間もなく99歳になる母にかわいそうだとは思いましたが、敢えて物申しました。
発端は今朝の出来事から。
今朝、母は5時45分頃に私がゴソゴソ動いていた為物音で目を覚まし、叫びながら泣くように「助けてのどが詰まって死にそう。」
でも、バイタルを測っても異常はない。
もちろんバイタルに出なくてもしんどいということは私も十分わかっていますので、とにかく水分を取らせようとしましたが、すごい力で「飲めない。飲めない。」と言って拒絶するその力たるやものすごいものがありました。
少しその場から離れると呼び続け、挙句の果ては救急車もいとわないみたいになり。。。
でも、どう見ても緊急性を感じませんでした。
こういうことがたまにあります。
こういう時にはもう私の手に負えないという感じです
その後7時からヘルパーさんが来て下さいましたが、また、同じことを訴えていました。
その後は難しい顔をして食卓に来て、暑いと言ったり寒いと言ったりを繰り返し、「ストーブを付けて」
ストーブを付けたらお腹もよくなってきたのか、「眠くなった」
「落ち着いたみたいね」と言うと
「うん」
と言って少しうととし起きた後、「今日はどうしても家にいることは出来ないの 行かないといけないの」と言いましたので、
「今日はヘルパーさんも看護師さんも誰も来てくれないから難しいと思う」という話をまずしました。
(ショートに)行ってもラウンジでほっとかれて一人ぼっちで『お願いします。お願いします。』と通るスタッフに言っても誰も何もしてくれず、素通りしていくだけ。何度もお願いと言ってもほっておかれる。それよりは家にいたい」と言いました。
多分、スタッフはバイタル的に問題がなければ、緊急ではないから忙しく他のことすると思います。
想像するだけで母にとっては辛いことです
でも、私も実際忙しいという言葉を言いたくないのですけれども、やはり忙しいのです。
本末転倒だとは思いますが何かと忙しい。
そこで母に「家に居る間、私は座っていないでしょ 行った後は暇と思うかもしれないけど、掃除や洗濯や色々なことしないといけないし、病院にも行かないといけないし、色々とすることがあって忙しい。それに皆が皆、ショートに行ける人ばっかりじゃないからっていうこともわかってるよね。(先日、母も言っていました)」と言いますと「わかってる」と言いました。
それでも家に居て私に何を望むかと言えば、そばに座ってじっと話を聞いてほしいと。
これは私も足りない部分だと思うのですが、話をしようと思ってる時は母はそれだけで安心するのか喋らないわけで、忙しくしてる時に限って話したい
どうもなかなか噛み合わないという現実もあるのです。
けれども、ここで母に物申しました、敢えて。
私は99歳という母の見てる景色から世界をまだ見たことがないので言えることだと思うということを前置きしておきながら、(お互い)行く道来た道だからということを言いました。
もちろん早世なさった方も多くいらっしゃいますが。
そして、母と私の違いが私は2つあるような気がすると言いました。
1つは私は一人っ子なので一人でいること、孤独でいることに慣れているし、それが心地いいと思うことも多い。
でも、母は大勢の中で育ちましたし、絶えず誰かがそばに24時間いないと寂しいそうです。
「24時間誰かがそばにいるということは不可能よ」と言いました。
「24時間いてくれるヘルパーさんを頼む」ということも話すと黙っていましたが、私が24時間そばに居るということには限界があります。
「もう1つ違う点は私は人の為に祈ることが出来る」ということを言いました。
することがあるということです。
母にロザリオを持って行って、「人のために祈ることが出来る」と聞くと「出来ない」と言いましたので、「じゃあロザリオでも持って行って(数珠と一緒)、斎藤一人さんが言われていたように『ありがとう』『ついている』という言葉を一つ一つ繰りながら唱えたらどう そうすると、それが人のためにも自分のためにもなるよ。」ということを言いました。
なかなか納得はしてないみたいでした。
母のロザリオを少し前までは母の部屋のタンスの中に入れていましたが、使わないので2階のタンスの中に仕舞ってしまってしまい、すぐに出てこなかったので、また面会の時に試しに持って行ってみようかなと思います。
母に「何か自分で自分を納得させることとか、自分で自分を楽しませるとか、何かない」と聞いても「何もない」と言いました。
99歳の母にそれを求めるのは本当に難しいです
けれども、本当に聖書の中に「老いた日に砂を噛むような思いをしたくなければ、おのが若き日に造り主を知れ」という言葉がありますが・・・これ、調べてみましたら、正式には以下です。
旧約聖書・伝道の書 12:1-14
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。 悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。
