今日は「立秋」という言葉にぴったり合うかのように寒い一日でした。
ガスストーブを付けています。
気温は最高気温が15.8℃、最低気温が8.6℃。
明日の朝はもっと冷えるそうです。
寒い季節がやってきました。
今日の果物
3人分です。
息子夫婦は朝ご飯を食べてすぐに帰って行きました。
長いこと、本当によく助けてくれました。
こちらは昨夕のお食事会の時に神父様から頂いたベトナムコーヒーと赤磐で作って出荷されているにんにく。
息子夫婦も同じだけ頂きました。
母の葬儀に使われたお香。
いつもと違って少し甘いいい香りでしたので神父様に伺うと「よく気が付きましたねー。本当にいい香りでしょう」
前回のアメリカへの旅で持って帰られたそうです。
朝顔がまだまだ咲いていますが、大分小さくしわしわになってきました。
午前中は大洗濯後、ソファでしばしお昼寝をしてしまっていました。
お婿ちゃんからの電話で目が覚めました。
午後からやっと外に出てみました。
ママ友ガーデン
教会のお花
母の棺を包んでいた布が干してありました。
公園の桜の葉
朝な夕なうるうるします。
もう心配する人も待ってくれている人もいないんだなぁと・・・
でも、母はもう少なくとも苦しんでいないのでそれだけは安心で、良かったとほっとします。
いくら99歳の大往生とはいえ、最期まで苦しかったから。
死因には「老衰」とあり確かにそうですが、なかなか枯れるようには難しい気がします。
でも、母も多分知らない人から見ればそのように見えるだろうと思います。
お通夜から備忘録の為に振り返ってみたいと思います。
お通夜は11月5日(火)午後6時からでした。
写真はセレモニー会館の方が撮って下さいました。
お通夜後
お通夜後に身内や残って下さった方がたとするお食事
教会へは息子夫婦が泊まってくれました。
(あとで伺ったお話によると今では「教会に安心してお預けして」帰られる方がほとんどだそうです。父の時も泊まったのでその流れで泊まるのが当たり前と思っていました)
ラップ音や足音が聞こえたと言っていて、びっくりしましたが、2人には至る所で結構聞こえるそうで
私は聞いたことがないです。
0時頃、神父様が母の為に祈る為にいらしたそうですが、お互いに気が付かなかったようです。
次の日の朝、私は洗濯をしたりゴミ出しをして、教会に行き、息子夫婦と交代しました。
その間、静かに母と話すことが出来ました。
生前、母にはよく死後の世界のことについて、私が多分こうだろうということを話していましたので、母は多分、上の方に浮かんでいるに違いないと思って母に話しかけました。
母は一生懸命に話しても私には通じず歯がゆい思いをしているに違いないと思いました。
亡くなった時、11月2日の23時45分頃、母の顔を見た時、もう魂が抜けていると感じましたが、時間が経つにつれて、「あ~、もう完璧に抜けている」と度々感じました。
ここにあるのは本当に亡骸。
それでも、やっぱりこの肉体とのお別れは辛かったです。
特にお葬式の一連の行事はなんて身内にとって残酷なのだろうと思いました。
(今は御棺にくぎ打ちはなくなったそうですが)
7時45分、立飯が届きました。
セレモニー会館の方が撮って下さった写真
葬儀はミサと告別式とに分かれていました。
お通夜はお焼香でしたが、告別式では白いカーネーションの献花。
そして、自宅に持って帰るお花以外はすべて母の棺の中に入れました。
母はいっぱいのお花に囲まれました。
この1週間は晴れ予報でしたが、曇っていて気が付くと小さな雨が降っていました。
岡山南区の火葬場が壊れているのでここは北区です。
火葬場には教会から神父様を始め3人、我が家の方は従兄弟、友人、ブロ友さん、Lちゃん。
最近の火葬場はとても広くて綺麗でした。
最後のボタンは私が押しました。
それから1時間40分。
骨になった母を見た時が一番きつかったです。
よく倒れないでがんばれたと思います。
お骨拾いも誘導して下さいますが、ルールがありました。
帰り道
岡山城が見えました。
教会に着いたのはちょうど4時でした。
朝の10時半からのミサ開始後長い一日でした。
お食事は残ってくれた人と神父様と。
あまりにも多くて半分残しました。
母を抱いて家に到着したのは6時頃
