母の容態(入院14日目)&昨夜から牛窓に&昨日の「訪問診療」の続き&東京物語(1953)

2024年08月24日 20時30分00秒 | 介護

 コロナが広がっている関係で、週末は面会に行けませんので、昨夜牛窓にきました。

(昨日は広い道を来ましたが、その前はイノシシの多分お母さんとうりぼうに遭遇)

今まで行きも帰りも荷物が多くって大変でしたが、大分、少なくなってきました。

本当はバッグひとつで気楽に来たいです。

昨夜はやっと購入したお風呂セットやクッション等を持って来ました。

それから、ミニアレンジ。

こちらに附いたのは9時過ぎだったと思います。

荷物を降ろしたりしていたらすでに10時近く。

岡山を出る時には33℃でしたが、ここは28℃。

やはりかなり気温が違います。

最初は昨日から、次に今日から、続いて明日から、雨が降ると言われつつ、降りません。

今日も牛窓は雲はあるものの快晴です。

 

 

 牛窓に来て何がいいかと言って景色は言うに及ばすですが、この朝散歩

 

日の出です。

 

今朝はお話し好きの旅好きの80歳のKさんと途中で出会い、一緒に歩いて上がってきました。

いつも平たんな道を歩いていることを改めて感じました。

ここは坂道なので、もうハアハア

いい運動になります

Kさんが向こうに見えるのは「淡路島」だと教えてくれました。

 

え~

そうだったのですね。

この島の左方面(北)が神戸だとか。

 

そして、屋島の右手の街はやはり高松で、屋島の奥に見えるのは四国山脈。

 

 

この観音様は随分古いそうで危険なので今年中に解体されるとか。

昨年の秋にここへ行ったのでとても身近に感じます。

外国の方(アジア)がお掃除なさっていましたっけ。

 

いつものメンバーが揃いました。

イギリスの方の奥さんが今日はお散歩にノアを連れて来られていました。

 

ろくを見て、黒のレッドリバーが欲しいと思われて飼い始められたそうです。

 

ご主人様との出逢いは大学だったそうです。

我が家の娘達と一緒です。

 

山を下りていたらご主人が車で帰って来られました。

 

オリーブの木と青空

 

 

 昨夜は暗くて見えませんでしたが、ユリが咲いていました。

真っ白で美しいです

 

 

改めて・・・

バスセット

 

測って購入した茶色の50cmのクッション

この2人掛けと1人用をどこに配置しようかと思案中。

 

今朝の瀬戸内海です。

相変わらず湖のように穏やか。

 

ミニアレンジをあちらこちら置いて楽しみました。

 

 

段々と晴れてきました。

台風10号は逸れた

 

 

今日の果物

ここにはミントがないので、映えません

 

 

 

 

 昨日、眠くて書けなかったので、改めて書いて介護記録に残しておきたいと思います。

昨日の瞑想中、思い立ったのですがとにかく11時半まで「終わったら電話しよう」と続けて瞑想。

その後、すぐに小笠原内科に電話し、いろいろお聞きしました。

24時間体制については昨日書きましたので割愛し、小笠原先生のところでしたら、緊急退院して対応も可能のようです。

誤嚥対策も在宅でOK、夜も本人も家族も眠れるように睡眠のコントロールをされるようです。(夜間セデーション)

とにかく、家族が疲れれてはダメなので、そこのケア体制はしっかりして下さるようでした。

しかし、ここは岡山。

全国から同じような悩みでお電話があるそうで、ソーシャルワーカーさんがドクターの本を持って行くなり何なりして、「こういう最期にしたい」と伝えるのがベストと言われました。

そして、地域包括センター、病院の地域連携室、県の在宅看護ステーション(ここは2回掛けましたが出られませんでした)へまずは電話しました。

どこも立場上、○○がいいとは言えないようですが、退院が決まったらサービスの見直しが入るからその時がチャンスと言われました。

角が立たないように変更することが出来るのではと。

地域連携室の方は母の容態について、全く同じ情報を共有されていますので話が早かったです。

(食事はペースト食1口しか食べられないと言われていましたので、少し遅い情報もあり)

