのは「納得」だから、前から言っているように担当を替えてもらってもいいのだと言っていましたが・・・。

今後もこうだと本当に困ります。

 

 

皆が一生懸命して下さっているのはわかります。

命に限りがあることもわかっています。

どんなにしたとしても後悔が残ることもわかります。

ただ、母を見送る時に無事に安心のうちに幸せに送り出したい。

皆と「辛いけど、良かったね」と言いたい。

 

 

その為には今のままではダメな気がします。

皆がバラバラ。

母の介護ノートは「チーム〇〇ちゃん」なのに。

 

 

とにかく、今は母にがんばってもらいたい。

それが母の望みだと思います。

病院で死にたくもないはず。

看護師さんが言われていました。

「先生も、何としてでも100歳までは・・・」と言われたそうです。

それ以上はどうでもいいわけではなく、又、0からの新しいスタートです。

時々、心配になりますが、気分を変えて前向きに祈っています。

 

 

 

 今夜はお部屋の窓からペルセウス座流星群を観たいと思います。

「2024年のペルセウス座流星群の活動は、8月12日23時頃に極大となることが予想されています。このため、12日深夜から13日未明にかけて、多くの流星が見られそうです。」(ネットより)

昔、オリーブ園の広場で家族6人で寝転んで観たことがあります。

あの時はすごかった

30分で何十個も見えました。

 

 

 

 もうひとつのニュース

これを読んで、今日は心を立て直しました。

 

 

男性は72.6歳、女性は75.3歳でやってくる…和田秀樹「ヨボヨボ老人と元気ハツラツ老人」を分ける決定的違い


8/10(土) 15:17配信

 

プレジデントオンライン

 

■マイナス思考に陥りそうになったとき“つぶやくべき言葉”

頭や体を使わなかったときの機能低下は、高齢になるほど激しくなります。

寝込むようなことがなくても、コロナ自粛のように活動的でない生活が長く続くと、足腰がかなり弱って、認知症も悪化してしまう。

それほど高齢者にとって、脳機能、運動機能を維持するためには「使い続ける」ということが重要なのです。

とにかく動く、とにかく頭を使う。身体と頭を使い続けることを心がけてください。使えば使っただけ、老化を遅らせることが可能です。

逆に、体が動かないとき、体調がすぐれないときに「もうだめだ」と落ち込むと、いよいよ体や脳の老化を速めます。

マイナス思考に陥りそうになったときは、「なんとかなるさ」とつぶやいてみるといいでしょう。たったこれだけのことですが、脳内にドーパミンという「やる気ホルモン」が出ます。

脳は思いのほか単純にできていて、自分の言葉を信じる性質があるため「なんとかしよう」と奮起して、意欲が高まるのです。だまされたと思ってやってみてください。

 

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」
----------

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと273・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.12

 

〝法隆寺の鬼〟に仕えた宮大工の言葉

 

師と自分が一体になり切って
しまうところまでいかなければ、
本当の修行ではないし、
弟子ではない
━━━━━━━━━━━━━━
小川三夫(鵤工舎 総棟梁)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「貫くものを」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

法隆寺の鬼と称された
伝説の宮大工・西岡常一さん。
本日ご紹介するのは、その唯一の
内弟子である小川三夫さんの言葉です。

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母の容態(入院2日目)&慌ただしかったですが、牛窓へ

2024年08月11日 23時31分30秒 | 家族

 今日も暑かったです。(36.5℃)

家の中に居ても暑くて(密閉性がないのでエアコンが~)、あるいはストレスで頭痛がしました。

でも、今朝は少し涼しかったので、お散歩に。

夕方の天気予報を見るとやはり、今日の最低気温は22.9℃だったようです。

 

 

今日は久し振りに公園をぐるっと歩きました。

 

 

我が家のお花

 

 

母のことが気になって頭から離れませんが、花がら摘み。

 

 

少しでも頭から離れる瞬間です。

 

 

「サムライ」の蕾

西側の朝顔が7輪咲いていました。

今日の果物

バナナがまだ残っているはずでしたが、ない。

夕方になって、昨日、バッグに入れて病院に行ったことを思い出しました。

 

 今日は電話が鳴る度にドキッとしつつ過ごしましたが、掛かってくる電話も多く、又、掛けることも多くて、一日中慌ただしかったです。

一番最初は7時過ぎに娘一家がWhatsAppから連絡してきました。

最初は孫達があれこれ言うのでお話。

上の女の子はマニキュアと色の付くニベアのリップを買ってもらったので嬉しかったようで付けて見せてくれました。

下の子はイタリア語の宿題「おじいちゃんやおばあちゃんにイタリア語でインタビューしよう」はまだ出ていないようでしたが、イタリア語で話していました。

やっぱり、さっぱりわからない

でも、まだ宿題は正式に出ていないようですので、がんばります

お婿ちゃんとも少し話をしましたが、今日は主に娘と。

最初はおばあちゃんのこと。

血液データについて説明してくれたので、今後怒るかもしれないことがよくわかりました。

その後話は多岐に亘り、介護や私達の親子関係や私の終の棲家や。。。

結局、普段話をする時間がない分、今日はまとめて一気に話したという感じで、気が付いたらもう11時過ぎ。

4時間も

娘曰く、全般的にみて「ミスコミュニケーションだね」

コミュニケーションが取れないなら尚のこと努力しないといけないと言われました。

又、なぜ、金曜日に待つばかりして、医師に母の薬はどうなったのかを聞かなかったのかと。

途中で看護師さんが心配してお電話を下さり、スマホを通して3人で話をしました。

「昨日はお休みだったのでごめんなさいね。ケアマネさんからそんなに悪いとは聞いていなかったので・・・」

この時の会話を看護師さんが母の担当のドクターに話されたようで、夕方、お電話がありました。

「今回は大変だったみたいで。。。ごめんね」

そして、母がショートから帰ってからの状況を聞かれました。

ドクターとしては薬を待つように言われた記憶がないようでした。

お薬が大粒なので、施設で飲ませるのも大変だし、家でも大変だし、二番手の薬はあまり効果がないので、次の手段としては点滴かなと考えておられたようでした。

そこで終わっていたそうです。

今回、ドクターとしてはコミュニケーション不足(皆が情報を共有出来ていない)なので、ご自分としては「今回はかなりがんばったんだけどな」と言われていましたが、ドクターの努力がないとかでは全然なくて、どのことについて言われているのかがよくわかりませんでした。(ごめんなさい

でも、「普通はケアマネさんが皆を束ねる役をされるんだけど」とは言われていました。

 続いて、昨日お世話になったヘルパーさんも心配をしてお電話を下さいました。

「あんな状況で帰すなんてマジおかしい」と又怒って下さっていました。

が、母が悪い状態だと気が付かれないままショート先に居るよりも、返って帰宅させてくれて良かったと私は思いました。

 そんなこんなで時間が過ぎて、3時前になった時、昨日の今日だからやっぱり心配

電話で容態を聞いてもいいのではなかと思いました。

あとで後悔もしなくなかったですし。

そこで、お電話をしてみたところ、丁寧に説明して下さいました。

酸素は6Lから1Lになっていました。

良かった~。

まだゴロゴロとは言っているようですが。

かなり吸痰をして下さっているようでした。

ですから、傷ついて血が少し出ているようです。

でも、落ち着いてはいるようなので、本当に安堵しました。

 娘と話している時「当分、牛窓には行けないわ」と言うと「なぜ

 なぜ

だって、何かがあったらすぐに行かないといけないから。

でも、娘曰く、飛行機に乗って連絡がつかないわけでもなく、県外にいるわけでもなく、岡山市のはずれに近い場所にいるわけで、30分以内にいるわけだからと。

牛窓の方が涼しいだろうし、気分転換になると考えて勧めてくれました。

「頭が痛いなら薬でも飲んで行ったら

なるほど。。。

・・・と言うことで、今、牛窓に居ます。

途中で三頭の鹿に遭いました

山の中の道路を横切っていました。

写真を撮りたかったですが、カメラが手元になくて残念。

いつだったか、祖谷に行く途中でナビに従ったら四国山脈に入ってしまったことがありましたが、その時も野生の鹿に遭いました。

 

