母の容態(入院20日目)&台風10号

2024年08月30日 20時26分00秒 | 介護

 朝起きた時、良く晴れていましたので、台風は進路を変えたか通り過ぎたかと思いました。

その後、お昼前位まで陽が射したりもしていました。

朝のお散歩

西の空

南の空

 

 

風はやや強めでした。

 

 

 

我が家の南側の朝顔

珍しく青色が咲きました。

この白色はこのまま咲かなかったような。。。

 

八重のジャスミンがたっぷりの水分(雨)を得て、一層咲いていました。

少し離れたところに居ても芳香が漂ってきました

 

本当にかわいいです。

土地があれば地植えにしてシンボルツリーにしたいですが、残念

 

南天の実

すでに鳥が随分と食べているようです。

今日の果物

盛り付ける間もなく食べてしまいました~

 

 台風が夕方から明日にかけてひどくなるとニュースで言っていましたので、午後一の1時に面会に行きました。

ちょうど雨が小降りになり、帰りには止んでいましたので助かりました。

お部屋に入ると

えっ

線がない。。。

見れば母が右の方によってベッドから身を乗り出し気味で、だらんとしていましたので、急変したかと思いました

ティッシュボックスを落としたのが気になったのかかな

びっくりしました。

母に退院について話すと「まあ、今日じゃないのぉ」と残念そう。

まだお食事3回食べられないといけないし、脚のリハビリがあると話しました。

でも、いずれにしても近い

希望が湧いたのではないかと思います。

点滴の時に貼ったテープの跡が痒いようで顔と手に母の好きなイオンクリームを塗りました。

母も自分で塗っていました

その後「喉が渇いた。お茶がほしい」と言いましたのでナースコールを押しました。

介護士さんが来て下さいました。

お昼ご飯をどのくらい食べたかお聞きしたところ「今日は担当でなかったのでわからないです」

その後、看護師さんが来られましたので同じことをお聞きしたところ同じ「今日は担当でなかったのでわかりません」とのこと。

でも、母が「食べた」と言いましたので食べたのでしょう

それから、明日明後日は面会出来ないけど月曜日に又来るからと言って別れました。

帰り道

久々にけやき通りへ

 

雨に濡れた木々が一層美しい

 

 

 

 

 間もなく夜8時半。

台風は今頃、瀬戸内海を横断中のようです。

そろそろ岡山周辺

静かです。

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと255・°*

 

 

 

 


★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.30

 

パラリンピック開会式で選手団を先導

 

ハードは変えられなくても
ハートは変えられる
━━━━━━━━━━━━━━
垣内俊哉
(パリ2024パラリンピックの開会式で
日本選手団を先導したミライロ社長)
○月刊『致知』2017年4月号
特集「繁栄の法則」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「パリ2024パラリンピック」の開会式で
日本選手団の先導を務めた
ミライロ社長の垣内俊哉さん。
先天性の骨形成不全症という難病を持ちながら、
「ユニバーサルデザイン」を
ビジネスとして定着した方でもあります。
自らの活動の原点や
苦難を支えた言葉について
『致知』でお話しいただきました。

 

 

 

 

 

ずっと配信が止まっていたエドガー・ケイシーのメルマガが、なぜか急に又配信されるようになりました。

 

★[ECCJ] 今日(9月01日)の珠玉のリーディング

 

エドガー・ケイシー


建設的な精神状態を保ちなさい。決して憤慨してはならない。怒りは循環に負担となる分泌物を体内に作り出します。

Never resentments, for this naturally creates within the system those secretions that are hard upon any circulation.
(470-19)

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

下駄屋のおばさんの思い出


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144244&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、赤い鼻緒の下駄、白装束の巡礼さん、山形県村山市の林の中の道の写真が挿入されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144245&c=3304&d=ed84

(下駄屋のおばさんの思い出|赤い鼻緒と白装束・御高祖頭巾の巡礼さん)

━…………………━


台風10号がのろのろと居座っていますね。

今朝の東京板橋では、雨が滝のような音とともに地面をたたいていました。


そちらはいかがでしょうか。しばらく影響が続くようです。どうかお気をつけください。



このメルマガでは、固い話(下記)のお届けがしばらく続きましたが、今回は、私の友人から、子供の頃の思い出についての寄稿をご紹介します。


オヤジバンドでの演奏とお祭りが、三度の飯よりも好きだという、山形に住んでいる方です。



参考記事:


『渦巻きのスピリチュアルな意味|古代人が生命の象徴とした螺旋の模様』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144246&c=3304&d=ed84


『ヒューマニズムとは何かを簡単に解説|その精神と意味と歴史上の運動』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144247&c=3304&d=ed84