ですから、「今後はもうショートを使えるような段階ではない、食事の前に吸痰しないといけないし(これは練習して私がすることになります)、食事の度に窒息の可能性がある、娘さんは夜は基本的に一人で介護することになるので夜も十分寝ることが出来ない、30分のお買い物も行けるかどうか難しい・・・そう言った覚悟は心身共出来るかどうか、耐えられるかどうかです」と言われました。

これって覚悟をしたら出来る問題なのかなとまず思いましたし、それに寝ない状態にずっと耐えられる人っているのかなとも思いました。

ただ、母が「痛い」とか単語しか話せず会話が全く成立しないと、看護師さん達と同じことを言われましたので「それは違います」と言いました。

母の記憶力は鮮明で(勘違いやうろ覚えももちろんありますが)、会話も成立していますので、母との会話内容をお話しましたら驚かれていました。

最初は構えてしらした感じがしましたが、最後は「私達の年代は子供からの介助や援助はおろか施設入居も危ういですね」と笑っていらしたので意思の疎通がうまく行ったかなと思いました。

ここはケアマネさんが電話をさせれるところだと思っていましたが、家族も患者も相談出来る場所だったようです。

(今更~

結論は「リハビリによってどこまで食べられたりお薬を飲んだり出来るか(飲んでいないのでパーキンソンが悪化)がカギとなるので、しばらく様子をみましょう。そして、退院が決まった時点で決めましょう」と言われました。

最後に私がお話で出していた「〇〇クリニックは本当の24時間体制、365日対応ですよ」と言われました。

そして、「今のクリニックは外来を持っているの無理だし、看護師さんも沢山持っている訪問看護ステーションがいいです」

「〇〇クリニックにお話を伺ってみます」と電話を切り、○○クリニックの電話を掛けたが1時15分頃。

ここも受付から優しい感じでした。

そして、1時間位話をしました。

結論は「お電話があったことをドクターに伝えます。退院の時期が見えてきたら、『訪問診療(専門)にしたい』ということを伝えて、こちらにお電話下さい」と言われました。

 

 その後、Rちゃんから電話がありました。

「お母さん、今日も面会に行きますか 行く時迎えに来て下さい。昨日はRちゃんは5時半まで寝てしまっていました」

ということで、4時過ぎに出て行って来ました。

母は目を開けていました。

最近は左向きが多いので回って顔を見て声を掛けると微かににっこり。

「おしりが痛い」「腰が痛い」と言いましたので看護師さんに伝えると「又、体位変換しますね」

母の様子を伺いました。

モニターの説明もして下さいました。

「言語聴覚士さんが(嚥下の体位が独特だそうです)上手に食べさせて下さって、主食9割、副食4割食べました」と言われましたので本当に嬉しかった

(今はまだ昼食のみで、徐々に増やしていくそうです)

Rちゃんが「お母さん、大きな食器を考えたらダメよ。小さいよ」

「そうか。。。そうだよね」と思いました。

看護師さんが続けて「でも明日、明後日はお休みです」

言語聴覚士さん、お休みのようです。

看護師さんでは怖ろしくって食べさせられないと言われていました。

折角食べられているのにと素人は思いますが、続け過ぎもよくないのでしょうか

帰り際母が「バナナが食べたい」と言いました。

そうだよね、食べたいよね

母に何か希望を持たせたくて「ご飯が食べられるようになったら、おうちに帰れるからね。今日は新しいドクターともお話して、おうちに来て下さるようにして下さるからね」と伝えると「うんうん」と微かに頷きました。