息子夫婦が家庭祭壇を作ってくれました。
なかなかかわいらしくて明るくていい感じです。
今日は午前、午後と気が付いたら2回もお昼寝していました。
これからはもっと早くブログアップしたいと思います。
眠くってうたた寝してしまいます。
初めての夜ですが、母が入院したりショートを利用してくれたりしていましたので、大丈夫そう。
振り返れば、「動揺」した日、虫の知らせだったのではとクリニックの看護師さんが言われました。
なぜかこの午後、とっても動揺していました。
ケアマネさんが友人が来てくれていた時(5日の午後)、いらして下さったのですが、やはり「入院もあり」みたいに言われました。
それはもう絶対に考えられませんでした。
大丈夫だろうかと心配したのは私自身のことでした。
最期まで家で看ようとしていましたが、意に反して倒れてしまったら・・・
それが一番怖かったです。
母は眠ったまま逝きました。
いつもの日常の中で。
「もういいよ」と思ってくれたのかな。
本当にハードル低く、家に居させてあげることだけを考え続けました。
ですから、それだけは叶えてあげられたので、これで許してくれる
そんな想いでした。
達成感などはないです。
やっとのいっぱいいっぱいの感じです。
今はもう心配する人も待ってくれている人もいないと思うと淋しいですが、母はもう苦しんでいませんので、安心しほっとした想いです。
亡くなった母の顔は段々と安らかな眠っているような顔から笑っているように変わりました。
今にも息をしそうな感じでしたので何度も胸のあたりを見ました。
今はハッピーかな
懐かしい皆と再び出逢い、きっと母の還る場所(行くべき場所いずれにしても母が一番安らげるところ)への旅路の途中かな
★致知一日一言【今日の言葉】2024.1107
「なりたい」と「なる」の違い
「なりたい」と「なる」は違います。
本気で「なる」と決めれば、
自分で決めたことをやり切っていく。
夢が正夢になった時に、
一人ひとりの人生が輝き始める
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栗山英樹(北海道日本ハムファイターズ チーフ・ベースボール・オフィサー)
○『致知』2024年8月号より
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★[ECCJ] 今日(11月07日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
理想を持たない者はさ迷う。また、その理想が物質的なところに据えられたなら、それはすぐに疲弊し、衰える。理想は、霊的なことになければならない!
He that is without an ideal is a wanderer; and if the ideal is set in material things it will soon play out and fade. The ideal must be in spiritual things!
(323-1)
コメントへの返信、確かに、拝見させていただきました。
そうですね・・・いつまでも、この世に残っているものが、悲しんでばかりいては、お母様も天国でゆっくりもできないでしょうから、
明るく頑張って、それぞれの寿命まで行きましょうか
ありがとうございました。
>心からお悔やみ申し上げます。... への返信
こんばんは、武人さん(^^)/
どうかそんなに謝らないで下さい。
母と私の為にそんなに泣いて下さって、何と言っていいか・・・
人は必ず死にます。
私も母の死が辛くなった時、母だけが死んだのではない、母だけが逝ったのではない。
私もいつか逝く。
この世に生まれて来た人全員にその日は訪れるのです。
早いか遅いかだけの違いです。
そう言い聞かせています。
そして、又、再び会えると、きっと会えると信じています。
ですから、元気を出してこれからも生きて行きます。
武人さん、今まで本当にありがとうございました。
これからも見守っていて下さいね。
私も見守らせて頂きます。
心からの感謝を込めて・・・。
本当にありがとうございました。
この度は本当に、お母様のことについては、ご挨拶がたいへん遅くなり誠に申し訳ございませんでした。
先ほど、前の記事にコメントを書き込みさせていただきましたが・・・
お母様の残念な訃報の記事を拝見して本当にびっくりしました。
いつかはこういう記事が掲載されることは想像もついていますが・・・
お母様も10数年間もあなたに面倒を見て貰って、心から感謝しながら天国に旅立たれたこと思います。
100歳になるカウントダウンも、ブロ友の皆さまも見守っておられたことだと思います。
私もその一人です。
私は100歳を超えてから、母を天国に旅だたせることができました。
ずっと九州と大阪と離れていた親子関係でしたが、長生きしてくれたことに今でも母に感謝しています。
atsukoさんも当分は寂しい日々でしょうが健康に気をつけて頑張ってくださいね。
お悔やみの言葉がたいへん遅くなってごめんなさい。
あなたのblogでお母様の訃報の記事を拝見して、思わず涙がボロボロ流れて来た私の気持ちで、勘弁してください。
元気で頑張ってくださいね…
いつもご無沙汰しているから、こういう後悔をする形になってしまいます。
言葉がなかなか出て来ません・・・
ナント、コメントをしたら良いのか、判りません。
お会いもしたことない、atsukoさんとお母様ですが、
ずっとatsukoさんとブログでつながっていて・・・12年間もお母様の介護、看護をされて来られて、100歳の御誕生日をカウントダウンされておられるatsukoさんのblogにいつも感動していました。
残念の言葉しか出て来ません。
私は、今日、あなたが私のblogの更新にご訪問をいただいて、お礼に伺って初めてお母様の訃報を知りました。
私は家族の前で、このコメントを打ち込みながら涙がとどめなく流れています。
家族にはあなたのblogのことを初めて話しました。
お母様のご冥福をお祈り申し上げます。
そして、あなたがこれから寂しい日々になるかと思いますが、お元気で生きていかれることをお祈りいたします。
取り急ぎ、ご挨拶まで。
>やはり、、、... への返信
こんばんは、クチコさん(^^)/
天寿を全うした大往生だったのでしょうね。
サムライですか。
なるほど。
イメージが重なりました。
くちこさん、出来る人が出来る範囲で出来ることをしたら、それで十分と私は思います。
皆、精一杯がんばっていますから。
私の場合、たまたま条件が揃っただけです。
生徒さん、今、大変な時ですね。
お祈りしますね。
くちこさん、コメントをありがとうございました。
>秋風は夕陽の瀬戸の海原をプリズムのさざ波染に煌き... への返信
こんばんは、一心さん(^^)/
ギリシャ神話の光景が目に浮かぶような素敵な弔辞をありがとうございました。
母は今はもう宇宙の腕に抱かれ幸せですので、いつかまた会う日まで、私もこの地上で幸せに生き抜きぬきたいと思います。
本当にありがとうございました。
ご立派な大往生でしたね。
看護師時代、
末期の方々をサムライのようだなと感じていました。
今、くちこ教室の生徒さんも、同居のお姑さんを看取り予定です。
ご自宅で、あと2ヶ月位と言われたらしいです。
98歳、胃癌。
数年前に、お舅さんもご自宅で看取られました。
くちこの母も、くちこ家で見ていましたが、最後は病院にて。
母の介護、全然ダメだったくちこですが、、、
くちこなりに、精一杯だったと思っています。
あ、
立冬ですよね。
アテナの使者天女が風をまといオリーブの丘を越えて
ピエリナの住まいに静粛に参りました。
天女は言います。
ピエリナ、あなたは十分、母様に娘として仕えました。
少々、早くまいりましたが、冬が来る前に母様をお預かりいたします。
オリーブの花を母様の髪に添えます。
月夜に一陣の風が母様を纏いつき頭上の月夜の空に向かう。
天に召された。
今宵、母様を偲ぶ宴に風を纏い静かにおりてきた。
ピエリナの前で正座。
その目には深い慈しみの愛情がひそんでいた。
ピエリナ 忍び泣きしてはいけません。
生き抜いてください。
孫たちと明るく過ごしなさい。
清々しい朝の光に空を仰ぎ
忘れ得ぬ母様を想う。
海原を夕風に運ばれてやってきます。
ひとしきり、会話をして
又風が吹き上げ月夜の空に母様は消えて行った。
拙い弔辞です。