▽ ▽ ▽

『下駄屋のおばさんの思い出』

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下勝悦



我が家から車で数分の距離のところに道の駅があります。

そこでは連日、近隣農家の方々が栽培した採りたての野菜が売られています。


地物のキュウリの販売が始まったと思える頃にカミさんと二人で行ってみました。

色鮮やかなキュウリがスーパーマーケットよりも安い価格でドーンと重なって売られていました。

そこで手頃な大きさのキュウリを一袋購入。


来たついでにと言っては何ですがお土産品のコーナーにせんべいを買いに行こうとなりました。


すると、入って直ぐのところにいつの間にか下駄の販売コーナーが


最近の下駄は実にカラフルですね~。木と布でできたビーチサンダルと言った風情でしょうか。



そこで、ふと思い出しました。

私には全く記憶が無いことだったのですが、私の姉がある時『こんな事があったね~(笑)』と言って私に話してくれた笑える……話です。


私が子供の頃、小学校に入る前のことです。

母親にこんなことを言ったのだそうです。

『上のお姉ちゃん二人ばっかり赤い鼻緒の下駄を履いてるのはずるい~』と。

つまり、自分も赤い鼻緒の下駄が履きたいと。



かなり強引に迫ったらしいのです。

とうとう根負けした母親は私を連れて近所の下駄屋さんに。

その店は夫婦二人で営んでいる近所でも評判の店で旦那さんが店の奥で生地を造り、奥さんが店番と鼻緒の取り付けの仕事をやっていました。



下駄屋のおばさん、母の話を一通り聞き終わると何も聞かずに何も言わずに私の足のサイズに合わせて赤い鼻緒の下駄を仕立て上げてくれたのだそうです。



さて、その後どうなったのか・・・!?

私には全く記憶がありません。


姉もその後のことは全く話してくれません。

よっぽどのことがあったのでしょうか(笑)



もう一つ、下駄屋のおばさんのに関しての思い出ではっきりと記憶しているできごとがあります。


私が小学校の二年生くらいの頃のことと記憶しています。


この頃、我が家は国道沿いにありました。


国道とは言ってもまだ未舗装で車などは、ときおり通るだけなので私ら子供達には格好の遊び場でした。



そんなある日のできごとです。大人たちの間に、私ら子供達には理解できない話が広まったのです。


後から聞いたのですが、『小さな身体の巡礼さんがこっちに向かってやって来る』と言った内容の話でした。

その時、私ら子供達はなにごとが分からずに道路で走り回って遊んでいました。



しばらくすると、白装束と御高祖頭巾(おこそずきん)に身を包み白い杖を持った巡礼さんが右に左にゆっくりと身体を揺らしながら南の方角からこちら側、つまり北の方角に歩いて来るのが目に入りました。



驚きました、当の巡礼さん、小学生の私より背の低い方だったのです。

歳の頃は分かりませでしたが三・四十代位ではと思えました。


すると、驚いている私らには目もくれず、下駄屋さんの店内に『はい、こんにちは。ちょっと休ませて頂けませんか?』と入って行ったのです。

すると着物姿の下駄屋のおばさん、正座したまま静かに一礼すると『どうぞゆっくりと休んでいって下さい』。

眉毛一本動かさずの神対応でした。巡礼さんも深く一礼、すぐに二人の会話が始まりました。

巡礼さんが身振り手振りを交えながらほっこりとした笑顔で話しています。

今までの旅のことなどを話されていたのでしょうね。


下駄屋のおばさんもときおり何か話しかけています。


きっと『どちらから来られましたか? これからのご予定は?』などと話していたのではないでしょうか。



今になって思うんです。

あの時の光景は観音菩薩と地蔵菩薩の会話だったと。


しばらくすると、巡礼さんゆっくりと立ち上がり、深く一礼の後、店を出て北の方角に向かって歩いてゆかれました。先ほどと同じように小さな身体を右に左にゆっくりと揺らしながら。


あの時の巡礼さん、野垂れ死にを覚悟しての旅だったのでしょうね



もし、あの時の巡礼さんが今も存命ならばすでに百歳は超えておられることでしょうね。

否、もう既に亡くなられているかもしれません。

でも私は信じています、あの時の巡礼さんは今も日本のどこかで巡礼の旅を続けておられるのだと。



太っ腹だった下駄屋のおばさんに関しての私の思い出話です。


△ △ △

再び本庄です。


御高祖(おこそ)頭巾とは、江戸から明治にかけて主に女性の間で用いられた防寒具で、四角の布の対角の二隅に耳掛け用のひもをつけ、頭だけでなく、両耳もしくは両耳と口元を覆った頭巾とのことです。


山形県は寒いので、巡礼の方もこの防寒具をつけていたのでしょう



下記は前回の山下さんの記事です。


参考記事:『サルバドール・ダリの絵画を読む(聴く?)』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144248&c=3304&d=ed84



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。(^^)/~


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■ 編集後記

近所の植え込みです

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1144249&c=3304&d=ed84

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コメント (6)
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