それもそうですが、若き日に本当に一人でいること、自分で自分を満たすこと、自分で自分を喜ばすこと、何か人の為に役立つことを何も出来なくてもそういうこと(例えば祈りとか)が出来るということを知って実行しているのかどうかということが、結構長く生きる日々の分かれ目になるのではないかなという気がします。
もちろん人のために祈ったから、自分の何か楽しみがあったからと言って孤独が消えるわけではありません。
母にも言いました。
「みんな人間、孤独で淋しいものだと思うよ。私も孤独で寂しい。みんなそうだと思う。一人だけが感じているのじゃないよ。」
もちろん、母の見てる景色からの孤独感と今、私がまだ自由に動き回れる時の孤独感とでは全然レベルが違うとは思いますが、敢えて敢えて、今朝は色々と母に物申しました。
どれだけ分かってくれたかどうか分かりませんが、とにかく24時間そばにいて満たしてあげることは残念ながら出来ません。
それならばどうするか、どうしてあげられるかということを、私も母の立場になって考えてみたいと思います。
年齢も年齢ですし、守ってあげないとと思います。
しかし、母は私が「すぐに怒って施設に入れられる」と思っているようです
反省
朝の庭
バラの季節が本格的に到来しました
このバラ、黒みがかったビロードのような「サムライ」ですが、そのように写らないのが残念
「シェヘラザード」と「パパメイアン」
「ラ・マリエ」「ブルームーン」
「ドフトゴールド」
今一度「サムライ」
今日の果物
リニューアルオープンしたスーパーがセールをしていますので果物が充実しました
母を送りだした後、何だか辛くて泣けてきたのですが、しばらくしてふと「なぜ自分が何者か知らないかのように、運命に翻弄される浮草のように何も出来ないかのように泣いているの
一体何を今まで求め学んで来たのかと思いました。
その後、スマホショップへ。
予約をしていました。
使いこなせないことが多くて
帰り道のけやき通りです。
若葉が本当に美しい。
別の十字路から。
今日は暑くなり28.4℃。
夕方の庭
このバラは多分、公園で切られていたバラを挿し木したものです。
つくづくバラって樹木だなあと思います。
これは「サムライ」です。
こんなになりました。
ガーデニア(くちなし)
🍋レモン
バラが開きました。
明日から3日間雨ですので、又散ったり傷んだりすると思います。
このオレンジは公園で切られていたものの挿し木です。
とても良い香りがします。
ふと見ると釣り忍から緑の葉っぱは出ていました。
柏葉紫陽花が又一層成長していました
昨日植えたモミジアオイがしゃんとしていました。
守ってあげたい - 松任谷由実(フル)
★致知一日一言【今日の言葉】2024.4.28
『母』発刊に込めた編集長の想い
十億の人に
十億の母あらむも
わが母にまさる
母ありなむや。
━━━━━━━━━━━━━━
暁烏 敏
(仏教学者・僧侶)
○月刊『致知』2005年5月号
特集「母の力」より
━━━━━━━━━━━━━━
十億の人に十億の母がいる。
中には立派な母、
優れた母もいるだろう。
だが、自分にとっては
自分の母こそが最高の母だ――。
大正から昭和にかけ、
熱烈な説教講演で
多くの信奉者を集めた
真宗大谷派の僧・
暁烏 敏(あけがらす はや)の
短歌です
* * *
例え親子でも、親子だからこそ言えないことって多分誰にもあるように思いますが、ここでは、99歳の母に言うのはかわいそうだけれども、皆、大なり小なり苦しみを抱えて生きているし、感謝や愛や祈りを込めて生きいってほしいという願いや提案です。
なかなか文章が下手で伝わらないことも多いと思います。
すみません
お疲れ様です。
そうだったのですね。
友人のお母さんが認知症で施設に入っているのですが、時折話します。
どちらが幸せなのだろうかと。
認知症は周りは大変でしょうが、「神の恵み」と言われるそうですから、御本人は幸せでしょうか。
私の母は年相応の物忘れはありますが、認知症がないので、看ているとはっきりとわかっているだけに辛いだろうなあと思うことがよくあります。
母は認知症になりたくないと言うことと、施設に入りたくないということをずっと言い続けてきて、今、その願いが叶っているわけですが、実際のところ、今どのように考えているのだろうかと思います。
もっとも願い通りになるかどうかわかりませんが、願った通りになるとも言いますからその願いが叶ったのか、あるいは人生の青写真を生まれる前からある程度決めてくると言いますから自分の決断なのか、どうなのだろうということも考えたりします。
でも、おっしゃるとおりいずれにしても平穏な日々を送ってほしいです。
私もそれが願いです。
お祈り、ありがとうございます。
私もげたのうらさんのお母様とげたのうらさんやご家族の為にお祈りさせて頂きます。
昨日アップした「老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend」、先日お話した詩です。
宜しかったら、英語のクラスで使って下さいね。
認知症の母ですから昨日のことは覚えておらず話のしようがありません。ただただ平穏な日々を送ってくれますようにと神様に祈る毎日です。
ピエリナさんのお母様も平穏な日々で有ります様にとお祈りさせていただきます。
「自分の母こそが最高の母だ」、と言える人は幸せでしょうね。
難しい問題にコメントを下さってありがとうございます。
なかなか本当に難しいことですよね。
だからこそ、若い時、元気な時から慣れ親しんでいないと出来ませんよね。
とにかく、母に少しでも明るい気持ちで生きて欲しくて。。。
暗くなると益々辛くなるばかりですから
サムライ、感じてもらえて嬉しいです
香りもとてもいいんですよ。
鼻の前にずーっとぶら下げておきたいくらい(笑)。
今日はお出かけだったのかな
お疲れ、もう取れましたか
ゆっくりして下さいね~
スピーチパソロジストって言うのですね。
免許が使えないって残念ですね。
資格にはその国の試験を受ければ使えるものもありますよね。
ふと、シニア協力隊などでは使えるのかなと思ったりしました。
私の資格のひとつの管理栄養士はシニア協力隊でいくつかの国で使えました。
カナダ(とアメリカも?)でも英語の簡単な?試験(これが私には難しい)を受ければ使えることを国際会議で知り、あちらで働いてみたいと思ったことがありました。
折角のスキル、天職とも思っていらっしゃるのですからどこかで生かすことが出来たらいいですね。
もう一回アメリカに行きますか
今日のブログのストーリーのようなことになればそれも夢ではないですよ、お互いに(笑)。
「薔薇のサムライ」、ベルベットの様な感触は写真から感じられますよ。とっても綺麗(笑)
koneko
アメリカで取得したスピーチパソロジストの免許は日本では通用しないので、
残念ながら日本では言語療法ができないんです。
厚生労働省に交渉しましたが、だめでした。
最後に言語療法をしたのはもう8年も前。
だいぶ忘れちゃってるし、スキルも劣化。
でも、とても良い思い出として残っています。
わたしにとっては天職でした♪
人は生きていたように老い死ぬと言いますから、今の母は今までの人生の集大成なのでしょうね。
ただ、パーキンソン病は想定外だったようです。
年を取って病いを持ちながら生きることは本当にしんどいことだと思います。
ですから、少しでも楽に過ごせる手伝いが出来たらと願っています。
夢や希望を持ってくれたらもっと嬉しいのですが・・・。
少し前まではひ孫(私の娘の子供)の成長、出来れば結婚式を見ることが出来たらと言っていましたが、今、遠く離れてしまいましたのでもしかしたらとても寂しいのかも。
私は娘の後押しをしましたし。
「喉が詰まるという感覚は死に直結するのでご本人にはとても恐ろしいことですよね。」
実際は詰まっていなくても痰があると詰まりそうで恐怖なのでしょうね。
母の恐怖がもっとわかった気がします。
ありがとうございます。
私の心は・・・適当には友人とランチをしたりしていますので大丈夫かな~とは思います。
storytellerさんは今でもそのお仕事をなさっていらっしゃるのですか?
大変なお仕事でしょうが、やりがいもある素晴らしいお仕事だと思います。
がんばって下さいね。
看護師さんやヘルパーさんが来て下さいますので何とかなっていますが、精神的には一緒の想いを抱いてくれる人がいませんのでやはり誰か居てくれたらなぁとは思いますね。
最初の頃は特にそう思っていました。
いつも見守って下さりありがとうございます。
お2人の様子が手に取るように分かる記事でした。
お母様のような言動、わたしの担当患者さんも同じでした。
体の筋肉を自分でコントロールできない恐ろしさ、不安は、
ご本人でないと分からないのだ、と知りつつ、
介護されるご家族の心労を思うと、
それもまた辛く。
喉が詰まるという感覚は死に直結するのでご本人にはとても恐ろしいことですよね。
でも、おっしゃるようにバイタルに変化がなく、
呼吸ができていれば、緊急を要するものではない。
とても冷静に判断されていて頭が下がります。
でも、ピエリナさんの心も心配。わたしの患者さんのご家族の中には、
泣きながら思いを吐き出す人もいました。
そうやって時々心のバランスを保って、なんとか続けていらしたのでしょう。
良いのです。お母さまに思いをぶつけてください。
それが自然なありかただとわたしは思います。
ピエリナさんの心がまず大事。
独りで背負うには限界ありますね。
私は兄弟3人輪番で見守りましたが、ケアマネさん他から兄弟誰か倒れるんじゃないかと心配されました。
3人でもその状況。
どうぞお母さま共々少しでも心休まりますように~。