今日は朝から久し振りに青空が広がっていました。
雲一つない空でした。

ママ友ガーデンの
バラやウツギも終わりに近づいてきました。







これからはユリが咲くと思います。



今日は朝から太陽の陽ざしが強くて、木々の葉が光って眩しかったです。
半袖で歩きました。




真っ青な空。
雲一つない青空。

夾竹桃の花が咲くのも間もなくのようです。




今、付いている他の
バラの蕾も
長雨で傷んでいます。


今年は残念ながら綺麗に咲きそうにありません

今日のNHKの「趣味の園芸」で「バラの魅力は『身近な非日常』」と言われていましたが、「なるほど」と思いました。



ナスの花が咲いていました。
「親の意見となすびの花は千に一つも仇はない」と言いますから、今年は美味しいナスが収穫出来るようにしっかりお水を遣りたいと思います。




柏葉紫陽花も咲きました。


今朝の

果物








今朝はKちゃんが来てくれました。
昨夜、たくさん食べたので朝食は御主人のだけ作って欲しくないので食べないと言っていましたので、コーヒーとフルーツを出しました。

朝、起きた時にいつも2階の窓を開けてまわるのですが、1階はウォーキングから帰ってから開けます。

落ち葉や土が溜まったに違いないと思い、循環器を洗いましたが、モーターがダメになったようで、動きません。
少し前に新しくしたばかりなのにおかしい。
どうしようと思い、いつもお世話になっている大工さんとかシルバーさんとかに電話をしてみましたが、通じなかったり、今日は日曜日なのでお休みだったりしてどうしようと本当に困りました。
困り果てて台所に戻り、母に話すと「誰かにもらってもらったら
」

何代目かのこの鯉は最初、5匹いましたが、死んでしまって、今は一匹だけになっていました。
一匹になると鯉はとても大人しくなり、慎重になり、またあまり食べなくなりました。
一匹だとかわいそうなので、もう一匹買おうかと思ったりしましたが(もう鯉を買うのも最後にするつもりでしたので)、近所にあった大きな鯉のお店も今はネットの時代。
小さなのを一匹買うのもどうかしら。。。と悩んでいました。
鯉を飼うのも手間がかかります。
定期的に循環器の掃除も必要です。
母がいますので、しかも今日は一日しんどくて、そんな母を抱えての様々なトラブルはストレスとなります。
前回、モーターがダメになったのは夏で、鯉が死にそうで大変でした。
やはり、飼うのは大変だと判断し、手放すことにしました。
でも、一体どこが引き取ってくれるかが問題。
Kちゃんが「後楽園は
」

こういうところが素性のわからない鯉を引き取ってくれるとは思えませんでしたが、連絡をしてみました。
日曜日の為か、緊急事態宣言の為か連絡が付きませんでした。
友人達にも声をかけました。
そもそも池がある
家が少なくなってきましたので、なかなか見つかりませんでしたが、お寺が引き取ってくれることになりました。

「死んじゃわないかな」と心配しつつ、池の写真を送って来てくれました。


不動明池とか。

私も写真を撮って送りました。


「何cm
」と聞かれて、30cmくらいかなと私は思いましたが、Kちゃんが「50cm以上はあるよ」

「今日は行けないので明日の午後から取りに行く」と友人の女性のご住職さんが言われました。
お寺なら鯉も心静かに暮らせるかも。
生き物(植物もです)を飼うって大変です。
責任が伴いますし。
鯉が、水を多めに出してはいますが、いつになく浮き気味なので心配です。
居なくなったら淋しくなりますが、仕方がありません。
母の世話をしながら(何もなければいいですが)世話をするのはやはり無理です

池の掃除も気になっていました。
長めの旅の時にはご近所に餌やりをお願いして行っていました。
これからは(年を取っていくと・・・これから園芸を楽しむ年齢かもしれませんが)世話が出来なくなるので、鉢なども徐々に減らせていかなくてはと思ったりしています。
旅をする時にはやはり水遣りもお願いして行っていました。
夏場に向かうにつれて、水遣りは欠かせなくなります。
私は山がとても好きです。
ネパールの山々、アンデスの山々がとても懐かしい。。。
もう一度、あの山々を見たいです。
昔、これらの地方に住んでいたに違いありません。
Leo Rojas - Der einsame Hirte (Videoclip)
★致知一日一言 【今日の言葉】
(5月23日)
花はなぜうつくしいか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ
本当にうつくしい姿
それはひとすじに流れたものだ
川のようなものだ
人生はいつたのしいか
気持ちがひとつになり切った時だ
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八木重吉(詩人)
『致知』2021年6月号
★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング
(5月23日)
われわれは父の仕事を為すために来たのか、それとも自分の仕事のために来たのか。
Do we go about our Father's work or our work?
(5749-16)