 

 

 病院で母の様子を聞いた後、皆さんが心配されていると思い、まず訪看さんに電話をしました。

その次にケアマネさん。

お電話はなかったですが、お伝えしておいた方がいいと思いショートメッセージを送りました。

ケアマネさんはいつも電話ではなくショートメッセージを使われます。

 

 

 

 担当のドクターが最後に「娘さんに説明しましょうか」と言われました。

「いえいえ、大丈夫です。それに海外ですし」

「そう でも一応。。。」

と言われたので、電話番号を言うと、

「え

ですから、先生、海外ですってば~

「本当に通じるのかな」

私は急いで娘に伝えました。

その後、娘から電話があり「お電話があったよ。なぜ私に

「それは看護師さんが言われたのではないの

(この2人、過去にも2回ほど話したことがあります。)

WhatsAppからの電話が車に掛かってきたのでびっくりしました

25分位又、話したので、牛窓の家に到着してしまいました。

「じゃあ、楽しんで

子供達とは反抗期などもあってなかなか大変な時期もあり、ある意味今も大変なのですが、今日はいろいろ話が出来てわだかまりも大分無くなった気がします。

今日、娘と話していて面白かったのはドクターが木曜日のこと「今、どこですか 今日帰って来ておいて下さい」とおっしゃったという話をした時、日本人はよく「今どこ」って聞くよねと。

職場でもよく「先生、今、どこですか」と聞かれたそうです。

いつでも駆け付けられるところにいるのに、どこにいるかがそんなに重要

で、「そんなに知りたい じゃあ言うよ。今、おトイレ」

「探しに来たい入口から3番目よ」

 

 

 

 牛窓はやはり涼しいです。

エアコンを付けてみましたが寒くなって、温か~いお風呂で長湯してしまいました。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと274・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.11

 

歌舞伎俳優が語る稽古の心得

 

一所懸命になっている時って
苦を忘れるんですよね。
苦を忘れるために夢中になる。
そうなれば夢の中ということです
━━━━━━━━━━━━━━
坂東玉三郎(歌舞伎俳優)
○月刊『致知』2014年8月号
特集「一刹那正念場」より
━━━━━━━━━━━━━━

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入院と覚悟

2024年08月10日 23時44分15秒 | 介護

 母が又、入院になりました。

やっと家に帰って来たのに、滞在時間はわずか1時間。

 

 

 頭を整理し落ち着くのに時間がかかりますが・・・

今日の午後3時20分、予定より10分早く母が帰って来ました。

送って下さった方の話ではお熱もなく咳もなく。

ただ痰が激しいので看護師さんが何度も吸痰をして下さったと言われました。

それから、母を降ろして下さってベッドへ。

そして、その方は帰られました。

母を見ると車椅子で部屋に入る時から喘鳴があり、肩で息をしていて苦しそうでした。

そして、痰がひっきりなしに出るのでそれを取り除かないといけないので、なかなか手が離せないという感じでした。

何か飲む

何か食べる

いつものように尋ねましたが、これは吸痰のことを看護師さんに言わないといけないと思いました。

来て頂いて吸痰して頂かないとと思い、担当の方に電話をしたところ、又、母の喘鳴も聞いてもらいましたが、今日はお休みとのこと。

そして、今日は訪問を予定していないので、他の人も手いっぱいで行けるかどうかと言われました。

熱は帰って来る前、36.5℃だったようです。

それを伝え、酸素濃度を測ると、指によって出ないこともあるのですが、83、84、90%。

それを看護師さんに伝えたところ、今日の担当の看護師に伝えておきますと言われました。

今、スマホを見るとこの時15時28分。

母を降ろしたりする時間もかかっていますので、ほぼほぼ帰宅後すぐに電話をしたことになります。

その後、痰を除きつつ、エンシュアや麦茶を用意し、ぼた餅も食べると言いますので準備をしました。

でも、どう見ても肩で息をしていますので、これは喘息だと思い、もうお休み中の看護師さんには電話をしないで、訪問看護ステーションに電話をしたとこと(この時3時48分)、2番めの担当の看護師さんが出られて「今、聞きました」と言われましたので、「これ、喘息の発作です」と言い、又、酸素の値を言いました。

「今日は担当医が休みだけど、出ている医師に電話で聞いてみます」

その後、私はメプチンミニで吸入しました。

母は少しずつ息が楽になったようでした。

目が開いてくるくるしていました。

3時55分、今日の担当医から電話があり、「〇〇病院が受け入れてくれるかどうかわからないけど、これから電話してみます。その後娘さんが連れて行かれますか?救急車を呼びますか

車椅子が乗らないですし、それ以前に車まで母を連れて行けると思われたのか

10分後の4時05分、再び看護師さんから電話があり、「受け入れてくれることになったので、ファックスを送ってあるから、救急車を呼んで行って下さい」

多分、この10分間の間に、かなり私も動揺していた時、日に3度来て下さると言われたヘルパーステーションの社長さんからお電話がありました。

「まだ1時間早いけれども行きましょうか」

あ~、もう天の助けだと思いました。

今、見たら4時03分でした。

事情を説明して「来て下さい」とお願いしました。

「近くにいるから10分で行きますから」

彼は見るなり「これはすぐに救急車を呼んだ方がいい。よくもまあ、こんな状態で帰したな

救急車を呼び、途中で代って又事情を説明して下さいました。

又、母を落ち着かせ、私には行く準備(持ち物・保険証その他とお金と、窓閉めなど)を自分がいるからするように言われました。

救急車到着と同時に邪魔になるから自分は帰るからと言われ、「車で行った方が便利だから」と言われました。

この方とは本当によほどご縁があるのか、いつもこういう時必ずこの方なのです。

 救急車が到着し、暑い中、母もしんどかったと思いますが病院へ。

その後、待合室でかなり待ちました。

血液検査や肺のレントゲンも撮られたようでした。

ドクターのお話によると今、酸素を6Lも入れて92%と言われました。

今後の方針として

①コロナは抗ウイルス薬+血栓対策

血液サラサラの薬も出したいが出血傾向になることもあり。

②抗生剤

尿路感染と肺炎

腎臓がかなり弱っていて、なぜこんなになるまでという感じでした。

とにかく炎症反応もかなり高いと言われました。

でも、出来ることが限られる。

とにかく体力的に持つかどうか。

覚悟は決めておいて下さいと言われました。

「3年前ならベッドを若い人に譲ってと言って帰されたところです。今はそんなことはないですけどね」

今後の急変をお聞きしたら、今がすでに急変状態で、いつ死んでもおかしくないと言われました。

コロナ重症化予防の薬をもっと早く飲んでいたら違がったかもしれないですかと伺うとそうかもしれないとのことでしたが、昨日一日待ちましたがドクターからは連絡がなく、施設に聞いても「症状が出ていないからドクターも安心されているのではないですか

今日のかかりつけのクリニックのドクターに電話で説明する時この薬の話も出たのでしたところ

「それは施設にいる間は飲めないんですよ」

「でも、○○先生は木曜日にとにかく帰って来て下さい。施設には薬局ではダメで家族が持って行かないといけないから。連絡します」

この話は施設との話の中でも出て「薬局が持ってくるのではないですか」と言われたので「いえ、ドクターがこれは薬局ではダメなので帰って来て下さいと言われたんです」と答えました。

もっとも帰って下さいと言われなくてもすでに帰宅の準備はしていました。

 

 

 

 救急車の後から運転して行っている時、444が見えました。

どこで見たのか今ではわからないですが、444。

これは、天使がそばにいるよというサインだったと思い、不安な心が少し落ち着きました。

 

 

 

 先生が説明して下さっている時「もう年齢が年齢」とか「今が最悪でいつ死んでもおかしくない」とか「覚悟をしておいて下さい」等などの言葉、あとで知ったのですが、少し離れた場所にパーテンションで仕切られて母が酸素吸入を受けていました。

母に聞こえたのではないかと、母は大丈夫かと心配になりました。

その後、母のところに行ったのですが、ドクターが言われたように酸素マスクを外そうとばかりしました。

身体拘束を嫌がるのでその点をお聞きしたところ、「マスクを外さないでねのミトン等、ゆるやかな拘束はします」と言われました。

でも、このマスクは外来用なので、病棟に上がったらもっとフィットしたものに替えてくれるはずだと言われました。

 

 

 7時、母と病棟に上がりました。

母は501号室のようでしたが、私はもうそちらへは行くことは出来ません。

ずっと母の手を撫でていましたが、母は不安なのでしょう。

別れる時には手を出して「行かないで」という感じでした。

母にはここで治療を受けたら良くなるし、ここの気温は調節されているから身体に負担も少ない。

多くの人が祈ってくれているから大丈夫よと言いました。

 

 

 

 その後、私は多くの書類を書きました。

書き終わった時8時を過ぎていました。

看護師さんに伺うと「今は落ち着いています」

 

 

 救急の待合室で待っている時、友人にずっと話を聞いてもらいました(グループラインで)

いつかは人は死にます。

でも、今、こんな形でなのという思い。

もっとあの時こうしていてくれたら・・・と。

皆、言い訳(言い訳では本当のことと言われるかもしれませんが)ばかり。

それで人を納得させて、それで後悔は残らない対応だったのかなと思いました。

誰も責めなくても、誰も知らなくても、「天知る、地知る、己知る」

自分を騙すことは出来ません。

これは自分にも言っています。

皆さん、それぞれが一生懸命になさって下さったに違いありませんが、やはり至らなくても家族が(この場合は私が)母のことを一番想っています。

家族で介護出来たらどんなにいいかと思います。

それが出来ないのですから仕方がありません。

でも、まだこれが母が持って生まれた運命だとか、言いたくありません。

ましてや他人に不用意に言われたくないです。

例えそうであっても、母も私も決して満足はないのかもしれませんが、やはり一生懸命がんばっているのです。

これが寿命だったんだわ、決めて来た人生だったんだねは、家族が言う言葉であって他人には言われたくないのです。

いくつになっても元気でいてほしい、家族はそう願っているからです。

友人達に話して、泣いたら少しすっきりしました。

 

書類を書いている時の窓から

 

 

 

 今日は母が帰ってくるということで、最終チェックなどしていました。

ネットによりますと・・・

ご家族に新型コロナウイルスの感染が疑われる人(以下、感染者)がいる場合、同居のご家族は以下の点に注意してください。
1.感染者と他の同居者の部屋を可能な限り分ける
2.感染者の世話をする人は、できるだけ限られた方(一人が望ましい)にする
3.できるだけ全員がマスクを使用する
4.小まめにうがい・手洗いをする
5.日中はできるだけ換気をする。
6.取っ手、ノブなどの共用する部分を消毒する
7.汚れたリネン、衣服を洗濯する
8.ゴミは密閉して捨てる
その上で、外出する場合は、「陽性者との最終接触」または「感染対策を実施した日」を0日とし、特に5日間はご自身の体調に注意してください。7日目までは発症する可能性があります。こうした間は、手洗い等の手指衛生や換気等の基本的感染対策のほか、不織布マスクの着用や高齢者等ハイリスク者と接触を控える等の配慮をお願いします。

 

 

朝、撮った写真をアップします。

 

  

 

今日も南側の朝顔は咲かず。

西側の朝顔は3輪。

キャベツが小さいですが結球していました。

そして、今日の果物

 

 私は多分、読むこと書くことが好きなのだろうと思います。

こうして結果的には記録を残しているわけですが、書いている間に頭が整理されて落ち着いてきます。

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと275・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.10

 

『国語に強くなる音読ドリル』

 

幼い頃に培った国語力は
人生を支える土台になる
━━━━━━━━━━━━━━
小泉敏男(東京いずみ幼稚園園長)
〇月刊『致知』2023年7月号
特集「学を為す 故に書を読む」より
━━━━━━━━━━━━━━

コメント (6)
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