その前にRちゃんが「家に帰りたい」と聞いていましたが、母の返事は微妙~~~。

こんな状態では自分でも無理と思ったのか、私に迷惑をかけると思ったのか。。。

 そう言えば、今朝、お散歩の時にKさんが言われたのですが、お母様の最期の頃、お母様は何としてでも生きようとなさっていたそうです。

理由を聞いたら少しでも生きて年金を子供達3人に残したいと思われていたとか。

「親ってどこまでも親よねぇ」と。

「もしかしたら我が家の母もそうなんでしょうか」と言うと「そりゃあ、そうよ。それが親と言うものよ」

長生きはしてほしいですが、苦しいのに無理にがんばっているのだとしたら・・・考え込んでしまいました。

私が母と同じ状況になった時、そんな愛情深いことを考えられるとは思えない

(そんな大した年金もないですし

友人の友人は、お金をやはり息子さん一家の為にたくさん使って、心身共も支えてきましたが、今、がんで入院していても1日でも付き添いはしてもらえないそうです。

「忙しい」と。

そして「お金がないと子供は振り向いてくれないのよ」と言われたそうです。

こういうお話、とてもよく聞きます。

若い人達は年金の保証もないので、生きるのに精一杯なのでしょう。

やっぱり、日本は大切なものを失ったとしか言いようがありません。

原因は何か

Rちゃんは学歴社会だと言っていました。

こういう時、よく思い出すのは「東京物語」。

私が生まれる前の映画ですが、何回か観ました。

北マケドニアの友人がこの映画を何度も観たと言っていました。

 フルヴァージョンのようです。

 

東京物語(1953)

 

 

 

 

 

 昨年の今日は母は7月16日の私の誕生日に入院後、やっと退院して帰ってきた日です。

去年も大変な目に遭いまたし、食事の形態もがらっと変わったわけですが、それでも母は元気でした。

1年経った今年はかなり弱っています。

コロナに罹ったのが大きな原因だったのかどうか

 

 

2023年8月23日

ちょっと落ち込み中(明日、退院)

 

2023年8月24日

母の退院&秋の空

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと261・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.24

 

最新刊|人生百年時代の生き方の教科書

 

越えても越えても峠あり。
しかし、必ず峠は越えられる
━━━━━━━━━━━━━━
日野久三郎(弁護士)
〇月刊『致知』2004年3月号
特集「壁を越える」より
━━━━━━━━━━━━━━

地球が一公転するごとに
季節の四季は巡ってきます。

しかし、人生の四季は一回限りです。

青春、朱夏、白秋、玄冬
――中国古代の五行説は
人生の四季をこう表現しました。

年齢的にいえば、
青春とは25歳くらいまでのことに
なるでしょうか。

朱夏は50歳、
白秋は75歳、
玄冬はそれ以降となるでしょう。

いまから半世紀前の昭和49(1974)年、
100歳以上の人口は500名を超える程度でしたが、
現在では9万人を突破し、
その数は年々増加傾向にあります。

人生百年時代が、
まさに到来したと言えるでしょう。

玄冬の「玄」には暗いという意味がありますが、
同時に奥深いという意味もあります。

その意味では、奥深いところから
新たな息吹をもたらす時期が
玄冬であると言えるかもしれません。

その時代を各人がどう過ごすかが
非常に大事になってきますが、
本書には白秋・玄冬の時代を
どういう心構えで生きればよいか。

そのための心得、知恵が説かれているのが、
このたび、弊社から新たに刊行される
こちらの一冊です。


『人生百年時代の生き方の教科書』

 

収録されるのは、次のような60話。


・人生の後半をどう生きるか
外山滋比古(お茶の水大学名誉教授)

・人生は美しいことだけ 覚えていればいい
佐藤愛子(作家)

・運がよくなる秘訣
宇野千代(作家)

・朝顔の花が咲く条件
五木寛之(作家)

・一期一会
瀬戸内寂聴(作家)

・「くれない族」 では幸せになれない
曽野綾子(作家)

・真冬の枯れ木にも花を咲かせることはできる
千玄室(茶道裏千家前家元)

・希望は失望に終わることはない
三浦綾子(作家)

・人は創めることさえ忘れなければいつまでも若い
日野原重明(聖路加国際病院理事長・名誉院長)


後半生を豊かに生きる心得を、
各分野の人生の達人60名の叡智に学ばんと、
珠玉の逸話を掲載しています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする